菊山家の日本人形子守係

 朝食も済ませた後、気が付くと登校時間を過ぎようとしていた。僕は急いで鞄を持ち、菊山家を出ようとする。
 信永くんも後を追うようにして一緒に玄関を出た。

 彼が登校するのは大きな進歩だと僕は思う。
 
 だけど、正直に言って一緒に登校するのは気まずさが残っていた。
会話も全然続かず、沈黙と車の通りすぎる音などの自然音が頼りだった。
 
「……」

「……」

 信永くんの顔を盗み見ると、悠々とした態度で歩いている。スクールバックをリュックのように背負い、両手をポケットに突っ込んでいた。
 やっぱり、信永くんって何をしても似合うなぁと余計なことを考えてしまう。

 僕なんかがやったら、躓いて転んじゃうし何よりカッコつけていると馬鹿にされるに違いない。
 信永くんはその意識はないんだろうけれど、僕にとっては少し羨ましかった。

 しかし、信永くんのスクールバックは異様に軽そうに見える。
 教科書やノートが入っているようには到底考えられない程、重圧感がない。

 今日、六限まであるけれど大丈夫なのかな。

「の、信永くん。鞄の中って何が入っているの?」

「ん? あー、ルーズリーフとペンくらいかな」

 予想通りの答えが返ってきて思わず問いかけた。

「荷物それだけでいいの……?」

「お前に見せてもらうからいいよ」

「えぇ……。でも、席近くないし……。勝手に席移動しちゃったら先生に怒られちゃうよ」

「そんなのいちいち気にすんなよ。別にいいだろ」

「信永くんって、もしかして不良だったりする?」

「その不良を無理矢理連れ出したのはお前だろー? 責任とれよ」

 責任ってなんの責任だよ。
 ツッコミたい気持ちを抑えたが、何を言ってもはぐらかされて終わりな気がする。

 そもそも僕は無理矢理彼を連れ出してないし、何より信永くんが自分で学校に行くと決めたんじゃないか。

 そう言いたげにじっと見つめていると、「何か言いたいことでもあんのか?」と先を読まれた。
 案の定僕は首を横に振るしかできなかった。

 机の中かロッカーに置き勉をしているのかと思ったが、まさか僕に見せて貰う考えでいたとは……。
 教科書を見せる前に、落書きとか消さなきゃ。



 僕たちは教室へとたどり着き、中に入ろうとする。近くの席でお喋りをしていた真白くんたちが僕に気付いた。
 僕もたどたどしながらも先に挨拶を言う。

「お、おはよう。真白くん」

「音羽くん、おは……」
 
 突如として真白が言葉を失う。
 そして、彼らの視線は僕ではなく信永くんの方に移る。

「菊山!? お前、どうしてここに……」

 真白くんの大声にクラスメイトの大半が信永くんを注目した。中には、顔を赤らめて密集し合う女子もちらほらいた。
 それくらい、信永くんの存在は惹かれるものなんだなぁ。

 他人事のように眺めていると、ふいに真白くんたちに肩を抱かれる。
 何事かと顔を見上げるも教室の隅っこの方に移動させられた。

「音羽くん一体どうしちゃったんだよ」囁き声で言われ、「え?」と惚ける。

 真白くんは一度ちらりと信永くんを見つめ、再び僕に言葉を投げた。

「いやだって、菊山と一緒に登校してきただなんて何かあったのかなって」

「べ、別に何もないよ」

 僕は内心、言えないと連呼していた。
 まさか、その菊山くんのお家で住み込みでアルバイトをしているだなんて誰が予想できるんだろうか。
 正直なことを言えば更に面倒ごとになるので、やんわりとはぐらかす。
 
 しかし、クラス内では影の薄い僕が信永くんと関わっていることに興味津々なのか、数名の男子に質問攻めされた。
 
「もしかして、一緒に登校してきたのか?」

「あいつに何かされなかったか? 脅されたりとかパシられたりとか……」

「何かあったら俺たちに言えよ? できる限りのことは強力するから……」

「ほ、本当に何もないってば……」流石の近距離の攻撃に対応しきれる能力はなく困り果てていると、ふいに片腕を引っ張られる。

 思わずよろめきそうになったが、信永くんが背中を支えてくれたことで危機は免れた。
 お礼を言おうとしたが、信永くんは真白くんたちの方を睨み付けていた。

「全部聞こえてんぞ。あんまり、暖に変な事言わないでくれるか」
 
「お、おう。悪いな。ただ、お前らってそんなに仲良かったのかなって気になって……」

「別に気になるようなことじゃねーだろ。暖、行くぞ」

「え!? の、信永くん!?」

 信永くんは僕の腕を引いて席の方へと向かった。
 教室内が騒然とする中、僕は飛び交う視線に目を瞑るしかなかった。

「ふは、真白の腑抜けた顔を見たか? あれは傑作だな。ざまーみろよ」

 信永くんは一人楽しそうに呟きながら軽く鼻で笑った。
 僕はそれどころじゃなく、後ろから聞こえる会話がどうしても耳を傾けてしまっていた。

「音羽くん、どうやってあいつと仲良くなったんだろう」

「珍しい組み合わせだよな。一体何があったんだ?」

 お願い! 
 頼むからそんな興味津々な目で見ないでぇぇ。

 ホームルームまでの時間はまだ僅かに残っている。早くその時が来るようにと切実に祈るばかりだった。



 時刻は三限目終了後の休み時間。
 四限目は移動教室だと準備をしていると、信永くんの席の方で女子の声が聞こえてきた。

 「ねぇ、菊山くん一緒に次の教室に行かない?」

 何やら誘われているようで、すぐに腑に落ちた。
 信永くん、やっぱりモテるんだなぁ。それもそうか、あんなにイケメンなんだから女子たちが見逃す筈がないよね。

 彼には出鱈目な噂が広がっているが、それを本当かどうか見極めるのは自分達次第だ。
 誰がどう思っていようが関係のないこと。

 でも、あの調子なら他の人とも仲良くなれそうな気がする。僕が見てなくても平気だ。
 僕はそう心の中で念を押しながら、教室を出ようとした。
 
「暖、どこに行くんだよ」
 
「え?!」

 まさか、声を掛けられるとは思わず突拍子もない声が出る。思わず教科書を落としそうになった。
 振り返ると信永くんが怪訝そうに首を傾げていた。

「まさか、一人で行こうとしてるわけじゃねーよな?」

「そ、そんな訳ないじゃん」

 慌てて誤魔化すも、数秒間は睨むように見つめられた。僕はそれよりも彼の後ろにいる女子たちが気がかりである。
 彼女たちの不安そうな視線に僕は挙動不審に尋ねた。

「で、でも、あの子たちと一緒に行かなくていいの?」

「別に約束してねーし。興味ないから断った」

「え?」

 スパッと切った言葉にまたもや硬直するしかなかった。それは女子たちも同じようで、有り得ないと信永くんの背中を見つめていた。
 そして、何事もなかったかのように先程みたく僕の腕を引っ張った。

「の、信永くん!?」

「いいから行くぞ。次は三階だったからはぐれるなよ」

「は、はぐれないってば」

 少なくとも信永くんよりは学校に行っているから、学校内の構図はある程度把握している。
 それでも掴んで離さない腕を振りほどくことができなかった。

 何だか今この感じ、友達みたい。とさえ思ってしまった。
 信永くんはどう思ってるんだろう。仲良くしたいとは考えているが、いざとなるとどうしていいか分からなくなる。

 だけど、こうして僕を頼ってくれることが何より嬉しかったのは紛れもない事実だった。
 
 四限目も終わり、時刻は昼休みへと突入する。
 僕は購買でパンを買おうと席を立つと、案の定信永くんも着いてきた。

「お前、いつもこんな所で買ってんの? それで足りるのかよ」

「うん。お弁当作っても良いんだけれど、朝起きるのが大変だし……」

 それに、今の状況じゃお弁当を作るのも難しそうだ。
 食材は自分で買って、台所を貸してもらえるか敦くんにも相談してみようと考えたことはあったが、何だか申し訳なさもあり中々言えずにいた。

「なら、敦に作って貰えばいいんじゃね?」

「え?! そ、そんなの悪いよ。ただでさえ、朝と夜の食事をさせて貰ってる身なのにそんなこと頼めないよ」
 
 朝起きると敦くんは既に身支度を整え終わっている状態で、せっせと働いている印象だ。まだ中学生なのに僕よりも早く行動している姿に尊敬でしかない。一度手伝おうかと頼んだが、「これくらい平気ですよ」とやんわり断られてしまった。
 ただでさえ一人分の食費が増えたというのに、これ以上迷惑はかけられない。
 信永くんにその旨を伝えると、逆に首を傾げられた。

「そうか? あいつなら快く引き受けてくれそうだけど」

「でも……。じゃあ、せめて台所を貸してほしいかな。食材とかは自分で買うし、自分で作るから……」

「だから、そんなことする必要はねーよ。俺もこれからは学校に通うつもりだから、ついでに頼んでみるし。それに、お前が着てから妙に張り切っているなーとは思ってたところだしな」

「ちょっと、信永くん!?」

 彼はブツブツと独り言を吐きながら廊下を歩く。
 置いてけぼりにされると思い、急いで彼の後を追った。
 信永くんに昼食はどうするのかと聞くと、「別に腹減ってないからいらない」と淡々と返された。

 自分で「足りるのかよ」と言ったくせに、信永くんも案外少食なんだなぁ。
 
 教室に戻ると真白くんたちと目が合う。
 静かに手招きをされ「ちょっと行ってくる」と声を掛けると、信永くんが再度彼らを睨み付けた。

 真白くんたちも鋭い眼光に肩をビクつかせ密集し合っている。すぐに戻ると説得すれば渋々承諾してくれた。
 彼らの席に向かうと早速、朝の時と同様に肩を抱かれる。

「ちょっとマジで一体何があったんだよ。音羽くんって菊山とそんなに仲良かったっけ?」

「た、たまたま仲良くなっただけだってば。そんなんじゃないよ」

 懸命に否定するが、真白くんたちは食い下がるばかり。

「でも、僕懐かれている感じはしないし……」

「そうかぁ? 音羽くんがどこか行こうとすると決まってあいつも着いてくるじゃん。休み時間も昼休みも一緒だし」

 クラスメイトの言葉に僕は悔しくも腑に落ちてしまった。
 信永くんは僕がどこかに行こうとすると、決まって声をかける。
 
 トイレに行くときも着いてくるし、飲み物を買いに行くときもそうだ。
 さっきの移動教室も、他の人と行くべきだったのに迷わず僕の所に向かってきたのだ。

 僕は何かと絡んでくる信永くんにどう接すればいいのか分からなかった。

 ただ以前は一人で行動することが多かったから、信永くんの言動がどうしても落ち着かない。しかも、信永くんは言わずもがな顔立ちが整っているから近距離で話すと少し緊張してしまう。

「なんか、お前らの関係を見ているとご主人様と飼い犬って感じがする」

「か、飼い犬?! 流石に人間にして欲しい……」

「人間って突っ込むところそこじゃないだろ。てかむしろ、ご主人様は音羽くんの方だろ。そんで、菊山が絶対に懐かない番犬。これ一択だろ」

「そして、飼い主の音羽くんの状況を監視して何かあったらすぐに牽制してくる時点でそう思うしかないよ。ほら、今にも飛び掛かりそうに睨んでるし」

 僕はちらりと向こう側を見やる。
 信永くんが未だに恨めしそうにこちらを凝視していた。真白くんたちは再び「ひぃ」と声を漏らしていた。
 目付きが悪いとはいえ、少しやり過ぎなんじゃないか?

 流石に居た堪れなくなり「そろそろ行くね」と彼らに伝える。

「うん。急にこっちに来てもらって悪かったな。本当に何かあったら言えよ?」

「うん。ありがとう」

 信永くんの所に急いで戻ると、彼は机に頬杖をかきながら面白くなさそうな顔で僕を見上げる。
 遅くなってごめんと言う前に信永くんが上から被せてきた。

「あいつらと何喋ってたんだよ」

「別に、大したことじゃないよ。みんな僕たちの関係が凄く気になっているみたい」

 当たり障りのない言葉で返せば「ふーん」と適当な反応が返ってくる。どうしてそんなに僕のことが気になるんだろう。
 そう口にするのも恥ずかしくて、僕は黙り込んでしまった。

「特に気にすることはねーっつの。何がそんなに面白いんだか」

「確かにね。でも、僕はこうして一緒にいられるの嬉しいって思うよ」

「は?」

「あ」

 やってしまった。
 咄嗟に何でもないと訂正して口を抑えたが、もう遅かった。
 信永くんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まっていた。

 睫毛の長い目と目が合い、信永くんはふいっと逸らす。

「お前、ずっと思ってたんだが()()って無自覚で言ってるのか?」

「そ、そんなつもりじゃないよ。ただ、信永くんは僕のことどう思ってるのかなって考えただけで……。嬉しいって思ってるのも自分だけなのかなって……」

「はぁ……。マジで調子狂うな」

「ご、ごめん」

「謝んなよ。ただ、一緒に居て嬉しいとか楽しいとか言われたことないからどう返したらいいか分かんなくて……」

 信永くんにしては珍しい歯切れの悪い返答である。返答しずらいことを言ってしまい申し訳なさが生じる。
 だけど、いつも凛とした彼が思い悩む姿に新鮮さも芽生えた。

「そ、そんなにジロジロ見んなって言ってるだろ。俺の顔やっぱり何か付いてる?」

「そんなんじゃないよ。き、綺麗な顔だからつい見ちゃって……」

「お前という奴は……。はぁ、考えるだけ無駄なのかもなぁ」

「ご、ごめんね?」気難しい顔に戻る信永くんに何度目かの謝罪を繰り返す。

だが、信永くんは「絶対分かってないだろ」と呆れたような目で零した。
 
「失礼します。ここに、音羽くんって子はいるかな?」

 教室の扉が開かれ、外から丸眼鏡を掛けた男性が入ってくる。教室内は途端に静かになり男性に注目が集まった。
 僕は咄嗟に名前を呼ばれて自然と反応する。
 
 男性の顔を見た時、声をあっと上げてしまった。

「つ、椿坂さん!? どうしてここに……」

「やっぱり、音羽くんだったか」

 椿坂さんはほっとした笑みで僕の所に歩み寄る。以前会った時は、着物姿だったのに今日はワイシャツにスラックスとスマートな着こなしだ。

「何で、僕のこと分かったんですか?」

「あれ、言ってなかったっけ? 僕はこの学校の教師なんだ」

「え!?」吹き出しそうな声を上げて思わず一歩下がる。

 確かに、初めて出会った時に篝高校の生徒だって気付かれたのは覚えていたが、まさか教員だったなんて。
 拭いきれない既視感はこれのせいだったのか。
 それで態々僕の教室にまで来てくれたってこと……?

「あれからずっとお礼を言いたくてね、だけど仕事と授業のこともあって中々できなかったんだ。改めてあの時は本当に助かりました。ありがとうございます」

「い、いえその……! 大した事した訳じゃないので……」

「実はね、音羽くんにお礼のプレゼントを持ってきたんだ。手作りなんだけれど……」
 
 そう言って、椿坂さんは小さなラッピング袋を取り出し、僕にあげる。フリフリなリボンであしらわれた可愛いデザインだった。
 透明な袋から見える()()に気付き、僕の目にはいくつもの星が輝いた。

「可愛いクマのマスコットだぁ。これ、手作りなんですか……!?」

「実は僕の家系が人形師でね。小さい頃からマスコットや人形制作の手伝いをしてたんだ。一応手先には自信があるよ」

「人形師……」

「君、可愛いものが好きでしょ? 前に会った時マスコットがぶら下がっているのを見て好きなのかなぁって。突然こんなことしてごめんね?」

「いえ凄く嬉しいです! ありがとうございます!」食い気味に伝えると、「気に入って貰えて良かったぁ」と朗らかに返した。

「僕、三年生の授業を受け持っているからあまり会えないかもしれないけれど、何かあったら力になるよ」

「そうなんですか? じゃあその時はお願いします」

「ふふ、前から思ってたけれど音羽くんは本当に優しいね。きっと色んな子から好かれるんだろうなぁ」

 椿坂さんが更に一歩近付いた時、勢いよく長い腕が伸びる。
 その方向を見ると、今までずっと黙っていた信永くんが酷い剣幕で椿坂さんを見ていた。
 
「おい、それ以上暖に近付くな」