「え?!」
また変な声が聞こえる。しかも、一回目に聞いた時とは別の人だ。
僕が途端に声を上げたせいで、信永くんが「お、おい」と困惑していた。
「どうしたんだよ」
「い、今変な声が聞こえなかった?」
「変な声ぇ? 何も聞こえないけれど……」周囲を見渡した後、信永くんは不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「今日はもう早く寝ろ。仕事に支障をきたしたら困るからな」
「そ、そうするね……。あのね。の、信永くん!」
僕は沈黙が嫌で彼に声を掛け続ける。信永くんは嫌そうな顔をするも、「何だよ」と耳を傾けてくれた。
「信永くんってさ、中学校の時にいじめをしてたって本当なの?」
信永くんは手を動かすのを止める。体を硬直させ、目の前の障子を一点集中する。
僕はここで後悔が襲い掛かってくる。だけど、彼を知るうえで聞かなきゃ分からなかった。
「それ、誰から聞いた?」
「えっと、く、クラスメイトの人たちが言ってだんだけれど……」
「……」
「の、信永くん……?」
彼の顔を見ると一瞬だけ唇を歪ませていた。そのあとは、いつもの整った表情に戻る。
「飽きた」
それとだけ言うと信永くんは立ち上がり、そそくさと二階に行ってしまった。僕は追いかけることもせず、階段を上る音をただ聞くことしかできなかった。
「やっぱり、聞くべきじゃなかったよね……」
――あーあ。信永くん行っちゃったじゃない。あなたのせいよ、新入り。
脳みそに語り掛けてくるような声に畳から立ち上がる。
「ま、また聞こえる。本当にどこから……」
――あら、その目は本物の眼球の癖に飾りなの? わたしたちのことを死んでる呼ばわりしたのに、これじゃあどっちが作り物か分からないわ。
――パンジー。それ以上、苛めるのはやめて。暖くんが困ってる。
また新たな声が加わり、頭が混乱しかける。彼女たちは僕を置き去りに二人で会話を繰り広げていた。
――何よビオラ。彼の見方をするっていう訳?
――言い方を気を付けてって言ってるの。
待って。それに今、ビオラとパンジーって呼び合ってなかった?
僕は恐る恐るパンジーちゃんの方を見る。彼女はいつもと変わらない固まった表情だ。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
「もしかしてパンジーちゃん、なの……?」
――あら、そこまでは馬鹿じゃなかったのね。
ませた声が再び脳内で流れる。今までの幻聴が気のせいではないと確信し、心臓がドクドクと大きく脈打った。
「人形って本当に喋るんだ……」
――そう驚くことかしら? わたしたちはいつもこうよ。どうやら信永くんたちには聞こえてないみたいだけれど、新入りには聞こえているみたいね。だってあなたから、物凄い憎悪のオーラが見えるもの。
パンジーちゃんは当然のようにえげつないことを言い出す。
「やっぱり、僕って呪われているの?」
――当然じゃないの。卵が腐ったような臭いでわたし、今すぐ鼻をつまみたいもの。
そんな……。
僕は思わず洋服の裾に鼻を近づける。臭いは至って無臭である。信永くんたちに臭いのことを言われてから消臭効果のある柔軟剤を使っているんだけれどなぁ。体臭も気になるから念入りに体を洗うように気を付けている。
いや、自分の臭いって周りからじゃないと気付かない部分もある。
――パンジー、彼を揶揄わないで。
ビオラちゃんが咎めた。パンジーちゃんは詰まらなそうに反論し始める。
――なんでよ。こんな反応の面白い子、絶対いないわよ。
パンジーちゃんは吹き出しながら笑い声を上げる。それの何が面白いのか理解できなかった。
こっちは必死なのに。
「か、揶揄わないでよ。びっくりしちゃったじゃんか」
――でも、呪いのせいで臭うのは本当よ。もしかしたら、霊感がある人には勘付かれているかもしれないわ。
「それ、信永くんも似たようなことを言ってた」
人は呪われると臭いが付く。だから、出会った当初に大和さんから「香水つけてる?」と聞かれたのだ。
僕にはそういった体質はないため、自分が臭うのかすら分からない。
――だけど、わたしはあなたを許さないわ。せっかく信永くんのやる気が取り戻されたのに、これじゃ意味ないじゃない。そもそも、あの質問はタブーに決まってるじゃないの。
「ご、ごめんなさい……」
流石にさっきの質問は露骨すぎた。信永くんの機嫌を損ねても可笑しくなかった。
パンジーちゃんは「本当よ」と厭味ったらしく呟いた。
――あたし、お世話をするのはいつも信永くんにしてもらってるの。だから、新入りみたいな小汚い子は嫌よ。
済ました顔で今度は毒を吐かれた。パンジーちゃんはこういう子なんだと瞬時に理解した後では、心のダメージは少なくなった。
だからと言って傷付かない訳じゃない。
色んな子がいるというのは本当なんだな。
「の、信永くんが好きなんだね……」
――だって、彼はわたしの王子様だもの。
お、王子様??
意外な返答に僕は瞬きを数回する。僕の反応がよろしくなかったのか、「何よ」と強気な口調で言われ勢いよく首を振る。
するとご機嫌を取り戻したようで、彼のことをつらつらと語り始めた。
――まず、あの眉目秀麗の顔! 見ただけで一目ぼれしちゃうオニキスの瞳と漆を塗りたくったような黒髪。あれを美しいと表現しないで何になるというのかしら。きっと、学校では物凄くモテてたに決まってるわ。性格はちょっとぶっきらぼうだけれど、ツンデレなのが良いのよ。
ちょっとというよりは、大分な性格に難ありな気がする。
しかし、パンジーちゃんは興奮気味に語るため何も言わなかった。
心なしか彼女の頬が赤く染まっているようにも思えた。
――わたし、好きなものを壊されるのは嫌いなのよ。だから、信永くんを傷付けたあいつらも、あなたのことも憎いわ。
今度は絶対零度の声で告げられる。こうなると分かってはいたが、やはり気難しい子だ。
「ごめんなさい。でも、本当のことを知りたくて」
――本当のこと?
パンジーちゃんの疑念に満ちた声に怖気づく。
「みんなはあの噂を信じているみたいだけど、僕は本当だと思えなくて。だから、本当のことを知りたくて……」
上手く本音を伝えられず、唇が固まってしまう。沈黙が増えるたびに、彼女からの視線も鋭くなる。
それでもと僕は必死に意思表明を続けることを貫いた。
信永くんと知り合って間もないが、彼の気持ちをちゃんと理解したい。
「まだ、彼のことを怖いって思うけれど本当は違うんじゃないかなって思って。ただ誤解したままで終わりたくないんだ。だから、教えて欲しいんだ。信永くんがいじめをしていたっていうのは嘘だよね?」
確信が掴めないまま、僕はパンジーちゃんに問いかけた。
数秒間の無言に冷や汗が垂れ落ちるが、次に発された言葉は拍子抜けするものだった。
――なら、敦くんに聞いてみると良いわ。 彼なら、信永くんのことをよく知っているし。
「え? お、教えてくれないの?」
明らかに真相を知っている発言に僕は戸惑う。寧ろ、パンジーちゃんは自分から教えることを嫌がっていた。
――あら? どうして、わたしたちが教えないといけないのかしら。こういう話は、人形じゃなくて敦くんや大和くんに聞くのが一番よ。それとも、あなたは自分で人に聞きに行けない情けない人間なのかしら。
「そ、そんなことはないよ」
僕も躍起になって言い返した。パンジーちゃんはまたもや小馬鹿にしたような口調で僕をあしらった。
――なら、精々もがき苦しむことね。新入りさん。
「もがき苦しむって……」
「あれ、音羽さん?」
振り返ると敦くんが鞄を背負ってこちらに向かってくる。僕の声が聞こえたようで気になってきたのだそう。
「何か言い合いになってたみたいだけど、大丈夫? お兄ちゃんに何か言われたの?」
もしかしてと目をギラつかせる彼に必死に取り繕った。
「ううん。何でもないよ」
「そうですか。それなら、良いんですけれど……。あれ、パンジーちゃんがどうしてここに……」
「さ、さっきまで信永くんたちと一緒にお絵描きしてたんです。でも……」
「成る程。お兄ちゃんが勝手に仕事放棄したんですね、別に気にしなくていいですよ。いつものことだし」
敦さんは途端に呆れた顔に戻り、パンジーちゃんを持ち上げた。
「ん? 敦帰ってたのか。おかえり」地下室から戻ってきた大和さんがひょっこりと顔を見せる。
「お兄ちゃん、どこにいるか分かります?」
「信なら自分の部屋に戻ってったぞ。何かあったのか?」
「……仕事を放り出して、音羽さんに任せっぱなしにしたんですよ」
「はぁ!? ちょっと俺言ってくる」
「行かなくていいですから。もう放っておきましょう、どうせいつもの訳分からないことを考えているんですから」
敦さんは怒りを表す時に、敬語を使う癖がある。今も不貞腐れた顔をして再び溜息を吐いた。
そして、ビオラちゃんを抱き締めたまま「パンジーちゃんに着せる新しい洋服の試着をするので、先に戻りますね」と居間から出て行ってしまった。
――っつ。
大和さんはそんな彼の後姿を心配そうに眺めていた。
僕は敦さんよりも、悲しげな声色で唸るパンジーちゃんが気がかりだった。
「変な所見せちまって悪いな。信に何か言われたのか?」
「あ、いえ……。何ともないです」
寧ろ、悪いのは僕の方だ。本当は僕が謝らなければならないのに。
言葉が喉に突っかかって本当のことを言えなかった。
「あの、大和さん……」
「どうした?」
「……」
僕はやっぱり無理だと首を横に振った。
「いえ、何でもないです。ごめんなさい、変に引き留めてしまって」
「本当か? 無理はするなよ」
訝しげに問う彼に迷いなく頷く。大和さんは見た目に反して面倒見が良い。きっと、ギクシャクした兄弟の仲を取り持っているんだ。
僕は、偏見を騙すことができない、思ったことを言えない自分がとても情けなかった。
ふいに視線を感じ、瞳を向けるとビオラちゃんがこちらを見つめていた。
ビオラちゃんは僕とパンジーちゃんが言い合っている中で一人黙っていた。
彼女は漸く口を出すかと思いきや、何やら考え耽っている様子だ。
意気地なしな僕に幻滅したんだろうな。
それもそうだよね。
僕はただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。
また変な声が聞こえる。しかも、一回目に聞いた時とは別の人だ。
僕が途端に声を上げたせいで、信永くんが「お、おい」と困惑していた。
「どうしたんだよ」
「い、今変な声が聞こえなかった?」
「変な声ぇ? 何も聞こえないけれど……」周囲を見渡した後、信永くんは不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「今日はもう早く寝ろ。仕事に支障をきたしたら困るからな」
「そ、そうするね……。あのね。の、信永くん!」
僕は沈黙が嫌で彼に声を掛け続ける。信永くんは嫌そうな顔をするも、「何だよ」と耳を傾けてくれた。
「信永くんってさ、中学校の時にいじめをしてたって本当なの?」
信永くんは手を動かすのを止める。体を硬直させ、目の前の障子を一点集中する。
僕はここで後悔が襲い掛かってくる。だけど、彼を知るうえで聞かなきゃ分からなかった。
「それ、誰から聞いた?」
「えっと、く、クラスメイトの人たちが言ってだんだけれど……」
「……」
「の、信永くん……?」
彼の顔を見ると一瞬だけ唇を歪ませていた。そのあとは、いつもの整った表情に戻る。
「飽きた」
それとだけ言うと信永くんは立ち上がり、そそくさと二階に行ってしまった。僕は追いかけることもせず、階段を上る音をただ聞くことしかできなかった。
「やっぱり、聞くべきじゃなかったよね……」
――あーあ。信永くん行っちゃったじゃない。あなたのせいよ、新入り。
脳みそに語り掛けてくるような声に畳から立ち上がる。
「ま、また聞こえる。本当にどこから……」
――あら、その目は本物の眼球の癖に飾りなの? わたしたちのことを死んでる呼ばわりしたのに、これじゃあどっちが作り物か分からないわ。
――パンジー。それ以上、苛めるのはやめて。暖くんが困ってる。
また新たな声が加わり、頭が混乱しかける。彼女たちは僕を置き去りに二人で会話を繰り広げていた。
――何よビオラ。彼の見方をするっていう訳?
――言い方を気を付けてって言ってるの。
待って。それに今、ビオラとパンジーって呼び合ってなかった?
僕は恐る恐るパンジーちゃんの方を見る。彼女はいつもと変わらない固まった表情だ。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
「もしかしてパンジーちゃん、なの……?」
――あら、そこまでは馬鹿じゃなかったのね。
ませた声が再び脳内で流れる。今までの幻聴が気のせいではないと確信し、心臓がドクドクと大きく脈打った。
「人形って本当に喋るんだ……」
――そう驚くことかしら? わたしたちはいつもこうよ。どうやら信永くんたちには聞こえてないみたいだけれど、新入りには聞こえているみたいね。だってあなたから、物凄い憎悪のオーラが見えるもの。
パンジーちゃんは当然のようにえげつないことを言い出す。
「やっぱり、僕って呪われているの?」
――当然じゃないの。卵が腐ったような臭いでわたし、今すぐ鼻をつまみたいもの。
そんな……。
僕は思わず洋服の裾に鼻を近づける。臭いは至って無臭である。信永くんたちに臭いのことを言われてから消臭効果のある柔軟剤を使っているんだけれどなぁ。体臭も気になるから念入りに体を洗うように気を付けている。
いや、自分の臭いって周りからじゃないと気付かない部分もある。
――パンジー、彼を揶揄わないで。
ビオラちゃんが咎めた。パンジーちゃんは詰まらなそうに反論し始める。
――なんでよ。こんな反応の面白い子、絶対いないわよ。
パンジーちゃんは吹き出しながら笑い声を上げる。それの何が面白いのか理解できなかった。
こっちは必死なのに。
「か、揶揄わないでよ。びっくりしちゃったじゃんか」
――でも、呪いのせいで臭うのは本当よ。もしかしたら、霊感がある人には勘付かれているかもしれないわ。
「それ、信永くんも似たようなことを言ってた」
人は呪われると臭いが付く。だから、出会った当初に大和さんから「香水つけてる?」と聞かれたのだ。
僕にはそういった体質はないため、自分が臭うのかすら分からない。
――だけど、わたしはあなたを許さないわ。せっかく信永くんのやる気が取り戻されたのに、これじゃ意味ないじゃない。そもそも、あの質問はタブーに決まってるじゃないの。
「ご、ごめんなさい……」
流石にさっきの質問は露骨すぎた。信永くんの機嫌を損ねても可笑しくなかった。
パンジーちゃんは「本当よ」と厭味ったらしく呟いた。
――あたし、お世話をするのはいつも信永くんにしてもらってるの。だから、新入りみたいな小汚い子は嫌よ。
済ました顔で今度は毒を吐かれた。パンジーちゃんはこういう子なんだと瞬時に理解した後では、心のダメージは少なくなった。
だからと言って傷付かない訳じゃない。
色んな子がいるというのは本当なんだな。
「の、信永くんが好きなんだね……」
――だって、彼はわたしの王子様だもの。
お、王子様??
意外な返答に僕は瞬きを数回する。僕の反応がよろしくなかったのか、「何よ」と強気な口調で言われ勢いよく首を振る。
するとご機嫌を取り戻したようで、彼のことをつらつらと語り始めた。
――まず、あの眉目秀麗の顔! 見ただけで一目ぼれしちゃうオニキスの瞳と漆を塗りたくったような黒髪。あれを美しいと表現しないで何になるというのかしら。きっと、学校では物凄くモテてたに決まってるわ。性格はちょっとぶっきらぼうだけれど、ツンデレなのが良いのよ。
ちょっとというよりは、大分な性格に難ありな気がする。
しかし、パンジーちゃんは興奮気味に語るため何も言わなかった。
心なしか彼女の頬が赤く染まっているようにも思えた。
――わたし、好きなものを壊されるのは嫌いなのよ。だから、信永くんを傷付けたあいつらも、あなたのことも憎いわ。
今度は絶対零度の声で告げられる。こうなると分かってはいたが、やはり気難しい子だ。
「ごめんなさい。でも、本当のことを知りたくて」
――本当のこと?
パンジーちゃんの疑念に満ちた声に怖気づく。
「みんなはあの噂を信じているみたいだけど、僕は本当だと思えなくて。だから、本当のことを知りたくて……」
上手く本音を伝えられず、唇が固まってしまう。沈黙が増えるたびに、彼女からの視線も鋭くなる。
それでもと僕は必死に意思表明を続けることを貫いた。
信永くんと知り合って間もないが、彼の気持ちをちゃんと理解したい。
「まだ、彼のことを怖いって思うけれど本当は違うんじゃないかなって思って。ただ誤解したままで終わりたくないんだ。だから、教えて欲しいんだ。信永くんがいじめをしていたっていうのは嘘だよね?」
確信が掴めないまま、僕はパンジーちゃんに問いかけた。
数秒間の無言に冷や汗が垂れ落ちるが、次に発された言葉は拍子抜けするものだった。
――なら、敦くんに聞いてみると良いわ。 彼なら、信永くんのことをよく知っているし。
「え? お、教えてくれないの?」
明らかに真相を知っている発言に僕は戸惑う。寧ろ、パンジーちゃんは自分から教えることを嫌がっていた。
――あら? どうして、わたしたちが教えないといけないのかしら。こういう話は、人形じゃなくて敦くんや大和くんに聞くのが一番よ。それとも、あなたは自分で人に聞きに行けない情けない人間なのかしら。
「そ、そんなことはないよ」
僕も躍起になって言い返した。パンジーちゃんはまたもや小馬鹿にしたような口調で僕をあしらった。
――なら、精々もがき苦しむことね。新入りさん。
「もがき苦しむって……」
「あれ、音羽さん?」
振り返ると敦くんが鞄を背負ってこちらに向かってくる。僕の声が聞こえたようで気になってきたのだそう。
「何か言い合いになってたみたいだけど、大丈夫? お兄ちゃんに何か言われたの?」
もしかしてと目をギラつかせる彼に必死に取り繕った。
「ううん。何でもないよ」
「そうですか。それなら、良いんですけれど……。あれ、パンジーちゃんがどうしてここに……」
「さ、さっきまで信永くんたちと一緒にお絵描きしてたんです。でも……」
「成る程。お兄ちゃんが勝手に仕事放棄したんですね、別に気にしなくていいですよ。いつものことだし」
敦さんは途端に呆れた顔に戻り、パンジーちゃんを持ち上げた。
「ん? 敦帰ってたのか。おかえり」地下室から戻ってきた大和さんがひょっこりと顔を見せる。
「お兄ちゃん、どこにいるか分かります?」
「信なら自分の部屋に戻ってったぞ。何かあったのか?」
「……仕事を放り出して、音羽さんに任せっぱなしにしたんですよ」
「はぁ!? ちょっと俺言ってくる」
「行かなくていいですから。もう放っておきましょう、どうせいつもの訳分からないことを考えているんですから」
敦さんは怒りを表す時に、敬語を使う癖がある。今も不貞腐れた顔をして再び溜息を吐いた。
そして、ビオラちゃんを抱き締めたまま「パンジーちゃんに着せる新しい洋服の試着をするので、先に戻りますね」と居間から出て行ってしまった。
――っつ。
大和さんはそんな彼の後姿を心配そうに眺めていた。
僕は敦さんよりも、悲しげな声色で唸るパンジーちゃんが気がかりだった。
「変な所見せちまって悪いな。信に何か言われたのか?」
「あ、いえ……。何ともないです」
寧ろ、悪いのは僕の方だ。本当は僕が謝らなければならないのに。
言葉が喉に突っかかって本当のことを言えなかった。
「あの、大和さん……」
「どうした?」
「……」
僕はやっぱり無理だと首を横に振った。
「いえ、何でもないです。ごめんなさい、変に引き留めてしまって」
「本当か? 無理はするなよ」
訝しげに問う彼に迷いなく頷く。大和さんは見た目に反して面倒見が良い。きっと、ギクシャクした兄弟の仲を取り持っているんだ。
僕は、偏見を騙すことができない、思ったことを言えない自分がとても情けなかった。
ふいに視線を感じ、瞳を向けるとビオラちゃんがこちらを見つめていた。
ビオラちゃんは僕とパンジーちゃんが言い合っている中で一人黙っていた。
彼女は漸く口を出すかと思いきや、何やら考え耽っている様子だ。
意気地なしな僕に幻滅したんだろうな。
それもそうだよね。
僕はただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。

