ずっと、いっしょ。

朝の空気は、いつもよりわずかに重かった。
校庭を抜ける風も、妙に冷たく肌に触れる。
日差しは変わらない。空も、校舎も、いつも通りだ。
それなのに、昨日見た夢の余韻だけが現実に残り、世界の輪郭を薄くにじませている気がした。
教室に入る。
席順も机の並びも、何ひとつ変わっていない。
けれど、どこかが噛み合っていない。
キョウの視線は自然と隣の席へ向かう。
そこに“あるはずの何か”を探すように。
だが、胸の奥に残っている印象と、目の前の光景が微妙にずれていた。
昨日まで確かに知っていたはずの存在の輪郭が、曖昧になっている。

「……消えた?」

小さく呟く。
返事はない。もちろん、誰も反応しない。
ただ、いつも影のようにそばにあった気配だけが、ふっと抜け落ちたような感覚が残る。
胸の奥がざわつく。
呼吸が少しだけ重い。
黒板の文字がやけに白く浮き上がり、チョークの音が耳に鋭く刺さる。
隣の席から聞こえるはずのノートをめくる音や、ペン先が紙を走る音も、どこか遠い。
距離が離れたわけじゃない。
空気の密度だけが、変わってしまったみたいだった。
ふいに、ひとつの名前が浮かぶ。

「タツオミ……」

声に出そうとする。
けれど、喉で止まる。
名前は頭の中でだけ反響し、口にする前に溶けて消えていく。
なぜその名前が出てきたのか、思い出せない。
きっかけも理由もわからない。
ただ、この違和感の中心に、その名前がある気がした。
昼休み。
校庭を歩く。
揺れる木の葉、友人たちの笑い声、降り注ぐ太陽の光。
どれも見慣れたはずなのに、どこか現実味が薄い。
同級生の髪の流れや制服のしわが、やけに鮮明に目に映る。
細部がくっきりしすぎていて、逆に不自然だった。
教室に戻ると、机の上の教科書に目が留まる。
ページを開く。
昨日見たはずのページ。
だが、折り目の位置も、書き込みの濃さも、挟んだ付箋の色さえ、どこか違って見える。
同じはずなのに、違う。
まるで昨日の記憶だけが、別の世界の出来事だったみたいだ。
午後、突然、背中に冷たい感触が走った。
反射的に振り返る。
誰もいない。
それでも、確かに“あった”
昨日までそこにあったはずの気配。
影のように寄り添っていた存在。
姿はないのに、「そこにいた」という感覚だけが消えない。
帰り道。
校門の影に差しかかった瞬間、昨日の夢で見た廊下の光景がふっと重なった。
現実と夢の境界が、ほんの少しずれている。
胸のざわつきが強まる。
風に吹かれた木の葉が足元に落ちる。
その音が、誰かの足音のように聞こえて、思わず立ち止まった。
振り返っても、やはり誰もいない。
家に着く頃には、空は夕暮れ色に染まっていた。
窓から差し込む光が、部屋の中を淡く赤く染めている。
扉を開ける。
当然、誰もいない。
それでも、空気がわずかに重い気がした
キョウは息を整え、机に手を置いたまま、その感覚を確かめる。
まだ何も起きていない
何も壊れていない。
何も始まっていない。
それなのに。
日常の中に、目に見えない違和感が、少しずつ、静かに積もっていくのを感じていた。