◇
次の日。
僕たちは早めに登校をして、教室内でとある人を待ち伏せしていた。
「知り合いに椿坂を知っている人がいるって本当なの?」
「おう。本人に直接聞いても良いが、それじゃあ困るだろ。なら、第三者から情報を得るしかねーよな」
「だけど、一体誰が……」
そこで、信永くんのいうある人の正体を知った途端僕の心は憂鬱な気分が広がった。
「ほ、本当に大丈夫……?」
「別に平気だろ。何をそんなにビビってんだよ」
「だ、だってさ……」
その時、教室の扉が開かれ例の人物が登校してくる。
信永くんは僕を置いて真っ先に向かった。堂々とした歩き姿に僕は息を潜めて様子を伺っていた。
「おい」
信永くんに呼ばれた彼、小椿くんは一瞬目を丸くして立ち止まる。
まさか、椿坂さんの知り合いって小椿くんのことだったなんて。今朝言われたことが頭から離れられず、疲れがどっと押し寄せる。
しかも、第一発声が「おい」って。信永くん、本当に命知らずにも程があるよ……。
案の定、挑発した発言に小椿くんは眉を顰めていた。
まだ何も始まっていないのに、既に殺伐とした空気が漂う。
「信永……? 何?」
「ちょっと話したいことがあるんだけれどいい? こいつも連れて」
「ぐぇ!? ぼ、僕ぅ!?」
いきなり首根っこを掴まれ、信永くんに肩を抱かれる。
彼と僕の身長差はそれほどあるのに、この人は容赦なく腕を回した。
「な、何で? 信永くん一人で聞くんじゃなかったの?」
あたふたする僕を他所に信永くんは言い出す。
「逆にお前も知らないでどうするんだ。大体、これは暖も関わっていることなんだからな」
「そんなこと分かっているけれど……」
その刹那、小椿くんと目が合った。
彼は瞠目した後、すぐににこやかな笑顔に戻る。その笑みが笑ってないと瞬時に分かり、心の中は凍り付いていた。
何で僕、こんなに小椿くんに嫌われているんだろう。
良くない妄想がどんどん浮かび上がっていき、気分は更に落ち込んでいく。
「ずっと気になっていたけれど二人ってそんなに仲良かったんだ。俺、知らなかったよ」
「ちょっと色々あってな。んで、さっさとしてくんね?」
「信永は相変わらず、人使いが荒いんだから。音羽くんも困ったりするんじゃない?」
「ね?」同意を求められ、言われるがままに頷く。
信永くんの低い声が聞こえたような気がしたが知らないふりをした。
実際信永くんに振り回されているのは事実だし。
教室内が人で多くなってきたことに気付き、急いで廊下へ出る。
小椿くんは笑顔を崩さずに「それで何の用?」と尋ねてきた。
「単刀直入に言うんだけれど、椿坂の情報が欲しいんだ」
その瞬間、信永くんの言葉に彼の眉がピクリと動く。これは完全に疑われていると瞬時に理解できた。
「……どうして?」
「それがさ、こいつの母親が椿坂に依頼をしたみたいなんだよ。でも、確証はないから一番聞きやすそうなお前に尋ねてみたって訳」
信永くんが僕の方を指差しながら告げる。小椿くんの視線が僕の方へと移り、妙な緊張感を覚えた。
「音羽くん、それって本当なの?」
「ま、まだ分からないけれどね……。もしかしたらって思って」
「ねぇ、それが原因なの? 君が呪われている理由って」
「ど、どうして僕が呪われているって分かったの?」
その事は信永くんたちしか知らないのに。妙な事を突かれ、思わず質問を質問で返してしまった。小椿くんの表情は再び真顔へと変わる。
僕はこの冷たい目が凄く嫌だった。足がすくんでしまい、逃げようにも逃げ出せない。
すると、目の前に背中が立ちはだかった。信永が一段の低い声で「おい」と呟いた。
「お前、自分が今どんな顔してるか分かってるか? 暖がお前のこと怖いってよ」
「の、信永くん! 別に僕はそんなこと……」
「嘘付け。俺の目は誤魔化せねーぞ」
ギロリとした鋭い視線に自然と肩が萎縮する。
もしかして、助けてくれたの……?
僕がそう言う前に信永くんが彼に歩み寄る。
「何、突然」小椿くんの冷たい声色にドキリと鳴る。しかし、表情は笑っているせいで更に不気味だ。
「俺、何か変な事言ったかな。そもそも、信永たちが呼び出す時点で変だと思うけれど」
「お前、もしかして無理してんの?」
「……どう言う事?」
「俺、知ってるからな。鷹山が暖のこと怖がってるの」
「え?!」今度は僕が素っ頓狂な声を上げてしまう。
同時に数歩下がると、「そんなに驚くか?」と信永くんに首を傾げられた。
いやいや絶対驚くでしょ!
だって、小椿くんが僕のことを怖がるだなんて……。
「寧ろ、嫌われてるって思ってたから全く……」
「は? 鷹山お前、暖に何かやったのかよ」
「どうして俺が詰められる形になるの。そもそもその場合、疑うのは音羽くんの方じゃないの?」
自分だけ疑いを向けられたことが気に食わないのかジト目で訴えかける。しかし、信永くんの警戒心が解けることはない。それどころか、「本当かぁ?」とねっとりとした声で言い詰められていた。
「つーかよ、鷹山言ってなかったのか? お前も霊感があるってこと。少なくとも、暖が呪われていることぐらい察知してんだろー?」
「え、こ、小椿くんも霊感があるの……?」
恐る恐る尋ねると、やがて数秒も経たない内に観念したような溜息が返ってきた。小椿くんはやれやれと額に手を当て口を仕切りに動かす。
「まぁね。信永ほどじゃないけれど、多少なら視えるし感じるよ。だけど、僕は呪いに耐性がないから油断すると気持ちを持ってかれやすくなるんだ」
彼は僕の顔を見ては何度も目を逸らす。彼が僕の目を真っ直ぐ見ないのはそれが原因なんだ。
「お前、暖に行ってなかったのかよ」
「幽霊を信じない人もいるし、そもそも怖がらせるかもしれないでしょ。俺は信永みたいに、唐突に失礼な事なんて言わないから」
「はぁ?」
図星を突かれたようで信永くんは口角を引きつらせていた。「こいつ……」今にも飛び掛かりそうな勢いと、刃物のような視線に肌がすり減ってしまいそうになる。
だけど、同時に心の中の蟠りがすうっと解けてなくなった。
「良かった。僕、小椿くんに嫌われてるかもって思ってたから」
「え? 嫌う? そんなこと一度も思ったことないよ。寧ろ、音羽くんって優しい人なんだなって」
「嘘?!」
まさかの言葉に今度は心臓が飛び跳ねる。その様子がおかしかったのか、小椿くんは口元を抑えながら喉奥を鳴らす。
「だって、こんな信永の相手をしてる時点で心に余裕がなきゃできないよ。俺だったらすぐにほっぽり出すし」
「テメーしばくぞ」
またしても物騒な発言に肩の力が入るが、小椿くんは随分慣れているようでさらりと交わした。
いつも爽やかなイメージのある彼が信永くんに対しては軽く口を叩く。それだけ、彼には相当な信頼と本音を吐き出しているのだ。
「それで、椿坂さんのことについて知りたいんだよね?」
本題に入ろうと彼は快く引き受けてくれた。信永くんは言いたいことがあるような顔をしていたが、ぐっと堪えていた。
「最近はどうなんだ? お前、たまに手伝いにいくんだろ。その時の様子で何か変わったこととかあったか?」
「変わったこと……。そう言えば最近、あの人はいつも違った女性を連れてくるのは知っているよ」
「はぁ? 女性?」信永くんは訝しげに唱える。
小椿くんも疑問を抱いていたようで視線を彷徨わせながら語り始めた。
「多分依頼主の人たちなんだろうけれど、どうやら街中の喫茶店とかで合流してから来るみたい。最初はより良いものを作るための信頼関係を築いてるんだろうけれど……」
徐々に浮かない顔をする小椿くんに僕らは耳を更に傾ける。
「見ないんだよ。……依頼主が帰る姿」
「どういうことだ?」
「だからそのままの意味だよ。依頼者があの家から出るのを見たことないんだ」
そこまで言い切ると、信永くんは当然のごとく「はぁー?」と再び発した。それ且つ、馬鹿にしているのかと不快感を露わにしていた。
「そんなの簡単な話だろ? テメーが見てねー時に偶然帰ってるんだろ」
「でも、女性の鞄とか明らかに高い香水とか置いてあるんだよ。椿坂さんはそんなの使わないのに変だって思わない?」
未だ信じて貰えないのが悔しいのか、小椿くんは懸命に口を開いた。
しかし、小椿くんは何をしても聞く耳を持たない彼に漸く諦めた。そして案の定、次の説得相手は僕へと切り替わった。
一歩後退りをすると小椿くんもじりじりと迫り来る。
普段とは違う切羽詰まった表情に何も言えずにいた。
「音羽くんは信じてくれるよね?」
「え、えっと……」
「信じてくれないの? もしかしたら、音羽くんの知りたいことが分かるかもだよ」
「それは……そうなんだけれど」
煮え切らない態度の僕に小椿くんは不振がる。
今まで怖がっていた人との誤解が解けてほっとしているが、頭一つ分背の高い彼がぐいぐいくる姿を見てきょどってしまった。
「そんなに近づくなよ。怖がってるだろ」信永くんは再び守る様にして立ちはだかる。
まさかここでも庇ってくれるなんて思いもよらなかった。僕が「信永くん……」と呟くと、「大丈夫だから」と念を押された。
小椿くんはというと、彼を不思議そうに見つめるばかり。ふはっと抜けるような笑いが飛び出る。
「信永、やっぱり昔より丸くなった?」
「太ってるって言いてーのか?」
「そうじゃないよ。音羽くんに凄く甘いなぁって、随分と懐いてるんだ」
「は?! んな訳ねーし」
指摘されたことで信永くんは急いで離れた。彼の綺麗な肌が赤く染まっていることに気付くと、「ジロジロ見んな」と睨まれた。
小椿くんはそれでも食い下がった。
「でも椿坂さんのことを知りたいんでしょ? なら、嘘だと思ってもいいから話だけでも聞いてよ。あの人がおかしいのは事実なんだから」
椿坂さんの異常さには僕らも同意し、やっと話を進めることができる。
ただ、信永くんに至ってはずっと不機嫌そうだった。
「そいつは女癖が悪いってことぐらいしか分からねーな」
「いや、偶に男の人も連れてきてたよ」
「……マジかよ」
「あの人は良くも悪くもモテるからなぁ……。人誑しな所があるから、よく言い寄られているのは見たことあるよ。この学校でも結構人気だってクラスの女子も言ってたから。噂によるとファンクラブがあるみたいよ」
続けざまに話す彼に、信永くんは心底嫌そうな顔で手を横に振った。
「げぇ、あいつら趣味が悪いな」
「でも、あの人の心を動かすのはいつだって創作だった。女性よりも人形を作ることに夢中で、自分は何も関係ないみたいな顔をしている一番タチの悪い人だよ。本当、「来る者は拒まず去る者は追わず」みたいな感じかな」
そう言えば助けた時さえも、自分のことよりも創作に熱中していた気がする。信永くんの家を宝物庫と呼んでいたのはそういうことだったんだ。
信永くんはどうしても尻尾を掴みたいらしく、表情に焦りが滲み出ていた。
「なんかさ、依頼主の情報とか記された書類ってねーの?」
「書類? 言っとくけれど、個人情報だから無闇に扱えないよ。持ち出したことがバレたら大変だし」
「まぁ、そうだよなー」
「もしかしたら何か分かるかもしれないし。音羽くんと同じ苗字の女性がいたか調べてみるよ」
「ありがとう、小椿くん」
お礼を言えば「音羽くんが困っているならなんとかしないと」と柔らかな目で見つめられる。いつもの仏頂面とはかけ離れた対応にぎこちなく頷き返した。
これが小椿くんの本心なら僕は盛大な勘違いをしていた。
でも、これまでのことは謝ってくれたし一応結果オーライでいいんだよね?
小椿くんと別れた後、信永くんはやっと息を吐けたと大きな溜息を漏らす。
「本当、知れば知る程気色が悪い奴だな」
「た、確かに信永くんが苦手そうな人だよね」
「それに鷹山との話で触れなかったが、椿坂には変なオーラが纏わりついている」
「そうなの?」
霊感があると些細なことでも分かってしまうもんだ。怖い体験はしたことがあるが、霊感持ちだとそういった非科学的な出来事に慣れてしまうんだろう。
何せ、信永くんの家は日本人形子守係の家系だし。
いちいち呪いを怖がってたら仕方ないのかもしれない。だからこそ、椿坂さんの言動には警戒しているんだ。
「あいつは確実に……」信永くんはそこまで言いかけて口を閉ざす。
「信永くん?」
「いや、何でもねぇよ。そろそろ時間だから戻ろう」
信永くんは歩くスピードを速める。僕も彼の背中を追うように教室へと向かった。
◇
菊山家へと戻ると、敦くんが掃除機を片手に持ってやってくる。
「おかえりなさい、二人とも」そう優しく言う割には、額に汗をかいていた。
「何か騒がしいがどうした?」
珍しい様子に信永くんが彼に問いかける。
敦くんは言いずらそうに口を開いた。
「じ、実はシャクナゲちゃんの髪の毛が異様に伸びて、廊下中に髪が抜け落ちちゃって。恐らく地下室の呪いが原因だと思う……」
僕はビオラちゃんたちを思い出して、更に「え?」と聞き返した。
「か、髪が異様に伸びてるって……」聞いたことのない事情に耳を疑った。
しかし、信永くんはすぐに状況を察知したようで眉を顰めていた。
「大和はどこにいるんだ?」
「今、地下室で対処しているよ。でも危ないから近付くなって……」
「シャクナゲの様子は?」
「今は症状も落ち着いて安静にしている。でも、いつまたこんなことになるかは分からないから……」
不安気に漏らす彼に何も宥めることができなかった。子守係のプロでも悩ませる呪いなら、素人の僕が何を言っても駄目な気がした。
寧ろ、僕は呪われている立場で菊山家にお世話になっている。
こういった対処は専門の三人を信じるしかない。
信永くんは何かを思いついたのか、制服のズボンからスマホを取り出した。
そして誰かに電話をかけたようでそのまま玄関から出て行ってしまった。僕は敦くんに上がるよう促され、居間に荷物を置く。
間もなくして信永くんが戻ってきた。
「お、おかえり……。どうしたの?」
「さっき知り合いに電話してきた。もう少ししたら来るってさ」
「え? も、もう少し?」
一体何のことか分からず呆然としていると「早く動け」とぶっきらぼうに言われた。
僕は理由も聞かずに部屋へと向かった。
「あれ、ビオラちゃん?」
――暖くん、おかえりなさい。
机の上でちょこんと座るビオラちゃんは僕を待っていたようだ。
てか、どうしてここに……。
――嫌な気配がしたからここに避難してきたの。ここは落ち着くから。
「ひ、避難ってもしかして地下室のが原因で……?」
そう呟くと気前よく「ええ」と答えてくれる。彼女の落ち着くという言葉がどうしても引っ掛かった。
「僕だって呪われているのに……。大丈夫なの?」
自分は呪われている。だから、彼女たちに悪影響を与えかねない。呪いを解くために子守係を任されているが、僕の子守担当となった彼女だってつらい目には遭いたくないはずだ。
それでも嬉しそうに語りだす彼女が不思議で堪らなかった。
――最初はみんなそうなの。自分が呪われているなんて言われても分からないし、突然人形のお世話をするなんて信じられないのも分かるわ。でも、暖くんはとても優しくて暖かい。
「え?! そ、そんなことはないよ……」
寧ろ、恨まれているんじゃないか?
僕って人形を捨てたことあるし。初めて仕事の説明をしてもらった時も、人形を見て腰を抜かしそうになった。
今思えば菊山家に失礼な態度を取っちゃったと自責の念に駆られる。
「ねぇ、ビオラちゃんって椿坂さんに作って貰ったの?」
――主の名前を知っているのね。
「主? 椿坂さんのことか。みんなもそう呼んでいるの?」
――と言うよりもここに居る人形たちは殆どが主によって作られたから。
やはり、信永くんたちの話は本当だったらしい。
――ねぇ、何でわたしたちが呪われているか知ってる?
「え?」
――主はね、わたしたちを作る時は真心を込めて作っているの。
「真心……?」
――人形は人間とは違って心がないでしょう? だからね、主は心を作ってくれるの。
「心を作るって……よく分からないんだけれど」
彼女の言っていることがピンとこない。
そのような施しがされているとは思えない。もしかして、人形の構造的に中に何か埋め込まれているのかな。
「そ、そんなことしなくてもビオラちゃんには心があると思うよ」
――え?
「人工的な心でもビオラちゃんは凄く綺麗だし、そうじゃなくてもきっと君は優しいでしょ?」
初めて出会った時から、ビオラちゃんは僕のことを助けてくれた。信永くんとの誤解が解けたのはビオラちゃんのお陰でもある。
だからこそ、初めて彼らの力になりたいって思ったんだ。
その時、ビオラちゃんが何かを言いかけた。
――暖くん。あのね、わたし……。
「暖くん、ここに居たんですね。あれ、ビオラちゃんも一緒にいる」
様子を見に来た敦くんがドアを除き込む。入っていいよと手招きすると、「失礼します」と歩み寄ってくる。
「敦くんどうしたの?」
「助っ人の方が来ましたので今すぐ下に来てくれますか? 是非、暖くんに会いたいって」
「うん。分かった、じゃあビオラちゃんも連れて向かうね」
「うん」敦くんは頷いた後、すぐに一階へと戻ってしまった。
階段を下りる音を聞きながら、「ごめんねビオラちゃん。さっき何か言ってたよね?」と問いかける。
しかし、ビオラちゃんは、
――何でもない。大丈夫よ。
「本当?」
――ええ。それより、早く行きましょ。信永くんたちを待たせたら大変だもの。
「ふふ、それはそうだね」
着替えを済ませ、僕は彼女を抱きかかえて部屋を後にした。
次の日。
僕たちは早めに登校をして、教室内でとある人を待ち伏せしていた。
「知り合いに椿坂を知っている人がいるって本当なの?」
「おう。本人に直接聞いても良いが、それじゃあ困るだろ。なら、第三者から情報を得るしかねーよな」
「だけど、一体誰が……」
そこで、信永くんのいうある人の正体を知った途端僕の心は憂鬱な気分が広がった。
「ほ、本当に大丈夫……?」
「別に平気だろ。何をそんなにビビってんだよ」
「だ、だってさ……」
その時、教室の扉が開かれ例の人物が登校してくる。
信永くんは僕を置いて真っ先に向かった。堂々とした歩き姿に僕は息を潜めて様子を伺っていた。
「おい」
信永くんに呼ばれた彼、小椿くんは一瞬目を丸くして立ち止まる。
まさか、椿坂さんの知り合いって小椿くんのことだったなんて。今朝言われたことが頭から離れられず、疲れがどっと押し寄せる。
しかも、第一発声が「おい」って。信永くん、本当に命知らずにも程があるよ……。
案の定、挑発した発言に小椿くんは眉を顰めていた。
まだ何も始まっていないのに、既に殺伐とした空気が漂う。
「信永……? 何?」
「ちょっと話したいことがあるんだけれどいい? こいつも連れて」
「ぐぇ!? ぼ、僕ぅ!?」
いきなり首根っこを掴まれ、信永くんに肩を抱かれる。
彼と僕の身長差はそれほどあるのに、この人は容赦なく腕を回した。
「な、何で? 信永くん一人で聞くんじゃなかったの?」
あたふたする僕を他所に信永くんは言い出す。
「逆にお前も知らないでどうするんだ。大体、これは暖も関わっていることなんだからな」
「そんなこと分かっているけれど……」
その刹那、小椿くんと目が合った。
彼は瞠目した後、すぐににこやかな笑顔に戻る。その笑みが笑ってないと瞬時に分かり、心の中は凍り付いていた。
何で僕、こんなに小椿くんに嫌われているんだろう。
良くない妄想がどんどん浮かび上がっていき、気分は更に落ち込んでいく。
「ずっと気になっていたけれど二人ってそんなに仲良かったんだ。俺、知らなかったよ」
「ちょっと色々あってな。んで、さっさとしてくんね?」
「信永は相変わらず、人使いが荒いんだから。音羽くんも困ったりするんじゃない?」
「ね?」同意を求められ、言われるがままに頷く。
信永くんの低い声が聞こえたような気がしたが知らないふりをした。
実際信永くんに振り回されているのは事実だし。
教室内が人で多くなってきたことに気付き、急いで廊下へ出る。
小椿くんは笑顔を崩さずに「それで何の用?」と尋ねてきた。
「単刀直入に言うんだけれど、椿坂の情報が欲しいんだ」
その瞬間、信永くんの言葉に彼の眉がピクリと動く。これは完全に疑われていると瞬時に理解できた。
「……どうして?」
「それがさ、こいつの母親が椿坂に依頼をしたみたいなんだよ。でも、確証はないから一番聞きやすそうなお前に尋ねてみたって訳」
信永くんが僕の方を指差しながら告げる。小椿くんの視線が僕の方へと移り、妙な緊張感を覚えた。
「音羽くん、それって本当なの?」
「ま、まだ分からないけれどね……。もしかしたらって思って」
「ねぇ、それが原因なの? 君が呪われている理由って」
「ど、どうして僕が呪われているって分かったの?」
その事は信永くんたちしか知らないのに。妙な事を突かれ、思わず質問を質問で返してしまった。小椿くんの表情は再び真顔へと変わる。
僕はこの冷たい目が凄く嫌だった。足がすくんでしまい、逃げようにも逃げ出せない。
すると、目の前に背中が立ちはだかった。信永が一段の低い声で「おい」と呟いた。
「お前、自分が今どんな顔してるか分かってるか? 暖がお前のこと怖いってよ」
「の、信永くん! 別に僕はそんなこと……」
「嘘付け。俺の目は誤魔化せねーぞ」
ギロリとした鋭い視線に自然と肩が萎縮する。
もしかして、助けてくれたの……?
僕がそう言う前に信永くんが彼に歩み寄る。
「何、突然」小椿くんの冷たい声色にドキリと鳴る。しかし、表情は笑っているせいで更に不気味だ。
「俺、何か変な事言ったかな。そもそも、信永たちが呼び出す時点で変だと思うけれど」
「お前、もしかして無理してんの?」
「……どう言う事?」
「俺、知ってるからな。鷹山が暖のこと怖がってるの」
「え?!」今度は僕が素っ頓狂な声を上げてしまう。
同時に数歩下がると、「そんなに驚くか?」と信永くんに首を傾げられた。
いやいや絶対驚くでしょ!
だって、小椿くんが僕のことを怖がるだなんて……。
「寧ろ、嫌われてるって思ってたから全く……」
「は? 鷹山お前、暖に何かやったのかよ」
「どうして俺が詰められる形になるの。そもそもその場合、疑うのは音羽くんの方じゃないの?」
自分だけ疑いを向けられたことが気に食わないのかジト目で訴えかける。しかし、信永くんの警戒心が解けることはない。それどころか、「本当かぁ?」とねっとりとした声で言い詰められていた。
「つーかよ、鷹山言ってなかったのか? お前も霊感があるってこと。少なくとも、暖が呪われていることぐらい察知してんだろー?」
「え、こ、小椿くんも霊感があるの……?」
恐る恐る尋ねると、やがて数秒も経たない内に観念したような溜息が返ってきた。小椿くんはやれやれと額に手を当て口を仕切りに動かす。
「まぁね。信永ほどじゃないけれど、多少なら視えるし感じるよ。だけど、僕は呪いに耐性がないから油断すると気持ちを持ってかれやすくなるんだ」
彼は僕の顔を見ては何度も目を逸らす。彼が僕の目を真っ直ぐ見ないのはそれが原因なんだ。
「お前、暖に行ってなかったのかよ」
「幽霊を信じない人もいるし、そもそも怖がらせるかもしれないでしょ。俺は信永みたいに、唐突に失礼な事なんて言わないから」
「はぁ?」
図星を突かれたようで信永くんは口角を引きつらせていた。「こいつ……」今にも飛び掛かりそうな勢いと、刃物のような視線に肌がすり減ってしまいそうになる。
だけど、同時に心の中の蟠りがすうっと解けてなくなった。
「良かった。僕、小椿くんに嫌われてるかもって思ってたから」
「え? 嫌う? そんなこと一度も思ったことないよ。寧ろ、音羽くんって優しい人なんだなって」
「嘘?!」
まさかの言葉に今度は心臓が飛び跳ねる。その様子がおかしかったのか、小椿くんは口元を抑えながら喉奥を鳴らす。
「だって、こんな信永の相手をしてる時点で心に余裕がなきゃできないよ。俺だったらすぐにほっぽり出すし」
「テメーしばくぞ」
またしても物騒な発言に肩の力が入るが、小椿くんは随分慣れているようでさらりと交わした。
いつも爽やかなイメージのある彼が信永くんに対しては軽く口を叩く。それだけ、彼には相当な信頼と本音を吐き出しているのだ。
「それで、椿坂さんのことについて知りたいんだよね?」
本題に入ろうと彼は快く引き受けてくれた。信永くんは言いたいことがあるような顔をしていたが、ぐっと堪えていた。
「最近はどうなんだ? お前、たまに手伝いにいくんだろ。その時の様子で何か変わったこととかあったか?」
「変わったこと……。そう言えば最近、あの人はいつも違った女性を連れてくるのは知っているよ」
「はぁ? 女性?」信永くんは訝しげに唱える。
小椿くんも疑問を抱いていたようで視線を彷徨わせながら語り始めた。
「多分依頼主の人たちなんだろうけれど、どうやら街中の喫茶店とかで合流してから来るみたい。最初はより良いものを作るための信頼関係を築いてるんだろうけれど……」
徐々に浮かない顔をする小椿くんに僕らは耳を更に傾ける。
「見ないんだよ。……依頼主が帰る姿」
「どういうことだ?」
「だからそのままの意味だよ。依頼者があの家から出るのを見たことないんだ」
そこまで言い切ると、信永くんは当然のごとく「はぁー?」と再び発した。それ且つ、馬鹿にしているのかと不快感を露わにしていた。
「そんなの簡単な話だろ? テメーが見てねー時に偶然帰ってるんだろ」
「でも、女性の鞄とか明らかに高い香水とか置いてあるんだよ。椿坂さんはそんなの使わないのに変だって思わない?」
未だ信じて貰えないのが悔しいのか、小椿くんは懸命に口を開いた。
しかし、小椿くんは何をしても聞く耳を持たない彼に漸く諦めた。そして案の定、次の説得相手は僕へと切り替わった。
一歩後退りをすると小椿くんもじりじりと迫り来る。
普段とは違う切羽詰まった表情に何も言えずにいた。
「音羽くんは信じてくれるよね?」
「え、えっと……」
「信じてくれないの? もしかしたら、音羽くんの知りたいことが分かるかもだよ」
「それは……そうなんだけれど」
煮え切らない態度の僕に小椿くんは不振がる。
今まで怖がっていた人との誤解が解けてほっとしているが、頭一つ分背の高い彼がぐいぐいくる姿を見てきょどってしまった。
「そんなに近づくなよ。怖がってるだろ」信永くんは再び守る様にして立ちはだかる。
まさかここでも庇ってくれるなんて思いもよらなかった。僕が「信永くん……」と呟くと、「大丈夫だから」と念を押された。
小椿くんはというと、彼を不思議そうに見つめるばかり。ふはっと抜けるような笑いが飛び出る。
「信永、やっぱり昔より丸くなった?」
「太ってるって言いてーのか?」
「そうじゃないよ。音羽くんに凄く甘いなぁって、随分と懐いてるんだ」
「は?! んな訳ねーし」
指摘されたことで信永くんは急いで離れた。彼の綺麗な肌が赤く染まっていることに気付くと、「ジロジロ見んな」と睨まれた。
小椿くんはそれでも食い下がった。
「でも椿坂さんのことを知りたいんでしょ? なら、嘘だと思ってもいいから話だけでも聞いてよ。あの人がおかしいのは事実なんだから」
椿坂さんの異常さには僕らも同意し、やっと話を進めることができる。
ただ、信永くんに至ってはずっと不機嫌そうだった。
「そいつは女癖が悪いってことぐらいしか分からねーな」
「いや、偶に男の人も連れてきてたよ」
「……マジかよ」
「あの人は良くも悪くもモテるからなぁ……。人誑しな所があるから、よく言い寄られているのは見たことあるよ。この学校でも結構人気だってクラスの女子も言ってたから。噂によるとファンクラブがあるみたいよ」
続けざまに話す彼に、信永くんは心底嫌そうな顔で手を横に振った。
「げぇ、あいつら趣味が悪いな」
「でも、あの人の心を動かすのはいつだって創作だった。女性よりも人形を作ることに夢中で、自分は何も関係ないみたいな顔をしている一番タチの悪い人だよ。本当、「来る者は拒まず去る者は追わず」みたいな感じかな」
そう言えば助けた時さえも、自分のことよりも創作に熱中していた気がする。信永くんの家を宝物庫と呼んでいたのはそういうことだったんだ。
信永くんはどうしても尻尾を掴みたいらしく、表情に焦りが滲み出ていた。
「なんかさ、依頼主の情報とか記された書類ってねーの?」
「書類? 言っとくけれど、個人情報だから無闇に扱えないよ。持ち出したことがバレたら大変だし」
「まぁ、そうだよなー」
「もしかしたら何か分かるかもしれないし。音羽くんと同じ苗字の女性がいたか調べてみるよ」
「ありがとう、小椿くん」
お礼を言えば「音羽くんが困っているならなんとかしないと」と柔らかな目で見つめられる。いつもの仏頂面とはかけ離れた対応にぎこちなく頷き返した。
これが小椿くんの本心なら僕は盛大な勘違いをしていた。
でも、これまでのことは謝ってくれたし一応結果オーライでいいんだよね?
小椿くんと別れた後、信永くんはやっと息を吐けたと大きな溜息を漏らす。
「本当、知れば知る程気色が悪い奴だな」
「た、確かに信永くんが苦手そうな人だよね」
「それに鷹山との話で触れなかったが、椿坂には変なオーラが纏わりついている」
「そうなの?」
霊感があると些細なことでも分かってしまうもんだ。怖い体験はしたことがあるが、霊感持ちだとそういった非科学的な出来事に慣れてしまうんだろう。
何せ、信永くんの家は日本人形子守係の家系だし。
いちいち呪いを怖がってたら仕方ないのかもしれない。だからこそ、椿坂さんの言動には警戒しているんだ。
「あいつは確実に……」信永くんはそこまで言いかけて口を閉ざす。
「信永くん?」
「いや、何でもねぇよ。そろそろ時間だから戻ろう」
信永くんは歩くスピードを速める。僕も彼の背中を追うように教室へと向かった。
◇
菊山家へと戻ると、敦くんが掃除機を片手に持ってやってくる。
「おかえりなさい、二人とも」そう優しく言う割には、額に汗をかいていた。
「何か騒がしいがどうした?」
珍しい様子に信永くんが彼に問いかける。
敦くんは言いずらそうに口を開いた。
「じ、実はシャクナゲちゃんの髪の毛が異様に伸びて、廊下中に髪が抜け落ちちゃって。恐らく地下室の呪いが原因だと思う……」
僕はビオラちゃんたちを思い出して、更に「え?」と聞き返した。
「か、髪が異様に伸びてるって……」聞いたことのない事情に耳を疑った。
しかし、信永くんはすぐに状況を察知したようで眉を顰めていた。
「大和はどこにいるんだ?」
「今、地下室で対処しているよ。でも危ないから近付くなって……」
「シャクナゲの様子は?」
「今は症状も落ち着いて安静にしている。でも、いつまたこんなことになるかは分からないから……」
不安気に漏らす彼に何も宥めることができなかった。子守係のプロでも悩ませる呪いなら、素人の僕が何を言っても駄目な気がした。
寧ろ、僕は呪われている立場で菊山家にお世話になっている。
こういった対処は専門の三人を信じるしかない。
信永くんは何かを思いついたのか、制服のズボンからスマホを取り出した。
そして誰かに電話をかけたようでそのまま玄関から出て行ってしまった。僕は敦くんに上がるよう促され、居間に荷物を置く。
間もなくして信永くんが戻ってきた。
「お、おかえり……。どうしたの?」
「さっき知り合いに電話してきた。もう少ししたら来るってさ」
「え? も、もう少し?」
一体何のことか分からず呆然としていると「早く動け」とぶっきらぼうに言われた。
僕は理由も聞かずに部屋へと向かった。
「あれ、ビオラちゃん?」
――暖くん、おかえりなさい。
机の上でちょこんと座るビオラちゃんは僕を待っていたようだ。
てか、どうしてここに……。
――嫌な気配がしたからここに避難してきたの。ここは落ち着くから。
「ひ、避難ってもしかして地下室のが原因で……?」
そう呟くと気前よく「ええ」と答えてくれる。彼女の落ち着くという言葉がどうしても引っ掛かった。
「僕だって呪われているのに……。大丈夫なの?」
自分は呪われている。だから、彼女たちに悪影響を与えかねない。呪いを解くために子守係を任されているが、僕の子守担当となった彼女だってつらい目には遭いたくないはずだ。
それでも嬉しそうに語りだす彼女が不思議で堪らなかった。
――最初はみんなそうなの。自分が呪われているなんて言われても分からないし、突然人形のお世話をするなんて信じられないのも分かるわ。でも、暖くんはとても優しくて暖かい。
「え?! そ、そんなことはないよ……」
寧ろ、恨まれているんじゃないか?
僕って人形を捨てたことあるし。初めて仕事の説明をしてもらった時も、人形を見て腰を抜かしそうになった。
今思えば菊山家に失礼な態度を取っちゃったと自責の念に駆られる。
「ねぇ、ビオラちゃんって椿坂さんに作って貰ったの?」
――主の名前を知っているのね。
「主? 椿坂さんのことか。みんなもそう呼んでいるの?」
――と言うよりもここに居る人形たちは殆どが主によって作られたから。
やはり、信永くんたちの話は本当だったらしい。
――ねぇ、何でわたしたちが呪われているか知ってる?
「え?」
――主はね、わたしたちを作る時は真心を込めて作っているの。
「真心……?」
――人形は人間とは違って心がないでしょう? だからね、主は心を作ってくれるの。
「心を作るって……よく分からないんだけれど」
彼女の言っていることがピンとこない。
そのような施しがされているとは思えない。もしかして、人形の構造的に中に何か埋め込まれているのかな。
「そ、そんなことしなくてもビオラちゃんには心があると思うよ」
――え?
「人工的な心でもビオラちゃんは凄く綺麗だし、そうじゃなくてもきっと君は優しいでしょ?」
初めて出会った時から、ビオラちゃんは僕のことを助けてくれた。信永くんとの誤解が解けたのはビオラちゃんのお陰でもある。
だからこそ、初めて彼らの力になりたいって思ったんだ。
その時、ビオラちゃんが何かを言いかけた。
――暖くん。あのね、わたし……。
「暖くん、ここに居たんですね。あれ、ビオラちゃんも一緒にいる」
様子を見に来た敦くんがドアを除き込む。入っていいよと手招きすると、「失礼します」と歩み寄ってくる。
「敦くんどうしたの?」
「助っ人の方が来ましたので今すぐ下に来てくれますか? 是非、暖くんに会いたいって」
「うん。分かった、じゃあビオラちゃんも連れて向かうね」
「うん」敦くんは頷いた後、すぐに一階へと戻ってしまった。
階段を下りる音を聞きながら、「ごめんねビオラちゃん。さっき何か言ってたよね?」と問いかける。
しかし、ビオラちゃんは、
――何でもない。大丈夫よ。
「本当?」
――ええ。それより、早く行きましょ。信永くんたちを待たせたら大変だもの。
「ふふ、それはそうだね」
着替えを済ませ、僕は彼女を抱きかかえて部屋を後にした。

