■客室 ― 食後
夕食は静かに終わった。
器はほとんど空になり、
部屋には料理の余韻の香りだけが残っている。
障子の向こうでは夜が深まり、
山の冷たい空気が少しだけ流れ込んできていた。
しばらくすると襖がノックされる。
「失礼します」
瀬奈だった。
食器を下げに来たのだ。
襖が開き、瀬奈が部屋に入る。
「お食事いかがでしたか?」
和春は普通に答える。
「うまかった」
瀬奈は少し嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
瀬奈は器をまとめ始める。
その時だった。
和春が言った。
「瀬奈」
「はい?」
「一本」
瀬奈が顔を上げる。
和春は普通の顔で言う。
「いい酒追加で頼む。風呂上がりに飲む」
瀬奈は一瞬固まった。
「え…」
横で愛華がゆっくり顔を上げる。
そして――
呆れた顔。
「……和春」
低い声だった。
和春は普通の顔。
「なんだ」
愛華はため息をつく。
「またお酒ですか」
瀬奈が空気を読む。
(あ、怒られるやつだ)
和春は言う。
「風呂上がりに一杯だ。問題ない」
愛華は腕を組む。
「問題あります」
瀬奈が小声で聞く。
「……そんなに飲むんですか?」
愛華はすぐ答えた。
「はい」
そして少し呆れた声で続ける。
「この人は、お酒かコーヒーしか飲みません」
瀬奈が目を丸くする。
「え」
愛華はさらに言う。
「しかもブラック限定です」
瀬奈は思わず和春を見る。
和春は普通の顔。
愛華は少しジト目になる。
「しかも今回の旅行だから黙ってましたけど」
瀬奈が首を傾ける。
愛華は言った。
「ブラックの缶コーヒーちょこちょこ自販機で買って飲んでますよね」
瀬奈が驚く。
「え?」
和春は少しだけ目を逸らす。
愛華は続ける。
「さっきも見ました廊下の自販機」
瀬奈は思わず笑いそうになる。
和春は言う。
「コーヒーは別だ」
愛華は即答する。
「別じゃありません」
瀬奈が聞く。
「どれくらい飲むんですか?」
愛華は普通に答えた。
「放っておくと」
「一日ブラックコーヒー2リットルです」
瀬奈が完全に固まる。
「……え?」
愛華は続ける。
「だから私が管理してます。今は減らしました」
和春が言う。
「減らす必要ない」
愛華は即答する。
「あります」
そして瀬奈を見る。
「この人は生活能力ゼロなので」
瀬奈は吹き出しそうになるのを堪えた。
和春は不満そうに言う。
「酒はいいだろ」
愛華は小さく息を吐く。
「……一本だけです」
和春の表情が少しだけ明るくなる。
瀬奈が笑う。
「じゃあ」
「一本だけ用意しますね」
瀬奈は食器を抱えて立ち上がる。
そして思った。
(本当にこの人完全に管理されてる…)
でも。
それがなぜか――
とても自然に見えた。
■客室 ― 部屋付き露天風呂
夜の空気は静かだった。
客室の露天風呂からは、山の夜景が見える。
遠くの街灯が小さく瞬き、空気は少し冷たい。
湯気がゆっくりと上がっていた。
和春と愛華は、並んで湯に浸かっている。
温泉の湯は柔らかく、体の芯まで温まっていく。
しばらく二人とも何も話さなかった。
ただ湯の音だけが静かに響く。
やがて和春が口を開く。
「……愛華」
愛華が少し顔を上げる。
「はい?」
和春は空を見たまま言った。
「今回、いい休みだったな」
愛華は少し驚く。
和春は続ける。
「お前が居たからいい休みになった。ありがとう」
愛華の胸が少し揺れる。
その言葉は――
あまりにも自然で。
あまりにも真っ直ぐだった。
(……この人は)
愛華は思う。
(本当にズルい)
こんな言葉を、普通の顔で言う。
恋人でもない。
告白もしていない。
それなのに。
こんな風に心を揺らしてくる。
愛華は小さく息を吐く。
そして。
そっと――
和春の肩にもたれかかった。
和春は何も言わない。
ただそのまま受け止める。
湯気の向こうで、夜の風が静かに流れていた。
■風呂上がり ― 客室
露天風呂から上がり、
和春と愛華は部屋へ戻ってきた。
窓の外はすっかり夜だった。
山の空気は冷たく、風が少しだけ障子を揺らしている。
二人は旅館の浴衣のまま座る。
まだ体は温泉で温まっていた。
その時――
襖がノックされる。
「失礼します」
瀬奈だった。
手には黒い瓶。
そしてグラス。
「お酒お持ちしました」
愛華は少し驚く。
「タイミングがいいですね」
瀬奈は笑う。
「ちょうど準備できたので」
黒い瓶を机に置く。
和春は瓶を見て小さく頷く。
「いい酒だな」
瀬奈がグラスを並べる。
その時。
和春が言った。
「瀬奈」
「はい?」
「もし大丈夫なら」
和春は普通の顔で言う。
「お前も飲んでけ」
瀬奈が一瞬固まる。
「え?」
和春は続ける。
「女将には連絡してある」
愛華がすぐ反応する。
「……和春」
少し呆れた声だった。
「いつ電話したんですか」
和春は普通に答える。
「さっき」
そして付け加える。
「お前が風呂から出て着替えてるとき」
愛華は一瞬言葉を失う。
「……」
そしてため息をつく。
「いつの間に」
瀬奈は二人を見ていた。
そして思う。
(……あれ)
(今の会話)
頭の中で整理する。
「風呂から出て着替えてるとき」
つまり――
(……やっぱり)
瀬奈の結論は一つだった。
この二人絶対一緒に入ってる。
瀬奈は内心で確信した。
だが。
もちろん口には出さない。
ただグラスを並べながら言う。
「じゃあ少しだけお邪魔します」
夕食は静かに終わった。
器はほとんど空になり、
部屋には料理の余韻の香りだけが残っている。
障子の向こうでは夜が深まり、
山の冷たい空気が少しだけ流れ込んできていた。
しばらくすると襖がノックされる。
「失礼します」
瀬奈だった。
食器を下げに来たのだ。
襖が開き、瀬奈が部屋に入る。
「お食事いかがでしたか?」
和春は普通に答える。
「うまかった」
瀬奈は少し嬉しそうに笑う。
「ありがとうございます」
瀬奈は器をまとめ始める。
その時だった。
和春が言った。
「瀬奈」
「はい?」
「一本」
瀬奈が顔を上げる。
和春は普通の顔で言う。
「いい酒追加で頼む。風呂上がりに飲む」
瀬奈は一瞬固まった。
「え…」
横で愛華がゆっくり顔を上げる。
そして――
呆れた顔。
「……和春」
低い声だった。
和春は普通の顔。
「なんだ」
愛華はため息をつく。
「またお酒ですか」
瀬奈が空気を読む。
(あ、怒られるやつだ)
和春は言う。
「風呂上がりに一杯だ。問題ない」
愛華は腕を組む。
「問題あります」
瀬奈が小声で聞く。
「……そんなに飲むんですか?」
愛華はすぐ答えた。
「はい」
そして少し呆れた声で続ける。
「この人は、お酒かコーヒーしか飲みません」
瀬奈が目を丸くする。
「え」
愛華はさらに言う。
「しかもブラック限定です」
瀬奈は思わず和春を見る。
和春は普通の顔。
愛華は少しジト目になる。
「しかも今回の旅行だから黙ってましたけど」
瀬奈が首を傾ける。
愛華は言った。
「ブラックの缶コーヒーちょこちょこ自販機で買って飲んでますよね」
瀬奈が驚く。
「え?」
和春は少しだけ目を逸らす。
愛華は続ける。
「さっきも見ました廊下の自販機」
瀬奈は思わず笑いそうになる。
和春は言う。
「コーヒーは別だ」
愛華は即答する。
「別じゃありません」
瀬奈が聞く。
「どれくらい飲むんですか?」
愛華は普通に答えた。
「放っておくと」
「一日ブラックコーヒー2リットルです」
瀬奈が完全に固まる。
「……え?」
愛華は続ける。
「だから私が管理してます。今は減らしました」
和春が言う。
「減らす必要ない」
愛華は即答する。
「あります」
そして瀬奈を見る。
「この人は生活能力ゼロなので」
瀬奈は吹き出しそうになるのを堪えた。
和春は不満そうに言う。
「酒はいいだろ」
愛華は小さく息を吐く。
「……一本だけです」
和春の表情が少しだけ明るくなる。
瀬奈が笑う。
「じゃあ」
「一本だけ用意しますね」
瀬奈は食器を抱えて立ち上がる。
そして思った。
(本当にこの人完全に管理されてる…)
でも。
それがなぜか――
とても自然に見えた。
■客室 ― 部屋付き露天風呂
夜の空気は静かだった。
客室の露天風呂からは、山の夜景が見える。
遠くの街灯が小さく瞬き、空気は少し冷たい。
湯気がゆっくりと上がっていた。
和春と愛華は、並んで湯に浸かっている。
温泉の湯は柔らかく、体の芯まで温まっていく。
しばらく二人とも何も話さなかった。
ただ湯の音だけが静かに響く。
やがて和春が口を開く。
「……愛華」
愛華が少し顔を上げる。
「はい?」
和春は空を見たまま言った。
「今回、いい休みだったな」
愛華は少し驚く。
和春は続ける。
「お前が居たからいい休みになった。ありがとう」
愛華の胸が少し揺れる。
その言葉は――
あまりにも自然で。
あまりにも真っ直ぐだった。
(……この人は)
愛華は思う。
(本当にズルい)
こんな言葉を、普通の顔で言う。
恋人でもない。
告白もしていない。
それなのに。
こんな風に心を揺らしてくる。
愛華は小さく息を吐く。
そして。
そっと――
和春の肩にもたれかかった。
和春は何も言わない。
ただそのまま受け止める。
湯気の向こうで、夜の風が静かに流れていた。
■風呂上がり ― 客室
露天風呂から上がり、
和春と愛華は部屋へ戻ってきた。
窓の外はすっかり夜だった。
山の空気は冷たく、風が少しだけ障子を揺らしている。
二人は旅館の浴衣のまま座る。
まだ体は温泉で温まっていた。
その時――
襖がノックされる。
「失礼します」
瀬奈だった。
手には黒い瓶。
そしてグラス。
「お酒お持ちしました」
愛華は少し驚く。
「タイミングがいいですね」
瀬奈は笑う。
「ちょうど準備できたので」
黒い瓶を机に置く。
和春は瓶を見て小さく頷く。
「いい酒だな」
瀬奈がグラスを並べる。
その時。
和春が言った。
「瀬奈」
「はい?」
「もし大丈夫なら」
和春は普通の顔で言う。
「お前も飲んでけ」
瀬奈が一瞬固まる。
「え?」
和春は続ける。
「女将には連絡してある」
愛華がすぐ反応する。
「……和春」
少し呆れた声だった。
「いつ電話したんですか」
和春は普通に答える。
「さっき」
そして付け加える。
「お前が風呂から出て着替えてるとき」
愛華は一瞬言葉を失う。
「……」
そしてため息をつく。
「いつの間に」
瀬奈は二人を見ていた。
そして思う。
(……あれ)
(今の会話)
頭の中で整理する。
「風呂から出て着替えてるとき」
つまり――
(……やっぱり)
瀬奈の結論は一つだった。
この二人絶対一緒に入ってる。
瀬奈は内心で確信した。
だが。
もちろん口には出さない。
ただグラスを並べながら言う。
「じゃあ少しだけお邪魔します」

