「玲沙妃の手に渡る前でよかった。とんだ大戦争が起こるところだったね」
同じことを想像したのだろう。恩雲はくつくつとおもしろそうに笑っている。
笑い事ではない、と言おうとして、冥焔は口をつぐんだ。それよりも先に謝罪しなければならないことがある。
「香炉が故意的に作られたのか否か、窯元はどこかも含め早急に調査いたします。そして……尚寝局の管理が行き届いておらず誠に申し訳ございません。不徳の致すところでございます。早急に改善いたしますので、猶予をいただきたく存じます」
「頼む」
皇帝は冥焔を励ますように眉間のしわをとき、目を細めて笑った。
「すべてが急ごしらえだからな、この後宮は。こうしたゆがみはある程度起こりえるのだろう。苦労をかけるが、頼んだぞ冥焔」
「是、遵命」
揖礼を捧げながら、もうひとつ聞かなければならないことを思い出す。
「大家。玲沙妃の件ですが、仮宮は本当に中級妃と同じ棟でよろしいのですか」
徳妃・白蓮が亡くなったあとの宮は一度取り壊され、新たに玲沙妃のために建築が始まっている。しかし、当の妃の入内には間に合わず、仮暮らしを余儀なくされているのだ。
冥焔は中級妃たちを一時的に下級妃の棟に住まわせ、空いた棟に玲沙妃だけを住まわせる計画を進めていた。四夫人と、その他妃ではそのくらいの待遇の差が必要なのだ。当然、中級妃以下はその事実を身に染みてわかっているため、表立った苦情は出ない。問題なく進めていったが、なんと当の徳妃から〝待った〟が出た。
曰く、今お住まいの中級妃すべてが下級妃の棟に行くのは大変であるし、下級妃と中級妃が同じ棟では互いの立場の違いもあり、諍いの種になる可能性が高い。ならば自分ひとりが中級妃の棟、そのひと房だけを借り受け、宮が建つまで過ごしたほうがいいのではないか、という提案が上がってきたのである。
冥焔の問いに、皇帝はにこやかに笑う。
「問題ないだろう。彼女はおそらくわかってやっている。頭のいい子だから」
「わかってやっている、とは」
「そのほうが中級妃以下の心証がいいということをだ。誰だって自分の住まいを追い出されるのはいい気分がしないものだ。追われた中級妃の心中たるや、穏やかではないだろう。もしかしたら下級妃に対してその鬱憤を晴らそうとする子も出てくるかもしれない。それは、下級妃にとっていい状況ではないよね」
確かにそうだ。納得する冥焔に、皇帝はさらに言葉を重ねた。
「逆に、中級妃の住まいは据え置いて、その場に自分が仮で入るとなったら嫌でも中級妃たちと絡むようになるだろう。すると、中級妃たちはどうするか。玲沙妃の実家の力をあてにして、積極的に彼女と仲良くなろうとするだろうね。つまり、後宮での仲間を増やすことができるんだ」
「そこまで考えますか」
「考えるだろう。あの子は聡い。わたしはいつも、その頭のよさに感心していたものだ」
そう言う皇帝の口元には、柔らかな笑みが宿っている。昔を懐かしむ瞳はここではない遠くを見つめていた。
冥焔の頭の中で、ちりっと警鐘が鳴った。ほんの少し、気にしなければすぐに通り過ぎるであろう程度の騒めきだ。
冥焔と玲沙妃は面識がない。だがこの皇帝は違うのだ。恩雲が皇帝になる前からかの妃と交流があったことは周知の事実である。
その事実が皇帝にどういった影響を及ぼしているのか、注視する必要があるだろう。
「玲沙妃の宮はあとどれくらいでできる?」
「夏までには、おそらくは」
「そうか。楽しみだなあ。積もる話もあるし、今日はあの子のところに行くことにしようか」
「……承知しました」
皇帝の瞳に宿る少年の輝きに言い知れぬ不安を覚えながら、宦官は揖礼を捧げ、閨房の手配をするためその場を辞した。
同じことを想像したのだろう。恩雲はくつくつとおもしろそうに笑っている。
笑い事ではない、と言おうとして、冥焔は口をつぐんだ。それよりも先に謝罪しなければならないことがある。
「香炉が故意的に作られたのか否か、窯元はどこかも含め早急に調査いたします。そして……尚寝局の管理が行き届いておらず誠に申し訳ございません。不徳の致すところでございます。早急に改善いたしますので、猶予をいただきたく存じます」
「頼む」
皇帝は冥焔を励ますように眉間のしわをとき、目を細めて笑った。
「すべてが急ごしらえだからな、この後宮は。こうしたゆがみはある程度起こりえるのだろう。苦労をかけるが、頼んだぞ冥焔」
「是、遵命」
揖礼を捧げながら、もうひとつ聞かなければならないことを思い出す。
「大家。玲沙妃の件ですが、仮宮は本当に中級妃と同じ棟でよろしいのですか」
徳妃・白蓮が亡くなったあとの宮は一度取り壊され、新たに玲沙妃のために建築が始まっている。しかし、当の妃の入内には間に合わず、仮暮らしを余儀なくされているのだ。
冥焔は中級妃たちを一時的に下級妃の棟に住まわせ、空いた棟に玲沙妃だけを住まわせる計画を進めていた。四夫人と、その他妃ではそのくらいの待遇の差が必要なのだ。当然、中級妃以下はその事実を身に染みてわかっているため、表立った苦情は出ない。問題なく進めていったが、なんと当の徳妃から〝待った〟が出た。
曰く、今お住まいの中級妃すべてが下級妃の棟に行くのは大変であるし、下級妃と中級妃が同じ棟では互いの立場の違いもあり、諍いの種になる可能性が高い。ならば自分ひとりが中級妃の棟、そのひと房だけを借り受け、宮が建つまで過ごしたほうがいいのではないか、という提案が上がってきたのである。
冥焔の問いに、皇帝はにこやかに笑う。
「問題ないだろう。彼女はおそらくわかってやっている。頭のいい子だから」
「わかってやっている、とは」
「そのほうが中級妃以下の心証がいいということをだ。誰だって自分の住まいを追い出されるのはいい気分がしないものだ。追われた中級妃の心中たるや、穏やかではないだろう。もしかしたら下級妃に対してその鬱憤を晴らそうとする子も出てくるかもしれない。それは、下級妃にとっていい状況ではないよね」
確かにそうだ。納得する冥焔に、皇帝はさらに言葉を重ねた。
「逆に、中級妃の住まいは据え置いて、その場に自分が仮で入るとなったら嫌でも中級妃たちと絡むようになるだろう。すると、中級妃たちはどうするか。玲沙妃の実家の力をあてにして、積極的に彼女と仲良くなろうとするだろうね。つまり、後宮での仲間を増やすことができるんだ」
「そこまで考えますか」
「考えるだろう。あの子は聡い。わたしはいつも、その頭のよさに感心していたものだ」
そう言う皇帝の口元には、柔らかな笑みが宿っている。昔を懐かしむ瞳はここではない遠くを見つめていた。
冥焔の頭の中で、ちりっと警鐘が鳴った。ほんの少し、気にしなければすぐに通り過ぎるであろう程度の騒めきだ。
冥焔と玲沙妃は面識がない。だがこの皇帝は違うのだ。恩雲が皇帝になる前からかの妃と交流があったことは周知の事実である。
その事実が皇帝にどういった影響を及ぼしているのか、注視する必要があるだろう。
「玲沙妃の宮はあとどれくらいでできる?」
「夏までには、おそらくは」
「そうか。楽しみだなあ。積もる話もあるし、今日はあの子のところに行くことにしようか」
「……承知しました」
皇帝の瞳に宿る少年の輝きに言い知れぬ不安を覚えながら、宦官は揖礼を捧げ、閨房の手配をするためその場を辞した。



