相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

■浅草 ― 櫻山組 事務所へ向かう車内

夕方の浅草。

観光客の波を抜け、車は少し裏通りへ入っていく。

表の賑わいとは違い、
古い建物と事務所が並ぶ静かな通りだった。

ハンドルを握る和春。

助手席には愛華。

もちろん――
いつものメイド服である。

黒いフリルのスカートが車のシートに広がっていた。

窓の外を見ながら、愛華がぽつりと言う。

「和春本当は‥」

少し間。

「今日まで休みですよ」

声は落ち着いている。

だが、少しだけ棘があった。

和春は前を見たまま答える。

「知ってる」

愛華が続ける。

「温泉旅行の翌日に」

「ヤクザの事務所に向かう人は普通いません」

和春は軽く笑う。

「普通の仕事じゃないからな」

愛華は小さく息を吐いた。

「まあ、私も来てますけど」

和春がちらっと横を見る。

「怖くないのか」

愛華は即答した。

「別に」

窓の外を見ながら言う。

「櫻山組は有名です。薬を扱わない組でみかじめ料も取らない。昔からこの島を守っているだけの組織」

少しだけ肩をすくめた。

「下手な企業より信用できます」

和春は頷いた。

「なら問題ない」

車は古いビルの前で止まる。

看板は出ていない。

だが、空気が違った。

「ここだな」

二人は車を降りた。



■櫻山組 事務所

扉を開けた瞬間。

空気が変わった。

重い。

張り詰めた空気。

廊下の奥に数人の男が立っている。

黒いスーツ。

鋭い視線。

組員だった。

普通の人間なら、
この空気だけで足が止まる。

だが。

和春は普通に歩いた。

愛華も同じだった。

ヒールの音が廊下に響く。

コツ。

コツ。

男の一人が前に出る。

鋭い目。

若頭だった。

「神代さんか」

和春は頷く。

「そうだ」

若頭の視線が愛華へ移る。

メイド服。

この場所では完全に異質だった。

ほんの一瞬だけ驚きが浮かぶ。

だが何も言わない。

「組長がお待ちだ」

「こちらへ」

奥の扉へ案内される。

廊下を歩く間。

背中に視線を感じる。

組員たちの視線だ。

だが――

和春も愛華も気にしていない。

扉の前に着く。

若頭がノックする。

「組長」

「神代さんです」

中から低い声。

「入れ」

扉が開く。



■組長室

部屋は広かった。

革のソファ。

重厚な机。

壁には掛け軸。

そして奥に一人の男が座っていた。

櫻山組 組長。

五十代。

鋭い目。

長年この世界で生きてきた男の空気だった。

和春と愛華が入る。

愛華が先に一礼する。

「本日はお時間いただきありがとうございます」

「Boundary & Mind天城です」

和春も軽く頭を下げる。

「神代和春だ」

組長は二人をじっと見ていた。

数秒の沈黙。

空気が重くなる。

そして低い声で言う。

「座れ」

二人はソファに腰を下ろす。

しばらく沈黙。

組長が何か言う前に――

和春が口を開いた。

「とりあえずコーヒーもらえるか?」

空気が止まった。

完全に止まった。

組員の一人が眉をひそめる。

この場でそんなことを言う人間はまずいない。

その組員が一歩前に出た。

低い声。

「……舐めてんのか」

次の瞬間。

懐に手を入れる。

金属音。

拳銃が抜かれた。

銃口が和春の胸へ向く。

部屋の空気が一気に張り詰める。

だが。

和春は――

動かなかった。

表情も変わらない。

ただソファにもたれたまま。

そして言った。

「撃てるなら撃てばいい」

組員が一瞬固まる。

和春は続ける。

「下手な芝居させてないで、話進めろ」

視線を組長へ向ける。

「テストだろ?」

沈黙。

そして――

組長が笑った。

「はは……」

低い笑い声。

組員に手を上げる。

「下げろ」

拳銃が戻る。

部屋の空気が少し緩む。

組長は椅子にもたれながら言った。

「悪いな、度胸を見るためのテストだ」

和春は肩をすくめる。

「だろうな」

愛華が静かに補足する。

「恐怖で思考が止まる人に経営の相談はできませんから」

組長が愛華を見る。

少し目を細める。

「いい女房だ」

愛華はすぐ答えた。

「相方兼メイドです」

組長がまた笑う。

「面白ぇ」

そして机の上の写真を取る。

「じゃあ本題だ」

写真をテーブルへ置いた。

キッチンカー。

赤い車。

たこ焼きの看板。

和春は写真を手に取る。

じっと見た。

数秒。

そして言う。

「立地が悪いな」

部屋の空気がまた止まる。

組長が目を細めた。

「まだ何も説明してねぇぞ」

和春は写真を見たまま答える。

「見れば分かる」

愛華が小さく笑った。

「始まりましたね」

和春が写真をテーブルに置く。

そして静かに言った。

「この店」

「売れない理由は三つある」