さて、と麗麗は姿勢を正す。門の前には見張りの宦官がいるはずだ。さすがにこちらは居眠りしていないだろうから、別の道順で宮を抜け出す必要がある。
(まあ、こんなの楽勝よ)
こちとらしょっちゅう屋根に上り、星を観察していた身なのである。今回もえいやと木によじ登り、屋根に飛び移るとそのままそろそろと柱づたいに降りて、無事に宮からの脱出に成功した。
あとは一路、胡粉宮への道をひた走り、それほど刻がかからないうちに現場へと辿り着く。
周囲はひっそりとしている。宮の回りはもう探し尽くされてしまったのだろう、申し訳程度の宦官たちが門を守っていた。
ありがたい。このくらいの警備なら麗麗でも忍び込める。
宮の近くの木をするする登り、えいやと屋根の上に体を持ち上げた。姿勢を低くし、屋根を伝って院子へと向かいながら、麗麗は苦笑する。
(なにやってんだろうなあ、私)
皇帝の命をまるっと無視して、無断行動、不法侵入。発覚したら罰は免れまい。けれど足は止まらないのだから仕方ない。
後悔はしたくない。どうしても、あの宦官にもう一度会いたい。
理性よりも感情を優先したほうがいいときがある。今がきっとそのときだ。考えたらきっと足がすくんでしまう。がんじがらめになる前に体を動かし行動すれば、たとえどんな結果になろうとも自分自身を納得させられる。
後悔はしたくなかった。どうしても、あの宦官にもう一度会いたかった。
そうして麗麗は院子の入り口付近に近づき、人の気配が途絶えた瞬間を狙って屋根から降りた。そのときである。
肩をぽんっと叩かれた。
「……っ!」
振り返ると、そこには今もっとも会いたくなかった人がいた。この宮城の主にして絶対権力者──皇帝である。先日と同じ宦官服に身を包み、こちらを見てにこにこ笑っている。
(やばいやばいやばいっ!)
脳裏をよぎったのは死罪だ。これは間違いなく死ぬ。
さっきまで勇気りんりんだったにもかかわらず、あっという間に気息奄々(そくえんえん)、意気消沈。麗麗はぎくしゃくと動き、ぎこちない揖礼を捧げた。
「しゅ……主上っ……これには、深いわけが──」
「しっ」
皇帝は自らの唇に人差し指を当てた。そうしてすばやい動きで院子の石柱の横に身をひそめ、麗麗を手招きする。
頭の中を疑問符でいっぱいにしながらも命令に従うと、その場でしゃがむようにと指で指示された。腰を落とし頭を下げ、石柱と茂みの隙間に身を隠すこと、体感にして約数分。
「十分探しただろう、この院子は」
「大家も人がいいからなあ。もうとっくに殺されているだろうに、あきらめが悪いったらない」
おそらく捜索をしていたのであろう宦官たちが、まさに入り口から姿を現した。近くにその皇帝がいることにも気づかず、愚痴を並べ立てる。
「冥焔様には気の毒だけど、こっちに人員を割くべきじゃないだろう」
「だよなあ。玲沙様の行方だってまだ不明だってのに。大家は変な情でも湧いてるんじゃないだろうなあ」
「変な情って、つまりあれか?」
「そうさ。あの顔に大家もご執心だって聞いたぞ。だからこそぽっと出であの出世だ。さぞかし夜もお盛んなのだろうよ」
(はあっ!?)
にやにやと笑う宦官たちの下卑た口調と表情で、冥焔と皇帝が侮辱されているとわかった。
(っ……ざけんなまじで!)
瞬間的に飛び出そうとする麗麗の肩を皇帝が押さえる。皇帝の苦笑いを見るに、このような侮辱は日常茶飯事であるのだろう。
だからといって納得できるかと言えば話は別だ。
(あいつら~っ! 好き勝手言いおって!)
冥焔は、そりゃ仕事では厳しかろう。態度もめちゃくちゃえらそうだが、シゴデキなのは間違いない。あの宦官たちもおそらくその恩恵を受けているはずなのに、あの言い草。少しは心配して本気で探せよとむかっ腹が止まらない。
宦官たちが行ってしまい姿が見えなくなった頃、皇帝はふうと息をついて立ち上がった。
「もう大丈夫。あいつらが最後の捜索だったはずだ。……って、おい、麗麗、ものすごい顔になってるぞ」
「……失礼しました」
いけないいけない。また顔に出てしまっていたらしい。
「ああいうの、放っておいていいんです?」
「いいんだ」
皇帝は爽やかに笑う。
「あんな噂程度で、冥焔の価値が下がるはずがない」
あまりにきっぱりと言うものだから、今度は麗麗がぽかんとしてしまう。
「……あのう、今さらなのですが、私、罰せられますか」
「おや、今それを聞くのかな?」
皇帝はいたずらっぽく笑うと、幞頭を深くかぶり直した。
「行こう、麗麗。わたしとお前は今、共犯だ。ここからは礼はいらぬ。同じ目的を持つ者同士、助け合い、立場におもねらず言いたいことを言い合おうではないか」
意図が見えず、ますます首をひねる。
「……と、申しますと」
「麗麗は冥焔を探しに来たのだろう? わたしもなんだ」
皇帝はこともなげに告げると、真剣な瞳で院子をにらみつけた。
(まあ、こんなの楽勝よ)
こちとらしょっちゅう屋根に上り、星を観察していた身なのである。今回もえいやと木によじ登り、屋根に飛び移るとそのままそろそろと柱づたいに降りて、無事に宮からの脱出に成功した。
あとは一路、胡粉宮への道をひた走り、それほど刻がかからないうちに現場へと辿り着く。
周囲はひっそりとしている。宮の回りはもう探し尽くされてしまったのだろう、申し訳程度の宦官たちが門を守っていた。
ありがたい。このくらいの警備なら麗麗でも忍び込める。
宮の近くの木をするする登り、えいやと屋根の上に体を持ち上げた。姿勢を低くし、屋根を伝って院子へと向かいながら、麗麗は苦笑する。
(なにやってんだろうなあ、私)
皇帝の命をまるっと無視して、無断行動、不法侵入。発覚したら罰は免れまい。けれど足は止まらないのだから仕方ない。
後悔はしたくない。どうしても、あの宦官にもう一度会いたい。
理性よりも感情を優先したほうがいいときがある。今がきっとそのときだ。考えたらきっと足がすくんでしまう。がんじがらめになる前に体を動かし行動すれば、たとえどんな結果になろうとも自分自身を納得させられる。
後悔はしたくなかった。どうしても、あの宦官にもう一度会いたかった。
そうして麗麗は院子の入り口付近に近づき、人の気配が途絶えた瞬間を狙って屋根から降りた。そのときである。
肩をぽんっと叩かれた。
「……っ!」
振り返ると、そこには今もっとも会いたくなかった人がいた。この宮城の主にして絶対権力者──皇帝である。先日と同じ宦官服に身を包み、こちらを見てにこにこ笑っている。
(やばいやばいやばいっ!)
脳裏をよぎったのは死罪だ。これは間違いなく死ぬ。
さっきまで勇気りんりんだったにもかかわらず、あっという間に気息奄々(そくえんえん)、意気消沈。麗麗はぎくしゃくと動き、ぎこちない揖礼を捧げた。
「しゅ……主上っ……これには、深いわけが──」
「しっ」
皇帝は自らの唇に人差し指を当てた。そうしてすばやい動きで院子の石柱の横に身をひそめ、麗麗を手招きする。
頭の中を疑問符でいっぱいにしながらも命令に従うと、その場でしゃがむようにと指で指示された。腰を落とし頭を下げ、石柱と茂みの隙間に身を隠すこと、体感にして約数分。
「十分探しただろう、この院子は」
「大家も人がいいからなあ。もうとっくに殺されているだろうに、あきらめが悪いったらない」
おそらく捜索をしていたのであろう宦官たちが、まさに入り口から姿を現した。近くにその皇帝がいることにも気づかず、愚痴を並べ立てる。
「冥焔様には気の毒だけど、こっちに人員を割くべきじゃないだろう」
「だよなあ。玲沙様の行方だってまだ不明だってのに。大家は変な情でも湧いてるんじゃないだろうなあ」
「変な情って、つまりあれか?」
「そうさ。あの顔に大家もご執心だって聞いたぞ。だからこそぽっと出であの出世だ。さぞかし夜もお盛んなのだろうよ」
(はあっ!?)
にやにやと笑う宦官たちの下卑た口調と表情で、冥焔と皇帝が侮辱されているとわかった。
(っ……ざけんなまじで!)
瞬間的に飛び出そうとする麗麗の肩を皇帝が押さえる。皇帝の苦笑いを見るに、このような侮辱は日常茶飯事であるのだろう。
だからといって納得できるかと言えば話は別だ。
(あいつら~っ! 好き勝手言いおって!)
冥焔は、そりゃ仕事では厳しかろう。態度もめちゃくちゃえらそうだが、シゴデキなのは間違いない。あの宦官たちもおそらくその恩恵を受けているはずなのに、あの言い草。少しは心配して本気で探せよとむかっ腹が止まらない。
宦官たちが行ってしまい姿が見えなくなった頃、皇帝はふうと息をついて立ち上がった。
「もう大丈夫。あいつらが最後の捜索だったはずだ。……って、おい、麗麗、ものすごい顔になってるぞ」
「……失礼しました」
いけないいけない。また顔に出てしまっていたらしい。
「ああいうの、放っておいていいんです?」
「いいんだ」
皇帝は爽やかに笑う。
「あんな噂程度で、冥焔の価値が下がるはずがない」
あまりにきっぱりと言うものだから、今度は麗麗がぽかんとしてしまう。
「……あのう、今さらなのですが、私、罰せられますか」
「おや、今それを聞くのかな?」
皇帝はいたずらっぽく笑うと、幞頭を深くかぶり直した。
「行こう、麗麗。わたしとお前は今、共犯だ。ここからは礼はいらぬ。同じ目的を持つ者同士、助け合い、立場におもねらず言いたいことを言い合おうではないか」
意図が見えず、ますます首をひねる。
「……と、申しますと」
「麗麗は冥焔を探しに来たのだろう? わたしもなんだ」
皇帝はこともなげに告げると、真剣な瞳で院子をにらみつけた。



