相方兼メイドが、恋だけは距離バグってる

■夜 ― リビングに走る緊張

キーボードの音と、タブレットを操作する微かなタップ音。

いつもの、静かな作業空間。

その均衡を崩したのは――

会社携帯の着信音だった。

愛華がすぐに取る。

「はい、Boundary & Mindの天城です」

いつも通りのトーン。

だが――

数秒後。

その表情が、わずかに変わった。

「……」

眉がわずかに寄る。

珍しい反応だった。

和春の手が止まる。

視線は画面のまま。

だが意識は完全にそちらへ向いている。

愛華はそのまま話を聞く。

「……はい」

「状況は理解しました」

少し間。

「判断に時間をいただけますか?」

通話を切る。

静寂。

数秒。

愛華がゆっくり息を吐いた。

「……これは」

小さく呟く。

「厄介ですね」

和春が聞く。

「どこだ」

愛華は答える。

「大阪」

一拍。

「飛田新地です」

部屋の空気が一気に変わる。

和春がようやく画面から目を離す。

「内容は?」

愛華はタブレットを見ながら整理する。

「老朽化です」

「店内の構造が危険な状態」

「ただし――」

少し言葉を選ぶ。

「改装ができない」

和春が短く言う。

「風営法か」

愛華が頷く。

「はい‥下手に手を入れると、安全基準の再適用が入ります」

指で空中に線を引くように説明する。

「そうなるとあそこもダメここもダメ‥結果、外観・構造が変わる」

和春が言う。

「終わるな」

愛華は続ける。

「さらに組合の許可もまず下りません」

少し間。

「つまり表からは一切触れない」

完全に詰んでいる条件だった。

和春は静かに言う。

「中だけ直すしかないな」

愛華が頷く。

「はい」

そして一言。

「ステルス改修です」

その言葉が部屋に落ちる。

空気がさらに重くなる。

愛華は続ける。

「ですが難易度が高すぎます。材料搬入が見られれば終わり音も出せない。工事痕も残せない」

指を止める。

「ほぼ不可能に近いです」

和春はしばらく黙る。

思考している。

数秒。

そして一言。

「できる」

愛華が少しだけ目を細める。

「……方法、ありますか」

和春は立ち上がる。

「ある」

そのままホワイトボードの前へ。

ペンを取る。

カツ、と音が響く。

「条件整理」

・外観変更不可
・法規再適用NG
・組合許可なし
・音出し不可
・搬入不可

一気に書く。

そして振り返る。

「逆に考える」

愛華がすぐ理解する。

「……外から入れないなら」

和春が言う。

「中にあるもので直す」

愛華の目がわずかに開く。

「資材の再利用……?」

和春が頷く。

「解体して再構築、新規搬入は最小限」

さらに書く。

「音出せないなら」

「時間帯制御」

愛華が言う。

「生活音に紛れさせる……」

和春が続ける。

「昼間は動かない」

「夜中もダメ一番音が紛れる時間だけ動く」

愛華が完全に思考に入る。

そして最後に一言。

「職人も選ぶ」

愛華が頷く。

「ですね。音を出さない施工ができる人間」

和春はペンを置く。

「やるならこれしかない」

数秒の沈黙。

愛華が静かに言う。

「……難易度Sランクですね」

和春は即答する。

「だからやる」

愛華は一瞬だけ笑った。

「断らないんですね」

和春は言う。

「面白い」

その一言で終わる。

愛華はタブレットを開く。

「では受けます」

そして会社携帯を手に取る。

「はい、Boundary & Mindの天城です」

一呼吸。

「案件、お受けします」

静かな夜に――

また一つ、異質な仕事が動き出した。

■夜 ― 神代家リビング(作戦始動)

ホワイトボードの前で組み上がったプラン。

和春は迷いなく、次の一手に移る。

スマホを取り出し、短く番号を選ぶ。

コールは二回。

すぐに繋がった。

「俺だ」

一言で通じる相手。

電話の向こうから、少し低く笑う声。

「おう、珍しいな。何だ、また面白い匂いか?」

和春は端的に言う。

「大阪、飛田新地」

一拍。

「……ああ?」

「老朽化。外は触れない。音も出せない。搬入も見られたら終わり」

沈黙が一瞬。

そして――

「ははっ……いいな、それ」

食いついた。

「面白そうだ」

和春は続ける。

「やるか?」

「やるに決まってんだろ」

即答。

電話の向こうの声は、完全に“仕事モード”に入っていた。

大工の親方。通称“トリック職人”。
一流の腕と、常識外れの発想で仕事を成立させる男。

「弟子も連れてく。あいつらも腕は保証する」

和春が短く言う。

「条件は分かってるな」

「ああ。音は殺す。痕跡も消す。外は触らない」

少し間。

「材料は?」

和春が答える。

「新規は最小限。基本は再利用」

電話の向こうで笑いが弾ける。

「最高だな。パズルじゃねぇか!んで、搬入は?」

和春は最後に言う。

「客に紛れる」

即答だった。

「道具も分解して持ち込む。組み立ては中で行う」

親方は満足そうに短く返す。

「いいな、おい!楽しそうだ!」

――通話を切る。



■同時刻 ― 作戦共有

愛華はすでに理解していた。

「……あの方ですか」

和春が頷く。

「トリック職人」

愛華が小さく息を吐く。

「確かに、最適ですね」

そこへ再び着信。

今度は和春の方。

スピーカーに切り替える。

「でよ、和春」

「愛華ちゃんはどうするんだ?」

「従業員にでも紛れるのか?」

その言葉に、愛華がすぐ反応する。

「“従業員”という言い方はしません」

一瞬、電話の向こうが静かになる。

愛華は淡々と続ける。

「法的に“従業員”だと問題が出ます」

「現場では全員、個人事業主という形を取っています」

「……なるほどな」

理解の声。

愛華はさらに続ける。

「私も潜り込みます」

「ただし、私の時間管理は和春が押さえます」

「そこは“外部の人間”として処理します」

和春が一言。

「帳尻は合わせる」

「相変わらずだな、お前ら」

軽く笑う声。



■弟子たちの反応

電話の向こうで、ざわつく声。

若い声が混ざる。

「え、愛華さん来るんすか?」

「すごくないっすか……?」

少し間。

「抵抗ないんですか?一応、風俗ですよ?」

空気が一瞬だけ変わる。

だが愛華は一切揺れない。

「仕事です」

きっぱりと言う。

「それに、私はしません」

一拍。

「そして」

静かに続ける。

「風俗を否定もしません」

電話の向こうが少し静かになる。

愛華は言葉を選ばず続ける。

「必要な仕事です」

「需要がある以上、成り立つ職業ですから」

少し間。

そして、ほんの少しだけトーンが変わる。

「ただし仮に恋人、夫婦になっている場合は‥」

一呼吸。

「行かせません」

はっきりと。

「絶対に許しません」

電話の向こうで小さく笑いが漏れる。

「はは……強いっすね」

愛華は淡々と締める。

「ですが、フリーの方であればそれは個人の自由です」



■作戦確定

通話が終わる。

リビングに静けさが戻る。

ホワイトボードには条件と対策。

そして今――

実行部隊も揃った。

愛華が言う。

「準備、整いましたね」

和春は短く答える。

「明日動く」

愛華はタブレットを操作する。

「スケジュール調整します」

和春は再びPCに向かう。

だが今度は別の資料。

施工計画書。

静かな夜の中で――

普通ではありえない案件が、

現実として動き出していた。

■夜 ― 神代家リビング(作戦確定・日程の再調整)

通話が終わり、リビングに静けさが戻る。

ホワイトボードには条件と対策。
“やること”はもう揃っている。

愛華はタブレットを操作しながら、短く言った。

「和春」

一拍。

「着手は三日後にします」

和春が視線だけ向ける。

「理由は」

愛華は淡々と説明する。

「まず、明日はスケジュールが埋まっています」

画面を見せる。

・午前 コンサル
・午後 個人相談
・夕方 海外案件

「完全に動けません」

和春は一言。

「分かってる」

愛華は続ける。

「その次の日に下見を入れます」

タブレットをスワイプ。

「内部の図面はすでにメールで受領済みです。修繕箇所も提示されています」

和春が頷く。

「現地との差分確認だな」

愛華も頷く。

「はい」

「図面通りにいかないのが現場ですから」

少し間。

「そして――」

ここで少しトーンが変わる。

「一番の問題は資金処理です」

和春が目を細める。

愛華は続ける。

「今回の修繕は“修繕費”として計上できません」

静かな説明。

「表に出せない案件ですので別の形で処理する必要があります」

和春が言う。

「どう組む」

愛華はすでに考えていた。

「Boundary & Mindで一度受けます」

「名目はコンサル・監修費、もしくは業務委託費」

指で項目を整理する。

「そこから分割して親方側へ支払い外部委託として処理します」

和春が短く言う。

「伝票は」

愛華は即答。

「分散させます。一括だと不自然です。工程ごとに分けて処理します」

和春は満足そうに一言。

「問題ない」

愛華は続ける。

「材料費も同様です。直接搬入は避けるので」

「小口購入・持ち込みで処理」

一瞬だけ止まる。

「完全にグレーですが」

和春が言う。

「黒にならなきゃいい」

愛華は小さく頷く。

「はい」



■最終確認

愛華がまとめる。

「明日 動けない」
「翌日 下見」
「三日後 本施工」

和春が言う。

「一発で終わらせる」

愛華も即答する。

「そのつもりです」



和春は再びPCへ。

次は施工計画。

愛華はスケジュールと資金フローを同時に組む。

静かな夜。

だがやっていることは、完全に“裏側”の仕事だった。

愛華が小さく呟く。

「……難易度、高いですね」

和春は一言。

「だからやる」

愛華は少しだけ笑う。

「ええ」

三日後。

その日から――

痕跡を残さない改装が始まる。