焼け落ちた『Y & Y』の再建には、半年以上の歳月が必要だった。ジャン=ピエールからの融資や仲間たちの助けはあったが、豊と幸雄は、ただ待っているだけの性分ではなかった。
「……じっとしてたら、腕が鈍っちまう。豊、これだ」
幸雄がどこからか工面してきたのは、型落ちの小さなキッチンカーだった。車体には、二人のテーマカラーである青と赤のラインが、少し不格好に塗り直されている。
二人はこの車を『Y & Y Street』と名付け、横浜の公園やオフィス街、そして自分たちの店があった元町の入り口へと繰り出した。
「三つ星級のシェフが、路上で500円のランチか。贅沢な話だね」
豊は少し照れくさそうに笑いながら、狭い車内で手際よくパスタを茹でる。
幸雄は車外に設置したコンロで、あの灰の中から救い出した鉄鍋を振る。
メニューは日替わりの一種類のみ。『越境のまぜパスタ・特製醤仕立て』。
香港の路地裏で掴んだあの「野性の味」を、日常のランチに落とし込んだ一皿だ。
最初は怪訝な目で見ていた通行人たちも、一度その香りを嗅げば、吸い寄せられるように列を作った。
そんなある日、列の最後尾に、虚ろな目をした一人の青年が立っていた。
彼の指先は、包丁で切ったような無数の傷跡があり、コックコート特有の洗剤の匂いが微かに漂っている。
「……あ、あの。これ、一つください」
青年は震える声で500円玉を差し出した。
幸雄が豪快に炒めた具材を、豊が完璧なアルデンテの麺と和える。差し出されたプラ容器のパスタを、青年は近くのベンチに座り、恐る恐る口に運んだ。
一口。二口。
青年の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「……どうした、兄ちゃん。口に合わなかったか?」
幸雄が心配そうに身を乗り出す。青年は首を激しく横に振った。
「……違います。……美味しい。僕、もう二度と包丁を握りたくないと思って、昨日、修業先のレストランを辞めてきたんです。でも、このパスタを食べて……料理って、こんなに人を幸せにするんだって、思い出して……」
青年の名は、シュン。かつて豊がそうであったように、厳しい厨房の階級社会の中で、自分の「美味しい」を見失い、心を折られていた。
豊はキッチンカーから降り、シュンの隣に座った。
「僕たちもね、少し前に店を失くしたんだ。すべてが灰になった時、絶望したよ。でも、この鉄鍋一つあれば、また始められる。……君の指の傷は、君がこれまで真剣に食材と向き合ってきた証拠だよ。それは、誰にも奪えない宝物だ」
豊の言葉に、シュンは声を上げて泣いた。
幸雄は車内から、余った炒飯をパックに詰めて差し出した。
「ほら、食え。腹が減ってると、余計なことばっかり考えちまうからな」
その日から、シュンは毎日キッチンカーを手伝いに来るようになった。
二人の「ストリートの聖域」は、ただ腹を満たす場所ではなく、夢に破れた若者や、日常に疲れた人々が、再び立ち上がるための「心の港」になりつつあった。
しかし、再建が進む『Y & Y』の新店舗予定地に、不穏な影が忍び寄る。
近隣の再開発を企む巨大コンサルタント会社が、火災に乗じて土地の権利を買い叩こうと画策し始めたのだ。
「……豊、俺たちの『家』が、また別の意味で燃えようとしてるぜ」
幸雄が鉄鍋を握り直す。
ストリートから始まった再生の物語は、横浜の街を巻き込んだ大きな戦いへと発展していく。
「……じっとしてたら、腕が鈍っちまう。豊、これだ」
幸雄がどこからか工面してきたのは、型落ちの小さなキッチンカーだった。車体には、二人のテーマカラーである青と赤のラインが、少し不格好に塗り直されている。
二人はこの車を『Y & Y Street』と名付け、横浜の公園やオフィス街、そして自分たちの店があった元町の入り口へと繰り出した。
「三つ星級のシェフが、路上で500円のランチか。贅沢な話だね」
豊は少し照れくさそうに笑いながら、狭い車内で手際よくパスタを茹でる。
幸雄は車外に設置したコンロで、あの灰の中から救い出した鉄鍋を振る。
メニューは日替わりの一種類のみ。『越境のまぜパスタ・特製醤仕立て』。
香港の路地裏で掴んだあの「野性の味」を、日常のランチに落とし込んだ一皿だ。
最初は怪訝な目で見ていた通行人たちも、一度その香りを嗅げば、吸い寄せられるように列を作った。
そんなある日、列の最後尾に、虚ろな目をした一人の青年が立っていた。
彼の指先は、包丁で切ったような無数の傷跡があり、コックコート特有の洗剤の匂いが微かに漂っている。
「……あ、あの。これ、一つください」
青年は震える声で500円玉を差し出した。
幸雄が豪快に炒めた具材を、豊が完璧なアルデンテの麺と和える。差し出されたプラ容器のパスタを、青年は近くのベンチに座り、恐る恐る口に運んだ。
一口。二口。
青年の目から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「……どうした、兄ちゃん。口に合わなかったか?」
幸雄が心配そうに身を乗り出す。青年は首を激しく横に振った。
「……違います。……美味しい。僕、もう二度と包丁を握りたくないと思って、昨日、修業先のレストランを辞めてきたんです。でも、このパスタを食べて……料理って、こんなに人を幸せにするんだって、思い出して……」
青年の名は、シュン。かつて豊がそうであったように、厳しい厨房の階級社会の中で、自分の「美味しい」を見失い、心を折られていた。
豊はキッチンカーから降り、シュンの隣に座った。
「僕たちもね、少し前に店を失くしたんだ。すべてが灰になった時、絶望したよ。でも、この鉄鍋一つあれば、また始められる。……君の指の傷は、君がこれまで真剣に食材と向き合ってきた証拠だよ。それは、誰にも奪えない宝物だ」
豊の言葉に、シュンは声を上げて泣いた。
幸雄は車内から、余った炒飯をパックに詰めて差し出した。
「ほら、食え。腹が減ってると、余計なことばっかり考えちまうからな」
その日から、シュンは毎日キッチンカーを手伝いに来るようになった。
二人の「ストリートの聖域」は、ただ腹を満たす場所ではなく、夢に破れた若者や、日常に疲れた人々が、再び立ち上がるための「心の港」になりつつあった。
しかし、再建が進む『Y & Y』の新店舗予定地に、不穏な影が忍び寄る。
近隣の再開発を企む巨大コンサルタント会社が、火災に乗じて土地の権利を買い叩こうと画策し始めたのだ。
「……豊、俺たちの『家』が、また別の意味で燃えようとしてるぜ」
幸雄が鉄鍋を握り直す。
ストリートから始まった再生の物語は、横浜の街を巻き込んだ大きな戦いへと発展していく。



