相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる


ほんの一瞬の沈黙のあと――

和春が普通に答えた。

「住んでる」

瀬奈が固まる。

「えっ」

想定外にあっさりだった。

愛華は紅茶を一口飲み、ため息をつく。

「補足します」

その言い方はいつもの“業務説明”の口調だった。

「私が仕事を手伝い始めた頃、和春の生活を知りませんでした」

「外では完璧でしたから」

瀬奈が頷く。

「今も完璧ですよね‥」

愛華の目が細くなる。

「家ではダメダメです」

「正直、詐欺です」

和春「言い過ぎだろ」

「事実です」



■初めて家に行った日

「最初は、仕事の資料を取りに戻っただけでした」

愛華は少し視線を遠くにやる。

「……驚きました」

「なにがですか?」

「生活の痕跡が壊滅していました」

瀬奈が笑うのをこらえる。

愛華は淡々と語る。

「靴下は片方迷子」

「ゴミはまとめてありますが、洗い物は山」

「洗濯物は椅子に積層構造」

「食事はカップ麺とコーヒー」

「偏見だ」

「冷蔵庫に食材はありませんでした。あるのはブラックコーヒーの缶と水だけ‥」

「必要なエネルギーはサプリとプロテインで足りると言われました」

瀬奈「えぇ……」

「しかも」

一拍。

「書斎だけは異常に綺麗でした」

瀬奈が吹き出す。

「なんでそこだけ!?」

和春は平然と答える。

「仕事に必要な場所だからだ」

愛華が頷く。

「生活は不要。仕事は必要。そういう分離思考です」



■提案

「このままでは、いずれ仕事に影響が出ると判断しました」

「体調管理は判断力に直結します」

「相方が倒れたら困ります」

瀬奈が小さく呟く。

「相方…」

愛華は続ける。

「なので提案しました」

『生活を整える人間を入れるべきです』


「そうだな、愛華に家事代行を勧められた」

「ですが、断られました」

「他人を家に入れたくない」

「意外と神経質…」

愛華は淡々と言う。

「なら私がやります」

「そうなった」

「それが現在です」

紅茶を置く。

「相方兼メイドです」



■現在

瀬奈は二人を交互に見る。

「……なるほど」

少し笑う。

「すごい納得しました」

「講義の連携も生活の延長なんですね」

愛華は首を傾げる。

「そうですか?」

「はい」

瀬奈は思う。

二人の距離は恋人より近いのに、
恋人の空気ではない。
でも時々めちゃくちゃ甘い雰囲気になってる。

役割が先にあって、
関係が後から付いてきた感じ。

「でも」

瀬奈は笑う。

「カップ麺生活から抜けられたんですね」

和春はコーヒーを飲む。

「生活効率は上がった」

愛華は小さく言う。

「仕事のためです」

二人の間に、自然な沈黙が落ちる。

瀬奈は確信する。

(この二人……)

(ただの同居じゃないな)

けれど、その言葉は口にしなかった。



◼️カフェ ― 境界線

瀬奈はまだにやにやしていた。

「“相方”って便利な言葉ですよね〜」

愛華が紅茶を傾ける。

「便利というより正確です」

「じゃああの空気はなんですか?
恋人のやつです」

和春はコーヒーを飲む。

「知らん」

「絶対分かって――」

「ねえ、お姉さん」

横から声が割り込んだ。

振り向く前に、男が距離へ入ってくる。

慣れた笑み。
軽い態度。

「さっきから目立ってたよ」

そのまま肩に手が置かれる。

愛華の動きが止まる。

一瞬だけ、目線が下がる。
置かれた手を見る。

そして、ゆっくり言った。

「その距離で話す理由、あります?」

男が笑う。

「固いなぁ、ちょっと話すだけ――」

「“ちょっと”の範囲に身体接触は含みません」

静かな毒だった。

空気がわずかに張る。

男が言い返そうとした、その時。

椅子が鳴る。

和春が立つ。

声は出さない。
手も出さない。

ただ一歩、近づく。

カフェのざわめきが、すっと落ちる。

理由は分からないのに、
何人かが会話を止める。

男の視界に和春が入る。

和春は、表情を変えずに言った。

「離れろ」

小さい声だった。

けれど、逃げ場のない声音。

空気が凍る。

男の喉が詰まる。

数秒、動けない。

手が離れる。

「……悪い」

理由も分からないまま、足早に去っていく。

数拍遅れて、店の音が戻る。

瀬奈が息を吐いた。

「……今の、怖」

和春は座る。

何もなかったようにコーヒーを飲む。

愛華はカップを持ち、ほんの少しだけ視線を伏せる。

「……助かりました」

和春は答えない。

ただ、テーブルの端に寄っていた愛華のカップを
元の位置へ戻す。

瀬奈は二人を見る。

会話はない。

でも、明確な線があった。

誰も踏み込めない距離。

さっきまでの“恋人みたい”という言葉が、
急に軽く感じる。

(これ……)

(そういう次元じゃない)

氷が静かに鳴った。



数秒前まで凍っていた空気を、瀬奈が大きく息を吐いて壊した。

「いやいやいや……」

額を押さえて笑う。

「今の映画でした?」

和春は普通にコーヒーを飲む。

「大げさだ」

「カフェの空気止まりましたよ!?
店員さんも固まってましたよ!?」

愛華は紅茶を飲む。

「瀬奈も固まっていました」

「そりゃ固まりますって!」

笑いながら、ふっと視線を愛華へ向ける。

「先輩も結構怖かったですよ。あの毒舌」

「必要な距離の確認です」

「いやもう完全に縄張りの確認でした」

愛華が一瞬だけ止まる。

「……瀬奈」

「はい?」

「あなたはどうなんですか」

「え?」

「彼氏」

瀬奈が瞬きをする。

「いないですよ?」

「そうですか」

一拍。

瀬奈がにやっと笑う。

「じゃあ」

和春へ顔を向ける。