休日のスーパーは、想像以上に賑わっていた。
神代和春は買い物かごを持ち、通路を進みながら隣を見る。
天城愛華は私服だった。
白のニットに、落ち着いた色のロングスカート。
派手さはないが、知的で柔らかい雰囲気。
大学や仕事で見る“できる先輩”とは少し違う。
それが妙に目に留まり、和春はすぐに視線を前へ戻した。
「……人、多いですね」
「休日だからな」
短いやり取り。
けれど歩く速度は自然と揃っていた。
野菜を選ぶ愛華の横で、和春がかごを持つ。
「……私が持ちます」
「効率悪い」
「はいはい」
口ではそう言いながら、愛華は引き下がる。
そのやり取りが、どこか“当たり前”になっていた。
レジを終えたとき、店員がにこやかに声をかける。
「仲がいいですね。ご夫婦ですか?」
一瞬、間が空いた。
和春は即座に答える。
「違います」
淡々とした否定。
正しい。
正しいのに――
愛華の胸の奥が、ほんの少しだけ揺れた。
店員は楽しそうに笑う。
「そう? でも雰囲気が似てるわよ」
愛華は少し考えてから、曖昧に答えた。
「……そう見えましたか」
自分でも意外な言葉だった。
和春が一瞬こちらを見る。
目が合いそうになり、愛華は視線を逸らした。
(……何を言っているんでしょう、私は)
スーパーを出る。
袋は思った以上に多い。
和春が全部持った。
「……重いですよ」
「問題ない」
「あります」
「ない」
短いやり取り。
結局、和春が全部持つ。
歩く速度が少し落ちる。
愛華は自然と隣に寄った。
肩が触れそうな距離。
昨日までなら気にしなかった距離。
今は、少しだけ意識してしまう。
そのときだった。
「あ、先輩」
後ろから聞き覚えのある声。
振り返ると、黒髪を一つにまとめた女性が立っていた。
「……瀬奈」
相沢瀬奈。
大学三年、経営学専攻。
「こんなところで会うなんて、ほんと偶然ですね」
瀬奈は自然に笑う。
愛華を見る目が、すぐに柔らかくなる。
「先輩、最近ほんと雰囲気変わりましたよね」
「……そうですか」
「はい。前よりずっと話しかけやすいです」
昔を知るからこその言葉だった。
瀬奈は少し照れたように続ける。
「正直、昔はちょっと怖かったです」
「……それは否定しません」
愛華が苦笑する。
瀬奈は安心したように笑った。
そして和春を見る。
「初めまして」
「どうも」
短い挨拶。
それ以上、踏み込まない。
瀬奈も空気を読んだのか、二人の関係には触れなかった。
少し間を置いて、瀬奈が言う。
「……先輩、よかったらこのあと少し時間ありますか?」
「何か?」
「経営学のことで、ちょっと迷ってて……
先輩の意見、聞きたくて」
完全に“後輩ムーブ”だった。
愛華は一瞬考え、和春を見る。
そして、瀬奈に向き直る。
「それなら……」
少しだけ間を置いて、自然に言った。
「和春のほうが、教えるのは上手いですよ」
瀬奈が目を丸くする。
「え?」
「私は整理する役ですけど、
考えさせるのは、この人のほうが得意なので」
和春が一瞬だけ眉を動かす。
だが否定しない。
瀬奈は少し迷ってから、遠慮がちに言った。
「……じゃあ、もしよければ三人でお茶、どうですか?」
和春は頷いた。
「構わない」
即答だった。
■ カフェ
窓際の席。
瀬奈はノートを出し、少し緊張した表情で切り出す。
「経営って……
正直、授業だと難しくて」
「何が一番引っかかってます?」
愛華が聞く。
「理論は分かるんですけど、
それが“現実でどう使うのか”が分からなくて」
愛華は頷き、和春を見る。
「……お願いしてもいいですか」
自然なパス。
和春は少し考えてから、瀬奈を見る。
「質問するぞ」
「はい」
「もし瀬奈が店長で、売上が落ちた。
最初に何を見る?」
「……広告、ですか?」
「次」
「価格……?」
和春は首を横に振る。
「現場」
「現場?」
瀬奈が首を傾げる。
愛華が補足する。
「人の表情、ですね」
「……表情?」
和春が続ける。
「疲れてる店は、何を入れても続かない」
瀬奈は少し黙り込む。
「じゃあ逆に聞く。
瀬奈が客なら、また来たい店は?」
「……居心地がいい店」
「それが答えだ」
瀬奈の目が、少しずつ変わる。
「経営は数字じゃない。
数字は結果だ」
和春は淡々と続ける。
「原因は、だいたい人にある」
愛華が小さく頷く。
「心理的安全性ですね」
「……分かりやすい」
瀬奈は思わず呟いた。
ノートに書く手が止まらない。
「じゃあ、もう一問」
和春が言う。
「売上を上げたい時、
“客を増やす”のと“客単価を上げる”の、どっちが現実的だ?」
「……客単価?」
「理由は?」
「人数を増やすより、今いる人に満足してもらう方が……」
「正解に近い」
瀬奈の表情が、ぱっと明るくなる。
「……なんか、急に分かってきました」
本気の声だった。
愛華はその様子を見て、少し誇らしくなる。
(……やっぱり、この人の教え方は上手い)
瀬奈はふと和春を見る。
「……もっと話、聞きたいです」
その視線には、純粋な興味があった。
まだ知らない。
この人が、どれほど“規格外”なのかを。
カフェを出るころ、夕方の光が差していた。
「今日は本当にありがとうございました」
瀬奈が深く頭を下げる。
「先輩、最近ほんと優しいです。
……大好きな先輩です」
愛華は少し驚き、そして小さく笑った。
「……ありがとうございます」
瀬奈が去ったあと。
二人は並んで歩き出す。
袋を持つ和春の隣。
距離は自然に近い。
「……いい後輩だな」
和春が言う。
「はい。素直で、よく考える子です」
少しだけ間。
愛華がぽつりと言った。
「……教えるの、上手かったですね」
「そうか?」
「はい」
和春は首を傾げる。
相変わらず、気づいていない。
神代和春は買い物かごを持ち、通路を進みながら隣を見る。
天城愛華は私服だった。
白のニットに、落ち着いた色のロングスカート。
派手さはないが、知的で柔らかい雰囲気。
大学や仕事で見る“できる先輩”とは少し違う。
それが妙に目に留まり、和春はすぐに視線を前へ戻した。
「……人、多いですね」
「休日だからな」
短いやり取り。
けれど歩く速度は自然と揃っていた。
野菜を選ぶ愛華の横で、和春がかごを持つ。
「……私が持ちます」
「効率悪い」
「はいはい」
口ではそう言いながら、愛華は引き下がる。
そのやり取りが、どこか“当たり前”になっていた。
レジを終えたとき、店員がにこやかに声をかける。
「仲がいいですね。ご夫婦ですか?」
一瞬、間が空いた。
和春は即座に答える。
「違います」
淡々とした否定。
正しい。
正しいのに――
愛華の胸の奥が、ほんの少しだけ揺れた。
店員は楽しそうに笑う。
「そう? でも雰囲気が似てるわよ」
愛華は少し考えてから、曖昧に答えた。
「……そう見えましたか」
自分でも意外な言葉だった。
和春が一瞬こちらを見る。
目が合いそうになり、愛華は視線を逸らした。
(……何を言っているんでしょう、私は)
スーパーを出る。
袋は思った以上に多い。
和春が全部持った。
「……重いですよ」
「問題ない」
「あります」
「ない」
短いやり取り。
結局、和春が全部持つ。
歩く速度が少し落ちる。
愛華は自然と隣に寄った。
肩が触れそうな距離。
昨日までなら気にしなかった距離。
今は、少しだけ意識してしまう。
そのときだった。
「あ、先輩」
後ろから聞き覚えのある声。
振り返ると、黒髪を一つにまとめた女性が立っていた。
「……瀬奈」
相沢瀬奈。
大学三年、経営学専攻。
「こんなところで会うなんて、ほんと偶然ですね」
瀬奈は自然に笑う。
愛華を見る目が、すぐに柔らかくなる。
「先輩、最近ほんと雰囲気変わりましたよね」
「……そうですか」
「はい。前よりずっと話しかけやすいです」
昔を知るからこその言葉だった。
瀬奈は少し照れたように続ける。
「正直、昔はちょっと怖かったです」
「……それは否定しません」
愛華が苦笑する。
瀬奈は安心したように笑った。
そして和春を見る。
「初めまして」
「どうも」
短い挨拶。
それ以上、踏み込まない。
瀬奈も空気を読んだのか、二人の関係には触れなかった。
少し間を置いて、瀬奈が言う。
「……先輩、よかったらこのあと少し時間ありますか?」
「何か?」
「経営学のことで、ちょっと迷ってて……
先輩の意見、聞きたくて」
完全に“後輩ムーブ”だった。
愛華は一瞬考え、和春を見る。
そして、瀬奈に向き直る。
「それなら……」
少しだけ間を置いて、自然に言った。
「和春のほうが、教えるのは上手いですよ」
瀬奈が目を丸くする。
「え?」
「私は整理する役ですけど、
考えさせるのは、この人のほうが得意なので」
和春が一瞬だけ眉を動かす。
だが否定しない。
瀬奈は少し迷ってから、遠慮がちに言った。
「……じゃあ、もしよければ三人でお茶、どうですか?」
和春は頷いた。
「構わない」
即答だった。
■ カフェ
窓際の席。
瀬奈はノートを出し、少し緊張した表情で切り出す。
「経営って……
正直、授業だと難しくて」
「何が一番引っかかってます?」
愛華が聞く。
「理論は分かるんですけど、
それが“現実でどう使うのか”が分からなくて」
愛華は頷き、和春を見る。
「……お願いしてもいいですか」
自然なパス。
和春は少し考えてから、瀬奈を見る。
「質問するぞ」
「はい」
「もし瀬奈が店長で、売上が落ちた。
最初に何を見る?」
「……広告、ですか?」
「次」
「価格……?」
和春は首を横に振る。
「現場」
「現場?」
瀬奈が首を傾げる。
愛華が補足する。
「人の表情、ですね」
「……表情?」
和春が続ける。
「疲れてる店は、何を入れても続かない」
瀬奈は少し黙り込む。
「じゃあ逆に聞く。
瀬奈が客なら、また来たい店は?」
「……居心地がいい店」
「それが答えだ」
瀬奈の目が、少しずつ変わる。
「経営は数字じゃない。
数字は結果だ」
和春は淡々と続ける。
「原因は、だいたい人にある」
愛華が小さく頷く。
「心理的安全性ですね」
「……分かりやすい」
瀬奈は思わず呟いた。
ノートに書く手が止まらない。
「じゃあ、もう一問」
和春が言う。
「売上を上げたい時、
“客を増やす”のと“客単価を上げる”の、どっちが現実的だ?」
「……客単価?」
「理由は?」
「人数を増やすより、今いる人に満足してもらう方が……」
「正解に近い」
瀬奈の表情が、ぱっと明るくなる。
「……なんか、急に分かってきました」
本気の声だった。
愛華はその様子を見て、少し誇らしくなる。
(……やっぱり、この人の教え方は上手い)
瀬奈はふと和春を見る。
「……もっと話、聞きたいです」
その視線には、純粋な興味があった。
まだ知らない。
この人が、どれほど“規格外”なのかを。
カフェを出るころ、夕方の光が差していた。
「今日は本当にありがとうございました」
瀬奈が深く頭を下げる。
「先輩、最近ほんと優しいです。
……大好きな先輩です」
愛華は少し驚き、そして小さく笑った。
「……ありがとうございます」
瀬奈が去ったあと。
二人は並んで歩き出す。
袋を持つ和春の隣。
距離は自然に近い。
「……いい後輩だな」
和春が言う。
「はい。素直で、よく考える子です」
少しだけ間。
愛華がぽつりと言った。
「……教えるの、上手かったですね」
「そうか?」
「はい」
和春は首を傾げる。
相変わらず、気づいていない。
