相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

 リビングには、静かなキーボードの音が響いていた。

 帰宅後、食事も片付き、いつもの夜。

 神代和春はノートパソコンを開き、メール一覧を眺めている。

 天城愛華はソファの背に手を置きながら、その画面を覗き込んでいた。

 ふと、和春の指が止まる。

「……来たな」

「テレビ局ですか?」

「ああ。修正版」

 クリック音。

 画面に開いたのは、先日の恋愛リアリティ案件。

――【改訂案】企画書 ver.2

「見るか」

「はい」

 愛華は自然な動きで隣に腰を下ろす。

 距離が近づく。

 前なら気にも留めなかった位置。

 今は、体温が分かる。

 画面の文字を追うため、ほんの少しだけ身体を寄せる。

 和春の肩の位置。
 呼吸のリズム。

 意識しないようにしても、視界の端に入ってくる。

■ 企画書確認

「……カメラオフ時間、追加されていますね」

「ああ」

 和春がスクロールする。

「心理面談も入れたか」

「前回より安全設計が明確です」

 文章は慎重になっていた。

 参加者の同意書。
 放送後フォロー。
 SNS対策。

 愛華は無意識に少し身を乗り出す。

 袖が和春の腕に触れそうで触れない。

(……近い)

 そう思った瞬間、
 会議での言葉が頭をよぎる。

 距離が近いと、
 好意と錯覚は混ざる。

 愛華は、視線を画面に戻した。

■ 電話

 そのとき、テーブルの上で短い振動音が鳴った。

 和春の個人用スマホ。

 表示された名前が、ほんの一瞬だけ視界に入る。

――結衣

 和春が小さく息を吐く。

「……悪い」

「どうぞ」

 通話ボタンを押す。

「……もしもし」

 声のトーンが少しだけ変わる。

 仕事の声ではない。

 だが、どこか面倒そうだった。

『おにぃ~』

 明るい女性の声が、通話越しに響く。

 愛華の指先が、わずかに止まる。

『明日遊びに行くから、駅まで迎えにきてね~』

 遠慮のない口調。

 甘えた響き。

 和春は目を閉じた。

「……急だな」

『いいじゃん別に~』

 軽い笑い声。

「……分かった。時間送れ」

『やったー!』

 通話が切れる。

 静寂が戻った。

■ 妹という存在

 和春がスマホをテーブルに置いた。

 少しだけ間があって、愛華が口を開く。

「……妹さん、ですか?」

「ああ」

 短い肯定。

「結衣。下の妹だ」

 やはり、という感覚。

 胸の奥にあった小さなざわつきが、少しだけ形を変える。

「……昔から、よく来るんですか?」

 自然な質問だった。

 和春は肩をすくめる。

「まあな。急に来るタイプだ」

 そこで愛華は、小さく首を傾げた。

「……でも」

 言葉を選びながら続ける。

「私が住み始めてから……半年と少しになりますけど、
 一度も連絡ありませんでしたよね」

 矛盾を指摘するような口調ではない。

 純粋な疑問。

 和春は少しだけ考え、視線を外した。

「ああ……その間は、向こうが忙しかったらしい」

「そうなんですね」

「だから、久しぶりだな」

 その言葉に、愛華は小さく頷く。

 半年。

 自分がここで暮らしてきた時間。

 その間、和春の家族の気配はなかった。

 だからこそ、少しだけ意外だった。

■ 距離の戻り方

「……仲、いいんですか?」

 気づけば、次の質問が出ていた。

 和春は少しだけ笑う。

「普通だろ」

「普通……」

 その曖昧な答えが、妙に和春らしい。

 愛華は無意識に距離を戻していた。

 さっき少し離れていた位置から、
 また同じ画面を覗き込む距離へ。

 体温が分かる位置。

 何も言わない。

 ただ、企画書を読み進める。

 画面の光が、二人の顔を静かに照らしていた。

■ 余韻

 恋愛リアリティ。

 他人の恋を設計する仕事。

 その横で、名前をつけない感情だけが揺れる。

 さっき感じた小さな違和感は、
 妹という言葉で少しだけ形を変えた。

 安心したような。

 それでも、完全には消えないような。

(……意識してほしいなんて)

 頭の中で、ふと浮かぶ言葉。

 すぐに打ち消す。

 これは仕事だ。

 相方としての距離。

 それ以上でも、それ以下でもない。

「……続き、見ますか」

「ああ」

 短いやり取り。

 画面の文字を追いながら、
 二人の距離は自然なまま保たれていた。

 ただ。

 テーブルの上に置かれたスマホだけが、
 静かに存在感を残していた。