菊山家の日本人形子守係

「……」

 まずい。
 僕はまたいけない事を言ってしまっただろうか。だけど、そう思ったのは事実だ。このままもやもやしても仕方がない。
 信永くんは真顔のまま僕を見つめる。

 未だに沈黙を貫かれて正直苦しかったが、彼から「そーかよ」という反応をされ、思わず目を瞬かせた。そして、颯爽と立ち上がり信永くんは僕らを置いて部屋を出ようとした。

「の、信永くん?!」

「読み聞かせが終わったら敦に何すればいいか聞いて来いよ」

「え?」

「俺は少し出かけるからさ。じゃあな」

「え?! ちょっと待ってよ」

 僕がそう止める間もなく、信永くんはすたすたと階段を下りてしまった。一階から彼が敦さんと言い合う声が聞こえたが、玄関の扉の開閉音が大きく響いて聞こえた。取り残された僕は呆然と部屋の外を眺めることしかできなかった。

 「な、何だったんだろう……。もしかして、悪いこと言っちゃったかな」

 ――ううん。彼は、人付き合いが苦手だからちょっと困ってただけ。気にしないで。

 「そっか、そうなんだね。ありが……」

 そこまで言った時、僕ははっと意識が飛び上がる。
 隣を見るとビオラちゃんが座っているだけだ。

 僕は一体、誰にお礼を言おうとしたんだ?

 「ま、まさか幽霊?」

 信永くんたちから、自分は呪われていることを思い出す。まさかだが、呪いが原因で幽霊の声が聞こえてしまっているのか?
 そう考えると、部屋で人形と二人きりが不気味に感じてくる。
 僕は、書斎に絵本を置いてビオラちゃんと共に一階へと逃げた。



 時間は過ぎて午後九時。僕は案内された部屋の布団に寝転んだ。
 こじんまりとした部屋だが、アパート内での自室より断然と広い。

 布団に顔を埋めると、今日一日分の疲労がどっと押し寄せてきた。

 正直言って、子守係の仕事は思ったよりもやるべき内容が多かった。
 
 読み聞かせの後、僕は敦さんたちから指示をされた。人形たちの夕食づくり、基清め塩を皿に盛り合わせたものの用意。そして、入浴と着せ替えなど何から何まで人形たちの面倒を見なければならなかった。
 僕はビオラちゃん中心に子守をしていたが、忙しそうな彼らの手伝いを行った。
 
 いつも、自宅で家事全般を熟していた成果がここで発揮された気がした。それもあってか敦さんたちから「早くてとても助かる」と御世辞でも嬉しい事を言われた。
 ただ、信永くんが突然外出したことを何度も平謝りされて「そんなことない」と必死に首を振った。

 よくよく考えたら、子守係の人に人形は反応がないからやりにくいと言うべきじゃなかった。
 今更後悔しても遅いが、信永くんと話す機会ができたら素直に謝罪をしよう。

「今日はもう寝ようかな」

 学校の課題は終わっているし、今日はいつもより早く布団に潜り込んだ。
 
 次の日。
 菊山家で朝食を取り終え、僕は身支度を済ませる。敦さんは今年受験生であり、早めに登校して勉強すると先に家を出てしまった。僕も後を追うようにして、鞄を持ち玄関を出ようとする。
 鞄には昨日の着替え等が入っており、多少は重いが高校までそう遠くはなくて助かった。

「気をつけてな。また、放課後な」

「はい。あ、ありがとうございます……」大和さんに玄関まで見送ってもらった。

 大和さんは子守係の仕事の他に彫師をしているらしい。なんと言うか、()()()()()()すぎて言われた時は変なことを返せなかった。
 
「本当は一緒に信も行かせたかったんだが、悪いな」
 
「い、いえいえ。大丈夫ですよ」

 寧ろ、一緒に登校だなんて御免である。絶対に気まずい空気になること間違いなしだ。
 そんな本音は口が裂けても本人には言えず、ぐっと飲み込んだ。
 
「行かねーよ。誰が行くんだあんな場所に」

 噂をすればと、廊下から信永くんが険しそうに発する。大和さんは額に青筋を立てて一喝した。

「おいテメー、話が違うじゃねーか! 音羽くんごめんな。今日説得できたら学校無理矢理にでも行かせるから」
 
 僕と彼に対する態度は一目瞭然である。大和さんが信永くんに激怒する度に、まるで自分も怒られたみたいな気分になってしまう。
 そんなことはお構いなしに、信永くんは颯爽と自室へと戻ってしまった。

 大和さんは何度も彼を呼ぶが、結局「ごめんな」と再度頭を下げられた。僕も首を横に振って大和さんを宥めた。
 彼に見送られながらも、僕は早歩きで菊山家の敷地内を抜け出した。



 そして、放課後へと時刻は突入する。結局の所、信永くんが学校に来ることはなかった。
 もしかしたら彼自身、学校に行きづらさを感じているのかもしれない。何せ、教室内で既に集団がいくつも形成されており、後から入るだなんて気まずさもある。
 僕は友達ができないボッチだが、それでもクラスメイトには認知されていた。授業内でのグループ学習に支障をきたしたことはない。

 でも、信永くんとなれば話が変わってくる。彼は変な噂のせいで完全に孤立しており、現在進行形で不登校気味だ。幸い、真白くんが知り合いだから気にかけてもらえる人がいることで首の皮一枚繋がっている状態だ。
 
 おまけに、あの何重にも癖のある性格である。
 どうしたらあんな怖い人柄になるのだ、弟の敦さんはあんなに温厚なのに。

 僕は今日と明日の着替えと学校の準備をして、菊山家へと向かう。
 
「お、お邪魔します……」

「おう、早く入れよ」

「の、信永くん?!」

 玄関を開けると、信永くんが廊下の壁を背もたれにして立っていた。思わず叫び声に近いものを上げてしまった。
 信永くんはそれだけを言って廊下の奥へと行ってしまった。
 僕も後を追うようにして、部屋へと向かった。

 そうだ。僕、信永くんに用があるんだった。

 僕は彼を呼び止めて、鞄の中を漁った。そして、ファイルに入ったプリントを彼に差し出した。

「信永くん。これ、古文の授業で使ったんだけれど……」

「プリント? つかこれ、真白から頼まれたのか?」

「ううん」僕の答えに信永くんの眉が険しくなる。

 怯みながらも、勇気を振り絞って伝えた。

「僕が勝手に二枚取った。信永くんが授業に追いつけるようにって自分が勝手にそう思っただけだから。気にしないで……」

「……」

「あ、いらなかったら捨てていいから……」

 もしかしたら、余計なお世話を働かせてしまったのかも。先程から何も発さない彼に対して後悔が募る。
 信永くんはプリントの裏表を見て、「これ、グループ学習のやつじゃね?」と呟いた。

 「え!? あ、本当だ……」

 今日、古文の授業ってグループ学習だったっけ。不意に思い出して、反射的に顔が赤くなる。
 その次になんて謝ろうと言葉を詰まらせてしまった。
 
 しかし、信永くんは寧ろ吹き出しそうな顔をして、

「じゃ、お前の写させてもらうよ。どーせ、先生に見せるわけでもねーし」

 とプリントをひらひらさせた。

「別に良いけれど……」

「じゃ、お言葉に甘えてそうさせて貰うな」

 いつになくご機嫌な彼に何事もなく終わったと安堵した。

 ◇

 僕は居間の方で人形の洋服を畳んでいた。隣では信永くんが、胡坐をかきながら僕のプリントを写している。
 と言うよりも、信永くんは教科書を開きながらプリントを自力で埋めようとしていた。僕のは答え合わせをするときにしか、確認していない。

 信永くんって見た目に反して頭が良い。ぼんやりと見ていると、いつの間にか仕上げたようで「手が止まってるぞ」と注意された。
 僕は急いで次の洋服に手を伸ばす。
 部屋の外から誰かの足音が聞こえ、僕は入り口付近を見つめてしまった。

「信ー。あれ、勉強してたのか? 珍しいな。明日は隕石でも降ってくるのか?」

「失礼な奴だな。揶揄いに来ただけならとっとと部屋に帰れよ」

 信永くんの不機嫌な声に、大和さんは「悪いって」と笑う。

「音羽くんもこんにちは」

「こ、こんにちは……」

「あぁ、そうだ。信、俺ちょっと地下の奴見てくる」

 ん? 地下?

「うん。分かった、()()()()()()

 信永くんは何も疑わずにそうとだけ伝える。僕は気になって、二人に問いかけた。

「この家って、地下室もあるの?」
 
「地下には強力な呪いを持つ人形が保護されてんだ。保護って言うと聞き分け良いけど、実際は封印みたいなもんだ。それだけ、周囲に悪影響を及ぼしてるんだよ」

「そうなの?」

「前に、地下から出して世話してたことがあるんだけどコイツらが拒絶反応起こしてさ」

 「ほら、見て見ろ」信永くんはある1体の人形を見せる。おさげ髪の人形の頬には僅かにヒビが入っていた。

 「人形師の奴に直してもらって落ち着いたけれど、これが限界なんだよな」

 「他にも髪の毛が貞子みたいにいっぱい生えちゃう子もいるんだ。あの時は大変だったよなぁ」

 大和さんも頬を搔きながら当時の事を思い出していた。それだけ、悲惨な出来事だったんだろう。二人とも苦難の表情を浮かべていた。
 
「暖、だから、地下室には絶対に行くなよ。お前は呪われているからな」

「分かった」

 信永くんにそんなこと言われずとも行くもんか。

「そう言えば敦は? 今日って帰るの遅かったっけ?」

「夕飯の買い出しで遅くなるってよ」信永くんは畳の上に寝転びながら返す。

 敦さんの姿が見当たらないのはそのせいだったのか。

「信、音羽くんと一緒にビオラちゃんたちの世話しとけよ」
 
「分かってるって。えっと、この時間帯は何すっかな……」

 洗濯物の片付けも終わり、それぞれのタンスに仕舞いにいく。信永くんから彼女を連れて来いと指示され、僕はリビングに向かった。
 ビオラちゃんは案の定、子供番組のテレビを眺めている。その光景が未だに不気味だが、昨日程の寒気はしなかった。

「ビオラちゃん、今日もよろしくね……」独り言のように呟き、彼女を抱き上げた。

 居間に戻ると、信永くんと見たことのない人形が一体座っていた。

「そ、その子は……?」

「この子はパンジー。さっきまで音楽鑑賞をさせてたんだ。今日は、こいつと一緒に絵を描こうって」

「絵? 信永くん描けるの?」

「何だよ。馬鹿にしてるのか?」途端に睨まれ、僕は必死に首を横に振った。

 信永くんは何か言いたげな顔で見つめるも、すぐに溜息を吐く。そして、どこからか紙と二十四色の色鉛筆を取り出した。
 そもそも人形が絵をどうやって描くんだろうとツッコミたかったが、結局僕らが描く形に収まる。

 これじゃあ、二人の男子高生が絵を描いている絵面にしか見えない。
 隣を見ると、信永くんはスマホを片手に見よう見まねで色鉛筆を走らせる。そのそばでは、パンジーちゃんがこちらを見守るように見つめている。

 別に生きている訳でもないのに、どうしても視線があるように感じる。

 ――あら、それって死んでるってこと? まぁ酷い。あなた、随分と失礼な新人さんなんじゃない?