相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

夜 ― リビング

酒は一杯で終わった。

グラスを置いた空が、ふと思い出したようにバッグを開ける。

「……あ、そうだ」

封筒の束を取り出し、テーブルに置く。

和春は一瞬で察する。

「仕事か」

「祝い“ついで”ね」

愛華の視線が紙へ落ちる。

分厚い。

「実務修習の案件。裁判所提出用の起案、準備書面の草案、あと期日整理」

「早いな」

「合格したって言ったの、あんたでしょ」

空が肩をすくめる。

「どうせ形式的に名前貸すだけじゃ終わらないでしょ。最初から回す」

和春は紙を一枚めくる。

数秒で読み終える。

「民訴の主張整理甘いな。争点の切り分けが雑だ」

「新人が書いたのよ」

「だからだ」

自然に愛華へ渡す。

「愛華」

「はい」

受け取った瞬間、目の動きが変わる。

さっきまでの空気が消える。

「……弁済期の認定曖昧ですね。期限の利益喪失の主張と整合取れてません」

空が眉を上げる。

「一読でそこまで分かるの」

「あと証拠説明書、甲号証の立証趣旨が弱いです。事実認定拾えません」

和春が頷く。

「スケジュール確認」

愛華はすぐタブレットを開く。

「明後日午前、警察協議。午後は空き。翌日は終日移動」

数秒思考。

「……二日あれば終わります」

空が吹き出す。

「新人三週間かかってるんだけど」

「無駄が多い」

和春が淡々と言う。

「俺が骨子組む。愛華、証拠整理と条文対応付け」

「了解です」

完全に業務モード。

数分前までパジャマで並んで白湯を飲ませていた距離のまま、
内容だけが専門職に切り替わる。

空が呆れた顔をする。

「ねえ」

二人とも顔を上げない。

「祝いに来たんだけど?」

「祝っただろ」

「一杯で終わったわよ」

愛華が書類に目を落としたまま言う。

「合理的です」

空がため息をつく。

「……ほんと、変なコンビね」

和春がページをめくる。

「効率がいいだけだ」

「それを世間はコンビって言うの」

愛華が小さくだけ視線を上げる。

「相方です」

一瞬だけ、空が微笑む。

「そういうことにしておきましょうか」

テーブルの上には、祝い酒の空きグラスと、法律書類。

夜はそのまま仕事の空気へ戻っていった。



リビング ― 書類確認の途中

ページをめくる音だけが続く。

空はグラスを揺らしながら、しばらく二人を眺めていた。

和春は骨子を書き、
愛華は横で条文と証拠を対応付ける。

会話は少ないのに、作業は噛み合っている。

「……ねえ、愛華ちゃん」

手が止まる。

「はい?」

「そこまで法律わかるなら、弁護士資格取るつもりなかったの?」

愛華は少し視線を落とす。

「……元々、ここまで知識を入れるつもりはありませんでした」

和春は何も言わず、ペンを動かしたまま聞いている。

「ただ」

一拍。

「和春をサポートしようと思うと、法律も医療も会計も……最低限は理解していないと会話になりませんので」

空の眉がわずかに上がる。

「隣に立つのも、大変なんです」

部屋が静まる。

和春は顔を上げない。
否定もしない。

ただ当然のことのように書類へ線を引く。

空は小さく笑う。

「……なるほどね」

グラスを置く。

「ハルくんが化け物なのは知ってたけど」

和春がペンを止める。

「誰が化け物だ」

即座にツッコミが入る。

空は肩をすくめる。

「事実でしょ」

そして愛華を見る。

「あなたも大概よ」

愛華は首を傾げる。

「そうでしょうか」

「ええ。最低限なんて、とっくに越えてる」

一瞬だけ愛華の視線が揺れる。

その横で和春が淡々と告げる。

「愛華、そこ条文一個ズレてる」

「失礼しました」

すぐ修正する。

空はそれを見て、小さく息を吐いた。

「……というか」

書類を指で叩く。

「実務修習って、本来一人でやるものよ?」

和春は視線も上げない。

「形式上はな」

「“形式上”じゃないの。制度上よ」

空が呆れた顔をする。

「弁護士資格は個人資格。補助付きとか前提にないの」

和春はさらりと返す。

「俺が書いて、愛華が検証してるだけだ。提出名義は俺だろ」

「それを共同作業って言うのよ」

ため息。

数秒の沈黙のあと、空はグラスを口に運ぶ。

「……まぁ別にいいけど」

和春はペンを動かしたまま。

「なんだよ」

「表に出ないし」

さらっと言う。

「実務修習の評価は成果物基準。誰が横にいたかなんて記録に残らない」

愛華を見る。

「あなた、完全に“影の共同弁護士”ね」

愛華は少しだけ困った顔をする。

「そのつもりはありませんが」

空は小さく笑う。

(でも)

(隣に立つ、か……)

二人の距離を見る。

呼吸を合わせるように作業する空気。

資格の問題ではない。

空は確信する。

「ほんと、変な関係ね」

誰も否定しなかった。




深夜 ― 0:03

書類の束が閉じられる。

「今日はここまでだな」

和春がペンを置く。

愛華もタブレットを閉じる。

空はすでに帰った。
祝い酒の余韻だけがテーブルに残っている。

部屋は静かだ。

「……お疲れさまでした」

「ん」

二人同時に立ち上がる。

いつも通り、それぞれの部屋へ向かう流れ。

廊下の途中。

愛華が自分のドアの前で足を止める。

一瞬だけ、空気が静まる。

「……」

後ろから声。

「愛華」

振り向く。

和春は寝室のドアの前に立っている。

「今日、こっち来るか」

短い言葉。

余計な理由はない。

愛華はほんの少し目を瞬かせる。

「……はい」

拒まない。

照れたように視線を落とすが、口元は隠しきれない。

和春が一歩近づく。

愛華も一歩。

自然に距離が消える。

和春の腕が回る。

強くはない。
逃げ場を塞ぐでもない。

ただ、そこに収めるような動き。

愛華は躊躇なく身体を預ける。

「……白湯しか飲ませなかったからですか」

小さな冗談。

和春はわずかに笑う。

「違う」

「では?」

「一緒にいたいと思った」

それだけ。

愛華の耳がほんのり赤くなる。

そっと、和春の胸に頬を寄せる。

「……嬉しいです」

小さな声。

名前は呼ばない。

好きとも言わない。

この関係にまだ名前は無い‥

ただ、腕の中に収まる。

部屋の灯りが落ちる。

静かな夜が、もう一度始まる。