プロペラ機の轟音と、砂漠を駆ける軍用車両の激しい揺れ。羽田から数千キロ、幾つもの国境を越えて豊と幸雄が降り立ったのは、かつて「文明の十字路」と讃えられた古都の成れの果てだった。
乾燥した熱風が吹き荒れ、視界の先には崩落したモスクのミナレットと、爆撃の痕が生々しいコンクリートの残骸が連なっている。そこには、横浜の海風も、洗練された厨房の静寂もなかった。あるのは、喉を焼くような乾きと、人々の虚ろな目だけだ。
「……ひでえな。これじゃあ、戦場っていうより、墓場だぜ」
幸雄が、背負った鉄鍋の重みを直しながら呟いた。
リラは無言で、かつて自分の家があった場所――今はただの石ころの山と化した瓦礫の上に立った。
「……おじさん。ここよ。ここで、お母さんは毎日、あのスパイスを煎ってたの」
リラが指差したのは、煤で真っ黒になった数個のレンガだった。豊は膝をつき、そのレンガに触れた。まだ、誰かが生きていた微かな温もりが残っているような気がした。
「……幸雄。まずは、火だ。火を点けよう」
二人は、周囲に散らばった枯れ枝や、主を失った家具の木片をかき集めた。豊は、瓦礫の隙間に自生していた、砂を被った野生の野草――イタリアのルーコラに似た、けれど逞しい苦味を持つハーブを見つけ出した。
幸雄は、壊れたレンガを積み上げ、即席のかまどを作った。
「……火を。……リラ、お前の国の、太陽の火だ」
幸雄がマッチを擦る。小さな火種が木片に燃え移り、やがてパチパチと乾いた音を立てて爆ぜ始めた。そのオレンジ色の光が、夕闇に包まれようとしていた村に、数年ぶりに「生活」の灯を灯した。
豊は、リュックから大切に持ってきた、一握りの「地粉」を取り出した。横浜の最高級小麦ではない。あえて、どんな環境でも力強く育つ、日本の粗野な小麦粉だ。
「水……水が必要だ」
リラが、村の奥にある枯れかけた井戸から、泥の混じった濁った水を汲んできた。豊はそれを、リラが持っていた布で何度も、何度も濾した。そして、その貴重な一滴一滴を、粉に混ぜていく。
「……幸雄。この粉は、この土地の水を吸って、新しい命になる」
豊の手が、瓦礫の上で生地を練る。イタリアの繊細なパスタでも、日本のうどんでもない。この地の「ラグマン」の力強さと、パスタの喉越しを併せ持つ、ハイブリッドな麺。
幸雄は、その横で鉄鍋を熱していた。
具材はない。あるのは、リラが持っていた『命の砂(スパイス)』と、豊が見つけた野生のハーブ、そして、配給で配られていた、カチカチに凍った乾燥肉の端切れだけだ。
ジュワッ、と鉄鍋が鳴る。
幸雄は、動かない右手を左手で支え、体全体で鍋を煽った。スパイスの香りが、肉の獣臭さを消し去り、高貴なまでの芳香へと昇華させていく。
「……おい、なんだ、あの匂いは」
「……火だ。誰かが、火を点けてるぞ」
暗闇の中から、一人、また一人と、亡霊のような影が近づいてきた。
彼らの手には、錆びた空き缶や、欠けた皿が握られている。
豊は、茹で上がったばかりの麺を、幸雄のソースに放り込んだ。
「……越境のラグマン。……さあ、召し上がれ」
最初の一口を口にしたのは、片足を失った初老の男だった。
彼は震える手で空き缶を持ち、熱い麺を啜った。
瞬間、男の眼に、消えかかっていた「命の火」が灯った。
「……美味い。……ああ、生きてる。俺は、まだ、生きてるんだ……!」
男が泣き崩れると、周囲の人々も次々と料理に群がった。
そこには、三つ星のサービスも、美しい銀食器もない。
ただ、夜の砂漠を照らす焚き火と、鉄鍋が奏でる規則正しい音。
「……豊。俺たち、横浜にいた時より、いい音させてるな」
幸雄が、煤で汚れた顔を綻ばせた。
「……うん。幸雄。……これが、僕たちが探していた『究極のレストラン』なのかもしれないね」
しかし、その祝祭の最中、遠くから不穏な地響きが聞こえてきた。
武装した勢力の車両が、この「火」を目指して近づいてくる。
一皿の料理が起こした奇跡は、同時に、平和を拒む者たちの標的にもなっていた。
乾燥した熱風が吹き荒れ、視界の先には崩落したモスクのミナレットと、爆撃の痕が生々しいコンクリートの残骸が連なっている。そこには、横浜の海風も、洗練された厨房の静寂もなかった。あるのは、喉を焼くような乾きと、人々の虚ろな目だけだ。
「……ひでえな。これじゃあ、戦場っていうより、墓場だぜ」
幸雄が、背負った鉄鍋の重みを直しながら呟いた。
リラは無言で、かつて自分の家があった場所――今はただの石ころの山と化した瓦礫の上に立った。
「……おじさん。ここよ。ここで、お母さんは毎日、あのスパイスを煎ってたの」
リラが指差したのは、煤で真っ黒になった数個のレンガだった。豊は膝をつき、そのレンガに触れた。まだ、誰かが生きていた微かな温もりが残っているような気がした。
「……幸雄。まずは、火だ。火を点けよう」
二人は、周囲に散らばった枯れ枝や、主を失った家具の木片をかき集めた。豊は、瓦礫の隙間に自生していた、砂を被った野生の野草――イタリアのルーコラに似た、けれど逞しい苦味を持つハーブを見つけ出した。
幸雄は、壊れたレンガを積み上げ、即席のかまどを作った。
「……火を。……リラ、お前の国の、太陽の火だ」
幸雄がマッチを擦る。小さな火種が木片に燃え移り、やがてパチパチと乾いた音を立てて爆ぜ始めた。そのオレンジ色の光が、夕闇に包まれようとしていた村に、数年ぶりに「生活」の灯を灯した。
豊は、リュックから大切に持ってきた、一握りの「地粉」を取り出した。横浜の最高級小麦ではない。あえて、どんな環境でも力強く育つ、日本の粗野な小麦粉だ。
「水……水が必要だ」
リラが、村の奥にある枯れかけた井戸から、泥の混じった濁った水を汲んできた。豊はそれを、リラが持っていた布で何度も、何度も濾した。そして、その貴重な一滴一滴を、粉に混ぜていく。
「……幸雄。この粉は、この土地の水を吸って、新しい命になる」
豊の手が、瓦礫の上で生地を練る。イタリアの繊細なパスタでも、日本のうどんでもない。この地の「ラグマン」の力強さと、パスタの喉越しを併せ持つ、ハイブリッドな麺。
幸雄は、その横で鉄鍋を熱していた。
具材はない。あるのは、リラが持っていた『命の砂(スパイス)』と、豊が見つけた野生のハーブ、そして、配給で配られていた、カチカチに凍った乾燥肉の端切れだけだ。
ジュワッ、と鉄鍋が鳴る。
幸雄は、動かない右手を左手で支え、体全体で鍋を煽った。スパイスの香りが、肉の獣臭さを消し去り、高貴なまでの芳香へと昇華させていく。
「……おい、なんだ、あの匂いは」
「……火だ。誰かが、火を点けてるぞ」
暗闇の中から、一人、また一人と、亡霊のような影が近づいてきた。
彼らの手には、錆びた空き缶や、欠けた皿が握られている。
豊は、茹で上がったばかりの麺を、幸雄のソースに放り込んだ。
「……越境のラグマン。……さあ、召し上がれ」
最初の一口を口にしたのは、片足を失った初老の男だった。
彼は震える手で空き缶を持ち、熱い麺を啜った。
瞬間、男の眼に、消えかかっていた「命の火」が灯った。
「……美味い。……ああ、生きてる。俺は、まだ、生きてるんだ……!」
男が泣き崩れると、周囲の人々も次々と料理に群がった。
そこには、三つ星のサービスも、美しい銀食器もない。
ただ、夜の砂漠を照らす焚き火と、鉄鍋が奏でる規則正しい音。
「……豊。俺たち、横浜にいた時より、いい音させてるな」
幸雄が、煤で汚れた顔を綻ばせた。
「……うん。幸雄。……これが、僕たちが探していた『究極のレストラン』なのかもしれないね」
しかし、その祝祭の最中、遠くから不穏な地響きが聞こえてきた。
武装した勢力の車両が、この「火」を目指して近づいてくる。
一皿の料理が起こした奇跡は、同時に、平和を拒む者たちの標的にもなっていた。



