相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

静けさが戻った部屋の中、愛華は軽く息をついた。

乱れたメイド服の襟元を直し、ボタンを留める。
さっきまでの空気を切り替えるように、肩を小さく払った。

「……お風呂、行ってください」

ソファに寄りかかっていた和春を見る。

「あとで」

「今です」

間を置かず言う。

「一度ちゃんと寝ないと、一週間コーヒー禁止にします」

数秒の沈黙。

和春は立ち上がった。

「分かった」

素直に浴室へ向かう背中を見送り、愛華は小さくため息をつく。



洗面所の扉が閉まる音を確認してから、テーブルの上の書類を揃える。
ソファのクッションを直し、カップを片付ける。

当たり前のように繰り返される時間。
肌を重ねても――

名前はない。

恋人でも、夫婦でもない。
けれど他人でもない距離。

ふと手が止まる。

(側から見れば、都合のいい関係なんでしょうか)

自分で考えて、首を振る。

和春は、他の女性のアプローチに興味を示さない。
あのモデルのアリシアでさえ、視線すら変わらなかった。

独占しているつもりはない。
けれど、近づける気配もない。

(……多分)

書類を整えながら、小さく笑う。

(私の一番のライバルは、仕事ですね)

馬鹿らしい考えだと分かっていても、
なぜか少しだけ納得してしまう。

掃除を終えた頃、浴室から水音が止まった。



◼️夕食

寝室のカーテン越しに、やわらかな夕焼けが差し込んでいた。

和春は静かに目を覚ます。
久しぶりにまとまった睡眠を取ったせいか、思考が妙に軽い。

そして――

ふわりと漂う匂いに、視線が扉へ向く。

「……鰻か」

呟きながらリビングへ向かう。

キッチンから湯気が上がっている。
フライパンの音、味噌汁の香り、甘いタレの匂い。

「起きましたか」

振り向いた愛華は、メイド服ではなく私服だった。
淡い色の部屋着にエプロン姿。

「買い物行ってたのか」

「はい。夕方前にシャワーを浴びてから」

「一人で?」

「あなたは寝てました」

淡々と答えながら皿を並べる。

テーブルの上には、照りのある鰻重。
湯気の立つ吸い物。

「疲労回復には適しています」

「そうだな」

和春は席に座る。

「……珍しい」

「何がです」

「夕飯が豪華だ」

愛華は一瞬だけ言葉を止める。

「旅行前ですから」

「関係あるか?」

「あります。体力を戻してもらいます」

箸を渡す。

「寝不足のまま温泉に行かれても困ります」

「管理が厳しいな」

「相方兼生活管理です」

わずかに口元が柔らぐ。

和春は一口食べる。

「うまい」

「当然です」

その声はいつも通りだが、
少しだけ柔らかかった。

夕方の静かな時間。
仕事のない、珍しい日常だった。