Boundary & Mind     心の境界線

四日目。

最後の一本だった補強材が所定の位置へ収まる。

親方は静かに木槌を置いた。

「……終わりだ」

その一言に、部屋の空気が少しだけ緩む。

弟子たちも小さく息を吐いた。

大きな音は一度も立てなかった。

大掛かりな資材搬入もない。

営業も止めていない。

予定していた工程は、すべて完了した。

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店主である老人は、修繕が終わった店内をゆっくり歩く。

柱に手を添える。

床を踏む。

天井を見上げる。

数歩進み、もう一度床を踏む。

「……」

しばらく黙っていた老人は、小さく笑った。

「本当にやりやがった」

その声には驚きが混じっていた。

「この街で何十年も生きてきた。人の出入りなんざ毎日見てきた、だから分かる。」

和春を見る。

「普通なら絶対に気付く。だが今回は違った」

老人は首を横に振る。

「他の店の連中にも、うちで働く個人事業主にも、誰一人気付いてねぇ」

親方が笑う。

「変装なんて大したことはしてないさ」

老人が振り返る。

「いや、十分変わってた」

親方は弟子たちを見ながら言う。

「髪型を変えて。分け目を変えて。眼鏡を掛けたり外したり。コンタクトに替えたり。服を変えて。歩き方や姿勢を少し変える。それだけ」

老人は信じられないという顔をする。

「……それだけで、人間って、ここまで分からなくなるもんなのか」

愛華が穏やかに微笑んだ。

「意外となるものなんです。人は一人ひとりの顔を細かく見ているようで、実際は全体の印象で認識していることが多いんですよ。髪型や服装、眼鏡の有無といった特徴が変わるだけで、『別人だ』と思い込んでしまうことも珍しくありません」

親方も頷く。

「だから職人じゃなく、普通の客として見てもらえた」

経理担当の弟子が苦笑する。

「最初は半信半疑でしたけど……」

「四日間、一度も『昨日も来てたよね?』なんて言われませんでした」

別の弟子も笑う。

「毎回初めて来た客みたいな反応でしたね」

老人は深く息を吐き、改めて店内を見回した。

補強された柱。

軋みの消えた床。

それでいて店の雰囲気は何一つ変わっていない。

「……魔法じゃねぇな」

ぽつりと呟く。

和春は静かに笑う。

「魔法じゃない。段取りと心理学だ。人は見てるようで見てない。だから先入観を利用する。それだけだ」

老人は何度も頷いた。

「参った。わしの負けだ」

和春は肩をすくめる。

「勝ち負けじゃない。店が残れば、それで十分だ」

老人は和春、愛華、親方、弟子たちを順番に見渡し、ゆっくりと頭を下げた。

「ありがとう。この店は、まだまだやっていけそうだ」