例の件から数日が経った。僕は菊山家へ通うのをやめ、学校でも信永くんと話すことはなくなっていた。すれ違っても視線は合わない。自分から突き放したはずなのに、後悔だけが積み重なっていく。
借りっぱなしのエプロンも返せないまま。菊山家の皆や敦くん、大和さんは今どうしているのだろう。
「次は体育か……」
気が重いまま更衣を済ませ、教室を出ようとした時、小椿くんに声をかけられた。
「一緒に行こう」
僕は、断る理由もなく頷く。廊下を並んで歩く中で、彼は唐突に言った。
「ねぇ、二人とも喧嘩したの?」
信永くんの話題に胸がざわつく。最近の様子から、クラスでも噂になっているらしい。
「信永、最近ずっと音羽くんと話してないしさ」
何も言えずにいると、小椿くんは静かに続けた。
「音羽くんって、自分の気持ちを言わないんじゃなくて、言えないんだよね」
その言葉に、何かを見透かされたような気がした。
「信永も同じだよ。二人とも、素直じゃない」
そして彼は最後に言った。
「信永は、ちゃんと話したいと思ってるよ」
◇
「じゃあ暖。行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
お父さんが夜勤で出かけると、家には僕一人。いつもは菊山家にいたから、人気のない静けさが少し苦手になった。あんな事がなければ、僕は今でも彼らとビオラちゃん達と過ごしていた筈だ。
信永くんとの蟠りもなく、いつもより楽しい学校生活を送れていたかもしれない。
そんなたらればを妄想しても、意味がないのは分かっている。
でも、一人の夜はどうしても怖かった。
「そうだ……僕、棗ちゃんの呪いをまだ……」
菊山家と協力して椿坂を突き止めようと計画し出した矢先だ。僕の呪いは着々と進行しており、対策を取らなければならない。
浄化の一環として子守係を務めていた訳だが、その仕事がなくなった以上とてつもない不安感に襲われた。
いつか、呪いに完全に蝕まれたらどうしよう。
このまま死んじゃうのかな……。
そんな考えが頭の中を巡り、寝付きが悪くなる。一刻も早く、明日が来て欲しいと願った。
その日の晩。ふと深夜に目が覚め、スマホに手を伸ばす。時刻は午前一時を回った様で、明日が来たとほっとした。
しかし、その安堵を掻き消すような大きな物音が部屋の外からした。同時に息が漏れ、思わず口を手で覆う。
ドンっ ドンっ
最初は家鳴りかと思ったが、次第に廊下を歩くような音が聞こえ僕はベッドから起き上がれずにいた。
お父さんが早く帰ってきたのかな。
「お、父さん……?」
自室の入り口まで行き、ドア越しから呼びかける。しかし、向こうからの反応はない。それどころか先程の足音も聞こえなくなった。
やっぱり、気のせい……?
ドタドタドタ
「ひっ」
それでも聞こえる音に、唯ならぬ気配を感じる。この音が父親のじゃないなら一体誰……。
僕には部屋を出て確かめる勇気なんてない。急いでベッドに潜り、事が収まるのを待つ。この家に知らない誰かがいる。
ホラー映画ではよくありそうな展開なんて起きて欲しくなかった。幸い、自分の部屋にはまだ来ていない。
逃げ様にも何処へ逃げればいいか分からないし、今はもう深夜だ。
どうしよう。
ふと、携帯に目がいき、そのままスクロールさせる。トーク履歴の一番上に信永くんの名前が目に入った。
信永くんならこんな時、「大した事ない」ってくだらなく笑ってくれるかな。
「な、何考えてんだよ僕。……もう、あそこには戻らないって決めてるのに」
でも、本当にこれでいいの?
言葉と内心の矛盾さに胸の奥がずんと重くなった。
ドタ ドタ
「まただ……」
僕は気が付けば、信永くんのトーク画面から着信ボタンを探していた。
どうしよう、こんな時間に出てくれるかな。
迷惑って怒られるよなぁ……。
だけど、言いたい事は言わないと伝わらないことがある。小椿くんが教えてくれたように、僕も変わらないといけない。
あの時、僕のせいで信永くんが悲しい顔をしていた。本当は誤解されたまま終わりたくない。
意を決して、受話器ボタンを押す。プルルルルと着信音が部屋中に響き、僕は今か今かと待った。すると、程なくしてプツっという受信音が聞こえた。
僕は思い切って画面に話しかけた。
「も、もしもし? の、信永くんこんな時間にごめんね」
「…………おう」
信永くんの声は至って普通で、それだけで安心した。僕は次の言葉を発そうと口を開いた。
「あのね……。っひ」
部屋の外から再び、
ドタドタドタ ドタドタドタ
と今度は走る音が聞こえてきた。そして仕舞いには、コンコンと扉をノックする音も聞こえた。僕は思わず枕を抱きしめて、身を縮こませた。
「や、嫌だ……」
「おい、どうした?」
信永くんも様子がおかしいと気付き、訝しげな声が飛ぶ。
いつものぶっきらぼうな声に、目尻が熱くなった。僕は懇願する思いで、投げかけた。
「家の中に誰か居るみたいなの。ずっと、廊下を走る音が聞こえてきて……怖くて。さっき、部屋のドアをノックされて……」
「家の中には誰かいないのか?」
「いない。最初はお父さんかなって思ったけれど、それも違うみたいで……。どうしたらいいか分からなくて……。の、信永くんなら聞いてくれるかなって都合の良い話何だろうけれど……」
「……」
「本当に、関係ないって突き放して悲しい思いをさせてごめんなさい。信永くんは僕が嫌がってたの知ってて、お父さんに言ってくれたんだよね。だから、庇ってくれて凄く嬉しかったの」
とめどなく涙が溢れ、僕は目を擦りながらひたすら喋る。信永くんの返事はないが、それでも言いたい事を言えずに居るのは嫌だった。
「僕の事嫌いになってもいいから、でもそれだけは言いたかったの。もう、突き放すことはしないし、信永くんが嫌ならもう離れるから。本当にごめんなさい……」
終始自分でも何を言ったのか覚えていない。黙って聞いてくれる彼が次にどんな言葉を発するのか鼓動が痛い。
沈黙が続く中、スピーカーの波紋が揺れ出した。
「お前、今部屋のどこにいる? 自室か?」
「う、うん……」
「そこって窓はあったよな」
「あるよ。……何しようとしてるの?」
何故か嫌な予感がして、信永くんに疑問をぶつけた。すると、画面の奥から物音と共に、部屋を出る様な扉の閉音も聞こえた。
僕は瞬時に彼がこれから何をするのか分かってしまった。
「いいか、絶対部屋の外には出るなよ。俺がお前の家に着くまでそこで待ってろ」
「だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫だから言ってんだろ。鷹山とかクラスの奴らに言われたら速攻で切るけど、暖は別だから」
「信永くん……」
「俺も悪かったって思ってる。大体、人には人の事情があるのに、ズケズケと入り込まれたら嫌なのはそうだし……」
しおらしい声が耳を撫で、無意識に首を横に振った。
「そんな事ない。僕、本当に嬉しかったんだから。誰かにこんなに気にかけられているなんてなかったから……」
お母さんが亡くなって以降、特に家庭環境の劣悪さはなかった。しかし、僕らの間にはどこかズレが生じてお互い目を背けていた。
本当は最初から話し合わなければならなかった。もしかしたら、棗ちゃんの件もこんな事にならなかった。あの時も僕がしっかり声を上げれば良かった話だ。
今更後悔しても遅いんだけれど。
「今、家の玄関を出たから」
「ねぇ、こんな時間に家を出ても大丈夫なの? 大和さんたち心配しない?」
「別に構わねーよ。二人はもう寝てるし、後で連絡すればいいだろ」
信永くんの気楽さは正直見習いたい。しかし、深夜に高校生が出歩くのも流石に気が引ける。僕も向かうと提案すれば、「怖いのにどうやって行くんだよ」と却下された。
「取り敢えず、お前はそこで待ってろ。部屋の窓の鍵を開けてくれたらノックするから」
「あ、ありがとう……」
「気にすんなよ。そうそう、今、家の門出たから、暫くすれば着くよ」
幸い、僕の家と菊山家がそこまで遠くないのがありがたい。しかし、信永くんは一定の場所を通るたびに報告してくるのだ。
「今、近くのコンビニに着いた。何か食いたい物あるか?」
「特にはないよ……」
また、
「今、近くの古本屋に着いたぜ。もうすぐだな」
「ねぇ、メリーさんみたいなことしなくていいから」
信永くんは恐らく僕を揶揄っている。僕が怖がれば、微かに鼻で笑う声がするのだ。
このせいで律儀に場所を教えるメリーさんは、真面目なんだなと余計な事を考えてしまう。ここまで通話は繋ぎっぱなしで、充電の心配をすると「気にすんなよ」と返された。
きっと、僕を安心させる為に敢えて繋いだままなんだろう。
本当に、信永くんは優しいなぁ。
やがて、信永くんが「アパートの前にきたぞ」と報告する。
「ちょっと待ってろ。一旦切る」ここで通話は一度終了したが、間も無くしてベランダから着地する音が聞こえる。同時に部屋の窓をノックされた。
「信永くん!!」
借りっぱなしのエプロンも返せないまま。菊山家の皆や敦くん、大和さんは今どうしているのだろう。
「次は体育か……」
気が重いまま更衣を済ませ、教室を出ようとした時、小椿くんに声をかけられた。
「一緒に行こう」
僕は、断る理由もなく頷く。廊下を並んで歩く中で、彼は唐突に言った。
「ねぇ、二人とも喧嘩したの?」
信永くんの話題に胸がざわつく。最近の様子から、クラスでも噂になっているらしい。
「信永、最近ずっと音羽くんと話してないしさ」
何も言えずにいると、小椿くんは静かに続けた。
「音羽くんって、自分の気持ちを言わないんじゃなくて、言えないんだよね」
その言葉に、何かを見透かされたような気がした。
「信永も同じだよ。二人とも、素直じゃない」
そして彼は最後に言った。
「信永は、ちゃんと話したいと思ってるよ」
◇
「じゃあ暖。行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
お父さんが夜勤で出かけると、家には僕一人。いつもは菊山家にいたから、人気のない静けさが少し苦手になった。あんな事がなければ、僕は今でも彼らとビオラちゃん達と過ごしていた筈だ。
信永くんとの蟠りもなく、いつもより楽しい学校生活を送れていたかもしれない。
そんなたらればを妄想しても、意味がないのは分かっている。
でも、一人の夜はどうしても怖かった。
「そうだ……僕、棗ちゃんの呪いをまだ……」
菊山家と協力して椿坂を突き止めようと計画し出した矢先だ。僕の呪いは着々と進行しており、対策を取らなければならない。
浄化の一環として子守係を務めていた訳だが、その仕事がなくなった以上とてつもない不安感に襲われた。
いつか、呪いに完全に蝕まれたらどうしよう。
このまま死んじゃうのかな……。
そんな考えが頭の中を巡り、寝付きが悪くなる。一刻も早く、明日が来て欲しいと願った。
その日の晩。ふと深夜に目が覚め、スマホに手を伸ばす。時刻は午前一時を回った様で、明日が来たとほっとした。
しかし、その安堵を掻き消すような大きな物音が部屋の外からした。同時に息が漏れ、思わず口を手で覆う。
ドンっ ドンっ
最初は家鳴りかと思ったが、次第に廊下を歩くような音が聞こえ僕はベッドから起き上がれずにいた。
お父さんが早く帰ってきたのかな。
「お、父さん……?」
自室の入り口まで行き、ドア越しから呼びかける。しかし、向こうからの反応はない。それどころか先程の足音も聞こえなくなった。
やっぱり、気のせい……?
ドタドタドタ
「ひっ」
それでも聞こえる音に、唯ならぬ気配を感じる。この音が父親のじゃないなら一体誰……。
僕には部屋を出て確かめる勇気なんてない。急いでベッドに潜り、事が収まるのを待つ。この家に知らない誰かがいる。
ホラー映画ではよくありそうな展開なんて起きて欲しくなかった。幸い、自分の部屋にはまだ来ていない。
逃げ様にも何処へ逃げればいいか分からないし、今はもう深夜だ。
どうしよう。
ふと、携帯に目がいき、そのままスクロールさせる。トーク履歴の一番上に信永くんの名前が目に入った。
信永くんならこんな時、「大した事ない」ってくだらなく笑ってくれるかな。
「な、何考えてんだよ僕。……もう、あそこには戻らないって決めてるのに」
でも、本当にこれでいいの?
言葉と内心の矛盾さに胸の奥がずんと重くなった。
ドタ ドタ
「まただ……」
僕は気が付けば、信永くんのトーク画面から着信ボタンを探していた。
どうしよう、こんな時間に出てくれるかな。
迷惑って怒られるよなぁ……。
だけど、言いたい事は言わないと伝わらないことがある。小椿くんが教えてくれたように、僕も変わらないといけない。
あの時、僕のせいで信永くんが悲しい顔をしていた。本当は誤解されたまま終わりたくない。
意を決して、受話器ボタンを押す。プルルルルと着信音が部屋中に響き、僕は今か今かと待った。すると、程なくしてプツっという受信音が聞こえた。
僕は思い切って画面に話しかけた。
「も、もしもし? の、信永くんこんな時間にごめんね」
「…………おう」
信永くんの声は至って普通で、それだけで安心した。僕は次の言葉を発そうと口を開いた。
「あのね……。っひ」
部屋の外から再び、
ドタドタドタ ドタドタドタ
と今度は走る音が聞こえてきた。そして仕舞いには、コンコンと扉をノックする音も聞こえた。僕は思わず枕を抱きしめて、身を縮こませた。
「や、嫌だ……」
「おい、どうした?」
信永くんも様子がおかしいと気付き、訝しげな声が飛ぶ。
いつものぶっきらぼうな声に、目尻が熱くなった。僕は懇願する思いで、投げかけた。
「家の中に誰か居るみたいなの。ずっと、廊下を走る音が聞こえてきて……怖くて。さっき、部屋のドアをノックされて……」
「家の中には誰かいないのか?」
「いない。最初はお父さんかなって思ったけれど、それも違うみたいで……。どうしたらいいか分からなくて……。の、信永くんなら聞いてくれるかなって都合の良い話何だろうけれど……」
「……」
「本当に、関係ないって突き放して悲しい思いをさせてごめんなさい。信永くんは僕が嫌がってたの知ってて、お父さんに言ってくれたんだよね。だから、庇ってくれて凄く嬉しかったの」
とめどなく涙が溢れ、僕は目を擦りながらひたすら喋る。信永くんの返事はないが、それでも言いたい事を言えずに居るのは嫌だった。
「僕の事嫌いになってもいいから、でもそれだけは言いたかったの。もう、突き放すことはしないし、信永くんが嫌ならもう離れるから。本当にごめんなさい……」
終始自分でも何を言ったのか覚えていない。黙って聞いてくれる彼が次にどんな言葉を発するのか鼓動が痛い。
沈黙が続く中、スピーカーの波紋が揺れ出した。
「お前、今部屋のどこにいる? 自室か?」
「う、うん……」
「そこって窓はあったよな」
「あるよ。……何しようとしてるの?」
何故か嫌な予感がして、信永くんに疑問をぶつけた。すると、画面の奥から物音と共に、部屋を出る様な扉の閉音も聞こえた。
僕は瞬時に彼がこれから何をするのか分かってしまった。
「いいか、絶対部屋の外には出るなよ。俺がお前の家に着くまでそこで待ってろ」
「だ、大丈夫なの!?」
「大丈夫だから言ってんだろ。鷹山とかクラスの奴らに言われたら速攻で切るけど、暖は別だから」
「信永くん……」
「俺も悪かったって思ってる。大体、人には人の事情があるのに、ズケズケと入り込まれたら嫌なのはそうだし……」
しおらしい声が耳を撫で、無意識に首を横に振った。
「そんな事ない。僕、本当に嬉しかったんだから。誰かにこんなに気にかけられているなんてなかったから……」
お母さんが亡くなって以降、特に家庭環境の劣悪さはなかった。しかし、僕らの間にはどこかズレが生じてお互い目を背けていた。
本当は最初から話し合わなければならなかった。もしかしたら、棗ちゃんの件もこんな事にならなかった。あの時も僕がしっかり声を上げれば良かった話だ。
今更後悔しても遅いんだけれど。
「今、家の玄関を出たから」
「ねぇ、こんな時間に家を出ても大丈夫なの? 大和さんたち心配しない?」
「別に構わねーよ。二人はもう寝てるし、後で連絡すればいいだろ」
信永くんの気楽さは正直見習いたい。しかし、深夜に高校生が出歩くのも流石に気が引ける。僕も向かうと提案すれば、「怖いのにどうやって行くんだよ」と却下された。
「取り敢えず、お前はそこで待ってろ。部屋の窓の鍵を開けてくれたらノックするから」
「あ、ありがとう……」
「気にすんなよ。そうそう、今、家の門出たから、暫くすれば着くよ」
幸い、僕の家と菊山家がそこまで遠くないのがありがたい。しかし、信永くんは一定の場所を通るたびに報告してくるのだ。
「今、近くのコンビニに着いた。何か食いたい物あるか?」
「特にはないよ……」
また、
「今、近くの古本屋に着いたぜ。もうすぐだな」
「ねぇ、メリーさんみたいなことしなくていいから」
信永くんは恐らく僕を揶揄っている。僕が怖がれば、微かに鼻で笑う声がするのだ。
このせいで律儀に場所を教えるメリーさんは、真面目なんだなと余計な事を考えてしまう。ここまで通話は繋ぎっぱなしで、充電の心配をすると「気にすんなよ」と返された。
きっと、僕を安心させる為に敢えて繋いだままなんだろう。
本当に、信永くんは優しいなぁ。
やがて、信永くんが「アパートの前にきたぞ」と報告する。
「ちょっと待ってろ。一旦切る」ここで通話は一度終了したが、間も無くしてベランダから着地する音が聞こえる。同時に部屋の窓をノックされた。
「信永くん!!」

