■翌朝 ― 客室
朝の光が障子越しに部屋へ差し込んでいた。
静かな山の朝。
鳥の声が遠くから聞こえる。
布団の中で、愛華はゆっくり目を覚ました。
隣には――和春。
同じ布団で眠っていた。
昨夜。
部屋の露天風呂に入り、夜風に当たりながら温泉を楽しみ、
そのあと二人で日本酒を飲んだ。
そして――
結局、いつもと同じように。
肌を重ねてしまった。
愛華は小さくため息をつく。
和春はまだ眠っている。
「……もう」
少しだけ呆れたように笑う。
「旅行中くらい我慢してほしかったです」
そう言いながらも、声はどこか柔らかい。
和春がゆっくり目を開ける。
「起きたのか」
「はい」
愛華は布団から起き上がる。
「そろそろ朝食です」
浴衣を整え、軽く髪を直す。
和春も起き上がり、伸びをした。
「よく寝た」
「それは良かったです」
愛華は少し笑う。
昨夜は遅くまで起きていたのに、
和春は普通に元気そうだった。
⸻
■朝食前
着替えを終えた頃。
廊下から足音が聞こえる。
愛華が時計を見る。
「そろそろですね」
そのタイミングで、襖が軽くノックされた。
「失礼します」
襖が開く。
そこに立っていたのは――
瀬奈だった。
朝食の膳を運んでいる。
瀬奈は二人を見る。
そして――
ほんの一瞬だけ、
何かを察したような顔をした。
だがすぐに仕事モードに戻る。
「朝食お持ちしました」
料理をテーブルに並べながら、ちらっと二人を見る。
浴衣姿。
同じ部屋。
朝。
瀬奈の頭の中では。
(やっぱり……)
だが口には出さない。
普通の顔で料理を置いていく。
焼き魚。
出汁巻き卵。
湯豆腐。
味噌汁。
旅館らしい朝食だった。
瀬奈は最後に言う。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って襖を閉める。
廊下に出た瞬間――
瀬奈は心の中で思った。
(……うん)
(絶対付き合ってる)
もはや確信に近かった。
■客室 ― 朝食後
朝食を終えて少し経った頃。
部屋には静かな山の空気が流れていた。
窓の外では風が木々を揺らしている。
愛華は湯呑を片付け、和春は座卓の前で少しぼんやりしていた。
その時。
襖が静かにノックされた。
「失礼いたします」
瀬奈だった。
朝食の膳を下げに来たのだ。
だが――
瀬奈の後ろにはもう一人、立っていた。
着物姿の女性。
この旅館の女将だった。
瀬奈は食器を下げながら、少しだけ落ち着かない様子だった。
いつもの明るい顔ではない。
やがて作業を終えると、瀬奈は手を止めた。
そして和春と愛華の前に立つ。
少しだけ息を吸う。
「……あの」
瀬奈は頭を下げた。
「旅行中にこんな話をしてしまって、本当に申し訳ないんですけど」
隣の女将も、ゆっくりと頭を下げた。
「失礼を承知でお願いに参りました」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
和春は女将を見る。
女将は顔を上げた。
その表情は、旅館の女将としての顔ではなく――
家業を守ろうとしている人の顔だった。
「この旅館は、祖父の代から続いている温泉旅館です」
女将は静かに話し始めた。
「昔は、毎日満室でした」
視線を少し窓の外へ向ける。
「料理と温泉だけでお客様が来てくださる時代でした」
しかし。
声が少し落ちる。
「数年前に山の反対側に大きな温泉ホテルが出来まして」
新しいホテル。
大浴場。
広い露天風呂。
レストラン。
バイキング。
「宿泊料金も安くて」
女将は苦笑した。
「お客様はそちらへ流れてしまいました」
沈黙。
「うちは歴史があるだけで」
「新しい施設でもありません」
「料金も安くはできません」
帳簿の数字を思い出す。
「ここ数ヶ月……赤字が続いています」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
女将は再び頭を下げた。
「瀬奈から、お客様がコンサルをされていると聞きまして」
「無礼を承知でお願いに参りました」
深く頭を下げる。
「どうか、お力を貸していただけないでしょうか」
瀬奈も一緒に頭を下げた。
部屋は静まり返る。
和春は、しばらく何も言わなかった。
そして――
短く言う。
「無理だ」
その言葉は、あまりにもあっさりしていた。
瀬奈の肩がびくっと動く。
女将も、顔を上げる。
和春は続ける。
「コンサル料は高い」
静かな声だった。
「安くない」
「後輩だから値引きもしない」
その言葉は、はっきりしていた。
瀬奈は唇を噛む。
分かっていた。
でも――
女将は迷わなかった。
「それでも構いません」
はっきり言った。
「払います」
女将の声は震えていた。
「この旅館を守りたいんです」
瀬奈が小さく顔を伏せる。
和春はその様子を見ていた。
そして。
小さく息を吐く。
「俺じゃない」
女将が顔を上げる。
和春は指を動かした。
その先にいたのは――
瀬奈だった。
「そこに優秀なコンサルがいる」
瀬奈の思考が止まる。
「……え?」
和春は普通に言う。
「俺は依頼を受けない」
瀬奈は完全に固まっている。
女将も困惑していた。
「で、でも……」
和春は続ける。
「ただ」
瀬奈を見る。
「瀬奈の相談には乗る」
静かな声だった。
「それが、たまたまヒントになるかもしれない」
少し間を置く。
「ただそれだけだ」
瀬奈はまだ理解できていない。
自分が――
コンサル?
女将も戸惑っている。
その時。
愛華が初めて口を開いた。
静かな声だった。
「和春が言っている意味は」
瀬奈を見る。
「考える力を持っている人が、一番成長します」
少しだけ微笑む。
「答えをもらうより」
「自分で答えに辿り着いた方が、強いですから」
瀬奈はまだ混乱していた。
しかし――
胸の奥で、何かが動き始めていた。
朝の光が障子越しに部屋へ差し込んでいた。
静かな山の朝。
鳥の声が遠くから聞こえる。
布団の中で、愛華はゆっくり目を覚ました。
隣には――和春。
同じ布団で眠っていた。
昨夜。
部屋の露天風呂に入り、夜風に当たりながら温泉を楽しみ、
そのあと二人で日本酒を飲んだ。
そして――
結局、いつもと同じように。
肌を重ねてしまった。
愛華は小さくため息をつく。
和春はまだ眠っている。
「……もう」
少しだけ呆れたように笑う。
「旅行中くらい我慢してほしかったです」
そう言いながらも、声はどこか柔らかい。
和春がゆっくり目を開ける。
「起きたのか」
「はい」
愛華は布団から起き上がる。
「そろそろ朝食です」
浴衣を整え、軽く髪を直す。
和春も起き上がり、伸びをした。
「よく寝た」
「それは良かったです」
愛華は少し笑う。
昨夜は遅くまで起きていたのに、
和春は普通に元気そうだった。
⸻
■朝食前
着替えを終えた頃。
廊下から足音が聞こえる。
愛華が時計を見る。
「そろそろですね」
そのタイミングで、襖が軽くノックされた。
「失礼します」
襖が開く。
そこに立っていたのは――
瀬奈だった。
朝食の膳を運んでいる。
瀬奈は二人を見る。
そして――
ほんの一瞬だけ、
何かを察したような顔をした。
だがすぐに仕事モードに戻る。
「朝食お持ちしました」
料理をテーブルに並べながら、ちらっと二人を見る。
浴衣姿。
同じ部屋。
朝。
瀬奈の頭の中では。
(やっぱり……)
だが口には出さない。
普通の顔で料理を置いていく。
焼き魚。
出汁巻き卵。
湯豆腐。
味噌汁。
旅館らしい朝食だった。
瀬奈は最後に言う。
「ごゆっくりどうぞ」
そう言って襖を閉める。
廊下に出た瞬間――
瀬奈は心の中で思った。
(……うん)
(絶対付き合ってる)
もはや確信に近かった。
■客室 ― 朝食後
朝食を終えて少し経った頃。
部屋には静かな山の空気が流れていた。
窓の外では風が木々を揺らしている。
愛華は湯呑を片付け、和春は座卓の前で少しぼんやりしていた。
その時。
襖が静かにノックされた。
「失礼いたします」
瀬奈だった。
朝食の膳を下げに来たのだ。
だが――
瀬奈の後ろにはもう一人、立っていた。
着物姿の女性。
この旅館の女将だった。
瀬奈は食器を下げながら、少しだけ落ち着かない様子だった。
いつもの明るい顔ではない。
やがて作業を終えると、瀬奈は手を止めた。
そして和春と愛華の前に立つ。
少しだけ息を吸う。
「……あの」
瀬奈は頭を下げた。
「旅行中にこんな話をしてしまって、本当に申し訳ないんですけど」
隣の女将も、ゆっくりと頭を下げた。
「失礼を承知でお願いに参りました」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
和春は女将を見る。
女将は顔を上げた。
その表情は、旅館の女将としての顔ではなく――
家業を守ろうとしている人の顔だった。
「この旅館は、祖父の代から続いている温泉旅館です」
女将は静かに話し始めた。
「昔は、毎日満室でした」
視線を少し窓の外へ向ける。
「料理と温泉だけでお客様が来てくださる時代でした」
しかし。
声が少し落ちる。
「数年前に山の反対側に大きな温泉ホテルが出来まして」
新しいホテル。
大浴場。
広い露天風呂。
レストラン。
バイキング。
「宿泊料金も安くて」
女将は苦笑した。
「お客様はそちらへ流れてしまいました」
沈黙。
「うちは歴史があるだけで」
「新しい施設でもありません」
「料金も安くはできません」
帳簿の数字を思い出す。
「ここ数ヶ月……赤字が続いています」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
女将は再び頭を下げた。
「瀬奈から、お客様がコンサルをされていると聞きまして」
「無礼を承知でお願いに参りました」
深く頭を下げる。
「どうか、お力を貸していただけないでしょうか」
瀬奈も一緒に頭を下げた。
部屋は静まり返る。
和春は、しばらく何も言わなかった。
そして――
短く言う。
「無理だ」
その言葉は、あまりにもあっさりしていた。
瀬奈の肩がびくっと動く。
女将も、顔を上げる。
和春は続ける。
「コンサル料は高い」
静かな声だった。
「安くない」
「後輩だから値引きもしない」
その言葉は、はっきりしていた。
瀬奈は唇を噛む。
分かっていた。
でも――
女将は迷わなかった。
「それでも構いません」
はっきり言った。
「払います」
女将の声は震えていた。
「この旅館を守りたいんです」
瀬奈が小さく顔を伏せる。
和春はその様子を見ていた。
そして。
小さく息を吐く。
「俺じゃない」
女将が顔を上げる。
和春は指を動かした。
その先にいたのは――
瀬奈だった。
「そこに優秀なコンサルがいる」
瀬奈の思考が止まる。
「……え?」
和春は普通に言う。
「俺は依頼を受けない」
瀬奈は完全に固まっている。
女将も困惑していた。
「で、でも……」
和春は続ける。
「ただ」
瀬奈を見る。
「瀬奈の相談には乗る」
静かな声だった。
「それが、たまたまヒントになるかもしれない」
少し間を置く。
「ただそれだけだ」
瀬奈はまだ理解できていない。
自分が――
コンサル?
女将も戸惑っている。
その時。
愛華が初めて口を開いた。
静かな声だった。
「和春が言っている意味は」
瀬奈を見る。
「考える力を持っている人が、一番成長します」
少しだけ微笑む。
「答えをもらうより」
「自分で答えに辿り着いた方が、強いですから」
瀬奈はまだ混乱していた。
しかし――
胸の奥で、何かが動き始めていた。

