相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

それから、およそ二時間。

和春の指がようやく止まった。

「……できた」

その一言に、社長が時計を見る。

「え?」

もう一度見る。

「……二時間?」

瀬奈も時計を確認した。

間違いない。

約二時間。

社長は完成した資料を受け取り、ページをめくっていく。

そして徐々に無言になった。

売上予測。

商品別の販売計画。

生産ロット。

原価率。

粗利益。

在庫回転。

資金繰り。

借入希望額。

返済計画。

SNSからの流入分析。

ブランド認知度。

市場規模。

競合分析。

リスクシナリオ。

さらに銀行側から想定される質問と、その回答まで用意されている。

「……これ」

社長が顔を上げた。

「普通に外へ依頼したら、十時間どころじゃ済まないですよ」

愛華が完成した資料を確認しながら答える。

「そうでしょうね。資料収集から始めれば、数日は必要になると思います」

瀬奈はページをめくりながら呆然としていた。

「しかも……。すごく見やすい」

愛華が少し得意そうに微笑む。

「最後の文章調整は私もしていますので」

和春が横から言う。

「俺の資料だぞ」

「文章を直したのは私です」

「五パーセントくらいだろ」

「十五パーセントです」

「盛るな」

「控えめに言いました」

アリシアがくすくす笑う。

社長も思わず笑った。

だが。

改めて資料を見ると、笑えないほど完成度が高い。

このまま銀行の融資担当者へ提出しても問題ない。

それどころか。

銀行側が何を不安視するのかまで先回りした資料になっていた。

瀬奈は小さく呟く。

「……化け物」

和春が聞き逃さない。

「聞こえてるぞ」

「す、すみません!」

「まあ慣れてる」



社長が資料を閉じる。

「これなら銀行とも話ができます。ありがとうございます」

和春はノートパソコンを閉じようとした。

その時だった。

瀬奈が机の上に並ぶオッドキャットの商品を眺めながら、何気なく言った。

「でも……」

全員が瀬奈を見る。

「これだけ売れるなら、プレゼント企画とかあっても購入者は嬉しいんじゃないですか?」

社長が首を傾げる。

「プレゼント?」

「はい」

瀬奈は少し恥ずかしそうに続ける。

「例えば……何点か買ったり、ずっと継続して買ってくれてる人なら……。ポイントカードみたいにして、ポイントが貯まったら、オッドキャットのオリジナル商品がもらえるとか。売ってない物です。非売品とかだったら、ファンは欲しいんじゃないかなって……」

瀬奈は途中で自信がなくなったのか、声が小さくなる。

「……素人考えですけど」

その瞬間。

和春が笑った。

「いや」

瀬奈が顔を上げる。

和春の表情が変わっていた。

仕事中に何か面白いものを見つけた時の顔。

愛華はその表情を見ただけで察する。

「和春」

「思いつきましたね?」

「かなり使える」

瀬奈が驚く。

「え?」

和春は閉じかけたノートパソコンを、もう一度開いた。

「瀬奈、それいいぞ」

「ほ、本当ですか?」

「ただのプレゼント企画にするのはもったいない」

社長も身を乗り出す。

「どういうことです?」

和春の指が再びキーボードを叩き始める。

「購入額だけでポイント付けるんじゃない。継続利用にも価値を付ける」

瀬奈が聞く。

「継続利用?」

「例えばシャンプーを毎月買う。三か月。半年。一年。長く使ってくれた客ほどポイントが貯まる。」

愛華がすぐに続ける。

「購入金額だけですと、高額商品を一度購入した方が有利になります。ですが継続期間も評価対象にすれば、日用品を長く愛用してくださるお客様にもメリットが生まれますね」

和春が頷く。

「そう。ブランドが欲しいのは、一回十万円買う客だけじゃない。毎月三千円、五千円を何年も使ってくれる客だ」

社長の目つきが変わる。

和春は続ける。

「それで景品は値引き券にしない。オッドキャットを好きな奴にしか価値がない物にする。非売品」

瀬奈が言った言葉だった。

「アリシア監修の限定ポーチ。限定ボトル。ミニバッグ。限定カラー。会員限定デザイン」

アリシアまで目を輝かせる。

「それ、私も欲しいです」

和春が笑う。

「お前は監修側だろ」

「それでも欲しいです」

「自分で作れ」

部屋に笑いが起こる。



和春は瀬奈を見る。

「瀬奈が言ったポイントカードって考え方。結構重要なんだ。人は貯め始めると、途中でやめるのが嫌になる」

瀬奈が首を傾げる。

愛華が補足する。

「目標勾配効果ですね。ゴールが近づくほど、達成しようとする行動が強くなる傾向があります」

愛華はテーブルに指で線を描くように説明する。

「例えば、十個で特典がもらえるポイントカードがあったとします。八個まで貯まっていれば、あと二個だから貯めよう、と思いやすくなります」

瀬奈が頷く。

「ああ……それあります!あと少しだともったいなく感じます。」

「そういうことです。」

和春が続ける。

「さらに非売品にする。金を出しても買えない。長く使ってくれた客だけが持てる。すると商品じゃなくて、所属感が生まれる」

社長が呟く。

「オッドキャットを使っている人だけが持てる物……」

「そう。ファンを客のままにするな。コミュニティにする」

愛華が和春の言葉を少し柔らかくする。

「ブランドとの関係を、購入だけで終わらせないということですね。長く愛用してくださったこと自体に、ブランド側から感謝を返す仕組みです」

瀬奈が感心する。

「それなら……プレゼントをもらうためだけじゃなくて。自分がずっと使ってたことを認めてもらった感じがしますね」

和春の手が止まった。

瀬奈を見る。

そして。

また笑う。

「それだ」

「え?」

「今の言葉」

和春はすぐに入力する。

――購入額への還元ではなく、愛用期間への感謝。

愛華がその文章を見る。

「これは良いですね。珍しく柔らかいです」

「一言余計だ」

アリシアが笑う。

社長は腕を組みながら何度も頷いていた。

「やりましょう。これは面白い」

そして瀬奈を見る。

「瀬奈さん、ありがとうございます」

瀬奈は慌てる。

「いやいやいや!私、ただポイントカードみたいなのあったら嬉しいなって言っただけで!」

和春は笑った。

「それでいいんだよ」

瀬奈が止まる。

「専門家だからアイデアが出るわけじゃない。客として何が嬉しいか、それも立派な情報だ。経営ってのは、難しい言葉を知ってる奴だけでやるもんじゃない」

瀬奈は黙って和春を見る。

和春は再びキーボードへ視線を戻す。

「いいアイデアだった。覚えとけ。自分じゃ大したことないと思った一言でもな、誰かにとっては、何千万の価値になることがある」

瀬奈は少しだけ頬を緩めた。

「……はい」

その日初めて。

見学者としてではなく。

ほんの少しだけ。

自分もこの仕事に参加できた気がした。