相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

アリシアと瀬奈のやり取りが落ち着くと、話題は本題へ戻った。

モデル事務所の社長がタブレットを操作し、会議室の大型モニターへ資料を映す。

そこには、立ち上げたばかりのブランド――

ODD CAT〈オッドキャット〉

の販売状況が並んでいた。

社長は嬉しそうに笑う。

「正直、ここまでとは思っていませんでした。アリシアのSNS投稿を増やしてから、ブランド名そのものが何度もトレンド入りしています」

瀬奈が驚いて画面を見る。

検索数。

投稿数。

予約数。

公式アカウントのフォロワー増加。

どれも、立ち上げ直後のブランドとは思えない数字だった。

社長は続ける。

「もちろんアリシア本人が愛用していることも大きいです。ですが、それ以上に『アリシア監修』という部分がかなり強い」

アリシアは少し恥ずかしそうに笑う。

社長はそんな彼女を横目に続けた。

「芸能界の美人ランキングでも常にトップクラス……というより、最近はほぼ一位ですからね。女性からは憧れ。男性からも圧倒的に人気がある。ですから男女問わずブランドへの流入があります」

商品展開も幅広い。

シャンプー。

トリートメント。

化粧品。

ルームウェア。

普段着。

財布。

バッグ。

アクセサリー。

手頃な価格の日用品から、少し高めの商品まで揃えていた。

社長が販売表を切り替える。

「そして、こちらが初回予約分です」

ほぼ全商品。

予約枠が埋まっていた。

瀬奈は思わず声を漏らす。

「すご……」

社長は満足そうに頷く。

「現在、追加生産を急いでいます」

和春が聞く。

「次、いくつ作る?」

社長が数字を答える。

かなり多い。

事務所側としても、相当強気に設定した数量だった。

社長は少し自信ありげに言う。

「立ち上げたばかりのブランドとしては、かなり攻めた数字だと思っています」

和春は一秒ほど考えた。

「少ないな」

社長の表情が止まる。

「……少ないですか?」

「五倍」

「え?」

瀬奈まで和春を見る。

和春は平然と続けた。

「次の生産数、五倍にしろ」

社長はさすがに顔を引き締める。

「五倍となると……かなりの資金が必要になります」

「分かってる」

和春は画面の数字を指差す。

「でも、始動したばかりのブランドがここまでトレンド入りしてる。初回予約も埋まってる。今売らないで、いつ売る?」

社長は黙る。

和春は続ける。

「『人気だから欠品してます』なんて三流のやり方だ」

瀬奈が目を丸くする。

ブランド品なら、売り切れを演出した方が人気が高く見える。

そんなイメージがあった。

だが和春は真逆のことを言う。

「限定品なら欠品を使ってもいい。希少価値を作る商品ならな。でも今回は違う」

和春は商品一覧を指す。

「シャンプー。リンス。化粧品。服。財布。普段使いする物を大量に揃えただろ。だったら重要なのは、いつでも買えることだ」

社長が腕を組む。

和春はさらに言う。

「例えばシャンプーを気に入った客がいる。一本使い切った。また買おうと思った。でも欠品してる。じゃあ別の商品を買う。その別の商品が悪くなかったら?」

社長の表情が変わる。

「……戻ってこない可能性がある」

「そう」

愛華が静かに補足する。

「これは行動心理でいう、習慣形成と選択コストの問題に近いですね」

瀬奈が愛華を見る。

愛華は説明を続ける。

「人は一度生活の中に取り入れた商品でも、継続できなくなると習慣が途切れます。そして代替商品を探さなければならなくなる。そこで別の商品を使い始めると、今度はそちらが新しい習慣になります」

和春が頷く。

「つまり一回の欠品で、客に競合商品を試す理由を与える。わざわざ自分から客を逃がす必要ないだろ。」

愛華はさらに言う。

「特に日用品は、継続購入が前提の商品です。一度購入して終わりではありません。ですから重要なのは、最初の販売数より継続して選ばれる環境を作ることです」

瀬奈は必死にメモを取る。

和春が続ける。

「今はアリシアの人気で客が来てる。でも最終的には商品そのものを生活に入れさせる。アリシアが使ってるから買った。そこから――これが好きだから買う。そこまで持っていければブランドになる」

社長は画面を見つめたまま黙っていた。

五倍。

その数字は簡単ではない。

生産量を増やせば、当然支払いも増える。

在庫を抱える危険もある。

売上として回収するまでには時間がかかる。

だが――

社長は資料をもう一度見る。

販売数。

予約数。

SNS反響。

検索数。

そして今の勢い。

「……確かに」

社長が呟く。

「生産数を増やせば、一商品あたりの原価は下げられます」

愛華が頷く。

「ロットが大きくなれば、製造コストや資材調達の条件も変わってきますね」

社長は深く息を吐いた。

「ただ……。手元資金だけでは足りない」

和春は何も言わない。

決断するのは社長だからだ。

社長はしばらく黙っていた。

やがて顔を上げる。

「銀行から借ります」

瀬奈が社長を見る。

その表情に迷いはなかった。

「このタイミングを逃したくありません。和春さんのおっしゃる通りです。ここまで反響があるのに、資金が足りないという理由で商品を用意できない方が経営判断としておかしい」

そして和春へ向き直った。

「お願いがあります。事業計画書の作成と、銀行との交渉。お手伝いいただけますか?」

和春は一瞬だけ目を丸くしたあと、笑った。

「決断早いな」

社長も笑う。

「和春さんに言われたくありませんよ」

愛華が小さく笑った。

和春は椅子にもたれながら答える。

「まあ、そうだな」

そして迷うことなく言った。

「任せろ」

社長の表情が一気に明るくなる。

「ありがとうございます」

和春はモニターへ視線を戻した。

「だったら今日から数字作るぞ。銀行が金を貸したくなる事業計画にする」

瀬奈はその横顔を見つめていた。

午前中。

個人の不動産相談では、一人の生活の未来を見ていた。

午後。

今度は立ち上がったばかりのブランドの数年先を見ている。

扱う金額も。

業界も。

相談内容も。

まるで違う。

なのに和春と愛華がやっていることは、ずっと同じだった。

今ある問題だけを見るのではなく。

その先にある選択肢を増やす。

そして――

決断するのは、依頼人自身。

瀬奈はまた一つ。

Boundary & Mindという会社の仕事を理解した気がした。