タクシーのドアが閉まる。
夜の街のネオンが、窓越しに流れていく。
静かな車内――のはずだった。
「……また奢りましたね」
低い声。
和春は外を見たまま答える。
「祝い酒の礼だろ」
「“礼”の範囲を毎回拡張しないでください」
一呼吸置く。
「しかも、あの方まで」
「一緒にいたんだから同じだろ」
「財布の倫理観が甘すぎます」
沈黙。
だが、終わらない。
「それと」
少し間を置き、
「モデルのアリシアさん、綺麗でしたね」
和春がちらりと視線を向ける。
「そうか?」
「そうか?じゃありません。
雑誌の表紙を飾るレベルの方ですよ」
淡々と続ける。
「連絡先、交換したかったですか?」
「別に」
即答。
愛華の視線が細くなる。
「随分興味なさそうでしたが、内心ではどうでした?」
「どうも思ってねぇよ」
「普通の男性は少なくとも喜びます」
「俺は普通じゃない」
「ええ、知ってます。残念な方向に」
タクシーが信号で止まる。
外の赤い光が、車内を一瞬染めた。
「……あの方、和春の本のファンだそうですよ」
「そうらしいな」
「嬉しくないんですか?」
「別に」
愛華の眉がぴくりと動く。
「女性から好意を向けられても何も感じないんですか?」
「仕事の話だろ」
「……そうですか」
短い返事。
それ以上は言わなかったが、空気が少し硬くなる。
やがてタクシーは自宅前に止まる。
⸻
玄関に入り、靴を脱ぐ。
和春は習慣のように冷蔵庫を開けた。
プシュ――と
開ける前に、缶が消えた。
「……おい」
愛華が無言でブラック缶コーヒーを持っている。
「没収です」
「なんでだ」
「さっきお酒を飲みました」
「三杯だろ」
「三杯“も”です。約束は1杯でした」
そして冷蔵庫を閉める。
「今日は水だけです」
「別にいいだろコーヒーくらい」
「よくありません」
ぴしゃり。
「本日カフェイン摂取量、既に基準値超過です」
「誰の基準だ」
「私の基準です」
即答。
和春がため息をつく。
「一口くらい――」
「ダメです」
一歩近づく。
「……怒ってんのか?」
愛華は一瞬だけ黙る。
それから、
「怒っていません」
間。
「ただ」
視線を逸らしたまま、
「少し、気に入りませんでした」
それだけ言って、キッチンへ歩いていく。
テーブルにコップが置かれる。
水。
「飲んでください」
和春は受け取る。
「……はいはい」
愛華は背を向けたまま、もう一度だけ小さく呟く。
「連絡先、交換しなくて正解です」
小さすぎて、聞こえたかどうか分からない声だった。
夜の街のネオンが、窓越しに流れていく。
静かな車内――のはずだった。
「……また奢りましたね」
低い声。
和春は外を見たまま答える。
「祝い酒の礼だろ」
「“礼”の範囲を毎回拡張しないでください」
一呼吸置く。
「しかも、あの方まで」
「一緒にいたんだから同じだろ」
「財布の倫理観が甘すぎます」
沈黙。
だが、終わらない。
「それと」
少し間を置き、
「モデルのアリシアさん、綺麗でしたね」
和春がちらりと視線を向ける。
「そうか?」
「そうか?じゃありません。
雑誌の表紙を飾るレベルの方ですよ」
淡々と続ける。
「連絡先、交換したかったですか?」
「別に」
即答。
愛華の視線が細くなる。
「随分興味なさそうでしたが、内心ではどうでした?」
「どうも思ってねぇよ」
「普通の男性は少なくとも喜びます」
「俺は普通じゃない」
「ええ、知ってます。残念な方向に」
タクシーが信号で止まる。
外の赤い光が、車内を一瞬染めた。
「……あの方、和春の本のファンだそうですよ」
「そうらしいな」
「嬉しくないんですか?」
「別に」
愛華の眉がぴくりと動く。
「女性から好意を向けられても何も感じないんですか?」
「仕事の話だろ」
「……そうですか」
短い返事。
それ以上は言わなかったが、空気が少し硬くなる。
やがてタクシーは自宅前に止まる。
⸻
玄関に入り、靴を脱ぐ。
和春は習慣のように冷蔵庫を開けた。
プシュ――と
開ける前に、缶が消えた。
「……おい」
愛華が無言でブラック缶コーヒーを持っている。
「没収です」
「なんでだ」
「さっきお酒を飲みました」
「三杯だろ」
「三杯“も”です。約束は1杯でした」
そして冷蔵庫を閉める。
「今日は水だけです」
「別にいいだろコーヒーくらい」
「よくありません」
ぴしゃり。
「本日カフェイン摂取量、既に基準値超過です」
「誰の基準だ」
「私の基準です」
即答。
和春がため息をつく。
「一口くらい――」
「ダメです」
一歩近づく。
「……怒ってんのか?」
愛華は一瞬だけ黙る。
それから、
「怒っていません」
間。
「ただ」
視線を逸らしたまま、
「少し、気に入りませんでした」
それだけ言って、キッチンへ歩いていく。
テーブルにコップが置かれる。
水。
「飲んでください」
和春は受け取る。
「……はいはい」
愛華は背を向けたまま、もう一度だけ小さく呟く。
「連絡先、交換しなくて正解です」
小さすぎて、聞こえたかどうか分からない声だった。

