車が自宅のガレージへ滑り込む。
エンジンを切ると、少しだけ静寂が戻った。
「……次の予定」
和春がハンドルから手を離し、淡々と聞いた。
助手席の愛華がタブレットを確認する。
「本日は、あとはオンラインのみです」
「企業か?」
「いえ」
少しだけ言葉を選ぶように続けた。
「……会議と言うか、雑談になりそうですが」
和春が小さく笑う。
「ああ、フランノットか」
「はい。フランスの実業家、フランノット氏です」
後部座席の結衣が反応した。
「誰それ!? 名前もう強そうなんだけど!」
⸻
■ フランノットとの縁
リビングへ入り、靴を脱ぐ。
結衣がソファへ飛び込む横で、和春はそのまま書斎へ向かった。
愛華も自然に後ろへ続く。
「……BRAで会ったんでしたよね」
「ああ」
和春がパソコンを起動する。
画面が立ち上がる間、少しだけ昔話の空気になった。
フランスの実業家――フランノット。
出会いは偶然だった。
和春がよく行くBARで、隣に座った男。
ワインを片手に経営論を語り合い、
冗談半分で言った。
「こんなの売れるんじゃねぇか?」
その商品が――
世界的にヒットした。
結果。
和春の個人口座には、今でも利益の一部が振り込まれている。
だが和春自身は、それを自慢することはない。
「……ただの縁だ」
それだけだった。
⸻
■ スケジュール確認
愛華がタブレットを閉じる。
「テレビ局の案件ですが」
「ん?」
「改善提案はメールにて送信済みです。
本日の業務は以上になります」
「早いな」
「相方兼メイドですので」
淡々とした声。
だが、ほんの少しだけ誇らしげだった。
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■ 書斎
オンライン通話が接続される。
画面に映るのは、金髪混じりの中年男性。
スーツ姿だが、どこかラフな雰囲気。
『Kazuharu ! Mon ami !』
和春が軽く手を上げる。
「Ça fait longtemps, Flannot.」
流れるようなフランス語。
ドアの隙間から、結衣がこっそり覗いた。
(……なに言ってんの!?)
まったく分からない。
だが空気だけは楽しそうだ。
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■ フランス語会話
『Alors, comment va le Japon ?』
(日本はどうだい?)
「Toujours calme. Et toi ?」
(いつも通りだ。そっちは?)
愛華も自然に会話へ入る。
「Nous avons envoyé les documents hier.」
(昨日、資料は送信済みです)
結衣が固まった。
(……え、愛華さんも普通に話してる)
和春の頭の良さは昔から知っている。
だが。
愛華も同じレベルで話している。
しかも自然に。
尊敬というより、もはや別世界だった。
⸻
■ 経営雑談
フランノットが笑いながら話す。
『Ton idée… incroyable. Le produit explose encore en Europe.』
(君のアイデア、まだヨーロッパで爆発的に売れてるよ)
「Je t’avais dit.」
(言っただろ)
軽い調子。
まるで友人同士の雑談。
だが話している内容は完全に経営。
市場の動き。
消費者心理。
物流の最適化。
専門用語が飛び交う。
結衣は完全に理解不能だった。
(……え、これほんとに雑談?)
⸻
■ 横で聞く結衣
ドアの隙間から聞き耳を立てる。
だが全部フランス語。
「……わからん」
小声で呟く。
でも一つだけ分かることがあった。
和春が楽しそうに話している。
そして。
愛華が同じテンポで隣にいる。
(……なんか、すごいなこの二人)
兄の頭の良さは知っていた。
でも。
愛華はそれ以上に、自然だった。
尊敬に近い感情が、胸に浮かぶ。
⸻
■ 会議終了
『On boit encore ensemble bientôt.』
(また一緒に飲もう)
「Quand tu viens au Japon.」
(日本に来たらな)
通話が切れる。
書斎に静寂が戻った。
和春が椅子にもたれる。
「……雑談だったな」
「はい」
愛華が小さく笑う。
「ですが、次の商品構想はかなり具体的でした」
「まあな」
そのとき。
ドアが勢いよく開いた。
「おにぃ!!」
結衣が飛び込んでくる。
「今の何!? 外国語大会!?」
「フランス語だ」
「いや分かってるけど!!」
愛華が少しだけ首を傾げる。
「聞いていたんですか?」
「聞き耳っていうか……全然意味分からなかった!!」
そして真剣な顔で言った。
「……おにぃもすごいけど、愛華さんも天才すぎない?」
一瞬、沈黙。
愛華は少しだけ視線を逸らし、静かに答えた。
「……相方ですので」
それだけだった。
でも。
その言葉には、確かな誇りがあった。
