放課後、最後の授業が終わってから一時間ほどが経過した。
今日から三週間後に迫った期末試験のため、試験期間ということで部活動が禁止されているため、今この学校にはおそらく教員しかいない。
僕は立ち入りが禁止されている屋上に来ていた。
僕がなんでここに来ているのか。一人になれて落ち着くからとか、下駄箱や机に手紙が入っているからとかそんな理由じゃない。
僕は自分の人生に自分で幕を閉じようとしていた。
別に死にたいわけではない。生きていたくないだけだ。
命を簡単に投げ出すなとか、生んでくれた親に失礼とか、明日を生きたくても生きられない人もいるんだとか、そんなことが言えるのはある程度普通に生活ができている人ぐらいなんだと思う。そんな人から向けられた言葉なんて僕の心に響くことなどない。
フェンスのまたぎ、外側に両足を並べる。あとは自分のタイミングで身を投げ出すだけだった。いつもの如く、意外と高いんだな、みたいな感想しか出てこなかった。
今日の天気は曇り、もうじき雨も降るだろうな。そんなことを考えていたら。後ろから僕の背中を押すように風が吹いた。
今の風のせいで気づいてしまった。長く美しい黒い髪が僕の横でふわりと舞った。
「ねぇ、君。そんなことするなら君の『心臓』私にくれないかな?」
いきなり声をかけられ驚いたが、僕は平然を装い、声が聞こえたほうをゆっくりと見る。なんでこの人がこんなところにいるのかとかそんなことより僕がここで身を投げようとしていること
僕に声をかけてきた人は僕のすぐ横でフェンスに両肘をつきながら呆れたような目で僕を見ていた。
「自殺するぐらいならその『心臓』を私に譲ってくれないかって聞いてるの」
彼女は僕が黙っているからか、先ほどやんわり言ったことをはっきりとまっすぐ僕の目を見て言ってきた。
「えっと…」
いつからここにいたのかとか、なんでこんな場所にいるのか、とか彼女の『心臓を譲ってほしい」についてとか、聞きたいことが多すぎて思わず、口ごもってしまった。
そんな僕を見て、彼女は自分語りを始めた。
「病気なの。医者が言うには、もってあと一年の命なんだって。」
「だから、いらないなら僕の心臓が欲しいってこと?」
僕は正直、彼女の言っていることがあまり信用ならなかった。彼女が嘘つきだからとかそういう理由ではなく。彼女がクラスの中心人物で、普段の生活を見てもとても病気を抱えているような人に見えなかったから。だからと言って、彼女の言うことが本当だったとしたら、彼女に対して失礼だと思ったから、そんなことしか聞き返すことができなかった。
「そう。君はその人生に幕を下ろしたい。私は、これからも人生を生きていたい。でも、急に『わかった。あげる』なんてならないって分かってるから、私と取引しようよ。」
「取引?」
僕は彼女の最後のセリフをオウム返ししてしまった。取引なんて、これから死のうとしている人間対してメリットなんて何もないと思ったから。
「うん。取引というか、お願いかな。さっきも言ったけど、私に残された時間は医者が言うには残り一年。だから、この一年の間は、君には死なないでほしいの。仮に君が今、私のお願いを了承してくれて、手術するじゃない?だとしても絶対成功するなんてことはないわけで。それに、もしかしたら。可能性は低いらしいんだけど病気が治るかもしれない。だから一年、この一年の間だけは君には死なないで欲しい。」
君にメリットないかもだけど、と彼女は続けて言った。
彼女の言う通り、僕がこの提案に乗るメリットは少しもない。いや、でもこの命が無駄にならないなら僕としても何も罪悪感を感じることなく死ねると思った。だから、僕はその取引に条件付きで了承しようと思った。
「わかった。でも、僕も一ついいかな。」
彼女は僕が了承してくれるとは思っていなかったのか少し目を見開いた。そして軽く微笑んで、
「うん、いいよ。私にできる事なら。」
「僕のことを詮索しないで欲しい。」
僕はたった一つの条件を彼女に提示した。早い話、僕と関わらないでいてほしかった。
「というと?」
「僕がなぜここにきてこんなことをしようとしているのかとか、そういうこと」
『自殺』というワードを濁してそう答えた。理由はわからない、ただなんとなく。
「わかった!君の余計な詮索はしないよ。あと一つ言っておくと、仮に私の病気が治った場合、君がここにいたことは私の中でなかったことにするでいいかな?」
「うん、それでお願い。」
「じゃあ、取引成立ね!とりあえずこっちにきてくれない?」
彼女が僕に手を差し伸べながらそう言った。
僕はその手を取ることなくフェンスの中に入った。
そして僕はここで初めて、彼女のさっきまでの発言が僕の自殺を止めるための嘘なのではないかと思い始めた。僕がそんなことを考えていることを察したのか、
「言っとくけど病気のこと、嘘じゃないから。だけど内緒にしてね。クラスのみんなとかにも。もちろん、君の友達にもね」
僕は友達なんていない。だから彼女の病気について話す相手などいない。でも、そんなことをわざわざ説明する間柄でもなかったので、僕は「わかったよ。」とだけ言った。
屋上を後にし、彼女の後ろをついて行くように階段を降りているときに、彼女がぱっと何かを思い出したかのように僕の方を振り返り、
「あ、そうだ。連絡先交換しようよ。」
連絡先の交換する意味何てないと思ったが、まぁいいか、と深くは考えず、ポケットから携帯を取り出してパスワードを解除し、彼女にそのまま携帯を手渡した。
「あ、私がやる感じなのね。」
僕の携帯としての役割はバイト先への連絡をするための道具に過ぎない。店長に連絡ができないのは困るなぁと言われ、仕方がなく買っただけのこと。だから、一応みんなが連絡するため使用しているであろうアプリは入っている。
彼女は僕の携帯と自分の携帯を交互に何回かいじった後、僕の携帯を返してきた。
「はい!私の連絡先登録しておいたよ!」
彼女は微笑んではいたが、僕の携帯に母以外の連絡先がないことについて触れなかった。少しだけ彼女が人気者の理由を垣間見た気がした。
一応、確認のために連絡アプリをタップすると「友達」の欄にひらがなで『ももか』と書いてある連絡先が登録されていた。
彼女とは帰路が違うため別れた。
僕はこのまま学校から少し離れた、人が一日のうちに一人か二人来るか来ないかぐらいの小さな喫茶店に勉強をしに向かった。別にこの店のコーヒーがうまいからとか、そんな理由で着ているわけではない。まぁ確かにここのコーヒーはうまいのだが、僕がここに通っている理由は単純に人が来ないから、学校のやつらなんて猶更来るわけなんてなかった。
そもそもなんで、僕が放課後わざわざ喫茶店に寄っているのか。それは、家に帰りたくないから。厳密に言えば、母に会いたくないから。
母は月曜日から金曜日まで、夜勤勤務で夜八時から朝の五時まで働いている。だから、母が仕事に行くまでの時間をここで潰している。
僕が母に会いたくない理由は、母が僕を嫌っているから。
母が僕を嫌っている理由は分かっていた。それは、僕が失敗作だから。でも、ただの失敗作ならこんなに嫌わることはなかったと思っている。
失敗作とは対照的な成功作がいたから失敗作がより嫌われることになった。
僕には双子の弟がいた。
弟は勉強もスポーツも何もかも少しの努力でできてしまう。まさに天才だった。だからと言って、僕は別に弟が憎かったとか、恨んでいるとかは特になかった。僕に対しては普通に接してくれていたし、僕自身がスポーツや、勉強に対して無関心だったからだ。
そんな誰もが認める天才の弟は四年前、僕らが小学校を卒業する年の夏ごろ、死んだ。僕のせいで。弟が死んでしまった理由はよく覚えていない。でも、なんでか自分のせいで死んでしまったということは覚えている。
弟がこの世を去ってしまったをこときっかけに母は人が変わってしまった。
元々、母は僕に対しては無関心だった。ただ、弟の死から僕に対する態度が無関心から「なんで失敗作のお前が生きてんのよ」という怒りに変わっていった。僕がそう思っているのではなく、母が直接、僕に面と向かって言ったことだった。僕はそれに対して「ごめん」としか言えなかった。事実、僕も少なからずそう思っていたから。
それが記憶ある限りの、母と僕の最後の会話だった。それから僕は母となるべく顔を合わせることがないように生活している。
父はそんな人が変わってしまった母と失敗作の僕を残してどこかへ行ってしまった。今どこで何をしてるのか一切僕は分からない。
母なら知っているかもしれないが、わざわざ知りたくないし、知ったところで会いたいとは思わない。
僕は店に入るなり、マスターに軽く挨拶をかわし、カウンターの一番奥に座った。いつもコーヒーを頼むのだが、マスターがわざわざカウンターから出てこなくて済む。マスターも随分と高齢みたいだし、長生きしてほしい。だから少しでも楽になるだろう、という僕なりの考えだった。
「いつものコーヒーをお願いします。」
「かしこまりました。いつもありがとうございますね。わざわざこんな店に」
「こんな店だなんて。ここのコーヒーおいしくて大好きです。」
もちろんお世辞なんかじゃない。ここによりきっかけはなるべく母と顔を合わせたくないという理由だったが、今となってはこのコーヒーを飲むために通っていると言っても過言ではない。だから僕は、マスターの言ったことを首を横に振って否定した。
マスターそれに対して「ありがとう」と笑顔で言ってくれた。
コーヒーが運ばれてくるまでの間に、ノートとペンと教科書を用意し、勉強を始めた。
三分ほど教科書を眺めていたら、コーヒーが運ばれてきた。
「いつもの、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「それではごゆっくリ。」
マスター微笑みながらは軽く僕に向けてお辞儀をした。
マスターは優しい。僕がここに通い始めて、二年が経とうとしている。でも、マスターが優しくなかったことなど一日たりともなかった。それは、僕が客だからというのもあるだろう。でも、一日も自分の気分に左右されず、優しい態度をとれるのはすごいことなのだと思う。
そんなことを考えながら、冷めないうちに運ばれたコーヒーを口に運んだ。
相変わらずここのコーヒーはおいしい。コーヒーに関して詳しいわけではないし、むしろここのコーヒー以外飲んだことない。そんな僕でもおいしいと感じる。
僕はそんなおいしいコーヒーを舌の上でゆっくり感じながらノートにペンを走らせた。
今日から三週間後に迫った期末試験のため、試験期間ということで部活動が禁止されているため、今この学校にはおそらく教員しかいない。
僕は立ち入りが禁止されている屋上に来ていた。
僕がなんでここに来ているのか。一人になれて落ち着くからとか、下駄箱や机に手紙が入っているからとかそんな理由じゃない。
僕は自分の人生に自分で幕を閉じようとしていた。
別に死にたいわけではない。生きていたくないだけだ。
命を簡単に投げ出すなとか、生んでくれた親に失礼とか、明日を生きたくても生きられない人もいるんだとか、そんなことが言えるのはある程度普通に生活ができている人ぐらいなんだと思う。そんな人から向けられた言葉なんて僕の心に響くことなどない。
フェンスのまたぎ、外側に両足を並べる。あとは自分のタイミングで身を投げ出すだけだった。いつもの如く、意外と高いんだな、みたいな感想しか出てこなかった。
今日の天気は曇り、もうじき雨も降るだろうな。そんなことを考えていたら。後ろから僕の背中を押すように風が吹いた。
今の風のせいで気づいてしまった。長く美しい黒い髪が僕の横でふわりと舞った。
「ねぇ、君。そんなことするなら君の『心臓』私にくれないかな?」
いきなり声をかけられ驚いたが、僕は平然を装い、声が聞こえたほうをゆっくりと見る。なんでこの人がこんなところにいるのかとかそんなことより僕がここで身を投げようとしていること
僕に声をかけてきた人は僕のすぐ横でフェンスに両肘をつきながら呆れたような目で僕を見ていた。
「自殺するぐらいならその『心臓』を私に譲ってくれないかって聞いてるの」
彼女は僕が黙っているからか、先ほどやんわり言ったことをはっきりとまっすぐ僕の目を見て言ってきた。
「えっと…」
いつからここにいたのかとか、なんでこんな場所にいるのか、とか彼女の『心臓を譲ってほしい」についてとか、聞きたいことが多すぎて思わず、口ごもってしまった。
そんな僕を見て、彼女は自分語りを始めた。
「病気なの。医者が言うには、もってあと一年の命なんだって。」
「だから、いらないなら僕の心臓が欲しいってこと?」
僕は正直、彼女の言っていることがあまり信用ならなかった。彼女が嘘つきだからとかそういう理由ではなく。彼女がクラスの中心人物で、普段の生活を見てもとても病気を抱えているような人に見えなかったから。だからと言って、彼女の言うことが本当だったとしたら、彼女に対して失礼だと思ったから、そんなことしか聞き返すことができなかった。
「そう。君はその人生に幕を下ろしたい。私は、これからも人生を生きていたい。でも、急に『わかった。あげる』なんてならないって分かってるから、私と取引しようよ。」
「取引?」
僕は彼女の最後のセリフをオウム返ししてしまった。取引なんて、これから死のうとしている人間対してメリットなんて何もないと思ったから。
「うん。取引というか、お願いかな。さっきも言ったけど、私に残された時間は医者が言うには残り一年。だから、この一年の間は、君には死なないでほしいの。仮に君が今、私のお願いを了承してくれて、手術するじゃない?だとしても絶対成功するなんてことはないわけで。それに、もしかしたら。可能性は低いらしいんだけど病気が治るかもしれない。だから一年、この一年の間だけは君には死なないで欲しい。」
君にメリットないかもだけど、と彼女は続けて言った。
彼女の言う通り、僕がこの提案に乗るメリットは少しもない。いや、でもこの命が無駄にならないなら僕としても何も罪悪感を感じることなく死ねると思った。だから、僕はその取引に条件付きで了承しようと思った。
「わかった。でも、僕も一ついいかな。」
彼女は僕が了承してくれるとは思っていなかったのか少し目を見開いた。そして軽く微笑んで、
「うん、いいよ。私にできる事なら。」
「僕のことを詮索しないで欲しい。」
僕はたった一つの条件を彼女に提示した。早い話、僕と関わらないでいてほしかった。
「というと?」
「僕がなぜここにきてこんなことをしようとしているのかとか、そういうこと」
『自殺』というワードを濁してそう答えた。理由はわからない、ただなんとなく。
「わかった!君の余計な詮索はしないよ。あと一つ言っておくと、仮に私の病気が治った場合、君がここにいたことは私の中でなかったことにするでいいかな?」
「うん、それでお願い。」
「じゃあ、取引成立ね!とりあえずこっちにきてくれない?」
彼女が僕に手を差し伸べながらそう言った。
僕はその手を取ることなくフェンスの中に入った。
そして僕はここで初めて、彼女のさっきまでの発言が僕の自殺を止めるための嘘なのではないかと思い始めた。僕がそんなことを考えていることを察したのか、
「言っとくけど病気のこと、嘘じゃないから。だけど内緒にしてね。クラスのみんなとかにも。もちろん、君の友達にもね」
僕は友達なんていない。だから彼女の病気について話す相手などいない。でも、そんなことをわざわざ説明する間柄でもなかったので、僕は「わかったよ。」とだけ言った。
屋上を後にし、彼女の後ろをついて行くように階段を降りているときに、彼女がぱっと何かを思い出したかのように僕の方を振り返り、
「あ、そうだ。連絡先交換しようよ。」
連絡先の交換する意味何てないと思ったが、まぁいいか、と深くは考えず、ポケットから携帯を取り出してパスワードを解除し、彼女にそのまま携帯を手渡した。
「あ、私がやる感じなのね。」
僕の携帯としての役割はバイト先への連絡をするための道具に過ぎない。店長に連絡ができないのは困るなぁと言われ、仕方がなく買っただけのこと。だから、一応みんなが連絡するため使用しているであろうアプリは入っている。
彼女は僕の携帯と自分の携帯を交互に何回かいじった後、僕の携帯を返してきた。
「はい!私の連絡先登録しておいたよ!」
彼女は微笑んではいたが、僕の携帯に母以外の連絡先がないことについて触れなかった。少しだけ彼女が人気者の理由を垣間見た気がした。
一応、確認のために連絡アプリをタップすると「友達」の欄にひらがなで『ももか』と書いてある連絡先が登録されていた。
彼女とは帰路が違うため別れた。
僕はこのまま学校から少し離れた、人が一日のうちに一人か二人来るか来ないかぐらいの小さな喫茶店に勉強をしに向かった。別にこの店のコーヒーがうまいからとか、そんな理由で着ているわけではない。まぁ確かにここのコーヒーはうまいのだが、僕がここに通っている理由は単純に人が来ないから、学校のやつらなんて猶更来るわけなんてなかった。
そもそもなんで、僕が放課後わざわざ喫茶店に寄っているのか。それは、家に帰りたくないから。厳密に言えば、母に会いたくないから。
母は月曜日から金曜日まで、夜勤勤務で夜八時から朝の五時まで働いている。だから、母が仕事に行くまでの時間をここで潰している。
僕が母に会いたくない理由は、母が僕を嫌っているから。
母が僕を嫌っている理由は分かっていた。それは、僕が失敗作だから。でも、ただの失敗作ならこんなに嫌わることはなかったと思っている。
失敗作とは対照的な成功作がいたから失敗作がより嫌われることになった。
僕には双子の弟がいた。
弟は勉強もスポーツも何もかも少しの努力でできてしまう。まさに天才だった。だからと言って、僕は別に弟が憎かったとか、恨んでいるとかは特になかった。僕に対しては普通に接してくれていたし、僕自身がスポーツや、勉強に対して無関心だったからだ。
そんな誰もが認める天才の弟は四年前、僕らが小学校を卒業する年の夏ごろ、死んだ。僕のせいで。弟が死んでしまった理由はよく覚えていない。でも、なんでか自分のせいで死んでしまったということは覚えている。
弟がこの世を去ってしまったをこときっかけに母は人が変わってしまった。
元々、母は僕に対しては無関心だった。ただ、弟の死から僕に対する態度が無関心から「なんで失敗作のお前が生きてんのよ」という怒りに変わっていった。僕がそう思っているのではなく、母が直接、僕に面と向かって言ったことだった。僕はそれに対して「ごめん」としか言えなかった。事実、僕も少なからずそう思っていたから。
それが記憶ある限りの、母と僕の最後の会話だった。それから僕は母となるべく顔を合わせることがないように生活している。
父はそんな人が変わってしまった母と失敗作の僕を残してどこかへ行ってしまった。今どこで何をしてるのか一切僕は分からない。
母なら知っているかもしれないが、わざわざ知りたくないし、知ったところで会いたいとは思わない。
僕は店に入るなり、マスターに軽く挨拶をかわし、カウンターの一番奥に座った。いつもコーヒーを頼むのだが、マスターがわざわざカウンターから出てこなくて済む。マスターも随分と高齢みたいだし、長生きしてほしい。だから少しでも楽になるだろう、という僕なりの考えだった。
「いつものコーヒーをお願いします。」
「かしこまりました。いつもありがとうございますね。わざわざこんな店に」
「こんな店だなんて。ここのコーヒーおいしくて大好きです。」
もちろんお世辞なんかじゃない。ここによりきっかけはなるべく母と顔を合わせたくないという理由だったが、今となってはこのコーヒーを飲むために通っていると言っても過言ではない。だから僕は、マスターの言ったことを首を横に振って否定した。
マスターそれに対して「ありがとう」と笑顔で言ってくれた。
コーヒーが運ばれてくるまでの間に、ノートとペンと教科書を用意し、勉強を始めた。
三分ほど教科書を眺めていたら、コーヒーが運ばれてきた。
「いつもの、どうぞ。」
「ありがとうございます。」
「それではごゆっくリ。」
マスター微笑みながらは軽く僕に向けてお辞儀をした。
マスターは優しい。僕がここに通い始めて、二年が経とうとしている。でも、マスターが優しくなかったことなど一日たりともなかった。それは、僕が客だからというのもあるだろう。でも、一日も自分の気分に左右されず、優しい態度をとれるのはすごいことなのだと思う。
そんなことを考えながら、冷めないうちに運ばれたコーヒーを口に運んだ。
相変わらずここのコーヒーはおいしい。コーヒーに関して詳しいわけではないし、むしろここのコーヒー以外飲んだことない。そんな僕でもおいしいと感じる。
僕はそんなおいしいコーヒーを舌の上でゆっくり感じながらノートにペンを走らせた。
