相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

麗華が店を出てから、しばらくして。

BARには元の穏やかな空気が戻っていた。

静かなジャズ。

グラスの触れ合う小さな音。

マスターが酒を作る音。

和春は先ほどの出来事など最初からなかったかのようにグラスを傾けている。

「瀬奈、飲めるんだろ?」

「飲めますよ!」

「じゃあ好きなの頼め」

「明日休みだからって潰さないでくださいよ?」

「俺は潰さない」

愛華が横から即座に口を挟む。

「瀬奈、その言葉は信用しない方がいいですよ」

「和春は自分が潰れないだけで、他人にも同じペースを要求しますから」

「要求してないだろ」

「無言で次を注文するでしょう」

「飲みたくなきゃ断ればいい」

「そういうところです」

瀬奈が笑う。

ようやく今日一日の緊張が抜けてきた。

仕事中とは違う二人。

瀬奈にとって、それを見るのも少し新鮮だった。

するとカウンターの向こうで、マスターが小さく笑った。

「でも、神代さんも変わりましたよ」

和春が眉を上げる。

「俺?」

「ええ」

その会話を聞いていた少し離れた席の常連客も振り返る。

「変わった変わった」

「昔のお前、もっと愛想なかったぞ」

「今も大してないだろ」

「自覚ないのかよ」

常連たちが笑う。

瀬奈が興味津々で身を乗り出した。

「昔の和春さんって、どんな感じだったんですか?」

「瀬奈」

和春が低い声で呼ぶ。

「なんですか?」

「余計な情報を仕入れるな」

「気になります!」

マスターが笑いながらグラスを磨く。

「天城さんと出会う前は、本当にお一人でしたね」

「仕事が終わったら来て、カウンターの端に座って」

「ブラックコーヒーか酒」

愛華が呆れた顔になる。

「今と変わらないじゃないですか」

「そこは変わってませんね」

マスターが即答した。

瀬奈が吹き出す。

「そこは変わらないんですね!」

常連の一人が酒を飲みながら続ける。

「でもな、昔の神代は、本当に人を寄せ付けなかったんだよ。」

「話しかけりゃ普通に話すけど、自分から誰かと仲良くしようって感じが全然ない」

別の常連も頷く。

「女に声掛けられても酷かったよな」

瀬奈の目が輝く。

「えっ!」

愛華まで常連を見る。

「それは初耳ですね。」

和春が嫌そうな顔をした。

「くだらない話するな」

「いいじゃねぇか」

常連は楽しそうに笑う。

「こいつ、昔から妙にモテたんだよ」

「一人で静かに飲んでるから、それが逆に目立つんだ」

「何回か逆ナンされてたよな」

瀬奈が和春を見る。

「和春さん、逆ナンされてたんですか!?」

「されたことくらいある」

「その反応なんですか!」

「別に珍しくないだろ」

愛華がグラスを置く。

妙に静かだった。

「それで?」

和春が横を見る。

「何が?」

「どうしたんですか?」

「何もしてない」

常連が笑いながら割り込む。

「本当に何もしねぇんだよ」

そして昔の和春の真似をする。

「『悪い。そういうの興味ない』」

「終わり」

「女の子が結構頑張って話しかけてんのに、それだけ」

瀬奈が笑う。

「冷たっ!」

「面倒だったんだよ」

和春は平然としている。

愛華はグラスを傾けながら小さく呟く。

「……そうですか」

瀬奈がその横顔を見る。

(なんかちょっと機嫌良くなった?)

だが口には出さなかった。

常連はさらに続ける。

「それが今じゃこれだ」

和春と愛華を指差す。

「完全に天城ちゃんに手綱握られてる」

「握られてない」

「握ってませんよ」

二人がほぼ同時に否定する。

一瞬。

店が静かになる。

そして常連たちが爆笑した。

「息ぴったりじゃねぇか!」

「どこが握られてないんだよ!」

マスターまで笑っている。

「以前、神代さんがコーヒーを何杯も飲もうとして天城さんに止められていましたね」

「健康管理です」

愛華が当然のように答える。

「酒も止めるだろ」

「飲み過ぎた場合は」

「仕事も減らされる」

「和春が入れすぎるからです」

「寝る時間まで言われる」

「放っておくと寝ないでしょう」

常連が腹を抱えて笑う。

「それを手綱握られてるって言うんだよ!」

和春は何も言い返せなくなり、酒を飲んだ。

瀬奈も笑いを堪えられない。

「愛華先輩、完全に管理してるじゃないですか」

「必要な管理です」

愛華は涼しい顔だった。

するとマスターが、少し穏やかな声で言った。

「でも。、私は良かったと思っていますよ」

和春がマスターを見る。

「何が?」

「天城さんと出会ってからです」

マスターは静かに笑う。

「神代さん、随分表情が柔らかくなりました」

和春が眉をひそめる。

「変わってない」

「変わりましたよ」

即答だった。

昔からいる常連たちも頷く。

「変わった」

「間違いなくな」

「昔は笑ってても、どっか壁があったんだよ」

「最近は普通に楽しそうに笑うようになった」

瀬奈は和春を見る。

今日一日。

依頼人と話している時。

不動と冗談を言っている時。

アリシアたちとブランドについて議論している時。

そして今。

確かに和春はよく笑う。

愛華は何も言わなかった。

ただ、グラスを持つ指がほんの少し止まっていた。

マスターはそんな二人を見て微笑む。

「天城さんが来るようになってから、神代さんも一人で飲むことが減りましたからね」

愛華が和春を見る。

和春は酒を飲みながら答える。

「一人より二人の方が楽しいだけだ」

あまりにも自然に言った。

愛華の紅い瞳が僅かに揺れる。

(……この人はこういうことを、本当に何も考えず言う。)

愛華は何も返さず、自分のグラスへ口をつけた。

瀬奈は二人を交互に見る。

今日、仕事中にも感じた。

和春が先へ進み。

愛華がその隣を歩く。

愛華が先回りすれば。

和春はそれを当然のように受け入れる。

仕事だけではない。

この二人は生活そのものが、もう一組になっている。

なのに――

付き合っていない。

瀬奈には、そちらの方が不思議だった。

そんな空気など知る由もなく。

いや。

長年二人を見ているからこそ、むしろ何の疑問も持っていなかったのかもしれない。

常連の一人がグラスを片手に、何気なく口を開いた。

「そういや」

和春が見る。

「ん?」

常連は和春と愛華を交互に見た。

そして。

あまりにも自然な調子で――爆弾を落とした。

「んで?そろそろお前ら、付き合い出したか?」

「…………」

和春の動きが止まった。

愛華のグラスも止まった。

「…………」

瀬奈まで固まった。

マスターだけが「ああ、聞いちゃいましたか」という顔で静かにグラスを磨いている。

数秒。

誰も喋らない。

常連が首を傾げた。

「……なんだよ」

「まだなのか?」

さらに爆弾を重ねた。

瀬奈は思った。

(そこ!!私もめちゃくちゃ聞きたかったです!!)