時をかけた騎士と紅蓮の館の白き魔女

 昼食を兼ねた懇親会は王妃の庭で行われた。
 丈夫な帆布で屋根が作られ、屋外だが涼しくて快適な庭にはたくさんのいすやテーブルが出されている。多くの給仕が忙しそうに働いているが、客は思い思いの席や庭の木陰で手づかみで食べられる軽食やおしゃべりを楽しむのだ。
 大商人や貴族の子息も多く賑やかな会場を、シャロンは少し離れた場所から眺めた。

 本来ここにいるべきなのはテオドラなのに――。

 そう思えば思うほど、カロンとして振舞うのが難しくなる。それでも今は逃げるわけにはいかない。事情が分かるまではここにいなくてはいけないと思うからだ。
 客人の相手をする合間に王や王妃、兄姉とも話し情報を得ようと試みたが、新しい情報はないに等しかった。

 優しい家族……。
 攫われることがなければ、自分は当たり前のようにここにいて、テオドラは健康だったのだろうとも思う。でもシャロンは自分の人生に不満は何一つなかった。ミネルバとの出会いも、ジェイクとの出会いも。

 ――ジェイク……。

 また溜息がこぼれそうになり、シャロンは自分の唇に触れ目を伏せる。
 気を抜くとジェイクの口づけを思い出してしまう。胸が苦しくて気を抜くと涙がこぼれそうだ。

『ぼくは君を愛してる。――ただ一人の女性として。それだけは覚えていて』

 思いもしなかった彼の言葉が、耳の奥で木霊して離れない。あまりにも現実味がなくて、まだ夢の中にいるみたいだ。本当に夢かもしれない。
 カロンのままだったら、きっと幸せな溜息だった。エルザにこっそり打ち明けて、幸せを分かち合って微笑んでいたことだろう。だが今の混乱したシャロンの頭では、まさかの気持ちが強すぎる。

 ――どうしてこんなことになってるの?

 事故のことは覚えてる。考えるよりも先にとっさに体が動いたけれど、意識が遠のきながらもホッとしていたことも。テオドラも彼女の甥も無事だったのが分かったからだ。

 なのに今のシャロンの立場は、なにがどうしてこうなったのか、本来テオドラのものであることに間違いない。わずかにあったと思い込んでいたカロンの記憶もそう。エルザはテオドラの侍女だし、四阿の思い出もテオドラのもの。彼女が話してくれた思い出を、カロンの思い出だと思い込んでいただけだ。

 ――テオドラが死んだなんて信じない。

 でもどうして誰も彼女を覚えていないの? テオドラはどこに消えたの?

 見た目はそっくりなのに、儚げで美しい王女。シャロンは一目見たときから彼女が大好きになった。姉だったことなんて覚えていなかったけど、そんなことは関係ない。ただ大好きだったのだ。カロンを覚えているかと聞くことは出来なくても、姉と呼べなくても、そばにいて笑わせたかった。

 いくつもの記憶が渦巻いて、整理するのに苦労する。きちんと整理したいのに、どうしてもジェイクの声が、姿が邪魔をする。あの口づけも、腕の中にいる安心感も何もかもが――

「ジェイクの、バカ……」

 立派になっていた。本当に素敵になっていた。
 カロンが目を離せなくなったのも不思議はない――なんて、他人事のように考えてしまうくらいに。カロンだった自分がどんな風にジェイクに甘えたかを思い出すと、恥ずかしさで叫びだしたい気持ちになる。

「あまり顔色がよくないようですね」

 いつの間にか側にいたイズィナ国の第三王子に声をかけられドキッとする。

「ロイ様……」

 護衛の一人であるジェイクは少し離れたところにいるのをちらりと確認し、シャロンはロイに一礼した。見目麗しい王子は、なぜか熱っぽい視線でシャロンを見てくるので戸惑う。他国の王子も同じような感じだったが、カロン姫の見合い相手と考えれば当然のことだろう。だがなぜか戸惑っているのは彼も同様らしく、しばらく見つめ合ったあとどちらからともなく苦笑した。

 すぐそばに誰もいないことを確認すると、ロイはさり気なくシャロンの耳元で
「私のほうが先にあなたと出会っていたら、何か変わっていたでしょうか」
 と、囁いた。

 シャロンは彼を見上げ、ゆっくりと首を傾げる。先に、と言うことは、彼はジェイクとシャロンのことを知っているのかもしれない。もしくは誰かと話している様子がすでに恋仲にでも見えていたのだろうか?

 だが彼の視線はシャロンを見ているはずなのに、何か違うことに戸惑っているようだ。その時また別の記憶の破片がカチリとハマるのを感じる。

「ロイ様に相応しいのはわたくしではありませんわ」

 ほぼ唇を動かさずに囁くと、彼は驚いたように一瞬目を見開き、切なげに微笑んで一礼すると去っていった。

 それを見送ると、やはり何か戸惑っているようなジェイクと目が合い、つい頬が熱くなる。それをごまかすように微笑んで見せると一瞬子どものような笑顔が返ってきて、シャロンの心臓はさらに騒がしくなった。

   ◆

 深夜。
 そっと寝室を抜け出したシャロンが四阿に着くと、すでにジェイクがいた。

「ジェイク、待った?」
「いや、まったく」

 シャロンの問いに、ジェイクは楽しそうに笑う。
 ここから紅蓮の館にどうやって行くのだろう? 門を出ることはできないのに? と考えていると、ジェイクはカロンの膝上あたりに腕を回し片手でヒョイと抱き上げた。

「ジェイク?」

 突然高くなった視界に慌てて彼の首に抱きつくと、
「うん、そのまましっかり捕まっててくれ。できるだけ声は上げないように」

 そう言うやいなや、シャロンが答える間もなく植え込みを飛び越えた。

「えっ、ジェイクっ」

 フワッとした浮遊感に腕に力が入り、思わず目をギュッと閉じる。垂直に近いような崖を下る感覚に声にならない悲鳴を上げた。

「もう目を開けてもいいよ」

 笑いを堪えるような声にそっと目を開けると、遥か上に四阿の屋根が見え、視線を下げると眼下にあったはずの地面にジェイクが立っている。

「と、飛び降りたの?」

「まさか。足場を見つけて降りただけだよ」

 それにしたってシャロンを抱えた状態で軽々とこなしたことが信じられない。地面に降ろされたが、腰が抜けてヘナヘナと座り込んでしまった。

「ごめん、怖かった?」

 心底驚いたような声に思わずふくれる。

「当たり前でしょう!」

「でもいつもは紅蓮の館で、鳥みたいに飛んでるじゃないか」

「それとこれとは別だわ!」

 プイッとそっぽを向くと、クスクス笑って横抱きにされてしまった。

「時間がないから暴れないで」

 先手を打たれぐっと詰まる。
 ジェイクなんてジェイクなんて!

「バカ」
「そうだな、バカだな」

 カラカラ笑われたのがムカついて、彼の甘やかな視線が胸に痛くて――。なんだかとても悔しいから、シャロンはわざとギュッと彼の首に抱きついた。

「絶対に、落とさないでね」

 耳元で出来るだけ優しく囁くと彼が息を呑んだのが伝わり、少しだけ溜飲を下げる。
 自分ばかりがドキドキさせられるなんて不公平だもの。これでおあいこよ!


 ジェイクはシャロンを抱いていることなど感じさせないほどの速さで森を駆け、あっというまに紅蓮の館についた。シャロンがおろしてと言う間もなく、招き入れるように開いた扉を当たり前のようにくぐられてしまい動揺した。
 ネイディアでは結婚した夫婦が最初に家に入るとき、花婿が花嫁を横抱きにして玄関をくぐる習慣があるからだ。

 ――ジェイクは知らないのよ。うん、知らないから仕方ないわよね。

『君以外の人と結婚はしないよ?』

 考えないようにしていた言葉がまた思い出され、恥ずかしさで両手で顔を覆う。

 ――もう、いや。

「シャロン、着いたよ」
「うん」
「顔、真っ赤だけど。熱があるんじゃないか?」
「――大丈夫」

 誰のせいだと思ってるのだ! と言いたいのを我慢してミネルバを呼ぶと、大きな水晶に懐かしい女性体の精霊が現れた。

「ああ、ミネルバ!」

 水晶に駆け寄り、最愛の精霊の両頬に音だけの接吻をする。

「ごめんなさい、心配したでしょう」
「お帰りなさい、シャロン。元気そうで何よりです」

 何も変わらない優しい声に安堵し、しばし再会の喜びをかみしめると、さっそくシャロンはミネルバに自分の記憶を話すことにした。聞きたいことがたくさんある。ジェイクにはほかの部屋で待っていてもらいたかったが、一緒にいたほうがいいと彼女に言われ、悩んだものの了承した。

「ぼくに聞かせたくないことがあるのか?」

 気遣うようなジェイクの顔を見て、ゆっくり首を振る。記憶を整理できた今、彼も知ったほうがいいのだと思う。彼は、未来を大きく変えたのだから。

「ねえジェイク。時を超えたのはあなたなの? ――私は、死んだのよね?」