Boundary & Mind     心の境界線

■温泉の予定

プロボノ案件が終わって三日。
リビングのテーブルにはノートパソコンとタブレット、そして紙のスケジュール表が三種類並んでいた。

愛華は静かにため息をつく。

「……詰めすぎです」

和春はソファに座ったまま資料を読んでいる。

「いつも通りだろ」

「いつも通りの量を三倍にしたのが今です」

タブレットを回して見せる。

⸻

今週の業務
•大学講義(心理・経営)
•中小企業コンサル ×3
•個人相談 ×4
•如月法律事務所 新人教育
•海外企業コンサル(フランス・カナダ)
•オンライン会議(時差深夜2件)

⸻

「本来、五人以上のチームで回す量です」

「二人で回せてる」

「回ってる“ように見える”だけです」

和春は少しだけ視線を上げる。

「問題あるか?」

愛華は数秒黙る。

「……あります」

「どこだ」

「和春の睡眠時間が三時間を切りました」

沈黙。

「人は倒れないと止まりません」

「俺は倒れない」

「知ってます。だから調整してます」

愛華はカレンダーを一つ動かした。

⸻

■強制休養

「今週末、空白を作りました」

「案件は?」

「断りました」

「珍しいな」

「理由があります」

愛華は机の端に置いていた封筒を差し出す。

和春が開く。

中には派手なチケット。

⸻

一等 ペア温泉旅行

⸻

「……」

「スーパーの福引きです」

「覚えがない」

「引きました。あなたが」

「そうか」

愛華はじっと見る。

「三十連続で外した人の後でしたね」

「確率収束だな」

「違います。強運です」

和春は無言でチケットを見る。

「行く必要あるか?」

「あります」

即答だった。

「働きすぎです」

「支障はない」

「私にあります」

和春が目を上げる。

愛華は淡々と言う。

「管理対象が壊れると困ります」

一拍。

「……仕事だな」

「はい。仕事です」

⸻

■本音の混ざった理由

少し間が空いた。

愛華が小さく付け足す。

「それと」

「?」

「……たまには、何もしない時間も必要です」

和春は黙る。

「和春の知名度が上がって、仕事は増える一方です」

「断ればいい」

「断りませんよね」

「必要なら受ける」

「だからです」

愛華は視線を逸らした。

「あなたが止まらないなら、私が止めます」

静かな声だった。

⸻

■決定

和春はチケットを机に置く。

「いつだ」

「金曜出発です」

「海外案件は」

「前倒ししました」

「大学講義の資料は?」

「資料配布済みです」

「……」

和春は小さく息を吐く。

「準備がいいな」

「相方兼メイドなので」

一瞬の沈黙のあと、和春が言う。

「分かった。行く」

愛華の指が一瞬止まった。

ほんのわずかだけ、表情が柔らぐ。

「了解です」

その声はいつもと同じはずなのに、少しだけ軽かった。