Boundary & Mind     心の境界線

ザァ――。

ザァ――。

波の音だけが二人の間を通り過ぎていく。

和春は砂浜に座ったままぼんやりと海を眺めていた。

過去。

現在。

未来。

考えてみれば全部選んできた結果だ。選ばなかった道もある。

間違えた選択もある。

後悔していることもある。

それでも過去を消すことはできない。

なら過去から何を得るか。

今どんな選択肢を持つか。

そしてこれからどんな未来を作ろうとするのか。

結局自分にできることはそれだけなのかもしれない。

「……」

和春がふと口を開いた。

「分かれ路――」

愛華が横を見る。

「はい?」

和春は海を見たまま。

静かに詠んだ。

「分かれ路
選びし跡を 糧として
今を尊び 明日を拓かん」

「……」

愛華が完全に黙った。

波の音だけが聞こえる。

数秒。

「……和春」

「なんだ?」

「今の‥‥」

「和歌」

「それは分かります」

愛華が聞きたいのはそこではない。

「今、作ったんですか?」

「ああ」

「……」

愛華は呆れたように額へ手を当てた。

「あなたそんな才能まであるんですか……」

「才能ってほどじゃねぇだろ」

「即興で作っていますよね?」

「まあ」

「海を見ながら?」

「ああ」

「何となく?」

「何となく」

愛華がため息をつく。

「本当に腹が立ちますね」

「なんでだよ」

「何でもできるからです」

「何でもはできねぇよ」

和春が即答する。

愛華が見る。

「コーヒー淹れられない」

「……」

「料理もお前の方が圧倒的に上手い」

「……」

「あと」

少し考える。

「洗濯物畳むの面倒」

「それは能力ではなく、やる気の問題です」

「そうとも言う」

愛華は呆れながらももう一度。

今の和歌を頭の中で反芻した。

分かれ路。

選びし跡。

過去の選択。

それを。

後悔だけで終わらせない。

糧にする。

その経験が現在の自分を作っている。

だから今を否定しない。

今あるものに感謝する。

そしてその経験を持って。

次の選択肢を増やす。

より良い未来へ。

自分で道を拓いていく。

「……」

あまりにも和春らしい。

「良い歌ですね」

愛華が言う。

「そう?」

「はい」

そして。

少しだけ笑う。

「あなたの心理学そのものです」

和春も小さく笑った。

「まあな、過去は変えられねぇ。選んだ結果が今なら」

和春は砂を一つまみ掴む。

指の隙間から。

さらさらと落とす。

「今までの選択を全部否定したら、今の自分まで否定することになる」

愛華は黙って聞く。

「失敗したなら。次は選択肢増やせばいい。知らなかったなら知ればいい。できなかったなら、できる方法探せばいい」

そして和春は隣を見る。

「そうやって今より少しマシな未来作りゃいいだろ」

愛華の紅い瞳と和春の視線が重なる。

「それに」

「はい?」

「今が悪くないなら」

和春は少しだけ笑った。

「今に繋がった過去も、全部が間違いだったとは言えねぇしな」

「……」

愛華は一瞬その言葉の意味を考えた。

今、海辺に二人で座っている。

もし過去のどこかで和春が別の選択をしていたら。

もし自分があの日あのカフェで声をかけなかったら。

今こうして隣にはいない。

愛華は海へ視線を戻した。

「……そうですね」

小さな声。

和春にはちゃんと聞こえていた。

ザァ――。

波が寄せる。

そしてまた引いていく。

過去は戻らない。

未来はまだ決まっていない。

だから今は持っている選択肢を増やしていく。

それが神代和春という男が。

ずっと選んできた生き方だった。