菊山家の日本人形子守係



 放課後になると急いで家に戻り、明日の着替えと教科書等を鞄の中に詰める。夜勤明けのお父さんは出勤時間ギリギリまで寝ていることが多い。
 
 僕はお父さんがすぐに支度できるよう、毎日のお弁当は欠かさない。適当に作った卵焼きと、余っていた冷凍食品のおかずを添えて箱に詰める。
 時計の針はもうすぐ集合時間を指そうとしていた。

「やばい、もう行かなきゃ」

 お弁当をランチョンマットで包み、逃げるようにして玄関から出た。
 来た道を戻り、菊山家に繋がる小さな脇道を進む。歩いていくうちに、昨日の大きな和風屋敷が見えた。

 一度知り合ったため今回は迷わずインターホンを押した。ピンポーンと響き渡り、すぐにドタドタと足音が聞こえる。
 扉が開かれ中からは大和さんが出迎えてくれた。

 「はーい。お! 音羽くん、いらっしゃい」

 「きょ、今日からよろしくお願いします……」

 やはり、大和さんのチャラい見た目に失礼だが一歩下がってしまう。
 そんな些細なことに、彼は気付かず愛想よく中に入る様促してくれる。

「お邪魔します」と呟き、案内された部屋は客間とは反対のリビングルームだった。

 しかし、目の間に広がる異様な光景に「ひぃ」と情けない声が漏れ出した。
 
 リビングのソファで、日本人形がテレビを見ている。しかも、夕方に放送されるニュース番組だ。
 視線を移せば、テーブルで何体ものの日本人形がご飯を食べている。と言うよりも、ただ食事らしきものが目の前に置かれているだけだ。

 どれも人間なら何度も体験することを人形が真似をしているみたいにしか見えない。
 
 園児たちのおままごとを見ている気分だった。

「おう、あれも一応子守係の仕事っつーの? まぁ、そう難しいことはしないよ」

 僕の様子を気にした彼が、安心しろと宥める。しかし、あまりにも奇妙過ぎて内心気が気ではなかった。

 確か、こういうのを不気味の谷現象っていうんだっけ。
 人形が段々と人間に見えてくることに次第に恐怖を覚え始めた。

 「あ、音羽さん来てくれたんですね」

 別の部屋から敦さんが籠を持って現れる。昨日見た学ランの上にエプロンを付け、家事を熟しているようだ。
 彼が手に持ってる籠はどうやら洗濯物らしい。しかし、どう見ても服のサイズが異様に小さい。

「あの……。その服は……」

 僕は恐る恐る尋ねると、彼は「お人形さんたちのものです」と迷いなしに答えられた。

「に、人形の服……?」思わず眉を顰めてしまう。

 しかし、何がおかしいのかと敦さんには首を傾げられてしまった。

「?」

「敦、多分混乱してると思うから伝えた方がいいぜ」

「……あ。確かに初めて見る人にはびっくりさせちゃいますよね。実は、これも子守係のお仕事の一つなんです」

「人形のお洋服を洗濯することが?」

「はい」敦さんは肯首する。
 
「まぁ、簡単に言ってしまえばベビーシッターのお人形さんバージョンです。特別なことはしませんし、普通に子守をするだけです」

 大和さんも「おう、そうだな」としっかりと頷く。二人はそもそも菊山家の人たちだし、子守係について何とも思ってないのは間違いない。しかし、僕からすれば違和感の塊でしかない。
 
 と言うことは、これから僕は菊山家の日本人形たちの子守係をしなければならないってこと!?

「何だ、もう来てたのか」

 階段を下りる音と共に、信永くんが現れる。彼は昨日とは打って変わって黒の無地Tシャツを着ていた。やはり、彼は学校を欠席していたようだ。

「何だよ、そんなにジロジロ見て。俺の顔に何か付いている?」

「あ、ううん。何でもない」

 いけない。思わず見惚れる所だった。やっぱり、顔が良い人はシンプルな服でもお洒落に見えるもんなんだなぁ。

 信永くんは相変わらず目付きの悪い顔で僕を凝視する。そして、興味が逸れたのか敦さんに「なぁ」と問いかけた。

「こいつに、何体か紹介したのか?」

「確かに、まだ紹介してなかった。音羽くん、今回子守を任せたいお人形さんを紹介するね。いきなり何体もののお世話をするのは大変だから、最初は1体だけだよ」

 「あ、は、はい」

 いよいよ子守担当する相手とご対面だ。「ちょっと待ってて」と敦さんは家の奥へと向かう。
 やがて、彼が連れてきたのは紫色の着物を着た日本人形だ。だが、他の人形とは変わって長い髪をお団子で結われていた。
 人形であるため、作り物の目に不気味さを覚えたがぐっとこらえた。

 「この子が……?」

 敦さんは勿論だと頷く。

 「この子はビオラちゃん。比較的大人しい子だけれど、音羽くんとならすぐに仲良くなれるよ」

 人形に性格なんて存在するのか?

 そうツッコミたいのを我慢し、彼らの話を黙って聞く。

 「うーん、お洋服は洗濯したし、昼食も取った。あとは……ビオラちゃんと遊んであげるのはどうかな。ビオラちゃんはね、絵本が好きなんだ! お兄ちゃん、音羽くんと一緒に絵本選ぶの手伝ってよ」

「はぁ?」信永くんは心底面倒くさそうにする。

 しかし、敦さんはビオラちゃんを信永くんに押し付けるように渡す。
 
 何で俺なんだよというオーラが既に伝わってくる。
 正直な話、信永くんと二人きりになったら沈黙しか続かない気がする。人と話すのが苦手だからというのもあるが、彼も取っ付きにくい性格だ。
 相性が最悪過だよ。

 逆に聞きたいんだけれど、どうしたらあんなに愛嬌のある弟さんが生まれるんだ。

「別にお兄ちゃんじゃなくても良いんだよ? でも、大和さんだと年の差が離れているから話すのも大変でしょ。だけど、同級生の一人や二人くらいは仲良い人作らなきゃ、お兄ちゃん人間不信まっしぐらだよ」

「お前は俺の母親かよ。いや、母親でも言わなかったぞそんなこと」

「ほら、ずべこべ言ってないで音羽くんに書斎の場所教えてあげて。大和さんは、乾いた洗濯物を畳むの手伝ってくれませんか?」

「お安い御用。じゃ、信と音羽くんも頑張ってねー。信、音羽くんのこといじめんじゃねーぞ?」

「ったくうるっせーな。分かってるよ、それくらい」

 廊下を歩く敦さんたちを睨み付けて、信永くんは「ちっ」と舌打ちをかました。もうそれだけで怖い。
 
 信永くんの様子を伺っているといきなり顔をこちらに向ける。そこで変な悲鳴を上げなかった僕を褒めてもいいだろう。
 信永くんは更に目付きを鋭くさせ、足音を強く鳴らしながら歩き出す。

 「今から案内するからついて来いよ」

 そう言って信永くんはビオラちゃんを僕に押し付けた。僕が声を発する間もなく、彼は階段をすたすたと上っていく。

 僕もビオラちゃんを抱きしめる形で彼の後を着いていった。

 ◇ 

「ここが書斎だ。絵本は一番奥の棚にある」

 信永くんに案内された部屋は、また更に広い。本棚が何個も設置されており、その中に机がポツンと置かれている。
 信永くんに言われた場所へと向かうと絵本を含めた児童書が置かれている。
 僕は背表紙のタイトルを次々に見ると、自然と眉間に皺が寄る。
 
 敦さんは絵本を読ませてって言ってたけれど、結局何を読めばいいんだ?
 今話題の絵本ってなんだろう。
 無難に有名な昔話や童話が良いかな。

「この部屋って誰かが使ってたの?」

 沈黙が苦手なので、適当な質問を投げかける。

「親父が使ってた」信永くんは分厚い本を漁りながらそう答える。

 そう言えば、信永くんたちの両親って見たことない。僕が子守係をするってこと知ってるのかな。

「お父さんって今は別でお仕事してるの?」

「親父は数年前に亡くなった」

「……」

 僕は瞬時に地雷を踏んだと悟った。信永くんからすれば事実なんだろうが、僕にとっては気まずい。他愛のない話の筈が空気が一気に重く感じた。

「お前は?」

「え?」

「俺も言ったんだから、お前の家族はどうなんだよ」

「お、お父さんはいるけれど……いつも夜勤で全く話せてない」

 僕もありのままのことを話した。すると、「ふーん」と大して興味もない声が返ってきた。
 もう気にしないようにしようと、適当に絵本を取り出す。
 
「桃太郎にしようかな」

 正直言って、ビオラちゃんの好き嫌いを把握できてないし。

「読み聞かせってどこですればいいの?」

「子供部屋があるから案内する」

「そ、そうなんだ。ありがとう」

 本当に、人形を子供扱いしてるんだなぁ。

 そう思いながら、信永くんの背中を追い続けた。子供部屋は書斎の隣にあった。確かに、いくつもの小さなベッドと洋服が置いてある。人形が寝るにしては少し広々とした印象だ。信永くんにビオラちゃんが寝ている場所を尋ねると、「あの一番奥のベッド」と指を指した。

 僕はその近くのソファに座る。隣にビオラちゃんを置いて、絵本が見える位置に移動した。そこで僕はとあることに気が付く。

「何で、信永くんもいるの?」

「は? 俺がいちゃ悪いかよ」

「いや、そうじゃないんだけれど……」

 信永くんは僕らのやりとりを胡坐をかきながら眺めていた。未だ見慣れない美形がどうしても目にチラつく。荒っぽい態度でも様になるのは顔が整っている人たちの特有の権利なのかな。
 信永くんは早くしろよと急かす。僕は、背中を押されるような感覚で絵本を読み聞かせ始めた。

「えっと、……『そこに川から大きな桃が、ドンブラコドンブラコと流れてきました』」

 どうしよう。やり方はこれで合ってるのかな。小学校の時に、朝自習で図書委員会の人たちが読み聞かせをしにきたことはあったが、まさか自分が本を読み聞かせる側になるだなんて思いもよらない。
 しかも、相手は人間ではなく人形だ。

 新手の拷問と勘違いされそうだが、実際罰ゲームを受けているような感覚だった。ビオラちゃんはうんともすんとも反応しないし、僕もどう対応していいか分からなくなる。ましてや人間の信永くんも、お話に夢中なのか無反応を貫いているのだ。

 やがて一通り読み聞かせを終えると、信永くんが気の抜けた声で腕を伸ばす。そして、次の瞬間「お前、読み聞かせ下手くそだな」と毒を吐かれた。

「それじゃただ読んでるだろーが。それくらい園児でもできるぞ」

「しょうがないじゃん。僕、本なんてあまり読まないもん……。それに……」

「……それに? 何だよ」

 まるで言ってみろと挑発されている。僕は僅かに躊躇ったあと、慎重に言葉を選んだ。

「に、人形だから……反応がなくて、やりにくいっていうか……」