廊下の空気が少し和らいだ頃。
瀬奈が遠慮がちに口を開く。
「……あの、もしこの後お仕事なければ、カフェ行きませんか?」
愛華が和春を見る。
「午後は空いてましたね」
「そうだな」
「じゃあ決まりですね!」
ぱっと表情が明るくなる。
■大学近くの小さなカフェ。
昼下がりの柔らかい光が窓から差し込み、
講義の熱気が少しずつ日常に戻っていく時間。
三人は窓際の席に座った。
瀬奈はまだどこか興奮していた。
ノートの代わりに頭の中を整理しているような顔だ。
「……やっぱり、さっきの講義すごかったです」
ストローを回しながら言う。
「“ブラック企業とホワイト企業の違いは制度じゃなくて思想”って…」
和春はコーヒーを一口飲む。
「仕組みは思想の結果だからな」
「それを、あんな分かりやすく説明できるのがすごいんです」
一拍、迷う。
「……で、結局なんなんですか?」
「なにが」
「和春さんです」
愛華が小さく息を吐いた。
この流れは来ると思っていた顔だ。
■スペックの話
「瀬奈、想像してる“頭がいい人”の範囲を一回捨ててください」
「え?」
「この人、その枠に収まりません」
「言い方」
愛華は無視する。
「まず資格ですが」
指を折る。
「公認心理師、精神保健福祉士、社会福祉士」
「公認会計士」
「教員資格」
「心理系民間資格多数」
瀬奈の動きが止まる。
「……はい?」
「道具だ」
「さらに経営分野、法律知識、IT、建築、不動産、医学」
「六ヶ国語」
「合気道は二段ですが、実力は四段以上」
「試験受けてないだけだ」
沈黙。
瀬奈の目が完全に停止する。
「……人生何周目ですか?」
「一周目」
即答だった。
■年齢の疑問
「いや待ってください」
瀬奈は前のめりになる。
「年齢的に無理ですよね!?どうやったんですか!」
和春は少しだけ間を置く。
「高校は途中で辞めた」
「え?」
「海外の飛び級制度使って大学入った」
愛華が補足する。
「21歳で卒業しています」
瀬奈の思考が止まる。
「……は?」
「そこから取れる資格は全部取った」
「弁護士は後回しにしただけだ」
「今は実務修習中です」
瀬奈は完全に理解を放棄しかける。
「……人ってそんなに覚えられるんですか」
愛華が静かに答える。
「量ではなく構造です」
「構造?」
「知識を“点”で覚えない。“関係性”で覚える。
だから分野が増えるほど覚える速度が上がるタイプです」
瀬奈は呆然とする。
「歩く専門書……」
「書斎、本当に専門書だらけですよ」
「その代わり生活能力は壊滅的です」
「余計だ」
「コーヒーは毒になります」
「否定はしない」
瀬奈は思わず笑った。
■なぜコンサルなのか
少し間。
瀬奈はふと疑問を口にする。
「……でも」
「なんでコンサルなんですか?」
「それだけ出来るなら、医者とか弁護士とか研究者とか…」
自然な疑問だった。
和春はカップを置く。
そして、答えなかった。
窓の外を見る。
ほんの一瞬、表情が消える。
愛華もそれに気づく。
瀬奈も気づく。
――空気が変わる。
「……ま、向いてたからだ」
短い答え。
それ以上はなかった。
二人は追及しない。
触れてはいけないものがあると、
直感で分かる沈黙だった。
■そして
空気を変えるように瀬奈が笑う。
「……本当にすごいですね」
そして、ふと気づく。
会話の距離感。
知りすぎている生活情報。
自然すぎる補足。
ゆっくり二人を見る。
「……あの」
「どうしました?」
瀬奈は慎重に聞く。
「……もしかしてですけど……一緒に住んでます?」
時間が止まる。
カップの氷が小さく鳴った。
