相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

■自宅 ― 夕方

旅行から帰ってきたばかりの家は、どこか静かだった。

玄関を閉め、靴を脱ぎ、リビングへ入る。

和春はそのままソファに体を預けた。

「やっぱ家が一番落ち着くな」

愛華は軽く息を吐く。

「旅館では仕事してませんからね」

和春は笑う。

キッチンへ向かう。

ポットに水を入れる。

火をつける。

「コーヒーはダメですよ」

振り返らずに言った。

「旅行中も自販機でブラック買ってましたよね?」

和春は肩をすくめる。

「やっぱダメか?」

「和春はコーヒー飲み過ぎです」

愛華は冷静だった。

「今日は白湯です」

和春が苦笑する。

「厳しいな」

その時だった。

テーブルに置いていた会社携帯が震えた。

ブルブルと低い振動。

愛華が画面を見る。

そして。

少しだけ顔をしかめた。

「……」

和春が聞く。

「どうした」

愛華は画面を見たまま答える。

「知らない番号ですが…」

「雰囲気が嫌ですね」

和春は笑う。

「番号で雰囲気わかるのか」

愛華は通話ボタンを押した。

「はい。Boundary & Mindの天城です」

数秒の沈黙。

そして。

低く、重い声が聞こえた。

「神代和春はいるか」

愛華の眉がわずかに動く。

声の圧。

普通の人間の声ではない。

愛華は落ち着いて答えた。

「ご用件を伺ってもよろしいでしょうか」

男が言う。

櫻山(おうざん)組だ」

リビングの空気が少し変わる。

愛華の目が細くなる。

「組長の櫻山だ」

愛華は一瞬黙った。

そして和春を見た。

「和春」

携帯を差し出す。

「組長だそうです」

和春は普通の顔で受け取った。

「もしもし」

電話の向こう。

男の声は変わらず重い。

「神代和春だな」

和春は短く答える。

「そうだ」

組長が言う。

「最近お前の名前をよく聞く、若い天才コンサルタントらしいな」

和春はソファに座り直す。

「まあな。よく言われる」

男は続けた。

「どんな業種でも立て直す。そういう噂だ」

和春は淡々としている。

「噂は噂だ」

組長が言う。

「相談がある」

和春は聞く。

「内容は」

少し沈黙。

そして組長が言った。

「キッチンカーだ」

愛華が横で聞いている。

「たこ焼きの店だが売り上げが伸びねぇ」

和春は短く聞く。

「いくらだ」

「月500万」

和春は少し考えた。

「イベント系か」

「ああ」

「都内回ってる」

組長の声が少し低くなる。

「だが、電話じゃ話さねぇ。詳しい話は事務所だ。来い」

普通なら命令のような言い方。

だが和春は気にしない。

「場所は」

組長が答える。

「浅草だ」

和春は短く言う。

「わかった」

組長が少しだけ笑った。

「怖くねぇのか?ヤクザの事務所だぞ」

和春は普通に答える。

「別に」

愛華が横でため息をつく。

組長が言う。

「面白ぇな〜じゃあ来い、話はそれからだ」

電話が切れた。

リビングに静けさが戻る。

愛華が腕を組む。

「……」

「和春」

「本当に行くんですか」

和春は白湯を飲む。

「仕事だろ」

愛華は言う。

「相手ヤクザですよ」

和春は肩をすくめた。

「薬やってるなら断る」

愛華は少し考えた。

櫻山組。

街では有名な組だった。

みかじめ料は取らない。

薬は絶対に許さない。

昔からその島を守ってきた組。

表の会社を使って経営もしている。

完全な反社というより、

昔気質の自警団に近い存在。

愛華が言う。

「……噂は聞いたことあります。街の秩序を守っている組です」

和春が立ち上がる。

「なら問題ない」

愛華はため息をついた。

「和春、一応スーツで行ってください」

和春が言う。

「面倒だな」

愛華は即答する。

「ダメです。コンサルです!最低限の礼儀です」

和春は諦めた。

「はいはい」

愛華は小さく笑う。

「ヤクザの事務所にコンサルが行くんですね」

和春が言う。

「たこ焼き屋だ」

愛華が静かに言った。

「月500万ライン、キッチンカーなら普通に可能です」

和春は頷いた。

「構造次第だな」

愛華が携帯を確認する。

「場所は浅草です」

和春が玄関に向かう。

「行くぞ」

愛華もバッグを持った。

「はい」

天才コンサルと毒舌メイド。

次の仕事は――

ヤクザのキッチンカーだった。