(いったいどうしてこんなことになった)
麗麗と皇帝は肩を並べて胡粉宮の院子を歩いているのである。しかも、皇帝は供を連れず、単独での行動だった。宦官服を着ているのは変装のつもりらしい。
いつもなら緊張で胃がねじれる麗麗だが、先日からの接触回数でだいぶ慣れたようだ。礼は不要だと言われたこともあり、胃痛もほんの少しですんでいるので現金なものである。
「少し急ぎますので、足元にお気をつけください」
時折天の様子を確かめながら、麗麗は道を急ぐ。夜が明け始めた今、もう星は使えない。代わりに太陽の光の位置を確かめながら、麗麗は足を急がせる。
麗麗の確かな足取りに、皇帝は疑問を覚えたようだった。
「まるで冥焔のいる場所がわかっているような足取りだね」
「はい、おそらくあそこだろうと目星はついています」
「それは頼もしい。では、お供しよう」
あっさりとうなずき、皇帝は迷いもなく麗麗のあとについて歩く。
こんなときだが感心してしまう。文字通り宮城の頂点に立つ人であるのに、取るに足らない女官風情の言葉を素直に聞き入れるのは、皇帝の性格のよさからだろうか。雪梅の話によると降ってわいた皇位とのことだし、その点も影響しているのかもしれない。
がさがさと茂みをかき分けながら、皇帝は麗麗に言葉をかける。
「麗麗は今回の件、どこまで知っているのかな」
「ほとんどなにも知りません」
というよりも、頭が向いていないと言ったほうが正しいか。
「私が知っているのは、玲沙様が院子に“鬼作楽”を住まわせていると発言し、主上がおもしろがってあの宴を開催したという事実のみです。それ以上も以下も、存じません」
そう言うと、皇帝は驚いたように目を見開く。
「そうか。てっきり冥焔が話したのかと思ったが、違うのか」
「……というと、あの宴自体になにかしらがあったという話なのですか」
てっきり皇帝のお茶目が爆発したのだと思っていた。
皇帝は苦笑し、「どこから話そうか」と唇を舐める。
「“真実を追究する者”には隠し事をしないほうがいいだろうから、すべて話そう。言われなくてもわかるだろうが、他言禁止だ」
「是」
皇帝の話は簡潔だった。
例の毒の香炉と同じ辰砂が使われた皿が見つかったこと。その毒皿、毒の香炉の窯元が、玲沙妃の実家と深い繋がりがあること。おそらくは命を狙われているということ……。
聞きながら麗麗は背筋に冷汗が流れるのを感じていた。
(こ、こんな内容、いち女官が聞いていいやつじゃないでしょうが……!)
玲沙妃のご実家による暗殺未遂疑惑、という話だ。
(しかも確か、玲沙様のお父様って、主上の叔父さんなんだよね……? えぐくない!?)
自分の妹が産んだ子を暗殺とか、ちょっと言葉が出ない。
どうにかならんか、権力者たち。なぜ親戚同士であほみたいなことをする。殺し合わずに、助け合い、支え合えよ権力者!
頭ではわかっていたけれど、やはりここは恐ろしい争いごとが起こる国なのだ。そこで皇帝を務めているこの方も、側近である冥焔も、いったいどれほどの重圧を抱えて生きているのだろう。
麗麗の動揺を気にも留めずに、皇帝はさらに言葉を重ねた。
「今回の件……玲沙妃の実家が独断で行っていたのか、玲沙妃が絡んでいるのかを確かめようと思ったんだ。それで、あの宴に罠を張ったんだよ」
「罠、ですか」
「ああ。わたしはそれぞれ妃に別のことを告げていたんだ。玲沙妃には『こっそり宦官として参加する予定だ』と言い、他の三人には『不調で出席できない。代わりに人を置くが結果は楽しみにしている』と。そして厳重に口止めをしてこの話が漏れないように命じた。もちろん臣下たちには一切告げず、冥焔とその配下のみがわたしに付き従った。その結果」
皇帝は一度言葉を区切り、ため息と共に次の句を継いだ。
「事件が起こったというわけさ」
なるほど理解できた。なぜ院子に不届き者が現れ、ピンポイントで皇帝を狙えたのかという話になる。玲沙妃だけが皇帝のお忍び参戦を知っていたのなら、彼女が無関係なはずがない。
「本当は、あの場で不届き者たちを捕らえるはずだったんだ。宴に参加していた宦官は皆、冥焔の配下でね。かなりの修練を積んだ猛者たちだ。わたしたちはあらかじめ院子に身をひそめていて、宴が始まったあとに合流し、万が一があればその場で秘密裏に捕らえようという手はずだった。しかし、わたしが……」
皇帝の表情が苦くゆがむ。
「わたしが、失態を犯した」
麗麗の頭の中に、先日の宴での出来事が浮かんだ。木の根に足を取られた皇帝を助けたのは記憶に新しい。あのとき、皇帝の周囲には抜け出そうと必死になったであろう痕跡がくっきりと残っていた。単に木に足を取られたという焦りにしては大げさなと感じたが、命を狙われる可能性があったなら当たり前だ。
「わたしのせいで、事が大きくなってしまった。この件はもはや秘して済む段階ではない」
皇帝の声色が変わった。別人のように鋭い声色で、皇帝は声を息に乗せた。
「わたしは先刻、玲沙妃の一族を誅する勅を下した。血縁問わず、関わった者はすべて同罪。ひとりたりとも生かすなと。そして……冥焔はすでに死したものと見なす。兵はすべて、かの一族の掃討に回せと」
「なんですって!?」
思わず足が止まった。
「冥焔様は、死んでおりません……! 少なくとも、死を確認しておりません。それなのに、どうして……!」
「そうだよなあ、麗麗、本当にそうだよなあ」
皇帝の声が震える。
「仕方がないのだ」
皇帝の言葉の重さに、麗麗は目を見開いた。
風が木々を揺らし、昇り始めた太陽は地面に濃い影を作る。皇帝の表情は見えないが、麗麗はかの天子が泣いてしまうのではないかと思った。それほど、皇帝の声は痛ましさに満ちている。
「わたしは皇帝だ。この国の天子としての責務がある。天命を受けし身として、私情で国を滅ぼすことまかりならぬ」
(……っ、なんかもう、なんかもうだよ!)
冥焔を見捨てろと配下に告げたときの皇帝の心情はいかほどであっただろう。麗麗の目から見ても、信頼し合う主従のふたりだ。本当はそんな言葉を口にしたくなかったに違いない。
麗麗が返事に窮していると、皇帝は一度俯いた。そして、天を見上げ、ややあって、こほん、と咳払いをした。
「……と、ここまでは表向きのわたしだ」
「はいっ?」
「お前は言ったな、麗麗。冥焔の死を確認していないと。わたしも同感だ」
「あの、ええと?」
ちょうどそのとき、日の光が木々の隙間から差し込んだ。光に照らされた皇帝の竜顔は──、不敵な笑みを浮かべていた。
「あきらめるわけがないだろう。この目であの人の死を見るまで、わたしはあの人をあきらめないと誓ったのだ。これが皇帝としての選択として間違っているのは重々承知。しかし、人とは理性だけでは生きられぬもの」
先ほどとは打って変わって、力に満ちた声である。
「それにしても、抜け出すのが大変だったのだぞ。冥焔の配下はわたしよりも冥焔の命を守る始末でな。こういう事態が起こったときに『大家が房を出ようとしたら絶対に止めろ』と厳命されていたらしい。本当にそういうところまで抜け目がないのが憎らしくてたまらないと思わないか」
「は、はあ」
「わたしは今、焱国の天子としてではなく、恩雲としてここにいる。冥焔を必ず見つけ出し、この口で直接文句を言わねば気が済まない。わたしを騙ったことに関しては不問に処すが、『捕まるとは何事だ、心配かけさせるな馬鹿野郎』と怒鳴ってやるつもりなのだ!」
麗麗はあんぐりと口を開け──、ほとんど彼女らしからぬことだが、吹き出して笑った。
理性よりも感情を優先したい、と皇帝は言う。自分がつい先ほどまで同じようなことを考えていたのが妙におもしろかった。
(すごいなあ、この人は)
あの難しい性格の冥焔や、瑛琳妃をはじめとする個性的な妃たちがこぞって敬意を表す天子である。このくらいの明るさやしたたかさがあって、ちょうど調和がとれるのかもしれない。
「私、この国の女官でよかったです」
「そうか。わたしもお前がこの国の女官でよかったと思う。それに」
皇帝は麗麗の顔をのぞき込むと、その瞳にいたずらっぽい光を浮かべた。
「麗麗は笑うととても可愛いな。今度、お茶でもどうだ」
「謹んで辞退いたします」
勘弁してくれ、と苦い気持ちでいっぱいの麗麗であった。
麗麗と皇帝は肩を並べて胡粉宮の院子を歩いているのである。しかも、皇帝は供を連れず、単独での行動だった。宦官服を着ているのは変装のつもりらしい。
いつもなら緊張で胃がねじれる麗麗だが、先日からの接触回数でだいぶ慣れたようだ。礼は不要だと言われたこともあり、胃痛もほんの少しですんでいるので現金なものである。
「少し急ぎますので、足元にお気をつけください」
時折天の様子を確かめながら、麗麗は道を急ぐ。夜が明け始めた今、もう星は使えない。代わりに太陽の光の位置を確かめながら、麗麗は足を急がせる。
麗麗の確かな足取りに、皇帝は疑問を覚えたようだった。
「まるで冥焔のいる場所がわかっているような足取りだね」
「はい、おそらくあそこだろうと目星はついています」
「それは頼もしい。では、お供しよう」
あっさりとうなずき、皇帝は迷いもなく麗麗のあとについて歩く。
こんなときだが感心してしまう。文字通り宮城の頂点に立つ人であるのに、取るに足らない女官風情の言葉を素直に聞き入れるのは、皇帝の性格のよさからだろうか。雪梅の話によると降ってわいた皇位とのことだし、その点も影響しているのかもしれない。
がさがさと茂みをかき分けながら、皇帝は麗麗に言葉をかける。
「麗麗は今回の件、どこまで知っているのかな」
「ほとんどなにも知りません」
というよりも、頭が向いていないと言ったほうが正しいか。
「私が知っているのは、玲沙様が院子に“鬼作楽”を住まわせていると発言し、主上がおもしろがってあの宴を開催したという事実のみです。それ以上も以下も、存じません」
そう言うと、皇帝は驚いたように目を見開く。
「そうか。てっきり冥焔が話したのかと思ったが、違うのか」
「……というと、あの宴自体になにかしらがあったという話なのですか」
てっきり皇帝のお茶目が爆発したのだと思っていた。
皇帝は苦笑し、「どこから話そうか」と唇を舐める。
「“真実を追究する者”には隠し事をしないほうがいいだろうから、すべて話そう。言われなくてもわかるだろうが、他言禁止だ」
「是」
皇帝の話は簡潔だった。
例の毒の香炉と同じ辰砂が使われた皿が見つかったこと。その毒皿、毒の香炉の窯元が、玲沙妃の実家と深い繋がりがあること。おそらくは命を狙われているということ……。
聞きながら麗麗は背筋に冷汗が流れるのを感じていた。
(こ、こんな内容、いち女官が聞いていいやつじゃないでしょうが……!)
玲沙妃のご実家による暗殺未遂疑惑、という話だ。
(しかも確か、玲沙様のお父様って、主上の叔父さんなんだよね……? えぐくない!?)
自分の妹が産んだ子を暗殺とか、ちょっと言葉が出ない。
どうにかならんか、権力者たち。なぜ親戚同士であほみたいなことをする。殺し合わずに、助け合い、支え合えよ権力者!
頭ではわかっていたけれど、やはりここは恐ろしい争いごとが起こる国なのだ。そこで皇帝を務めているこの方も、側近である冥焔も、いったいどれほどの重圧を抱えて生きているのだろう。
麗麗の動揺を気にも留めずに、皇帝はさらに言葉を重ねた。
「今回の件……玲沙妃の実家が独断で行っていたのか、玲沙妃が絡んでいるのかを確かめようと思ったんだ。それで、あの宴に罠を張ったんだよ」
「罠、ですか」
「ああ。わたしはそれぞれ妃に別のことを告げていたんだ。玲沙妃には『こっそり宦官として参加する予定だ』と言い、他の三人には『不調で出席できない。代わりに人を置くが結果は楽しみにしている』と。そして厳重に口止めをしてこの話が漏れないように命じた。もちろん臣下たちには一切告げず、冥焔とその配下のみがわたしに付き従った。その結果」
皇帝は一度言葉を区切り、ため息と共に次の句を継いだ。
「事件が起こったというわけさ」
なるほど理解できた。なぜ院子に不届き者が現れ、ピンポイントで皇帝を狙えたのかという話になる。玲沙妃だけが皇帝のお忍び参戦を知っていたのなら、彼女が無関係なはずがない。
「本当は、あの場で不届き者たちを捕らえるはずだったんだ。宴に参加していた宦官は皆、冥焔の配下でね。かなりの修練を積んだ猛者たちだ。わたしたちはあらかじめ院子に身をひそめていて、宴が始まったあとに合流し、万が一があればその場で秘密裏に捕らえようという手はずだった。しかし、わたしが……」
皇帝の表情が苦くゆがむ。
「わたしが、失態を犯した」
麗麗の頭の中に、先日の宴での出来事が浮かんだ。木の根に足を取られた皇帝を助けたのは記憶に新しい。あのとき、皇帝の周囲には抜け出そうと必死になったであろう痕跡がくっきりと残っていた。単に木に足を取られたという焦りにしては大げさなと感じたが、命を狙われる可能性があったなら当たり前だ。
「わたしのせいで、事が大きくなってしまった。この件はもはや秘して済む段階ではない」
皇帝の声色が変わった。別人のように鋭い声色で、皇帝は声を息に乗せた。
「わたしは先刻、玲沙妃の一族を誅する勅を下した。血縁問わず、関わった者はすべて同罪。ひとりたりとも生かすなと。そして……冥焔はすでに死したものと見なす。兵はすべて、かの一族の掃討に回せと」
「なんですって!?」
思わず足が止まった。
「冥焔様は、死んでおりません……! 少なくとも、死を確認しておりません。それなのに、どうして……!」
「そうだよなあ、麗麗、本当にそうだよなあ」
皇帝の声が震える。
「仕方がないのだ」
皇帝の言葉の重さに、麗麗は目を見開いた。
風が木々を揺らし、昇り始めた太陽は地面に濃い影を作る。皇帝の表情は見えないが、麗麗はかの天子が泣いてしまうのではないかと思った。それほど、皇帝の声は痛ましさに満ちている。
「わたしは皇帝だ。この国の天子としての責務がある。天命を受けし身として、私情で国を滅ぼすことまかりならぬ」
(……っ、なんかもう、なんかもうだよ!)
冥焔を見捨てろと配下に告げたときの皇帝の心情はいかほどであっただろう。麗麗の目から見ても、信頼し合う主従のふたりだ。本当はそんな言葉を口にしたくなかったに違いない。
麗麗が返事に窮していると、皇帝は一度俯いた。そして、天を見上げ、ややあって、こほん、と咳払いをした。
「……と、ここまでは表向きのわたしだ」
「はいっ?」
「お前は言ったな、麗麗。冥焔の死を確認していないと。わたしも同感だ」
「あの、ええと?」
ちょうどそのとき、日の光が木々の隙間から差し込んだ。光に照らされた皇帝の竜顔は──、不敵な笑みを浮かべていた。
「あきらめるわけがないだろう。この目であの人の死を見るまで、わたしはあの人をあきらめないと誓ったのだ。これが皇帝としての選択として間違っているのは重々承知。しかし、人とは理性だけでは生きられぬもの」
先ほどとは打って変わって、力に満ちた声である。
「それにしても、抜け出すのが大変だったのだぞ。冥焔の配下はわたしよりも冥焔の命を守る始末でな。こういう事態が起こったときに『大家が房を出ようとしたら絶対に止めろ』と厳命されていたらしい。本当にそういうところまで抜け目がないのが憎らしくてたまらないと思わないか」
「は、はあ」
「わたしは今、焱国の天子としてではなく、恩雲としてここにいる。冥焔を必ず見つけ出し、この口で直接文句を言わねば気が済まない。わたしを騙ったことに関しては不問に処すが、『捕まるとは何事だ、心配かけさせるな馬鹿野郎』と怒鳴ってやるつもりなのだ!」
麗麗はあんぐりと口を開け──、ほとんど彼女らしからぬことだが、吹き出して笑った。
理性よりも感情を優先したい、と皇帝は言う。自分がつい先ほどまで同じようなことを考えていたのが妙におもしろかった。
(すごいなあ、この人は)
あの難しい性格の冥焔や、瑛琳妃をはじめとする個性的な妃たちがこぞって敬意を表す天子である。このくらいの明るさやしたたかさがあって、ちょうど調和がとれるのかもしれない。
「私、この国の女官でよかったです」
「そうか。わたしもお前がこの国の女官でよかったと思う。それに」
皇帝は麗麗の顔をのぞき込むと、その瞳にいたずらっぽい光を浮かべた。
「麗麗は笑うととても可愛いな。今度、お茶でもどうだ」
「謹んで辞退いたします」
勘弁してくれ、と苦い気持ちでいっぱいの麗麗であった。



