酒も尽き、話もひと段落していた。
時計を見ると、もうかなり遅い時間になっている。
瀬奈は立ち上がった。
「……そろそろ戻ります」
愛華が頷く。
「遅くまでありがとうございました」
瀬奈は少し笑う。
「いえ、こっちこそ」
「すごく勉強になりました」
そして――
手の中の名刺を見る。
和春から渡された名刺。
そこに書かれている個人携帯の番号。
瀬奈は少しだけ握りしめた。
「じゃあ」
「おやすみなさい」
和春が短く言う。
「おう」
瀬奈は軽く頭を下げ、部屋を出ていった。
襖が静かに閉まる。
廊下の足音が遠ざかると、部屋にはまた二人だけの静けさが戻った。
愛華が小さく息を吐く。
「……瀬奈」
和春が布団の方へ歩きながら言う。
「いいやつだ」
愛華は頷いた。
「はい」
「回転も速いです。努力もできそうです」
和春は布団の上に座る。
「伸びる」
愛華は少し笑った。
「ずいぶん気に入りましたね」
和春は肩をすくめる。
「素材がいい」
それだけ言って布団に入る。
愛華も布団へ向かう。
明日はチェックアウトだ。
そろそろ寝なければならない。
愛華が布団に入ろうとした瞬間だった。
腕を掴まれる。
「……え」
次の瞬間。
ぐいっと引き寄せられた。
気づけば――
和春の布団の中。
愛華は少し呆れたようにため息をつく。
「……和春」
和春は普通の顔。
愛華は少し睨む。
「あなたは‥‥」
小さく呟く。
「我慢という言葉を知らないんでしょうか」
和春は答えない。
ただ腕を回してくる。
愛華は少しだけ抵抗したが――
すぐに力を抜いた。
もうわかっている。
この人は止まらない。
そして。
自分も――
嫌ではない。
愛華は小さく息を吐いた。
「……本当に」
「困った人ですね」
その夜も。
二人は互いの体温を感じながら、静かに肌を重ねた。
⸻
■旅館の廊下 ― 同じ頃
その頃。
瀬奈はフロントへ戻る途中だった。
夜の廊下は静かだ。
窓の外には温泉街の灯りが見える。
瀬奈は歩きながら、何度も名刺を見ていた。
そこには――
神代和春の名前。
そして。
個人携帯番号。
瀬奈の胸はまだ少し高鳴っている。
(……まさか)
(あの和春さんが)
自分を。
仕事に誘ってくれた。
瀬奈は小さく笑った。
(すごい人だったなぁ)
大学の講義。
今日の経営の話。
コンサルの思考。
全部が刺激的だった。
瀬奈の心は――
少し踊っていた。
(……もっと)
(話聞きたいな)
そして思う。
(私も)
(あの人みたいになれるかな)
名刺をそっとポケットにしまう。
夜の旅館は静かだった。
だが瀬奈の心だけは、
まだ少し高鳴っていた。
■翌朝 ― 客室
朝の光が、障子越しに柔らかく差し込んでいた。
旅館の朝は早い。
廊下の向こうでは、従業員の足音や食器の音が少し聞こえている。
愛華は先に目を覚ましていた。
隣を見る。
和春はまだ寝ている。
布団の中で、穏やかな寝息を立てていた。
愛華は静かに起き上がる。
昨日の夜の余韻がまだ残っている。
(……もう)
(この人は)
小さく息をつきながら、着替えを始める。
布団から抜け出し、昨夜脱いだ下着を付け直す。
旅館を出る前には私服に着替える予定だった。
その準備だ。
ブラのホックを留めようとした、その時――
腕を引かれた。
「……っ」
次の瞬間。
ぐいっと布団の中に引き込まれる。
「……和春!?」
さっきまで寝ていると思っていた男が、普通に目を開けている。
和春は寝起きの顔のまま言った。
「早いな」
愛華は呆れる。
「寝ていると思いました」
和春は答えない。
そのまま愛華の腰を引き寄せる。
「ちょっと……!」
抗議する間もなく、
付け直したばかりの下着のホックを外される。
愛華の顔が一気に赤くなる。
「朝ですよ……!」
和春は普通の顔。
「関係ない」
愛華は呆れる。
(……本当に)
(この人は)
少しだけ抵抗するが――
結局。
また布団の中へ引き戻されてしまった。
朝なのに。
また肌を重ねてしまった。
⸻
■その後 ― 客室
時間は少し経った。
愛華は慌てて時計を見る。
「……和春」
「ん?」
「朝食」
二人とも一瞬止まる。
次の瞬間。
「まずいですね」
慌てて起き上がる。
本来ならもう着替え終わっている時間だった。
愛華は急いで着替える。
本当なら――
私服に着替える予定だった。
だが時間がない。
結局。
また浴衣を着直すことになった。
しかも急いだせいで、少し着崩れている。
愛華の頬はまだほんのり赤い。
その時。
襖がノックされた。
「失礼します」
瀬奈の声。
愛華と和春が一瞬固まる。
襖が開く。
瀬奈が朝食を運んできた。
そして――
状況を見る。
浴衣姿の二人。
少し乱れた布団。
そして。
愛華のほんのり赤い顔。
瀬奈の動きが一瞬止まった。
(……あ)
(これは)
一瞬で理解する。
瀬奈の顔も赤くなる。
だが何も言わない。
無言で配膳する。
「……朝食です」
声が少しだけ早口だった。
料理を置く。
視線を合わせない。
そして。
「それでは」
瀬奈はそそくさと部屋を出ていった。
襖が閉まる。
部屋の中に静けさが戻る。
愛華はゆっくり和春を見る。
少し睨む。
「……和春」
和春は普通の顔。
愛華は小さくため息をついた。
「完全に察しされました」
和春は一言。
「だろうな」
愛華は額を押さえる。
「……もう本当に」
(この人は朝から何をしているんでしょうか)
■旅館の裏側 ―
瀬奈は配膳を終え、廊下を歩いていた。
足取りは早い。
だが――
頭の中は全く落ち着いていなかった。
(……絶対)
(絶対)
(あれ)
(してたよね……)
顔が一気に熱くなる。
瀬奈は両手で頬を押さえた。
朝。
部屋に入った瞬間の光景。
乱れた布団。
着崩れた浴衣。
ほんのり赤い顔の愛華。
そして平然としている和春。
瀬奈の思考は完全に一つの結論に達していた。
(絶対にえっちなことしてた……)
しかも。
(朝から……)
瀬奈は思わず小さく声を出しそうになる。
慌てて口を押さえる。
廊下には誰もいない。
だが心の中では――
大騒ぎだった。
(やっぱり!)
(やっぱり恋人なんじゃないですかー!!)
頭の中で叫んでいる。
愛華先輩!!
でも。
口には出さない。
出したら死ぬほど恥ずかしい。
瀬奈は必死に平静を装いながら厨房へ戻った。
だが顔はまだ赤かった。
⸻
■客室
その頃。
和春と愛華は朝食を終えていた。
静かな朝の時間。
湯気の立つ味噌汁。
旅館の朝ごはんはやはり美味しい。
愛華が箸を置く。
「……美味しかったですね」
和春も頷く。
「うまい」
そして立ち上がる。
「着替えるか」
愛華も頷く。
「チェックアウトですね」
二人はそれぞれ着替えを済ませる。
今回はもう時間通りだ。
荷物をまとめ、部屋を整え、玄関へ向かう。
⸻
■旅館フロント
フロントに到着すると――
瀬奈と女将が待っていた。
瀬奈は少し緊張した顔。
だがどこか嬉しそうでもある。
女将が丁寧に頭を下げる。
「この度は本当にありがとうございました」
和春は軽く手を振る。
「気にするな」
女将は続ける。
「昨日の話」
「しっかり活かします」
愛華が微笑む。
「瀬奈ならできます」
瀬奈は少し照れる。
「まだまだです」
和春が言う。
「いや十分考えてた」
瀬奈は少し嬉しそうに笑った。
そして。
名刺を軽く触る。
ポケットの中。
和春の個人携帯番号。
女将が言う。
「またぜひお越しください」
愛華が答える。
「はい。またきます」
瀬奈は少し元気に言う。
「その時は経営改善の成果見せます!」
和春が頷く。
「楽しみにしてる」
チェックアウトを終える。
和春と愛華は旅館を出た。
外の空気は少し冷たい。
温泉街の朝は静かだった。
駅へ向かう道を歩く。
遠くに新幹線の駅が見える。
瀬奈は旅館の前から二人を見送っていた。
(……すごい人たちだったな)
そして。
胸の中で思う。
(いつか)
(あの人の隣で仕事してみたい)
ポケットの中の名刺を、そっと握った。
その頃。
和春と愛華は――
新幹線に向かって歩いていた。
■温泉街の駅へ向かう道
旅館を出て、温泉街の坂道をゆっくり歩いていた。
朝の空気は少し冷たい。
山の空気は澄んでいて、遠くの景色までよく見える。
温泉街はまだ静かだった。
土産屋が店を開け始め、
足湯からは湯気が立ち上っている。
愛華が言う。
「いい旅行でしたね」
和春は短く答える。
「そうだな」
その時だった。
愛華の手に持っていた会社携帯が震える。
愛華は画面を見る。
「あら」
和春が横から聞く。
「誰だ」
愛華は少し意外そうな顔をした。
「アリシアさんです」
和春が少しだけ眉を動かす。
愛華は通話ボタンを押した。
「もしもし、Boundary & Mind、天城です」
電話の向こうから、柔らかく丁寧な声が聞こえる。
アリシアだった。
「おはようございます、愛華さん」
「朝早くにすみません」
愛華は歩きながら答える。
「大丈夫ですよ」
「どうされました?」
アリシアは少し嬉しそうに言った。
「実は、和春さんにご相談がありまして」
愛華が横の和春を見る。
「和春への相談です」
和春が手を差し出す。
愛華は携帯を渡した。
和春がそのまま電話に出る。
「もしもし」
アリシアの声が少し明るくなる。
「和春さん、おはようございます」
和春は普通に答える。
「どうした」
アリシアは言う。
「実は、私の事務所の社長がコンサルタントを探しているんです」
愛華も横で聞いている。
アリシアは続ける。
「信頼できる方を紹介したいと思っていて、それで…和春さんが浮かびました」
和春は歩きながら聞く。
「どんな案件だ」
アリシアは説明する。
「私の所属している事務所はモデル事務所なんですが今、事業を拡大しようとしていてブランド戦略や経営設計、契約の整理など、専門家に相談したいそうなんです」
愛華が横で小さく呟く。
「モデル事務所ですか」
和春は少し考える。
「話だけ聞く」
アリシアの声が少し弾む。
「本当ですか?社長も喜びます」
和春は言う。
「詳細送れ」
アリシアは答える。
「はい。メールで送ります」
そして少し柔らかい声で言う。
「またお会いできそうで嬉しいです」
愛華が横で聞いている。
少しだけ目を細める。
和春は普通に答えた。
「仕事ならな」
アリシアは笑う。
「はい、もちろん仕事です」
電話が切れる。
和春は携帯を愛華に返した。
愛華は画面を確認しながら言う。
「モデル事務所ですか」
和春は歩きながら言う。
「らしいな」
愛華は少し考える。
「芸能系のコンサルは」
「まだやったことないですね」
和春は短く言う。
「やることは同じだ」
愛華は小さく笑う。
「確かに」
そして少し楽しそうに言った。
「新しい案件になりそうですね」
二人はそのまま駅へ向かって歩いていった。
新幹線のホームが、もうすぐ見えてくる。
時計を見ると、もうかなり遅い時間になっている。
瀬奈は立ち上がった。
「……そろそろ戻ります」
愛華が頷く。
「遅くまでありがとうございました」
瀬奈は少し笑う。
「いえ、こっちこそ」
「すごく勉強になりました」
そして――
手の中の名刺を見る。
和春から渡された名刺。
そこに書かれている個人携帯の番号。
瀬奈は少しだけ握りしめた。
「じゃあ」
「おやすみなさい」
和春が短く言う。
「おう」
瀬奈は軽く頭を下げ、部屋を出ていった。
襖が静かに閉まる。
廊下の足音が遠ざかると、部屋にはまた二人だけの静けさが戻った。
愛華が小さく息を吐く。
「……瀬奈」
和春が布団の方へ歩きながら言う。
「いいやつだ」
愛華は頷いた。
「はい」
「回転も速いです。努力もできそうです」
和春は布団の上に座る。
「伸びる」
愛華は少し笑った。
「ずいぶん気に入りましたね」
和春は肩をすくめる。
「素材がいい」
それだけ言って布団に入る。
愛華も布団へ向かう。
明日はチェックアウトだ。
そろそろ寝なければならない。
愛華が布団に入ろうとした瞬間だった。
腕を掴まれる。
「……え」
次の瞬間。
ぐいっと引き寄せられた。
気づけば――
和春の布団の中。
愛華は少し呆れたようにため息をつく。
「……和春」
和春は普通の顔。
愛華は少し睨む。
「あなたは‥‥」
小さく呟く。
「我慢という言葉を知らないんでしょうか」
和春は答えない。
ただ腕を回してくる。
愛華は少しだけ抵抗したが――
すぐに力を抜いた。
もうわかっている。
この人は止まらない。
そして。
自分も――
嫌ではない。
愛華は小さく息を吐いた。
「……本当に」
「困った人ですね」
その夜も。
二人は互いの体温を感じながら、静かに肌を重ねた。
⸻
■旅館の廊下 ― 同じ頃
その頃。
瀬奈はフロントへ戻る途中だった。
夜の廊下は静かだ。
窓の外には温泉街の灯りが見える。
瀬奈は歩きながら、何度も名刺を見ていた。
そこには――
神代和春の名前。
そして。
個人携帯番号。
瀬奈の胸はまだ少し高鳴っている。
(……まさか)
(あの和春さんが)
自分を。
仕事に誘ってくれた。
瀬奈は小さく笑った。
(すごい人だったなぁ)
大学の講義。
今日の経営の話。
コンサルの思考。
全部が刺激的だった。
瀬奈の心は――
少し踊っていた。
(……もっと)
(話聞きたいな)
そして思う。
(私も)
(あの人みたいになれるかな)
名刺をそっとポケットにしまう。
夜の旅館は静かだった。
だが瀬奈の心だけは、
まだ少し高鳴っていた。
■翌朝 ― 客室
朝の光が、障子越しに柔らかく差し込んでいた。
旅館の朝は早い。
廊下の向こうでは、従業員の足音や食器の音が少し聞こえている。
愛華は先に目を覚ましていた。
隣を見る。
和春はまだ寝ている。
布団の中で、穏やかな寝息を立てていた。
愛華は静かに起き上がる。
昨日の夜の余韻がまだ残っている。
(……もう)
(この人は)
小さく息をつきながら、着替えを始める。
布団から抜け出し、昨夜脱いだ下着を付け直す。
旅館を出る前には私服に着替える予定だった。
その準備だ。
ブラのホックを留めようとした、その時――
腕を引かれた。
「……っ」
次の瞬間。
ぐいっと布団の中に引き込まれる。
「……和春!?」
さっきまで寝ていると思っていた男が、普通に目を開けている。
和春は寝起きの顔のまま言った。
「早いな」
愛華は呆れる。
「寝ていると思いました」
和春は答えない。
そのまま愛華の腰を引き寄せる。
「ちょっと……!」
抗議する間もなく、
付け直したばかりの下着のホックを外される。
愛華の顔が一気に赤くなる。
「朝ですよ……!」
和春は普通の顔。
「関係ない」
愛華は呆れる。
(……本当に)
(この人は)
少しだけ抵抗するが――
結局。
また布団の中へ引き戻されてしまった。
朝なのに。
また肌を重ねてしまった。
⸻
■その後 ― 客室
時間は少し経った。
愛華は慌てて時計を見る。
「……和春」
「ん?」
「朝食」
二人とも一瞬止まる。
次の瞬間。
「まずいですね」
慌てて起き上がる。
本来ならもう着替え終わっている時間だった。
愛華は急いで着替える。
本当なら――
私服に着替える予定だった。
だが時間がない。
結局。
また浴衣を着直すことになった。
しかも急いだせいで、少し着崩れている。
愛華の頬はまだほんのり赤い。
その時。
襖がノックされた。
「失礼します」
瀬奈の声。
愛華と和春が一瞬固まる。
襖が開く。
瀬奈が朝食を運んできた。
そして――
状況を見る。
浴衣姿の二人。
少し乱れた布団。
そして。
愛華のほんのり赤い顔。
瀬奈の動きが一瞬止まった。
(……あ)
(これは)
一瞬で理解する。
瀬奈の顔も赤くなる。
だが何も言わない。
無言で配膳する。
「……朝食です」
声が少しだけ早口だった。
料理を置く。
視線を合わせない。
そして。
「それでは」
瀬奈はそそくさと部屋を出ていった。
襖が閉まる。
部屋の中に静けさが戻る。
愛華はゆっくり和春を見る。
少し睨む。
「……和春」
和春は普通の顔。
愛華は小さくため息をついた。
「完全に察しされました」
和春は一言。
「だろうな」
愛華は額を押さえる。
「……もう本当に」
(この人は朝から何をしているんでしょうか)
■旅館の裏側 ―
瀬奈は配膳を終え、廊下を歩いていた。
足取りは早い。
だが――
頭の中は全く落ち着いていなかった。
(……絶対)
(絶対)
(あれ)
(してたよね……)
顔が一気に熱くなる。
瀬奈は両手で頬を押さえた。
朝。
部屋に入った瞬間の光景。
乱れた布団。
着崩れた浴衣。
ほんのり赤い顔の愛華。
そして平然としている和春。
瀬奈の思考は完全に一つの結論に達していた。
(絶対にえっちなことしてた……)
しかも。
(朝から……)
瀬奈は思わず小さく声を出しそうになる。
慌てて口を押さえる。
廊下には誰もいない。
だが心の中では――
大騒ぎだった。
(やっぱり!)
(やっぱり恋人なんじゃないですかー!!)
頭の中で叫んでいる。
愛華先輩!!
でも。
口には出さない。
出したら死ぬほど恥ずかしい。
瀬奈は必死に平静を装いながら厨房へ戻った。
だが顔はまだ赤かった。
⸻
■客室
その頃。
和春と愛華は朝食を終えていた。
静かな朝の時間。
湯気の立つ味噌汁。
旅館の朝ごはんはやはり美味しい。
愛華が箸を置く。
「……美味しかったですね」
和春も頷く。
「うまい」
そして立ち上がる。
「着替えるか」
愛華も頷く。
「チェックアウトですね」
二人はそれぞれ着替えを済ませる。
今回はもう時間通りだ。
荷物をまとめ、部屋を整え、玄関へ向かう。
⸻
■旅館フロント
フロントに到着すると――
瀬奈と女将が待っていた。
瀬奈は少し緊張した顔。
だがどこか嬉しそうでもある。
女将が丁寧に頭を下げる。
「この度は本当にありがとうございました」
和春は軽く手を振る。
「気にするな」
女将は続ける。
「昨日の話」
「しっかり活かします」
愛華が微笑む。
「瀬奈ならできます」
瀬奈は少し照れる。
「まだまだです」
和春が言う。
「いや十分考えてた」
瀬奈は少し嬉しそうに笑った。
そして。
名刺を軽く触る。
ポケットの中。
和春の個人携帯番号。
女将が言う。
「またぜひお越しください」
愛華が答える。
「はい。またきます」
瀬奈は少し元気に言う。
「その時は経営改善の成果見せます!」
和春が頷く。
「楽しみにしてる」
チェックアウトを終える。
和春と愛華は旅館を出た。
外の空気は少し冷たい。
温泉街の朝は静かだった。
駅へ向かう道を歩く。
遠くに新幹線の駅が見える。
瀬奈は旅館の前から二人を見送っていた。
(……すごい人たちだったな)
そして。
胸の中で思う。
(いつか)
(あの人の隣で仕事してみたい)
ポケットの中の名刺を、そっと握った。
その頃。
和春と愛華は――
新幹線に向かって歩いていた。
■温泉街の駅へ向かう道
旅館を出て、温泉街の坂道をゆっくり歩いていた。
朝の空気は少し冷たい。
山の空気は澄んでいて、遠くの景色までよく見える。
温泉街はまだ静かだった。
土産屋が店を開け始め、
足湯からは湯気が立ち上っている。
愛華が言う。
「いい旅行でしたね」
和春は短く答える。
「そうだな」
その時だった。
愛華の手に持っていた会社携帯が震える。
愛華は画面を見る。
「あら」
和春が横から聞く。
「誰だ」
愛華は少し意外そうな顔をした。
「アリシアさんです」
和春が少しだけ眉を動かす。
愛華は通話ボタンを押した。
「もしもし、Boundary & Mind、天城です」
電話の向こうから、柔らかく丁寧な声が聞こえる。
アリシアだった。
「おはようございます、愛華さん」
「朝早くにすみません」
愛華は歩きながら答える。
「大丈夫ですよ」
「どうされました?」
アリシアは少し嬉しそうに言った。
「実は、和春さんにご相談がありまして」
愛華が横の和春を見る。
「和春への相談です」
和春が手を差し出す。
愛華は携帯を渡した。
和春がそのまま電話に出る。
「もしもし」
アリシアの声が少し明るくなる。
「和春さん、おはようございます」
和春は普通に答える。
「どうした」
アリシアは言う。
「実は、私の事務所の社長がコンサルタントを探しているんです」
愛華も横で聞いている。
アリシアは続ける。
「信頼できる方を紹介したいと思っていて、それで…和春さんが浮かびました」
和春は歩きながら聞く。
「どんな案件だ」
アリシアは説明する。
「私の所属している事務所はモデル事務所なんですが今、事業を拡大しようとしていてブランド戦略や経営設計、契約の整理など、専門家に相談したいそうなんです」
愛華が横で小さく呟く。
「モデル事務所ですか」
和春は少し考える。
「話だけ聞く」
アリシアの声が少し弾む。
「本当ですか?社長も喜びます」
和春は言う。
「詳細送れ」
アリシアは答える。
「はい。メールで送ります」
そして少し柔らかい声で言う。
「またお会いできそうで嬉しいです」
愛華が横で聞いている。
少しだけ目を細める。
和春は普通に答えた。
「仕事ならな」
アリシアは笑う。
「はい、もちろん仕事です」
電話が切れる。
和春は携帯を愛華に返した。
愛華は画面を確認しながら言う。
「モデル事務所ですか」
和春は歩きながら言う。
「らしいな」
愛華は少し考える。
「芸能系のコンサルは」
「まだやったことないですね」
和春は短く言う。
「やることは同じだ」
愛華は小さく笑う。
「確かに」
そして少し楽しそうに言った。
「新しい案件になりそうですね」
二人はそのまま駅へ向かって歩いていった。
新幹線のホームが、もうすぐ見えてくる。

