時をかけた騎士と紅蓮の館の白き魔女

 深夜。
 シャロンはそっと四阿《あずまや》に向かう。いつもと違うのは、緊張した面持ちのエルザが一緒だということ。そこに途中で彼女の夫で近衛兵のゼノン・マッケランと合流すると、誰にも見つからずに月明かりに照らされた四阿にたどり着いた。

「姫様……」
「もう姫と呼ばなくてもいいですよ、エルザ様」

 エルザを取り巻く魔法の膜を外すことに成功したシャロンは、エルザの変わらない呼びかけに困ったように微笑む。エルザは今、自分がテオドラ付きの侍女だったことを思い出した。シャロンが姫の友人シャロンだということも。だがどうしてそうなったのか、まだ混乱しているのだろう。

 それでもあと一日だけ思い出したことを黙っていてほしいと頼み、一晩抜け出すことを話すと、自分もついて行くと言うので了承した。カロンでなくても味方であることが信じられるエルザがそばにいるのは心強いと思ったからだ。ただ、彼女の夫までついてくるのは予想外だったが、道のりを考えればそのほうがいいと思い直した。

 そんなシャロンをエルザはじっと見つめ、ゆっくりと首を振った。

「いえでも、姫様は姫様ですから。カロン様、生きてらっしゃったのですね」
「エルザ様……?」

 戸惑うシャロンの前で、エルザとゼノンが顔を見合わせる。

「私はカロン様とテオドラ様、二人付きの侍女の一人になるはずだったのですよ」

 子守りでもあり、後にどちらかの主人に仕えることになるはずだった。なのにあの夜嵐のような出来事で、一度も世話をすることなく幼い姫を失ったと思っていた。

 次いでスッと夫婦二人で膝をついて首を垂れるのでシャロンは慌てた。

「え、エルザ様、マッケラン様。えっ? そんなことなさらないで下さい」

 オロオロするシャロンの手をゼノンが両手で包み込むように握る。その手が震えているのを知って、シャロンは驚いた。顔をあげたゼノンの頬が涙で濡れている。

「カロン様、よくぞ御無事で」

 半年前の事故のことかと思ったが、ゼノンは首を振ってそれを否定した。

「私は十五年前、賊にさらわれた貴女様とテオドラ様の捜索隊の一人でした」
「っ!」

 ビクッとしたシャロンの手を、ゼノンはさらに強く握って何度も申し訳ないと繰り返す。二か月に及ぶ捜索の末、衰弱したテオドラを見つけた班の一員であったゼノンは、隊長のカロン姫の生存は絶望的だとの言葉を疑わなかった。発見時、虫の息だったテオドラ王女。意識朦朧とした王女は何度も生死のはざまをさまよった。

 その王女より幼い姫が「途中で消えた」という賊の言葉を誰も信じなかった。賊が求めた方(・・・・)ではなかったから棄てたのだと判断されたのだ。それまでの賊どもの罪状から間違いないものだと考えられた。
 事実、彼らの潜伏先からは、大小さまざまな骨や遺体が見つかった。だがカロン姫がどれかは分からず、テオドラが隠し持っていた、カロンが着けていたと思われる髪飾りのみが回収され、他は王都の墓地に丁寧に埋葬されたのだ。

 シャロンの記憶の奥底にある賊たちの姿は、ただ黒くて大きくて怖いものだった。色々なことをさせられたような気がするのは、今思えば何かの実験だったのだろう。彼らは真の魔女――いや、魔王を探していたらしい。シャロンが普段使うものとは違う、道具や知識、数式などがなくても魔力によって発動する、禍々しい力を持つものを。
 男たちからは、だがどちらがそれか分からないと言われた気がする。

 何をもってテオドラとカロンが狙われたのかは分からない。
 白き魔女に似ているということであれば、むしろそれは聖なる魔法というのが一般的な認識だからだ。
 白き魔女と言っても厳密に言えば一人ではない。
 シャロンは古代の魔女と紅蓮の館でラゴン領を訪れた魔女を一人として見ていたが、実は間に数百年の差がある。魔女は不老不死ではないのだ。魔女は普通の人間と同程度の寿命しかないし、見た目も普通の人間だ。

 ネイディアには輪廻という考えがある。
 人の体には魂という命の源があり、死によってそれが身体から抜けると、やがて新しい命として生まれ直すという考えだ。

 魂は体を離れると記憶が浄化され、まっさらな状態になると新しい命として生まれることが出来る。
 だが魔王はその魔力故に膨大な記憶を持ったまま生まれ、その魔力で世界を支配することが出来ると考えられているらしい。それは紅蓮の館で得た知識だが、シャロンとしては荒唐無稽なものでしかなかった。

 ――でも古代の魔女ではない紅蓮の館の白き魔女は、その妄執に取りつかれたときの支配者によって命を狙われ、伴侶も失った。

 ラゴン領でかくまわれた二代目の白き魔女。
 その力は知恵と道具によるもので、彼女は心優しき人々のためにその力を惜しみなく使った。だから今も、シャロンは白き魔女の一人として温かく迎えられたのだとわかる。

 魔王を信仰するものが考える魔法と、この国でも使われる魔法は別のものだ。
 魔王なんていない。
 魔力を有する者がいたとしても、それは魔王なんかではない。
 前世の記憶があったとしても、それは魔法の力なんかじゃない。輪廻における浄化の道をほんの少しずれた、それだけのことだ。

 でも当時の幼いシャロンにはなんのことだかさっぱり分からなかった。姉のテオドラでさえ、やっともうすぐ四歳といったところだったのだ。
 最初はただ怯え泣いていた。そしてだんだんと心が蝕まれていき……。


 シャロンは思い出したばかりの当時の記憶を一旦振り払う。
 シャロンの中にあったもう一つの記憶――大人だった感覚――は、恐ろしいそれらを客観的に記憶していたが、今それに飲み込まれるわけにはいかないのだ。
 思い出したことで悪夢にうなされそうな数々の記憶は、ギュッと深いところに押し込める。


「マッケラン様」

 ゼノンを呼んで立たせる。
 彼にも捜索隊にも一分の非はない。
 それにシャロンの影響でほころびが出来ていたとはいえ、妻の話を聞いて自力で魔法を解いたのであろうゼノンは、それほどまでにカロンを気にかけてくれたのだろう。もしかしたらシャロンとして遊びに来ていた時も「もしや?」と考えてくれたのではないだろうか。
 その気持ちがありがたくてシャロンは首を振った。

「真実は後ほどお話しますが、謝罪は不要です」
「ですがテオドラ様は貴女様が生きていると言っていたのに、我々は信じなかった。幼い姫が現実を受け入れられないだけだと」
「それは当然だと思います」

 シャロンはあえてあっさり頷いて笑いかける。意識朦朧の幼女の言葉をそう受け取ったことを責める気は毛頭ない。

「今夜マッケラン様がいるのは運命かもしれません」

 そう呟くと、ゼノンは目を見開いて首を垂れる。

「命に代えましてもカロン様のお役に立つことを誓います」

 その後ろで追随するエルザに、シャロンは苦笑した。

「姫と呼ばなくてもいいんですってば」
「いえ、カロン姫。どうぞ我々を哀れと思うなら、このまま姫と呼ぶことをお許しください。本当の貴女様でいてほしいという我儘を、どうか、どうか聞いてください」


 そこにジェイクがロイと共にやって来た。遅くなったかと言いつつも、シャロンの手を握り涙を流すゼノンにジェイクも戸惑っているようだ。

「マッケラン様は十五年前にテオドラ姫を見つけた英雄なのよ」

 それだけでジェイクには理解できたようで「ああ」と頷いたが、ゼノンはそれは違うと言う。シャロンは首を振ってこれ以上の発言を止めた。

 シャロンは月明かりに輝くロイの髪を見て、ふっと微笑んだ。心の底から別の温かい感情が溢れるのを感じ、そっと封印する。
 ロイは表情には出さないが、なぜここにつれてこられたのか不思議に思っているのだろう。
 
「では、時間がないので行きましょうか」

 シャロンが気を取り直すように明るく言うと、ゼノンとエルザは黙って頷いた。だがロイが何か問おうとするのを察し、人差し指を自分の唇に当てる。

「今から精霊のもとに向かいます」

 その言葉にロイが紅蓮の館を思い浮かべただろうことは分かったが、なぜなのか疑問は深まったのだろう。首をかすかに傾げ、物問いたげにジェイクとシャロンを見た。

「殿下、詳しいことは後程説明しますが、貴方が必要なのです」

 シャロンは今魔法を使っていないが、真摯なその目にロイは頷いた。


「ここから精霊の力で道ができてます」

 シャロンの言葉に、エルザがゾッとしたように息を飲む音が聞こえた。四阿の向こうは見た目が急な崖なのだ。補助があると説明しても恐ろしいだろう。

 今日は安全を示すためにも自分で降りてみようかと考えてみたが、ジェイクが伺うように見ていることに気づき、素直に甘えることにした。両手を差し出すとヒョイとジェイクに抱き上げられる。そのわずかな間に一瞬抑えきれないと言った風にジェイクが笑ったのを見て、その無邪気さにシャロンの胸の中が愛しさではちきれそうになった。子どもみたいで、なのに立派な大人の男で、本当に本当に――大好き。

 そう、ゼノンは謝る必要なんてないのだ。
 あれは不幸な事件だけど、シャロンが彼に出会うために必要だったこと。ただそれだけなのだから。
 ジェイクがそばにいれば大丈夫。
 彼はシャロンの持つ悪夢とだって一緒に戦ってくれる。彼が言ったように、二人一緒なら何でもできると、今は素直に信じることが出来る。
 高くなった視界からゼノンたちを見て微笑むと、その想いが通じたのか二人が頷き返してくれた。エルザの目にふっと涙が浮かび、その口元に笑みが浮かぶ。

 下に降りるのに手伝いが必要かと問おうとしたジェイクにゼノンは首を振った。
 ジェイク同様妻を抱き上げ「姫を信じておりますので、ご心配なく」と快活に答え、ロイも「問題ない」と肩をすくめる。

「むしろ姫は私が連れて行ってもいいんだぞ」

 手持ち無沙汰だからなどとのたまうロイの軽口に、シャロンはフフッと笑った。それを見てロイの顔に切なげな色が浮かんだが、彼のために見なかったことにする。
 彼は今は混乱しているだけ。そう、それだけなのだから。