相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

■客室 ― 夕食

和春は料理を食べ、水を飲む。

「うまい」

また水を飲む。

そして、ほんの少しだけ物足りなさそうな顔をする。

愛華はその様子を見て、小さく息をついた。

「……仕方ないですね」

そう言って立ち上がる。

和春が顔を上げた。

愛華は冷蔵庫を開け、中から一本の黒い瓶を取り出す。

重みのある黒い瓶。
ラベルには静かに書かれていた。

残響
超特選 純米大吟醸

旅行用に、愛華がフロントへ頼んで冷やしておいてもらった酒だった。

本来は――
部屋の露天風呂のあとに飲むつもりだった酒だ。

愛華はグラスを一つ用意する。

そして和春の横に座ると、静かに酒を注いだ。

透明な酒がグラスの中でゆっくり揺れる。

「一杯だけです」

和春の前にグラスを置く。

和春はそれを見る。

そして――

明らかに嬉しそうな顔をした。

「いいのか」

愛華は落ち着いた声で答える。

「一人で入浴ならダメです」

「……」

「危険ですから」

少し間を置き、視線を外す。

「でも、私も入りますし」

和春が少し眉を上げる。

「……」

愛華は続ける。

「一杯だけなら」

和春はグラスを持つ。

「そういうことか」

愛華は瓶を軽く見ながら言う。

「露天風呂の後に一緒に飲もうと思っていたんですが」

和春がラベルを見る。

「高いな」

「旅行ですから」

愛華は平然と答える。

「五万円くらいです」

和春はグラスを口に運ぶ。

一口。

そして、少しだけ目を細めた。

「……うまい」

さっきまで水を飲んでいたときとは、明らかに顔が違う。

愛華はその様子を見て、小さく笑う。

「さっきまで不満そうだった人とは思えませんね」

和春はもう一口飲む。

そして静かに言う。

「満足した」

その顔は、さっきまでの子供みたいな顔とは違い――
少し落ち着いた、大人の表情だった。


■フロント ― 夜


瀬奈はフロントで帳簿を整理していた。

旅館の夜は静かだ。
夕食の時間帯を過ぎると、館内は落ち着く。

ふと、さっきの客室を思い出す。

和春と愛華。

そして――

あの黒い瓶。

「……残響」

小さく呟く。

超特選純米大吟醸。

瀬奈は酒が好きだ。
大学でも普通に飲める年齢になってから、いろいろ試している。

だからこそ分かった。

(あれ絶対美味しいやつ)

値段も見たことがある。

五万円以上。

(飲んでみたい……)

思わず天井を見上げる。

でもすぐ、思考が別の方向に進む。

さっきの会話。

露天風呂。

お酒。

同じ部屋。

瀬奈は頭の中で整理する。

男女二人。

同じ部屋。

露天風呂付き客室。

高級日本酒。

瀬奈は帳簿を閉じた。

(……いや)

(無理でしょ)

頭の中で断言する。

(付き合ってないと無理です)

瀬奈は、わりと常識人だった。

友人と温泉に来ることはある。

家族ともある。

でも。

男女二人で。

同じ部屋で。

露天風呂で。

酒を飲む。

(いやいやいや)

(それはもう)

カップルです。

瀬奈は腕を組む。

(あの距離)

(どう見ても)

思い出す。

和春が普通に愛華を見ている距離。

愛華が普通に叱っている距離。

あの自然さ。

(あれで)

(付き合ってないって言うのは)

瀬奈は小さくため息をついた。

(無理あるよ先輩……)

あの二人の距離は、

もうとっくに

普通の相方の距離ではなかった。