菊山家の日本人形子守係

 
 下校時、僕は普段とは反対方向の歩道へと進む。椿坂さんはやる事があるみたいで、先に自宅の方に帰っているようだ。
 大和さんたちには、用事があって帰り遅くなるとだけ連絡してある。彼に案内された地図を頼りに歩くと、一際目立つ一軒家を見つける。

 西洋館のようなレンガ造りと、菊山家とは対照的である。表札には「椿坂」と彫られていた。

 この家にもしかしたら信永くんがいる。そう考えれば考える程、足がすくむ。この正門を潜り抜ければ相手のテリトリー内だ。
 
 取り付けられたインターホンを押すと、「はーい」と気の抜けた返事と共に鉄格子の門が自動的に開く。近未来的な仕組みに怖気付き、退きそうなったが、息を呑んで前を歩く。

「やぁ、いらっしゃい。音羽くん」
「どうも……」

 玄関から椿坂さんが気前よく出迎えてくれた。ほっそりした色白の手で振られ、その華奢さに僕はビクつく。椿坂さんはそんな事には気付かず、上がるよう促す。

「散らかってるかもって、ちょっと掃除はしたんだ」
「これで、散らかってるんですか?」

 元々一軒家自体が普通のより広大で、そのちょっとさを理解できない。物が少ないと言うよりも、整理整頓されすっきりした内装だ。
 
 彼に案内された部屋に入ると、まず初めに人の目玉と目が合い思わず情けない声が出る。

「に、人形……?!」
「そうそう今、製作途中の物なんだけれど……」 

 椿坂さんは人形の頭部を持ち出し、僕に見せつける。青白い肌から緑色のガラス玉に覗き込むと、唖然とした僕の顔が映る。
 と言うよりも人形師は、ここまで緻密な技術を表現する事ができるのかと尊敬してしまった。ちらりと視線を外すと、人形サイズのロリータドレスが設置されている。
 
「これも……椿坂さんのが?」
「うん。お洋服ってついつい作るのが楽しくなっちゃうんだよね。だって、()()()()にはカッコよくや、可愛くしたいでしょう」

 子供たちと言う表現が引っ掛かったが、やはり、彼は人形の事を我が子のように言う。
 信永くんを探しに行くという本目的を忘れかけていた。だが、彼の唐突な質問で現実に引き戻される。
 
「音羽くん。この前あげたマスコットは気に入ってくれたかな?」

 用意されたティーカップに口付けしようとした時だ。心臓の血流が一瞬だけ停止した感覚に呑まれる。
 
「……え」
「音羽くん、凄く喜んでくれてたから作った甲斐があるなぁって」
「……本当にそう思ってるんですか?」
「え?」

 不本意な声の隙に、僕はむっと睨み付けた。
 
「あんな物、誰が喜ぶんですか」

 予想とは違った返し方に、椿坂さんは拍子抜けをする。言葉の意味を隅々まで理解した後、静かに「あぁ」と唸った。

「もしかして中身を見たのかい? 駄目じゃないかそんな事しちゃ。御守りとかもそうだけれど、君って見ちゃいけないものを見ちゃうタイプなのかなぁ。いずれバチが当たっちゃうよ?」

 そう教える割には、随分と愉快げな態度である。僕がそうなっても良いような感じで気味が悪い。
「どうしてこんな事を……」
「どうして? 人形が好きだからだよ」

 そんな簡単な事も分からないのかと馬鹿にされた気分だ。だからと言って、マスコットの中身に人間の髪の毛を入れる人の気がしれない。

 信永くんたちがどうしてこの人に警戒心が強いのか、今やっと分かった気がする。

「勿論、家系が人形師でもあるからね。だけど、普通に製作するのも面白くないから人々の()()()()()()()()を中にねじ込ませてるんだ」
「大切な物?」
「付喪神の話を聞いた事があるでしょ? 物を大切にすればするほど、魂が宿って生きているみたいになる。その大切な物が何かは、人それぞれだ。中には結婚指輪とか、お守りとか。ユニークな物だと爪とか眼球とかね」
 
「勿論、髪の毛……とかね」人形の頭部を撫でながら目を細められ、背筋が凍り付く。
 
「まさか、心を作るって……」
 
「大切な物には何でも()が込められているんだ。でも、その思いが決して良い物とは限らない。僕は依頼される上で、()()()()()()()()()()()()()()()って思いながら作っているよ」

「そうだ。大切な物といえば……唯一()()()()()()()()人形も居たっけ」何かを思い出したのか、椿坂さんは僕を制して部屋を出て行ってしまう。

 数分して戻ってきた彼の腕に抱き抱えられた人形に見覚えがあった。真っ赤な花柄の着物と、艶やかな黒髪のおかっぱ頭。
 柔らかな顔立ちに一気に昔の記憶が蘇る。

 瞬時に僕はその人形に向かって叫んだ。

「棗ちゃん……?!」
 
「この子、ゴミ捨て場に捨てられてたみたいでさぁ。よくよく見たら僕が作った人形だったんだよ。そっか、この子は「棗ちゃん」って呼ばれていたのか。随分と可愛がられていたんだね」

 椿坂さんは櫛で彼女の黒髪を丁寧にとかす。

「そっか。音羽と言う苗字を聞いた事あるって思ったら、棗ちゃん制作の依頼主も音羽だったっけ」

「お母さんを知っているの……?」

「うーん。知っているっていえばそうだなぁ」

 随分と曖昧な反応が鼻に付く。のらりくらりとした態度に、次第に焦燥感が襲いかかった。僕は深く考え込む彼の答えを静かに聞いていた。

「確か十年前ぐらいの事だった気がするなぁ。詳しい事は覚えてないんだけれど、ちょうど彼女を作って欲しいと頼まれたんだ。「息子にプレゼントしたい」って言っててね。男の子が人形好きだなんて可愛いなぁの程度で制作した記憶があるよ」

 椿坂さんの発言が、以前までバラバラだったピースのように一気に合わさる。制作秘話の裏にはこのような出来事が隠されていたのか。
 
「それでねお代は要らないから、代わりに君の一番大切な物を頂戴って言ったんだ。そしたら君のお母さん、何をくれたと思う?」
「わ、分からない……」
「正解は()だよ」
 
 愛。
 それが何を意味するのかは、すぐに分かった。

「どうやら音羽くんのお母さんと僕って同級生だったっぽくってさぁ。僕のことが好きだったみたい、でも結婚してるんでしょうって言ってもそれでもいいって。それからは、夜な夜な彼女と会う機会が多くなったよ」

 重く語られる内容が、こうもあっさりしていると複雑な心境へと変わる。本当にお父さんの言った通りだった。

 彼に目移りするお母さんもだが、それを受け入れるこの人も大概だ。まさに、どこを掘っても人形の事ばかりだ。
 
「まぁ、結局すぐに交通事故で死んじゃったんだけれどね」

 可哀想とも口に出さない分、僕はあの世にいる母親に気の毒さを感じた。

「うーん。僕って、昔から人を惹きつける力があるみたいでこう言う事は何度もあったんだ。みんな、向こうが勝手に満足するのを見て、何とも思わなかったけれどね」
「じゃあ、信永くんのお母さんも……」
「あぁ、確かにそうだね。彼女もまた、好きだって言ってくれたよ」
「何で、何でそんな事したんですか!!」
「えぇ、そんなに怒られても……。僕はただ、愛に応えただけだよ。別に何も悪い事はしてないだろう?」

 薄情さがいっそのこと清々しく覚える。怒りの矛先は、そんなことではない。

「あなたは、人の気持ちが分からないんですか……?」
「それはそうだよ。君は神様にでもなるつもりなのかい? 誰からも好かれるなんて事はできないよ」
「そうじゃないです。今の話を聞いて、椿坂さんがどれだけ人の事を馬鹿にしていたのか、分からないんですか?」
「馬鹿にしていた、か。ねぇ……」

 まるでそんなつもりはないとでも言いたげだ。だが、ここまでくればそう誤解や確信を持たれても仕方ない。

「僕は誠心誠意で依頼主に向き合ってた気でいたんだけれど、可笑しかったのかな」
   
  その無自覚さに眩暈を起こしそうだ。曖昧な表現が鈍感さを物語らせる。暫くの間沈黙が流れた。だが、それを破ったのは向こう側だった。

「そう言えば、信永くんを探してるんだよね? 彼ならこの部屋の奥にいるよ。ちょうど見せたい物があるから着いてきてよ」

 棗ちゃんをテーブルの上に置き、ゆらゆらとした足取りで扉の方へと向かった。僕はどうしてか、棗ちゃんを抱き、一緒に向かった。
 彼の見せたい物って何なんだろう。

 胸騒ぎに堪えつつ、彼の行先を着いていく。扉を抜け、そこに広がっていたのは真っ白な空間だ。しかし、驚くのはそこだけじゃない。

「何……これ、ひ、人……?!」

 部屋の至る所に横たわる人間が何人もいた。顔は青白く、みんな呆然としている。気力が失われているのか、口から涎を垂らしている者もいた。

 しかし、どれも儚い印象を抱かせるのは、彼らに着せられた綺麗なドレスやタキシードが原因だ。それだけではなく、頭に花などの小物が装飾として施されてる。

 着せ替え人形。
 僕にはそう頭の中で解釈してしまった。

 ふと、椿坂さんは呟く。

「僕には夢があるんだ」
「夢?」

 僕は棗ちゃんをギュッと抱きしめながら言い直す。
 
「ねぇ、人間と人形の根本的な違いって何だと思う? 僕はね、生きているか生きてないかの違いだって思うんだ」

 いまいち彼の言いたい事が読めない。それでも満足するかのように語り出す。

「生きるって事は、呼吸をする事。鮮度のいい酸素を口や鼻からいっぱい吸って、汚れた二酸化炭素を思い切り吐き出すんだよ。そして、その二酸化炭素は植物の光合成の糧になる。こうやって、生き物は支え合って生きていくからねぇ。所謂持ちつ持たれつの関係、かな」

 椿坂さんは更に続ける。

「でもね。人形に物理的に魂を宿すのは流石の職人の僕でもできない。そこで僕は考えた訳だよ、人間が人形になれば良いってね」
「……へ?」
「幸い僕は、人を魅了する力がある。みんな僕の事を求めているなら、まずは僕に従ってくれれば良いんだって。そしたら、ずっと一緒にいられる。僕はそんな生きた人形を作ってみたい」

「……」

「音羽くん、ほら見てよ。あそこ」
    
「え? の、信永くん……!!」

 彼が指差す方向には、ぐったりとする信永くんの姿があった。完全に気を失っているようで、僕の呼び声には気づく事はない。
 そして、彼らと同じようにフォーマルな衣装を着せられた。

「彼は最高傑作になりそうなんだ。くっきりした二重目とバサバサした睫毛。それに滑らかな肌と形のいい唇。そこら辺の女性よりも優良だよ」

「いや、嫌だ……! 信永くん!!!」

 急いで駆け寄り、彼の肩を揺さぶる。すると、僅かに「うっ」という声が聞こえた。
 
「信永くんは賢いけれど、警戒心が裏目に出ちゃってるね。そうでなきゃ、此処にわざわざ向かうなんていう愚かな事をする筈がないよね」

 彼の足音が鮮明に聞こえる。僕は信永くんを守るように、彼の前に立つ。

「音羽くん。さぁ、こっちにおいで?」
「信永くんに近付かないで」
「もう、二人して聞き分けのない子たちだなぁ。仕方がない、ちょっと痛いかもだけど……」

 目の前に手が現れ、不意に首を思い切り叩かれる。舌を噛む様な気持ち悪さが相まって、床に倒れ込んだ。

「げほっ、……何して……痛っ?!」

「音羽くんもああなりたくないんだよね? なら、大人しく聞いてくれるよね」

「離して、信永くん助けて!」

 華奢な彼とは思えない程、強い力で引っ張られる。呆気にとられ、抱えていた棗ちゃんを落としてしまった。

「棗ちゃん、棗ちゃん!!」
「大丈夫だよ。彼らは生きているから、何も心配する事はないよ」

 僕は必死に手を伸ばす。それでも、椿坂さんには逆らうことは難しい。

 カチャン

「ん?」

 ふと、ガラスが割れる様な音が聞こえる。顔を上げると、部屋の真ん中に液体の溢れたガラスが割れてあった。

「あれー? 何でこんな所に水が溢れてんだろう」彼の視線がそちらに行き、僕は乱雑に床倒れる。
 僕は間一髪の所で、信永くんの方へ向かい必死に揺さぶった。

 その瞬間、

「ぎゃあぁぁぁ!!」

と椿坂さんの断末魔が響く。恐る恐るその方向を見ると、椿坂さんの周りを炎が取り巻いていた。

 一体、何が起こったのか分からなかった。

 どうして火が燃え……。

「……んっ」
「信永くん!! 起きた?!」
「あー? 俺、ここで何して……。って、は?」

 殴られたのか、後頭部を仕切に触る信永くんに僕は涙が出そうになる。

「良かった……。信永くん」
「暖、お前どうしてここにいるんだよ……」
「は、話は後で! 今すぐ此処から逃げよう!」
「は? おい、ちょっと待てよ?!」

 困惑気味の彼を無理矢理立たせ、急いで部屋を出ようとする。椿坂さんは炎の熱さに囚われ、身動きが取れない様だ。
 アルコールが充満したのか、火の海は徐々にこの部屋を侵食しようとしている。

「おい、何がどうなってるんだ?! 椿坂の家が火事になって……。あの火だるまって椿坂か?!」
「良いから!! 急いで行かないと!」

 僕は彼の腕を掴み、必死に逃げる。もう片方には棗ちゃんを抱き、生死の瀬戸際を彷徨っているみたいだ。

「棗ちゃんごめんね、一緒に逃げようね」

 彼女がその返事に答えてくれる訳がない。僕は最初から、棗ちゃんに心からの謝罪をするべきだった。
 
 しかし、炎は瞬く間に広がり逃げる僕らの足止めをするる。廊下の奥からは火人間と化した椿坂さんが追ってきた。

「あいつ……ヒョロもやしのくせに、しぶといな……!」
「ど、どうしよ!」

 空間内の温度も上昇し、額には滝汗が流れる。煙も吸わない様に努力しているが、気を抜けばむせ返るほど黒煙が舞っている。

 信永くんは、落ちてきた壁の破片を彼に向かって投げる。

「さっさとくたばっちまえよ!! そんで、地獄から戻ってくんな!」

 拍子に天井の壁も剥がれ落ち、僕らはギリギリのラインで助かる。炎は家全体を包み、あの優雅な状態は何も残っていない。
 僕は咄嗟の事で転んでしまい、棗ちゃんを落としてしまう。彼女は火の海の波打ち際へと転がった。

「棗ちゃん!」
「馬鹿野郎! 死にてーのか?!」
「だって、棗ちゃんが!」
「良いから。それよりも俺らの方が大事だ。玄関を出たら、急いで助けを呼ぶぞ」

 不思議と立場が逆転し、僕はまた引きずられる様に玄関へと向かう。僕はどうしても諦めきれず、彼女に手を伸ばすばかりだ。
 
 そんな中。
 
――暖。

「棗ちゃん?」

――私の声が聞こえるのね。ずっと、怖がらせてごめんなさい。

「そ、そんな事ないよ……! 僕が悪いんだ。ねぇ、一緒に逃げようよ」

 しかし、棗ちゃんは無情にもその呼びかけには答えてくれない。

――一緒にいる時間はとっても少なかったけれど、
あなたと過ごせて楽しかった。でも、本当はもっと一緒に居たかったなぁ。また、暖に会えたらいいな。

 その言葉が、一体何を意味するのか分かりたくもなかった。顔は涙と汗でぐちゃぐちゃで酷い有様で、みっともないけれど、それでも嫌だった。

――後は私に任せて。暖も元気でね。

「嫌……」

――さようなら、暖。

 


 信永くんが勢いよく玄関を開けると、そこには既に野次馬でいっぱいだった。消防隊と警察官も丁度到着した様で、汗だくの僕らを見て急いで駆け付けた。
 
 そこには敦くんと大和さん、小椿くんもいた。彼らは僕らを見るなり、大声で名前を呼ぶ。

 消防隊の人に抱えられた僕は、あの家に戻ろうと必死で抵抗した。

「棗ちゃん!! 棗ちゃん嫌だよぉ……。置いていけない、棗ちゃんを一人なんて……!!」

 僕はただ、やるせない気持ちを懸命に泣き叫ぶことしかできなかった。