話し合いは驚くほど円滑に進んだ。
依頼人の表情から、不安はすっかり消えていた。
「本当に……ありがとうございます」
何度も頭を下げる。
不動は笑って手を振る。
「まだ礼を言うのは早ぇ契約はちゃんと会社でやる。内容ももう一回説明する。納得してからサインすりゃいい」
依頼人も笑顔で頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
契約書への署名は後日。
不動不動産の応接室で正式に行うこととなった。
依頼人は安心したように事務所を後にする。
不動も満足そうにその背中を見送っていた。
「いい案件だったな」
和春はソファにもたれたまま答える。
「あとはお前の仕事だ」
「任せろ」
⸻
応接室を出ると、不動の秘書・西野が資料を抱えながら小さく息をついた。
「やっと終わりました……」
愛華が柔らかく微笑む。
「西野さんもお疲れさまでした。今日は急なご対応、ありがとうございました」
西野は首を横に振る。
「いえ、それより……」
和春の方をちらりと見る。
「天城さんの方がお疲れじゃありませんか?」
愛華は少し首を傾げた。
「そうでしょうか?」
西野は苦笑する。
「和春さんの噂、業界では本当に途切れません。今日みたいな案件を何件も同時に抱えているって聞きますし。仕事量だけ見たら、人の限界を超えてますよ。よく隣にいられますね……」
愛華は和春を見つめ、小さく笑った。
「気にしたことありませんね」
少し間を置く。
「まあ……。私以外は隣にいられないと思います」
西野が目を丸くする。
愛華はさらりと言った。
「この人、普通じゃありませんから」
その言葉に、和春はコーヒーを飲みながら苦笑する。
「聞こえてるぞ」
「事実です」
愛華は涼しい顔で返した。
「否定できないだろ」
和春は肩をすくめるだけだった。
西野は二人を交互に見つめる。
(……いや。普通じゃないのは、天城さんもなんだけど)
これだけの仕事量を当然のように支え、
和春の思考速度に合わせ、
先回りして準備を整え、
必要な時だけ補足する。
そんな人を、西野は他に見たことがなかった。
だが、その言葉は口には出さない。
きっと本人は。
“当たり前のことをしているだけです。”
と、本気で答えるのだろうから。
西野は苦笑しながら資料を抱え直した。
「それでは、社長。次の予定がありますので」
不動は立ち上がる。
「おう」
そして和春へ振り返った。
「また面倒なの持ってこい」
和春は笑う。
「暇になったらな」
「その日は一生来ねぇな」
不動の豪快な笑い声が、事務所いっぱいに響いた。
不動たちを見送ると、事務所の中は静かになった。
瀬奈は今まで我慢していたものが一気に溢れたように口を開く。
「質問……いいですか!」
和春はコーヒーを飲みながら頷く。
「いいぞ」
瀬奈はメモ帳を開いた。
「まず一つ目です!最初は不動産の相談だったのに、途中から介護や生活設計の話に変わりましたよね?普通なら不動産だけ相談して終わると思うんです。なんで、そこまで広げるんですか?」
和春は即答した。
「相談内容は問題じゃない。困ってる原因が問題だ」
瀬奈は首を傾げる。
和春は続ける。
「家を売りたい。それは手段だ。本当の目的は何だ?」
瀬奈は少し考える。
「……介護費用」
「そう」
「じゃあ介護が終わったら?生活は?税金は?残った金は?次の住まいは?全部繋がってる。一個だけ解決すると、別の問題が出る。だから最初から全部見る」
瀬奈は思わず息を呑んだ。
(だから未来の話まで……)
愛華が微笑みながら補足する。
「Boundary & Mindは、相談内容を解決する会社ではありません。依頼人が安心して生活できる状態を作る会社なんです」
瀬奈は何度も頷いた。
「なるほど……」
そして次の疑問が浮かぶ。
「でも!介護制度の資料!まるで事前に準備してたみたいでした!」
「偶然あの資料が出てくるなんて……」
愛華は少し笑う。
「準備していましたから」
「え?」
「相談内容を聞いた時点で、介護へ話が広がる可能性は高いと判断しました。そのため、制度資料を印刷しておいたんです」
瀬奈はさらに驚く。
「じゃあ、不動社長が来る前も……」
愛華は頷いた。
「はい」
「和春が電話をしている間に、今回の分析資料を不動さんへ共有しています。現地写真。都市計画。道路情報。企業動向。交渉で必要になる資料ですね」
瀬奈は目を丸くした。
「でも……。和春さん、一言も指示してませんでしたよ?」
愛華は当然のように答える。
「必要ありませんから」
瀬奈が固まる。
愛華は少し照れたように笑う。
「和春なら、次に何をするか大体分かります。だから先に動いただけです。指示を待っていたら遅いですから」
瀬奈は和春を見る。
「そんなことまで分かるんですか……。」
和春はコーヒーを飲みながら言う。
「長い付き合いだからな」
愛華は静かに首を横に振る。
「違います。相方兼メイドです。和春の隣に立つなら、このくらいはできないと困ります」
瀬奈は心の中で思う。
(いや……。それ普通じゃないですよ……)
さらに瀬奈は思い出したように尋ねる。
「それと!現地にも行ってないですよね!パソコンで住所を見ただけで、企業計画とか道路とか都市計画とか全部知ってましたけど……」
和春は笑う。
「知ってたわけじゃない。調べただけ。必要な情報を探して。繋げて。仮説を立てる。それだけだ」
愛華が補足する。
「一つひとつは誰でも調べられる情報です。ただ、それらを関連付けて結論まで導ける人は少ないんです」
瀬奈は感心する。
「だから土地じゃなくて”文脈”を見てたんですね……」
「そうだ」
和春は短く答えた。
「価値は物じゃない。状況で変わる」
瀬奈はメモを取りながら、さらに驚いたことを口にする。
「あと最後なんですけど……。料金です。今日の相談……。こんな内容で五万円もしないんですか!?」
愛華が微笑む。
「はい。個人相談は基本的に十万円もいきません。内容にもよりますが、多くはその範囲です」
瀬奈は目を見開く。
「安すぎません!?」
愛華は静かに説明する。
「企業案件は別です。規模も責任も大きくなりますので、金額は全然違います」
「ですが、和春は顧問契約を基本的にお受けしません。必要な時だけ相談を受ける、単発契約がほとんどです」
瀬奈は不思議そうに聞く。
「どうしてですか?」
和春が答える。
「顧問料って高いから。毎月何十万、何百万払って相談しない月もある。それ、もったいないだろ」
愛華も頷く。
「必要な時だけ依頼できるので、企業側も固定費を抑えられます。相談したい案件だけお願いできる。その方がお互い合理的なんです」
瀬奈は椅子にもたれ、深く息を吐いた。
「今日だけで何回驚いたか分かりません……」
和春は笑う。
「まだ一件目だ。午後もあるぞ」
瀬奈は苦笑しながら頭を抱える。
「今日は脳みそが足りる気がしません……」
愛華は優しく笑った。
「瀬奈、大丈夫ですよ。慣れますから」
瀬奈は思わずツッコミを入れた。
「いや……。これは慣れる前に、私の頭がオーバーヒートします!」
依頼人の表情から、不安はすっかり消えていた。
「本当に……ありがとうございます」
何度も頭を下げる。
不動は笑って手を振る。
「まだ礼を言うのは早ぇ契約はちゃんと会社でやる。内容ももう一回説明する。納得してからサインすりゃいい」
依頼人も笑顔で頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
契約書への署名は後日。
不動不動産の応接室で正式に行うこととなった。
依頼人は安心したように事務所を後にする。
不動も満足そうにその背中を見送っていた。
「いい案件だったな」
和春はソファにもたれたまま答える。
「あとはお前の仕事だ」
「任せろ」
⸻
応接室を出ると、不動の秘書・西野が資料を抱えながら小さく息をついた。
「やっと終わりました……」
愛華が柔らかく微笑む。
「西野さんもお疲れさまでした。今日は急なご対応、ありがとうございました」
西野は首を横に振る。
「いえ、それより……」
和春の方をちらりと見る。
「天城さんの方がお疲れじゃありませんか?」
愛華は少し首を傾げた。
「そうでしょうか?」
西野は苦笑する。
「和春さんの噂、業界では本当に途切れません。今日みたいな案件を何件も同時に抱えているって聞きますし。仕事量だけ見たら、人の限界を超えてますよ。よく隣にいられますね……」
愛華は和春を見つめ、小さく笑った。
「気にしたことありませんね」
少し間を置く。
「まあ……。私以外は隣にいられないと思います」
西野が目を丸くする。
愛華はさらりと言った。
「この人、普通じゃありませんから」
その言葉に、和春はコーヒーを飲みながら苦笑する。
「聞こえてるぞ」
「事実です」
愛華は涼しい顔で返した。
「否定できないだろ」
和春は肩をすくめるだけだった。
西野は二人を交互に見つめる。
(……いや。普通じゃないのは、天城さんもなんだけど)
これだけの仕事量を当然のように支え、
和春の思考速度に合わせ、
先回りして準備を整え、
必要な時だけ補足する。
そんな人を、西野は他に見たことがなかった。
だが、その言葉は口には出さない。
きっと本人は。
“当たり前のことをしているだけです。”
と、本気で答えるのだろうから。
西野は苦笑しながら資料を抱え直した。
「それでは、社長。次の予定がありますので」
不動は立ち上がる。
「おう」
そして和春へ振り返った。
「また面倒なの持ってこい」
和春は笑う。
「暇になったらな」
「その日は一生来ねぇな」
不動の豪快な笑い声が、事務所いっぱいに響いた。
不動たちを見送ると、事務所の中は静かになった。
瀬奈は今まで我慢していたものが一気に溢れたように口を開く。
「質問……いいですか!」
和春はコーヒーを飲みながら頷く。
「いいぞ」
瀬奈はメモ帳を開いた。
「まず一つ目です!最初は不動産の相談だったのに、途中から介護や生活設計の話に変わりましたよね?普通なら不動産だけ相談して終わると思うんです。なんで、そこまで広げるんですか?」
和春は即答した。
「相談内容は問題じゃない。困ってる原因が問題だ」
瀬奈は首を傾げる。
和春は続ける。
「家を売りたい。それは手段だ。本当の目的は何だ?」
瀬奈は少し考える。
「……介護費用」
「そう」
「じゃあ介護が終わったら?生活は?税金は?残った金は?次の住まいは?全部繋がってる。一個だけ解決すると、別の問題が出る。だから最初から全部見る」
瀬奈は思わず息を呑んだ。
(だから未来の話まで……)
愛華が微笑みながら補足する。
「Boundary & Mindは、相談内容を解決する会社ではありません。依頼人が安心して生活できる状態を作る会社なんです」
瀬奈は何度も頷いた。
「なるほど……」
そして次の疑問が浮かぶ。
「でも!介護制度の資料!まるで事前に準備してたみたいでした!」
「偶然あの資料が出てくるなんて……」
愛華は少し笑う。
「準備していましたから」
「え?」
「相談内容を聞いた時点で、介護へ話が広がる可能性は高いと判断しました。そのため、制度資料を印刷しておいたんです」
瀬奈はさらに驚く。
「じゃあ、不動社長が来る前も……」
愛華は頷いた。
「はい」
「和春が電話をしている間に、今回の分析資料を不動さんへ共有しています。現地写真。都市計画。道路情報。企業動向。交渉で必要になる資料ですね」
瀬奈は目を丸くした。
「でも……。和春さん、一言も指示してませんでしたよ?」
愛華は当然のように答える。
「必要ありませんから」
瀬奈が固まる。
愛華は少し照れたように笑う。
「和春なら、次に何をするか大体分かります。だから先に動いただけです。指示を待っていたら遅いですから」
瀬奈は和春を見る。
「そんなことまで分かるんですか……。」
和春はコーヒーを飲みながら言う。
「長い付き合いだからな」
愛華は静かに首を横に振る。
「違います。相方兼メイドです。和春の隣に立つなら、このくらいはできないと困ります」
瀬奈は心の中で思う。
(いや……。それ普通じゃないですよ……)
さらに瀬奈は思い出したように尋ねる。
「それと!現地にも行ってないですよね!パソコンで住所を見ただけで、企業計画とか道路とか都市計画とか全部知ってましたけど……」
和春は笑う。
「知ってたわけじゃない。調べただけ。必要な情報を探して。繋げて。仮説を立てる。それだけだ」
愛華が補足する。
「一つひとつは誰でも調べられる情報です。ただ、それらを関連付けて結論まで導ける人は少ないんです」
瀬奈は感心する。
「だから土地じゃなくて”文脈”を見てたんですね……」
「そうだ」
和春は短く答えた。
「価値は物じゃない。状況で変わる」
瀬奈はメモを取りながら、さらに驚いたことを口にする。
「あと最後なんですけど……。料金です。今日の相談……。こんな内容で五万円もしないんですか!?」
愛華が微笑む。
「はい。個人相談は基本的に十万円もいきません。内容にもよりますが、多くはその範囲です」
瀬奈は目を見開く。
「安すぎません!?」
愛華は静かに説明する。
「企業案件は別です。規模も責任も大きくなりますので、金額は全然違います」
「ですが、和春は顧問契約を基本的にお受けしません。必要な時だけ相談を受ける、単発契約がほとんどです」
瀬奈は不思議そうに聞く。
「どうしてですか?」
和春が答える。
「顧問料って高いから。毎月何十万、何百万払って相談しない月もある。それ、もったいないだろ」
愛華も頷く。
「必要な時だけ依頼できるので、企業側も固定費を抑えられます。相談したい案件だけお願いできる。その方がお互い合理的なんです」
瀬奈は椅子にもたれ、深く息を吐いた。
「今日だけで何回驚いたか分かりません……」
和春は笑う。
「まだ一件目だ。午後もあるぞ」
瀬奈は苦笑しながら頭を抱える。
「今日は脳みそが足りる気がしません……」
愛華は優しく笑った。
「瀬奈、大丈夫ですよ。慣れますから」
瀬奈は思わずツッコミを入れた。
「いや……。これは慣れる前に、私の頭がオーバーヒートします!」

