その夜遅く。
喉が渇いて部屋を出た私は、月宵宮の裏口付近で、黒い装束に身を包んだ誰かと衝突しそうになった。
「うわっ、すみませ……」
謝りかけて、声が止まる。
そこにいたのは、昼間の艶やかな衣姿ではない、動きやすそうな黒衣を纏った薔薇姫様だった。
月の光を浴びた彼女は、昼間よりもずっと鋭利に見える。
長い髪を一つに束ね、その瞳は獲物を狙う鷹のように冷たく冴え渡っていた。
「……こんな時間に、何をしている」
「水、飲みに行こうかと。姫様こそ、そんな忍びみたいな格好でどちらへ?」
「散歩だ。……それ以上、詮索するな」
薔薇姫様は私の喉元に、すっと白く細い指を這わせた。
女の人の指にしては、節がしっかりしていて、少し大きいような。
顔を寄せられ、その顔面凶器が至近距離で私を圧倒する。
心臓が踊り出す。
これは恋とかじゃなくて、純粋な生物としての生存本能的な危機感で。
「櫻花。お前は賢い鼠だと信じているが……あまりに鼻が利きすぎると、猫に食われるぞ」
「猫は可愛いから好きですけど、食べられるのは御免被ります。……あ、お菓子、いかがです?」
「…………は?」
私は懐から、余っていた焼き菓子を一つ取り出して差し出した。
薔薇姫様は毒気を抜かれたように、呆然と私と焼き菓子を交互に見た後、ふん、と鼻で笑ってそれを奪い取った。
「賄賂だな」
そう言い残して、彼女は音もなく闇に消えていった。
逢瀬、いや密会?
……散歩にしては動きが玄人すぎる。
でも、気付いてない。私は何も気付いていない。
女にしては背が高いとか、声の響きが少し低いとか、そんなこと、私は一切気付いていないと言い張ることに決めた。
喉が渇いて部屋を出た私は、月宵宮の裏口付近で、黒い装束に身を包んだ誰かと衝突しそうになった。
「うわっ、すみませ……」
謝りかけて、声が止まる。
そこにいたのは、昼間の艶やかな衣姿ではない、動きやすそうな黒衣を纏った薔薇姫様だった。
月の光を浴びた彼女は、昼間よりもずっと鋭利に見える。
長い髪を一つに束ね、その瞳は獲物を狙う鷹のように冷たく冴え渡っていた。
「……こんな時間に、何をしている」
「水、飲みに行こうかと。姫様こそ、そんな忍びみたいな格好でどちらへ?」
「散歩だ。……それ以上、詮索するな」
薔薇姫様は私の喉元に、すっと白く細い指を這わせた。
女の人の指にしては、節がしっかりしていて、少し大きいような。
顔を寄せられ、その顔面凶器が至近距離で私を圧倒する。
心臓が踊り出す。
これは恋とかじゃなくて、純粋な生物としての生存本能的な危機感で。
「櫻花。お前は賢い鼠だと信じているが……あまりに鼻が利きすぎると、猫に食われるぞ」
「猫は可愛いから好きですけど、食べられるのは御免被ります。……あ、お菓子、いかがです?」
「…………は?」
私は懐から、余っていた焼き菓子を一つ取り出して差し出した。
薔薇姫様は毒気を抜かれたように、呆然と私と焼き菓子を交互に見た後、ふん、と鼻で笑ってそれを奪い取った。
「賄賂だな」
そう言い残して、彼女は音もなく闇に消えていった。
逢瀬、いや密会?
……散歩にしては動きが玄人すぎる。
でも、気付いてない。私は何も気付いていない。
女にしては背が高いとか、声の響きが少し低いとか、そんなこと、私は一切気付いていないと言い張ることに決めた。

