◇
住み込みで働く数日が経ったある日。
僕は未だに敦くんたちに聞くことができていない。
それどころか、信永くんの関係修復もどんどん遠ざかっている気がする。辛うじて挨拶には応じてくれるがそれ以外は最悪だった。
やっぱり、無理に聞こうとするのが駄目だったんだ。今更過去のことを後悔しても、仕方ないが溜息がずっと出てくる。
今日も学校が終わり、一旦自宅に戻る。身支度と家の家事を済ませ出勤時間に間に合うように家を出る。
来た道を急いで走ると、道端で蹲っている人を見つけた。
僕は咄嗟に「大丈夫ですか!?」と駆け寄った。
「あぁ……大丈夫だよ。少し、疲れてしまってね……」
掠れた声が更に深刻さを物語らせる。
男性は着物を着ており、この辺では見かけない顔をしていた。丸眼鏡をかけた如何にも博識そうな雰囲気だった。
「ど、どこかで休んだ方がいいですよ……。あ! 水飲みますか? まだ口付けてないんで良かったら」
鞄の中からペットボトルを取り出す。冷蔵庫から出して間もないため、まだ冷たい筈だ。
男性はペットボトルを受け取ると、勢いよく水を飲み始める。
やがて、「ぷはぁ!」という解放感のある声が飛び出る。
よっぽど喉が渇いてたんだ、さっきのは脱水症状の前触れだったのかな。
「実は、創作に行き詰ってしまってねぇ。少しばかり違う場所を散歩しようとしたら、体調が悪化しちゃったんだ。君が来てくれなかったら、今頃野垂れ死んでた所だよ」
「ありがとう、とても助かったよ」男性の漲った声に、いえいえと謙遜する。
「お役に立てて良かったです」
「んん? その制服もしかして、篝高校の生徒?」
男は眼鏡を動かしながらそう尋ねる。そのまま頷くと「やっぱり」と穏やかな笑顔が返ってきた。
「それにしても夕焼けが綺麗だねぇ。影の濃さと鮮やかな橙が溶け込んで、オランジェットみたいだ」
「おらんじぇっと?」
僕は一瞬何を言っているんだと啞然とする。
もしかして、詩人か作家なのかな。創作に行き詰まってたって言ってたし。
「取り敢えず本当に助かったよ。所で、そんなに多くの荷物でお出かけ? もしかして、家出かな?」
「その、少し知り合いの家に泊まる事になりまして」
「知り合いの家……、ここら辺なら菊山家の人形屋敷なら知っているよ」
「菊山くんのこと知ってるんですか!?」
「知ってるも何も、僕はよくあそこにお世話になっているからね。だって、あそこは宝物だらけの金庫じゃないかぁ」
宝物?
その言葉に眉を顰める。信永くんの家は確かに広いが、特にブランド物や宝石が飾られてはいなかった。それに、彼らの服装も至って普通の人が着こなす身なりであった。それのどこが宝物庫みたいなんだろう。
「……僕の子供たち、元気にしているかなぁ」
またしても、意味深な言葉に僕はただ「はぁ」と返すことしかできなかった。
着眼点が特殊で、不思議な印象である。何の変哲もない街で、古風な着物に浮世離れしていた。
もしかして創作する人ってこんな人ばかりなのかな。
「おおっと、長話してしまったね。改めて助けてくれてありがとう、君の名前を聞いていいかな?」
「えっと、音羽暖って言います」
「音羽……。漢字はどうやって書くんだい?」
「音に羽って書いて、音羽です」
端的に伝えれば男性は嬉しそうに「へぇ! 随分と綺麗な苗字だねぇ。そう言えば僕の知り合いにも同じ苗字の人がいた気がするなぁ」と語りだした。
音羽は母方の苗字である。
確かに苗字に「羽」が付いているため、一見女の子みたいと勘違いされたことはあるが……。
「あの、あなたは……」
「あ、そうだったね。僕の名前は椿坂 姫之介だよ。どうぞよろしくね、音羽くん」
◇
菊山家に辿り着き、いつものように荷物を自室に置く。
椿坂姫之介さん。
僕は先程助けた人の名前を心の中で唱える。
あの後、椿坂さんはすっかり元気を取り戻して軽やかな足取りで去っていった。
見た目が古風的で名前も変わってはいるが、綺麗な響きで覚えている。
何より、菊山家とは知り合いみたいだけれどどんな関係なんだろう。菊山家は宝物庫と称するくらいだから、それなりの親密な関係を築き上げてきたんだろうな。
だけど、その名前、どこかで聞いたことあるような……。
そんなことを考えながらリビングへ向かうと、人形たちの前で立っている信永くんを見つけた。
心臓がバクバクしながらも意を決して声を掛けた。
「の、信永くん。今日もよろしくお願いします……」
「……あぁ」
信永くんはそれだけ言うと部屋を出て、自室に戻って行ってしまった。階段を上る音が遠ざかった後、やっとのことで頭を上げる。
短い時間だったが、生きた心地が全くしなかった。
浅い呼吸が続く中、僕は再び自責の念に駆られていた。
やっぱり、駄目だなぁ。どうしてこうも上手くいかないんだろう。
「音羽さん、大丈夫?」
廊下から敦さんの声が聞こえる。洗濯物を済ませたようで、籠には畳まれた洋服が積まれていた。
敦さんは籠を置いて僕の所に向かう。
「具合が悪いの? 少し休みます?」
「だ、大丈夫。何ともないから気にしないで」
「本当ですか? でも無理もないですよ。いきなりこんな変わった仕事を任せられるだなんて、慣れないのは仕方ないですから」
「違うんだ!」
耐えきれず叫んだ。
敦さんの肩はビクっと跳ね、目を丸くする。いきなり声を上げたことにより、家の中が一気に静寂に包まれた。
僕は急いで彼に謝った。
敦さんは僕を責めることなく、柔らかい笑みで「少し、縁側で話しましょうか」と誘ってくれた。
流れるようにして縁側に向かう。敦さんはビオラちゃんと折り紙を持ってきた。
何をするのかと尋ねると「この折り紙で、ビオラちゃんと一緒に遊びましょう」と言ってきた。
「これも子守係の仕事の一環ですが、気分転換にもなるでしょう?」
僕は首を上下に振る。敦さんも同時に微笑んで、「始めましょ」と色とりどりの折り紙を広げた。
それから、日が暮れるまで一緒に折り紙を続けた。敦さんは、一つ作品が完成する度にビオラちゃんに「上手くできたよ」と見せる。
その度にビオラちゃんは「上手」とだけ呟いた。
やはり、人形の声は僕にしか聞こえないようで敦さんは自己満足にしている。
僕が百合を折って見せると目を丸くして「どうやって折るんですか?」と尋ねてきた。
百合は、小学校の先生から習った唯一折れるものであった。僕は自分なりに敦さんに折り方を教える。
その愛嬌ある笑顔と優しさに僕の固まりきった心はみるみるとほぐされていった。
だから思い切って、敦さんに先日の出来事を打ち明けた。
「成る程、お兄ちゃんとそんなことが……」
「ご、ごめんなさい。別に疑っている訳じゃなくて……」
「別に気にしてませんから大丈夫ですよ。寧ろ、誤解されない方が変なんですから」
敦さんはそう言って口角をにいっと広げた。
ただ、その瞳はどこか悲し気だということには一瞬で気付いた。
「僕たちに霊感があるのは知っているよね」
「うん」
「お兄ちゃんが中学生の時、同じクラスに不登校の子がいたんです。お兄ちゃんはあまりその子のことを気にしないようにしてたんですけれど、ある日学校に来た時に物凄い悪臭が漂ったんですって。そしたら、例の不登校の子が来てたんです。お兄ちゃんはそこでその人が呪われていると気付いたみたいで。僕も詳しい話は分からないんですけれど、その子の顔や体に何箇所の傷の他に壊死した所もあったんです……」
最初は虐待かとも思ったが、壊死するほど怪我に歯ぎしりしたくなった。
それは敦さんも同じらしく、悲痛な顔をしながら話し続けた。
「流石に菊山家では対処しきれないと瞬時に分かったみたいです。だから、少しでも気休めになるよう御守りや一緒にお祓いに行こうと誘ったみたいなんです。でも、日々呪いは進行していたみたいで……その子、お兄ちゃんの目の前で亡くなったんです」
「そんな……」
僕はその話に呆気に囚われて言葉が上手く出なかった。今でも開いた口じから乾いた空気が入り込む。
折ったばかりの百合を握りしめて、敦さんは更に紡いだ。
「多分それが原因なんでしょうけれど、その日からお兄ちゃんはいじめっ子の濡れ衣を着せられて……」
だからみんな、自殺に追いやるくらい苛めたと噂していたんだ。
嫌な予感が確信へと変わり、思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られる。
住み込みで働く数日が経ったある日。
僕は未だに敦くんたちに聞くことができていない。
それどころか、信永くんの関係修復もどんどん遠ざかっている気がする。辛うじて挨拶には応じてくれるがそれ以外は最悪だった。
やっぱり、無理に聞こうとするのが駄目だったんだ。今更過去のことを後悔しても、仕方ないが溜息がずっと出てくる。
今日も学校が終わり、一旦自宅に戻る。身支度と家の家事を済ませ出勤時間に間に合うように家を出る。
来た道を急いで走ると、道端で蹲っている人を見つけた。
僕は咄嗟に「大丈夫ですか!?」と駆け寄った。
「あぁ……大丈夫だよ。少し、疲れてしまってね……」
掠れた声が更に深刻さを物語らせる。
男性は着物を着ており、この辺では見かけない顔をしていた。丸眼鏡をかけた如何にも博識そうな雰囲気だった。
「ど、どこかで休んだ方がいいですよ……。あ! 水飲みますか? まだ口付けてないんで良かったら」
鞄の中からペットボトルを取り出す。冷蔵庫から出して間もないため、まだ冷たい筈だ。
男性はペットボトルを受け取ると、勢いよく水を飲み始める。
やがて、「ぷはぁ!」という解放感のある声が飛び出る。
よっぽど喉が渇いてたんだ、さっきのは脱水症状の前触れだったのかな。
「実は、創作に行き詰ってしまってねぇ。少しばかり違う場所を散歩しようとしたら、体調が悪化しちゃったんだ。君が来てくれなかったら、今頃野垂れ死んでた所だよ」
「ありがとう、とても助かったよ」男性の漲った声に、いえいえと謙遜する。
「お役に立てて良かったです」
「んん? その制服もしかして、篝高校の生徒?」
男は眼鏡を動かしながらそう尋ねる。そのまま頷くと「やっぱり」と穏やかな笑顔が返ってきた。
「それにしても夕焼けが綺麗だねぇ。影の濃さと鮮やかな橙が溶け込んで、オランジェットみたいだ」
「おらんじぇっと?」
僕は一瞬何を言っているんだと啞然とする。
もしかして、詩人か作家なのかな。創作に行き詰まってたって言ってたし。
「取り敢えず本当に助かったよ。所で、そんなに多くの荷物でお出かけ? もしかして、家出かな?」
「その、少し知り合いの家に泊まる事になりまして」
「知り合いの家……、ここら辺なら菊山家の人形屋敷なら知っているよ」
「菊山くんのこと知ってるんですか!?」
「知ってるも何も、僕はよくあそこにお世話になっているからね。だって、あそこは宝物だらけの金庫じゃないかぁ」
宝物?
その言葉に眉を顰める。信永くんの家は確かに広いが、特にブランド物や宝石が飾られてはいなかった。それに、彼らの服装も至って普通の人が着こなす身なりであった。それのどこが宝物庫みたいなんだろう。
「……僕の子供たち、元気にしているかなぁ」
またしても、意味深な言葉に僕はただ「はぁ」と返すことしかできなかった。
着眼点が特殊で、不思議な印象である。何の変哲もない街で、古風な着物に浮世離れしていた。
もしかして創作する人ってこんな人ばかりなのかな。
「おおっと、長話してしまったね。改めて助けてくれてありがとう、君の名前を聞いていいかな?」
「えっと、音羽暖って言います」
「音羽……。漢字はどうやって書くんだい?」
「音に羽って書いて、音羽です」
端的に伝えれば男性は嬉しそうに「へぇ! 随分と綺麗な苗字だねぇ。そう言えば僕の知り合いにも同じ苗字の人がいた気がするなぁ」と語りだした。
音羽は母方の苗字である。
確かに苗字に「羽」が付いているため、一見女の子みたいと勘違いされたことはあるが……。
「あの、あなたは……」
「あ、そうだったね。僕の名前は椿坂 姫之介だよ。どうぞよろしくね、音羽くん」
◇
菊山家に辿り着き、いつものように荷物を自室に置く。
椿坂姫之介さん。
僕は先程助けた人の名前を心の中で唱える。
あの後、椿坂さんはすっかり元気を取り戻して軽やかな足取りで去っていった。
見た目が古風的で名前も変わってはいるが、綺麗な響きで覚えている。
何より、菊山家とは知り合いみたいだけれどどんな関係なんだろう。菊山家は宝物庫と称するくらいだから、それなりの親密な関係を築き上げてきたんだろうな。
だけど、その名前、どこかで聞いたことあるような……。
そんなことを考えながらリビングへ向かうと、人形たちの前で立っている信永くんを見つけた。
心臓がバクバクしながらも意を決して声を掛けた。
「の、信永くん。今日もよろしくお願いします……」
「……あぁ」
信永くんはそれだけ言うと部屋を出て、自室に戻って行ってしまった。階段を上る音が遠ざかった後、やっとのことで頭を上げる。
短い時間だったが、生きた心地が全くしなかった。
浅い呼吸が続く中、僕は再び自責の念に駆られていた。
やっぱり、駄目だなぁ。どうしてこうも上手くいかないんだろう。
「音羽さん、大丈夫?」
廊下から敦さんの声が聞こえる。洗濯物を済ませたようで、籠には畳まれた洋服が積まれていた。
敦さんは籠を置いて僕の所に向かう。
「具合が悪いの? 少し休みます?」
「だ、大丈夫。何ともないから気にしないで」
「本当ですか? でも無理もないですよ。いきなりこんな変わった仕事を任せられるだなんて、慣れないのは仕方ないですから」
「違うんだ!」
耐えきれず叫んだ。
敦さんの肩はビクっと跳ね、目を丸くする。いきなり声を上げたことにより、家の中が一気に静寂に包まれた。
僕は急いで彼に謝った。
敦さんは僕を責めることなく、柔らかい笑みで「少し、縁側で話しましょうか」と誘ってくれた。
流れるようにして縁側に向かう。敦さんはビオラちゃんと折り紙を持ってきた。
何をするのかと尋ねると「この折り紙で、ビオラちゃんと一緒に遊びましょう」と言ってきた。
「これも子守係の仕事の一環ですが、気分転換にもなるでしょう?」
僕は首を上下に振る。敦さんも同時に微笑んで、「始めましょ」と色とりどりの折り紙を広げた。
それから、日が暮れるまで一緒に折り紙を続けた。敦さんは、一つ作品が完成する度にビオラちゃんに「上手くできたよ」と見せる。
その度にビオラちゃんは「上手」とだけ呟いた。
やはり、人形の声は僕にしか聞こえないようで敦さんは自己満足にしている。
僕が百合を折って見せると目を丸くして「どうやって折るんですか?」と尋ねてきた。
百合は、小学校の先生から習った唯一折れるものであった。僕は自分なりに敦さんに折り方を教える。
その愛嬌ある笑顔と優しさに僕の固まりきった心はみるみるとほぐされていった。
だから思い切って、敦さんに先日の出来事を打ち明けた。
「成る程、お兄ちゃんとそんなことが……」
「ご、ごめんなさい。別に疑っている訳じゃなくて……」
「別に気にしてませんから大丈夫ですよ。寧ろ、誤解されない方が変なんですから」
敦さんはそう言って口角をにいっと広げた。
ただ、その瞳はどこか悲し気だということには一瞬で気付いた。
「僕たちに霊感があるのは知っているよね」
「うん」
「お兄ちゃんが中学生の時、同じクラスに不登校の子がいたんです。お兄ちゃんはあまりその子のことを気にしないようにしてたんですけれど、ある日学校に来た時に物凄い悪臭が漂ったんですって。そしたら、例の不登校の子が来てたんです。お兄ちゃんはそこでその人が呪われていると気付いたみたいで。僕も詳しい話は分からないんですけれど、その子の顔や体に何箇所の傷の他に壊死した所もあったんです……」
最初は虐待かとも思ったが、壊死するほど怪我に歯ぎしりしたくなった。
それは敦さんも同じらしく、悲痛な顔をしながら話し続けた。
「流石に菊山家では対処しきれないと瞬時に分かったみたいです。だから、少しでも気休めになるよう御守りや一緒にお祓いに行こうと誘ったみたいなんです。でも、日々呪いは進行していたみたいで……その子、お兄ちゃんの目の前で亡くなったんです」
「そんな……」
僕はその話に呆気に囚われて言葉が上手く出なかった。今でも開いた口じから乾いた空気が入り込む。
折ったばかりの百合を握りしめて、敦さんは更に紡いだ。
「多分それが原因なんでしょうけれど、その日からお兄ちゃんはいじめっ子の濡れ衣を着せられて……」
だからみんな、自殺に追いやるくらい苛めたと噂していたんだ。
嫌な予感が確信へと変わり、思わず耳を塞ぎたい衝動に駆られる。

