菊山家の日本人形子守係

「頼む。俺の代わりにこの提出物を届けに行ってくれないか!」

 そう頭を下げられたのは、放課後真っ只中のこと。帰りの準備も終わり、教室を出ようとした時だった。

音羽(おとわ) (だん)くんだったよな」

「うん。そうだけれど」

 クラスでそんなに話さない奴に声をかけられた。

 確か、名前は真白(ましろ)くん。
 席は前の方に座っている真面目な奴。勉強熱心でクラスのみんなの頼りにされて、あだ名が委員長。

 そんな人が僕に一体何の用なんだ?

 首を傾げると、彼の胸元には問題集たっぷりのファイルを抱えている。

「確かさ、音羽くんって菊山の家の方を通るよな」

「え?」

 菊山と聞いて僕は目を丸くした。僕の返答もなしに彼は懇願し始めた。

「ごめん、今日さ塾のテストがあってすぐに帰らないと行けないんだ。悪いんだけれど、代わりに菊山に届けてもらえないか?」

 「頼むこの通り」と再びお願いされる。

「菊山くんって、あの大きなお家に住んでいる?」

 帰り道を一人で歩くと、嫌でも目に入る和風の屋敷。想像を働かせると、真白くんは勢いよく頷いた。

「そうそう! あいつあまり来ないからさ、提出物とかいつも帰り際に置いて置いてるんだけれど、今日に限って急がないと行けなくて……」

 申し訳なさそうな声色に僕は渋々頷いていた。

「分かった……」

「本当か?! ありがとう、音羽くん。じゃあ、これが提出物な。重いからこの手提げを貸すよ」

「え、でもそしたら……」

「大丈夫。あいつはちゃんと物事の理解はできる奴だから。そのうち返してもらえるんだ。本当マジ助かる、ありがとうな!」

「う、うん」

 僕の返事を聞いて彼は更に顔を綻ばせた。そして、「じゃあ、また明日」と手を振って去ってしまった。

 取り残された僕はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。





「えっと……確かこの家で合っていた筈」

 帰り際、いつもとは違う道に寄る。記憶を頼りに進むと目の前に大きな家が建っていた。

 一度もお邪魔した事のない家を何故僕が知っているかと言うと、それはクラスでの噂が原因だ。

「二年三組の菊山は相当な金持ちの家である」

 そんな噂がいつ流れたのかはよく分かっていない。気が付いたらみんなが口々に言うせいで耳に残っていた。
 そして、噂通りの立派な和風御屋敷である。数メートル進むと、整備された砂利道に繋がる。横を見れば盆栽などの緑装飾が目立つ。

 僕は玄関に辿り着くまでに、何と言って彼に提出物を渡すか考えていた。

 菊山くん。
 名前は確か、菊山(きくやま)信永(のぶなが)くん。
 どんな顔をしていた人なのかは覚えていない。僕は特段に仲の良い人がいないため、顔も名前も授業中のグループ活動ででお世話になった人しか把握していない。

 だけど、菊山くんは覚えていた。彼は不登校で滅多に教室に顔を出さないからだ。

 おまけに実家が太いため、会社でも継いでるとか海外旅行で暫くいないとか、根も葉もない噂が絶えないのはそのせい。
 しかし、真白くんの話だとそんな事はないらしい。

 全て捏ち上げだと分かっても、相手とは初対面だ。僕が一方的に名前を知っているだけで、彼は僕が誰かも分からないだろう。

 何せ話した事もないからな。

 不安が収まらないまま、僕はインターホンを押す。ピンポンと家内に反響した。

「はーい。どちら様?」

 スピーカーから男性の声が聞こえてきた。僕は肩を震わせ、「あ、いや……」と漏らしてしまう。

「僕、菊山信永くんのクラスメイトです。今日、先生から渡したい物を届けに……」

「あー。ちょっと待っててー」

 気だるげそうな声と共にプツリと受信は途絶える。そして、数秒もしないうちに足音が聞こえてきた。僕は唾を飲み込み、扉を凝視する。

 引き戸が勢いよく開かれた。中からは金髪の男性が出てきた。髪が長いのか、下でお団子のように括っている。

「ひぃ」

 喉元が引っ込む。

「んー?」

 男性はサングラスを掛け、タンクトップとダメージジーンズを履いている。肌露出の多さに思わず顔が引き攣ってしまいそうになった。
 しかし、彼の片腕に龍の絵が刻まれているのを見て僕は我慢できず真っ青にさせた。

 やばい。
 もしかして菊山くんのお家って、そっち系ってこと?

 考え出したら嫌な妄想が止まらない。菊山くんが中々学校にこないのも家庭事情が関係している。

 この提出物を出したらさっさと帰ろう。

「あれ、真白くんじゃないのか」男性は僕の体を舐め回す様に見つめて呟く。
 
 勇気を振り絞って彼の前に提出物を差し出した。

「は、初めまして。の、信永くんと同じクラスの音羽です。これ、信永くんに渡してもらえませんか?」

 次に何を言われるのか怖くなり思い切り目を瞑る。僕の勢いに圧倒されたのか、「お、おう」という引いた返事が返ってきた。

「わざわざありがとな。後であいつが学校に行く時にお礼言うように伝えとくから」

「え?! い、いや大丈夫ですよ!」

 僕は全力で両手を振った。
 何せ初対面の人と他愛のない話をするのは苦手である。ぶっちゃけた話、心の中で思っててくれれば良い。

 しかし、相手は納得がいってないようで正直どうでも良くなってきてしまった。

 渡す物も渡したし、そろそろ帰りたい。適当に言って帰ろう。そうしよう。

「で、では僕はこの辺で……。お邪魔しました」

「待って」

「は、はい?!」

 いきなり呼び止められ、肩が大きくビクつく。彼の方を見るとサングラスレンズがキランと輝いた。
 僕は無意識に一歩後退りをした。

 彼は眉を顰め、こう尋ねてきた。

「君、音羽くんだったよね?」

「あ、はい! そうですけれど……」

 な、何を言われるんだろう。
 次第に喉が渇き始め、彼の言葉を待った。しかし、出された質問は予想を超えるものだった。

「もしかして、香水とか付けてたりしてる?」

「……へ? そんな事は……」

 そんな事はない。と言い切る前に、彼は「そうだよなぁ」と呟き自己解釈する。

「だよな。俺の勘違いだったみたいだ。気にしないでくれ」

 勘違い?
 一体何のことだろう。

 難しそうな顔になった男性を見て首を傾げる。すると、家の廊下から新たな足音が聞こえてきた。

「何だよ、客か?」随分と不機嫌そうな声のトーンだった。

 その途端に男性は勢いよく後ろを振り返った。

「おい信、クラスの子が来てるぞ。テメェ良い加減に学校行けや」

 忽ち現れる剣幕な雰囲気に、顔が強張る。唇が接着剤を塗られたみたいに強くくっ付いた。

 やっぱり危ない人だ……!

 しかし、相手も黙ってないようで更に僕の心が縮まる。

「あ? うるっせーな、いきなり何だよ」

「だから、テメェのクラスの子が来てるつってんじゃん」

「は、クラス?」

 声の主は僕の方をじっと見つめた。同時に僕も自然と目が彼の方に行く。目の前にいる彼の姿に、思わず瞼を数回瞬かせた。

 少し癖のある黒髪を胸辺りまで伸ばし、毛穴やニキビ一つない清潔な肌。そこから、切れ目の瞳が僕を睨み付けた。
 僕の平々凡々な容姿とは比べ物にならないくらい整っている。

 ……すごく綺麗な人。 

 そのまま数秒見惚れていると、彼は怪訝そうに言い放つ。

「誰だお前。同じクラスの奴?」