老いた英雄は新天地で第二の人生を歩む~最強の巨匠、正体を明かさず『普通のおじさん』で通すもなぜか絶えず頼られてしまう~

 ソーマ大陸南西部――エディス王国近郊にあるムカーナ渓谷。

 そこでは地鳴りのような歓声が轟いていた。

 負傷した兵士たちが抱き合い、涙を流し、ようやく訪れたこの瞬間に喜びを爆発させていた。

 そんな周りの状況を確認してから、兵たちのまとめ役を担う指揮官の私――アダム・ファウルスは、最後の一体となった「敵」と決着をつけるため剣を振るう。

 相手は動揺を隠すように咆哮をあげると、真っ直ぐこちら目がけて突っ込んでくる。私の顔と同じサイズの拳を繰り出すが、すでに動きのキレはほとんどなく、回避するのに苦労はしなかった。

 しかしそのパワーは未だ健在のようで、地面に当たった瞬間、地震が発生したのかと思うほどの揺れが発生した。

 体格差は歴然。

 力押しならば負けるかもしれない。

 だが、その足りない部分をスピードとテクニックで補う。

「はあっ!」

「グギャッ!?」

 動きで敵を撹乱(かくらん)しつつ、トドメの一撃を食らわせた。

 今のが致命傷となったようで、ヤツは倒れてからピクリとも動かない。

「ふぅ。さすがに 五十を超えると昔のような動きとスタミナはなくなるか」

 大きく息を吐き出して顎鬚(あごひげ)に手を添える。これは昔からの癖だ。

「終わったようだな……」

 周りの声にかき消され、誰にも届かない呟き。

 ……それでいい。

 ようやく長い戦いが終わったんだ。今はみんな、思いのままにそれを噛みしめてくれたらいい。下手に声をかけるのは野暮というものだ。

 この浮かれようは理解できる。

 何せ、数百年にも及び続いていた魔界の住人――魔人族との戦いに終止符が打たれたのだからな。

 果たして、過去にどれほどの人たちがヤツらの餌食(えじき)になっただろう。

 私の友人が何人も被害に遭い、帰らぬ人となっている。

 魔人族は非常にずる賢い。

 時には巨大なモンスターを使役して村を襲ったり、ある時は大軍で押し寄せて国ひとつを滅ぼした。

 卑劣で凶悪で醜悪……この世の負の感情を煮詰めたような魔人族どもは、ついに私の暮らすエディス王国へと狙いを定める。

 大陸最大の規模を誇るエディスを沈めることができれば、このソーマ大陸に存在するすべての国を掌握できたも同義。

 ヤツらはこの世界を支配するその第一歩としてこの国を選んだのだ。

 この決戦に際し、他国からも多くの援軍が駆けつけ、まさに死力を尽くした戦いがこのムカーナ渓谷で数日間にわたり繰り広げられていた。

 百万を超えるとされる魔人族の軍勢に対し、こちらはその約半分。身体能力も向こうが上回っていたが、なんとか勝ててよかった。

 これでもう、我々人間が連中の脅威に晒されることはほとんどなくなるだろう。残存勢力が魔界に残っているという情報もあるので、気を引き締めたいところではあるが、とりあえず今はこの熱狂に身を委ねていようと思う。

 すると、そこへひとりの青年が駆け寄ってくる。

「アダム先生!」

「っ! トレッドか」

 右手をブンブンと勢いよく振りながら、弟子のトレッドが嬉しそうに駆け寄ってきた。

 いつも真面目で、周りからは近寄りがたいと言われている彼が、ここまで感情を前面に押し出しているのは珍しい。

 それほど、魔人族との戦いに勝利できて喜んでいるのだろう。

 無理もない。

 彼は物心つく前に両親を魔人族によって殺されている。身寄りがなく、王都にある教会へと預けられた彼に、かつて私は戦う者として必要な技術や知識を教え込んだ。今回の魔人族討伐作戦においても、最高指揮官である私の参謀役を務めるなど活躍している。

 少しでも彼の助けになれたらいいと思っていたのだが、成長したトレッドは正式に弟子入りを志願してきた。

 最初は驚いたが、彼の熱心な気持ちに揺り動かされ、最終的には了承。

 すると、これを機に弟子入り志願者が殺到するようになってしまい、一時期は本業に支障が出るんじゃないかってほどだった。

 今でも弟子入りを望む者は多いが、最近ではトレッドたちも成長し、彼らに指導してもらってさらに若い世代が伸びつつある。今回の魔人族との決戦でも、彼が参謀としてサポートしてくれたおかげで成功したと言って過言ではない。

「やりましたね! これでもう魔人族の脅威に怯える必要はなくなります!」

「そうだな。――と、言いたいところだが、まだ残存勢力が潜んでいるはずだ。最後まで油断するなよ」

「もちろん、心得ていますよ」

 わざわざ忠告をしなくても、トレッドはちゃんと周りを警戒している。

 私の心配は杞憂に終わったようだな。

「……トレッド」

「なんでしょうか?」

「よくやってくれた。君は私の誇りだよ」

「っ! せ、先生……」

 思えば、こうやって真正面から彼を褒めるのはいつ以来かな。幼い時はことあるごとに「よくやった」と声をかけていたが、成長してからはとんとなかったな。

「さて、そろそろ王都へ帰還するとしよう。トレッド、兵士たちに呼びかけて帰り支度だ」

「はい!」

 威勢よく返事をすると、彼は兵士たちへ声をかけるため駆け出した。

「ふぅ……まあ、とりあえず今日のところはこれでいいかな」

 ついさっき、トレッドには油断するなと言っておいたが……やはり、あれだけ長く苦しい戦いを終えたばかりとあって、私も気持ちが高揚しているようだな。

 走っていくトレッドの背中を目で追っていると、そこに次々と人が加わっていく。

 その全員が、私の弟子として魔人族との決戦に参加し、主力として大活躍をしてくれた。この勝利は彼らの頑張りがあってのものだ。

 あの子たちこそ、この国の未来そのもの。

 きっと、これからは私に代わってエディス王国を支えていってくれるだろう。

 今、私は新しい時代の始まりを目撃している。

 ――同時に、私自身のこれからにも大きな変化が訪れようとしていた。





 王都へ帰還後、すぐさま弟子たちとともに魔人族討伐の件を国王陛下へ報告した。

 すでに先行していた部隊が魔人族討伐成功の一報を入れていたため、我々が王都へ到着する頃にはすでにお祭り騒ぎの状態だった。

 人々の喜びようから、これまでにいかに魔人族のせいで苦しめられていたか……それがヒシヒシと伝わってきた。

 そういえば、最後に出動する際、国王陛下から「勝利をおさめたらひとつ派手に凱旋(がいせん)パレードでもやろう」と言われていたんだったな。

 実現すれば、きっと王都からだけではなく、いろんな町や村の人たちが訪れて大賑わいとなるだろうな。

 そんなことを考えているうちに、王城へ到着。

 すぐさま王の間へと移動し、そこで報告を行った。

 魔人族討伐の一報を私から直接耳にした国王陛下は、安堵の笑みを浮かべる。

「大儀であったぞ、アダム」

「勿体ないお言葉です、陛下」

「アダムの弟子たちも見事な働きであった」

 国王陛下にそう声をかけてもらった弟子一同は深々と頭を下げ、感謝の言葉を述べる。

 やはり、指導してきた立場としては自分より弟子が褒められる方が嬉しい。みんなにとってもいい経験になるだろう。

 ……このタイミングならば、温めていた例の件を提案してもよさそうか。

「国王陛下、折り入ってご相談がございます」

「どうしたのだ、改まって。なんでも申してみよ」

「はっ。これまで私が果たしてきた役割を弟子たちへ継がせていきたいと考えております」

 この発言に、王の間は騒然となった。

 国王を警護する兵士たちから驚きの声が飛び交う。

「き、聞いたか?」

「あ、あぁ」

「でも、それってつまり……」

 困惑する兵士たちの声が漏れ聞こえてくる。

 弟子たちに自分の仕事を託す――言い換えれば、師である私自身が一線から身を引いて引退すると言っているも同義。周りは誰ひとりとして予想していなかったようで、ざわめきはどんどん大きくなる。

「静まるのだ、兵たちよ」

 沈黙を続けていた国王陛下だが、ここでようやく決心がついたのか口を開いた。

「あまりにも急な願い出であったため理解が追いつかなかったが……一番聞きたいのは弟子たちに仕事を任せたあと、おまえ自身はどうするのだ?」

「わたくしですか?」

「うむ。おまえの弟子たちの力量についてはこちらも重々承知している。実を言うと、このような提案を受けずとも国の要職へ就いてほしいと打診をするつもりでいた」

 驚いたな。

 まさか私がお願いをする必要もなく、国王陛下は弟子たちを高く評価してくれていた。

 私の仕事を手伝わせて様子をうかがってからと提案するつもりであったが、どうもそれはいらなくなったみたいだ。

 だが、国王陛下としては弟子たちを要職へ就かせるにあたって問題視している部分があるという。

「以前からこの話は出ていたのだが、なかなか決めかねておってな」

「決めかねる?」

「弟子たちがおまえの代わりに国の仕事をするとして……魔人族討伐を成功させた英雄というだけでなく、稀代(きだい)の名職人でもあるアダム、おまえ自身の今後の処遇について、だ」

「えっ?」

 ……まいったな。

 弟子たちのことばかり考えていて、自分自身の今後については白紙のままだった。

【マイスター】としての称号がある以上、工房で職人に復帰するのもいいが、そこにも私の弟子がいて、うまくまとめ役を担ってくれている。

 そこへ私が復帰したとなれば、あの子もやりづらくなるだろう。

 とりあえず、今言えるのは――。

「お恥ずかしながら、わたくし自身の今後については未定でして……しばらく工房で考えます」

「ふふっ、相変わらず生真面目な男だ」

 国王陛下はそう言って小さく笑うと、周りの者たちへ凱旋パレードの支度をせよと命じられた。

 ……まさか、本当にやるとはな。

 もしかしたら、国王陛下が一番今回の件を喜んでおられるのかもしれない。



 報告が終わると、すぐさまトレッドたちが私のもとへとやってきて不安な心境を吐露した。

「パ、パレードなんて初めてですけど……どうすればいいのでしょうか」

 やはり話題はそこか。

 ただ、これに関しては明確な答えを提示できない。

 なぜなら――。

「悪いな、みんな……私も初めてのことなのでどうしたらよいかわからないんだ」

 大真面目に答えると、弟子たちは一斉に笑いだした。

「先生でも知らないことがあるんですね」

 ふと、一番笑っていたトレッドがそんなことを言う。

「当たり前だ。私だって世界のすべてを知っているわけじゃないんだ」

 何気なく返したが、言われてみると確かに私は世界をよく知らない。

 生まれも育ちもこのエディス王国であり、この地を発展させるために尽力してきた。武器や防具の性能を、実際にモンスターを倒すことでアピールしているうちに戦い方を覚え、職人として以外にも騎士や指揮官といった役職で戦争に出ていった時もある。

 しかしそのすべては、このエディスにかかわるものばかり。

 他の国については文献で大体の情報を把握しており、直接のやりとりといえば、たまに交渉で相手国の民くらいか。

 ……名前と簡単な情報しか知らない国ばかりだな。

 うーむ、何気ないトレッドのひと言で思いがけない話題にぶち当たったな。

「先生? どうかしましたか?」

「――いや、何でもないよ」

 しばらく黙っていた私を心配してか、トレッドが声をかけてくれた。

 私の個人的な見解だし、ここは適当に誤魔化しておこう。

 ちょうどその時、城の使用人たちが我々を呼びにきた。

「パレードが始まるまでの間、控室でおくつろぎください。ささやかではありますが、お茶とお菓子のご用意もあります」

「ありがとう。ではそうさせてもらおうか」

 こうして、私は弟子たちを引き連れて使用人たちが用意してくれた部屋へと移動する。

 報告も無事に終え、ようやく心から喜べるようになった弟子たちの横顔を見ながら、私はずっと考えていた。

 国王陛下が気遣ってくださった、私の今後。

 そしてトレッドの言った、私の知らない世界。

 このふたつが、どうにも頭にこびりついて剥がれ落ちないのだ。

 もしかしたら、私の今後の人生を大きく左右する言葉なのかもしれない。



  ◇◇◇



 凱旋パレードが終わって約一ヵ月。

 エディス王国はこれまで以上に活気づき、人々は平穏な生活を謳歌していた。

 そんな中、やはりトレッドをはじめとする弟子たちの活躍が目覚ましい。

 以前の私は国中を行脚し、各土地でどんな問題が生じているのか調べて回っていた。弟子たちも同行させ、いずれは君たちが私の役割を果たして国を見て回るのだと語ったのがついこの間のようにも感じる。時の流れとは本当に早いものだ。

 そんな彼らが国民の信頼を勝ち取るのにそれほど時間はかからなかった。

 政治、経済、産業、軍事、教育――各分野を得意とする者たちが、思う存分に力を発揮したことでエディス王国はさらなる発展を遂げていく。

 最初のうちはまだフォローが必要かなと、一歩引いた立場から眺めていた。

 しかし、すぐにその必要はないと悟る。

 次第に私は現場から離れていき、すべてを彼らに委ねる決断を下す。

 きっと、これからのエディスは輝かしい歴史を刻んでいくだろう。

 ――命が尽きる日まで、私はそれを見守り続けたい。

 たとえこの国を離れ、遠くの土地で暮らし始めたとしても。





 季節はあっという間にめぐり、魔人族討伐から一年が経った。

 半年を過ぎた頃、国の要職から手を引いて工房の経営に専念するようになったが、こちらも弟子たちが大活躍をしてくれたおかげで安定している。

「ふぅ、少し休憩するか」

 工房の執務室で書類整理がキリのいいところまで進んだので、座り続けていたことで固まった体を伸ばしてほぐす。

 休憩、か。

 少し前までなら、こんなのんびりとした思考には至らなかったな。

 それほど魔人族討伐部隊の最高指揮官というのは激務……おかげで髪も鬚も真っ白になってしまった。

 そんなことを考えながら、ふと窓の方へと視線を移す。

 近くには騎士団と魔法兵団が合同で使用する演習場があり、今まさにそこでは実戦を想定した鍛錬が続けられていた。

 予期していた通り、トレッドをはじめとする弟子たちはあらゆる分野で大活躍。

 私としては何にも勝る喜びで、彼らに賞賛の言葉を贈る。

 ――だが、その一方で私の役目はどんどんなくなっていった。

 しかし、これは必然。

 むしろ新しい世代が未来を担ってくれている今の方が健全であり、望ましい形と言えるだろう。実際、トレッドたちが活躍することで、国の若い世代にも「俺たちだってもっと頑張らなくちゃ!」と相乗効果を与え、あらゆる分野で若手が育ってきていると報告も受けている。

 魔人族の討伐が成功した時はみんな浮かれていた。

 私はこの勝利によって騎士や魔法使いたちの心が緩むのではないかと心配していたのだ。

 トレッドや弟子たちにはそういった慢心はうかがえなかったのだが、全員が同じ気持ちでいられるのは稀だろう。

 そういった心の隙が生じた際、兵力は大幅に下がってしまう――が、そんな私の危惧は演習場から聞こえてくる威勢のいい声でかき消された。

 まだまだ鍛錬を続けていかなければという向上心に溢れており、聞いているだけでこちらも気持ちが高ぶってくる。

 だが同時に、今の自分が置かれている状況について、「本当にこのままでよいのか」と疑問を抱く。

 魔人族の討伐により世界は平和になったし、弟子たちの成長は何より嬉しい。

 まだ残存勢力が潜んでいる可能性もあるため、油断はできないが……それでも、今度は若い世代が中心となって蹴散らしてくれるはず。

 ただ、その戦場に私の居場所はどこにもないだろうな。

 ――そう。

 私は自分の居場所を見失いかけていた。

 工房での仕事も若者が台頭し、今の私はすっかり書類整理係が板についてきている。

 このまま若者たちの成長を見守り続けるのもいいかもしれないが、やはり私はまだまだ隠居は考えられない。かといって、前線に顔を出せばせっかくの成長の機会を横取りする形になりかねない――そんな時だった。

「……ふむ。ここはひとつ動いてみるか」

 ある(ひらめ)きが脳内に浮かびあがると、私はそれを実行すべく動き出す。

 手始めに王城へと赴き、国王陛下に相談。

 どんな反応をされるのか少し不安だったが、意外にもあっさりと承諾をしてくれた。

「よ、よろしいのですか?」

「ふふっ、自分から話を持ちかけておいて何を言う」

「そ、それはそうなのですが……」

「おまえがこのような考えに至るだろうというのは、魔人族が討伐されたあの日からずっと予感していた。むしろ遅いくらいだよ」

 さすがは国王陛下だ。

 こういう日が来ると事前に予感していたとは。

 国王陛下から了承を得ると、次は弟子たちだ。

 ……あまり考えたくはないが、今生の別れになる可能性もある。

 仕事について伝えておきたいことは話し終えているため、ここからはまったく新しい話題――私自身の今後について話すため、工房の執務室へ彼らを呼ぶ。

 激務で時間を作れないだろうから個々に伝えていこうと思っていたのだが、全員が仕事を中断して駆けつけてくれた。

 ありがたい反面、他の仕事が滞らないか心配だな……手早く済ませよう。

「みんなに集まってもらったのは他でもない。実は旅に出ようと思っていてな。あっ、国王陛下にはすでに了承をもらっているので問題はない」

 サラッと言ったつもりだったが、弟子たちにとってはかなりの衝撃発言だったらしく、しばらく動きが止まってしまう。

 魔人族討伐の時だって、ここまで動揺することはなかったのになぁ。

「ちょ、ちょっと待ってください! 旅をするとおっしゃいましたが場所はどこです!? それに期間は!?」

 真っ先に思考能力を取り戻し、質問攻めをしてきたのはトレッドだった。

「どちらも未定だ」

「み、未定?」

 ポカンと口を開けるトレッド。

 他の弟子たちも同じような反応だが……彼らがここまで取り乱しているところを見るのは随分と久しぶりな気がする。

 とりあえず、こちらから切り出すか。

「この一年間……すぐそばで君たちの活躍を見させてもらった。時には判断に悩むこともあっただろうが、私の教えを忠実に守り、そして解決へと導いていった。もう私に相談などしなくても、自分たちで判断できる経験は積んだはずだ」

「で、ですが、あなたは軍の最高指揮官であり、職人としてはこの国で唯一【マイスター】の称号を与えられた、いわば人間国宝です! そんな方が国を離れられては……」

 引き留めようとするトレッド。

「先生はこれまでも武器や防具だけでなく、交易路の整備や国境河川にかかる橋などさまざまな場面でエディスの発展に貢献されてきました」

「国王陛下もその功績をお認めになり、国内で唯一となる【マイスター】の称号を先生に与え、それに伴って工房の規模も年々大きくなっています」

「先生抜きではまだまだ不安が……」

「我々にはまだ先生が必要です」

 他の弟子たちも口々にこの国へとどまってほしいという言葉をくれる。

 素直にとても嬉しい――だが、そういった役割は年老いた私ではなく若い彼らが担っていくべきだ。彼らには私には思いつかない柔軟な発想と鋭い感性がある。

 それに、私へ相談を持ちかけなくても自分たちで解決できるくらいには経験を積んできたはずだ。

 それは決して単独としてではなく、苦楽をともにした仲間たちがたくさんいるからという理由もあるだろう。そこについては間違いなく私以上であると言えるので、師を超えてくるのも時間の問題だと考える。

「エディスは君たちに任せても大丈夫だ。自信を持て。私がいなくなっても、仲間で協力をし合い、人々のために努力を惜しまぬようにな」

「せ、先生……」

 最初に声をあげたトレッドが口を閉じる。

 これ以上何を言っても、私の決心が揺るがないと察したのだろうな。

 最後に別れの挨拶を済ませると、私は彼らに見送られながら王都を出た。

 二度と戻らないというわけじゃない――とはいえ、やはり慣れ親しんだ土地を離れるのは寂しいな。

 しかし、それは同時に新しい出会いのチャンスでもある。

 これから進む先で何が待っているのか。

 そう考えるだけでワクワクしてくる。

 こんな感覚は久しぶりだな。

「さて、まずはどこへ行こうか」

 王都を出ると、私は近くにある小高い丘の上から周辺の景色を見渡す。もう何十年と見てきた光景のはずだが、これまでの肩書きがなくなるとなんだか違って見えてくるな。

 まあ、地形が変わったからではなく、気持ちの問題なのだろうが。

 旅に出るとは言ったものの、目的地をしっかり定めて来なかったのは失敗だったかな?

 こういう、何も考えないで行き当たりばったりな旅もいいなと憧れてはいたのだが……どうも私は骨の髄まで生真面目に順序立てないと気が済まないタイプらしい。

 そんな時、空を飛ぶ鳥の群れが視界に入った。

 あれは渡り鳥だな。

 この辺りはこれから寒い時期に入ってくるので南を目指しているのだろう。

「南、か。ちょうどいい。私もその旅路をマネさせてもらおう」

 そちらの方向には港町もあったな。

 急ぐ旅でもないし、のんびりと周辺を歩き回りながらいろいろ見学させてもらおう。

 漠然としていても、とりあえずの目的地が決まったので足取りは前よりも軽くなった。



 それから一週間――スタートこそ少し戸惑いもあったが、徐々に人生初となる目的のない放浪の旅を楽しめるようになっていった。

 王都周辺の町や村ではまだ私を知っている者が多く、中には凱旋パレードに足を運んでくれたという方もいたのだが、彼らは私がエディス王国を離れることに対して不安を抱いているという意見をチラホラ耳にする。

 そのたびに、この国は今後私の弟子たちが正しい方向へ導いてくれると説明して、国民を安心させた。

 実際、魔人族討伐に大きく貢献しているし、真面目な性格で何より他者の立場になって物事を考えられる。

 任せておけば問題ない。

 だからこそ、私は安心して旅に出られるのだ。



  ◇◇◇



 王都を出てから約一ヵ月。

 エディス王国最南端にあるケローズという小さな港町へたどり着いた。

 馬車を調達できればもっと早くたどり着けたのだが、あいにくと持ち合わせが宿代くらいしかなくて断念。

 魔人族討伐の際に国王陛下がくださる報酬については、国の発展のために使ってほしいと大半を寄付してしまったからなぁ。

 ここで船に乗り、別大陸へ渡ろうと考えているのだが……問題は目的地だな。

「ふむぅ、どこへ行こうか」

 宿屋で朝を迎えると、ロビーでコーヒーをいただきつつ、テーブルの上に地図を広げて唸っていた。

 この町から出港した場合、一番近いのは【ダルシェン大陸】になるか。

 あそこにはエディスに匹敵するほどの大国はないし、年間を通して過ごしやすい温暖な気候で農業が盛んな国が多いんだったな。

 物づくりのマイスターとして、主に武器や防具を製造する工房を任されていた際に、向こうから来たという人には何度か会ったが、自分がそちらへ行くのは初めてになる。

「……いいじゃないか。楽しくなりそうだ」

 新たな大陸で新たな日々を送る――好奇心をくすぐられるな。

 ワクワクしてきたぞ。

 そうと決まれば、早速ダルシェンへと渡る船へ乗り込もう。宿屋の店主の話では、ちょうど今日が出港する日らしい。これもまた何かの導きかもしれない。

 宿屋を出ると、店主の教えてくれた乗り場へ移動する。そこにはすでに乗船を待つ人々で賑わっていた。

 一般人に混ざって行商人らしき者たちの姿も見えるな。

「なかなか活気があるじゃないか」

 これまでダルシェンにはあまり縁がなかったので少し不安もあったが、この賑わいを見てそんな気持ちは吹き飛んだよ。

 ダルシェンまではおよそ三日の航海となる。食料は自前で用意するか、船内で売られている品を購入するの二択のようで、これも私にとっては初めての経験だ。

 新たに踏み入るダルシェンの地。

 一体どんな出会いが待っているのか。

 今からとても楽しみだ。

 航海は順調に進み、予定通り、ケローズの港を発ってから三日後にはダルシェン大陸のメイアー王国へたどり着いた。

 港に降りてからはまず宿を確保し、周辺でこの大陸のオススメスポットを聞いて回る。

 港町だけあって観光客の相手にも慣れているらしく、いろんな場所を教えてくれた。地図にメモしていくと、それらは大陸の西側に集中していたので、まずはそちらを目指して移動しよう。

 町の人たちからは馬での移動を進められたが、見る景色すべてが初めてというダルシェン大陸の旅を楽しむため、あえて徒歩で挑む。

 ダルシェン大陸を堪能させてもらおうか。

 こうして始まった新しい大陸での旅は、私にさまざまな衝撃を与えてくれた。

 文化や風習の違いはもちろん、礼儀や食事の作法など細かく挙げたらキリがないほどだ。

 同時に、まだまだ学ばなければならないことがたくさんあるんだと気づかされた。すでに一線から身を引いた立場ではあるが、この年でまだ成長できるのかと嬉しくさせてくれる。

 旅のスタートをダルシェン大陸に決めたのは正解だったな。

 そして気がつくと、ダルシェン大陸に上陸してから二ヵ月が経過しようとしていた。

 まだまだ巡りたい場所はいくつもあるので、のんびりと進んでいこう――と、考えていた私は気がつくとメイアー王国を抜けてドアン王国に入っていた。

 旅の途中で出会った人の話によると、このドアン王国はダルシェン大陸でもっとも小さな国だという。

 そのためか、この国を歩いていると全体的にどこかのんびりしているというか、牧歌的な雰囲気が漂ってくるのを感じる。遠くに見える風車も風情があっていいな。

「領地もかなり小さいようだが、そろそろ村が――おっ? あれだな」

 しばらく歩いていると、遠くにいくつか建物が見えてきた。

 近づいてみると、わずかだが潮の香りがしてきて、さらに先ほど見た建物がレンガ造りの住居だと判明。

 もっと驚いたのが景観だった。

「ほぉ……これは素晴らしい」

 思わず第一印象を声に出してしまった。

 ただ、そうなってしまうくらいの絶景が広がっていたのだ。

 地図で位置関係も把握していたし、潮の香りもあったから海が近いという認識はあったものの、高潮対策なのか、村の人たちが住んでいる場所は海と比べて高い位置にあるため、広大な海原を一望できるスポットになっていた。

 振り返ると、反対側には標高の高い山々が連なっている風景が遠くに見え、これもまた絶景と呼んで申し分ない美しさと雄大さがある。

 観光資源にもピッタリ――っと、いかんな。

 職人という立場からの意見もほしいという国王からの要請で、国力強化の一環として行われた観光事業に携わっていた時期があった。で、こういう絶景を目の当たりにするとそんなことばかり考えてしまう。

 今はただ、純粋にこの風景を楽しもうじゃないか。

 ふと視線を横へずらすと、ここからそれほど離れていない場所に城があるのを発見する。

「あれがドアンの王城か」

 エディスと比較すれば小規模ではあるが、立派なお城だ。となると、あの周辺に王都があるのだろうか。次はあそこへ行ってみるとするか。

 村の中心部に差しかかってくると、村人の数がチラホラと確認できるようになってきた。

 周辺の環境や雰囲気がそうさせているのか、気さくで穏やかな人が多く、気がつけば足を止めて話し込んでいた。

【キャデル村】に旅人が訪ねてくるというのはかなり珍しいようで、村人たちも久しぶりに知らない人と話すと盛り上がり、いろいろと教えてくれた。

 なんでも、このキャデル村は昔から農業や漁業が盛んに行われており、小規模な村ながらドアン王国の食料供給を支え続けているのだという。

 山と海に挟まれる形だからな。

 これだけ自然豊かな土地であれば、きっとおいしい野菜は育つし、活きのいい魚もたくさん獲れるだろう。

 ただ残念なことに、この村には宿屋がないという。

 確かに景色はいいのだが、観光目的で来るところでもないからな。周りを見回して「もしかしたら」と予感はあったが……さて、どうしたものかな。

 いくら城が見えているからといっても、さすがに王都までは距離がある。

 話に夢中になっていて、夕暮れ時が迫っているのに今頃気づいたからな……仕方ない。今日は野宿といくか。

 結界魔法の類はなさそうなので、近くにモンスターがうろついているということもなさそうだし、念のため前の町でいくつか保存食を購入済み。野宿への備えは万全だ。

 というわけで、近くの森へ移動しようとしたのだが、道中でひとりの少女と出会う。

「うーん……ふーん……」

 腕を組みながら頭をあっちへこっちへフラフラと動かし、そのたびに短い青色の髪の毛が小さく揺れている。

 相当悩んでいるようだが……一体どうしたんだ?

 さすがに放ってはおけないと、声をかけてみることに。

「君、何をそんなに唸っているんだ?」

「えっ? あなたは?」

「あぁ、私はアダムという旅の者だ」

「旅人さんがこの村に!? 珍しいですねぇ……あっ! 私はメイジー・ティペッツと言います!」

「よ、よろしく、メイジー」

 元気のいい子だな。

 私が彼女に抱いた第一印象はそれだった。

「――で、何か困っているように見えたのだが」

「そうなんですよぉ……」

 すがるような声を出す少女。

 ここまで困り果てているとは……なんとか力になってあげたいので、彼女がここまで悩んでいる理由を尋ねる。

「一体何があったんだ?」

「実は――これなんです」

「こいつは……農具か?」

 彼女が手にしていたのは畑を耕す際に使用する(くわ)

 しかし、随分と年季が入っているな。それに先端の部分が大きく欠けており、これでは本来の役目を果たせないだろう。

「これは君のかい?」

「いえ、依頼品です」

「依頼品?」

「私、鍛冶職人なんですよ」

「っ! そうだったのか」

 彼女が同業者だとわかり、思わずピクッと体が反応してしまった。

 ……恐らく、この子は誰かに弟子入りをしているのだろう。

 師匠からの課題が壊れた鍬の再生――といったところか。

 私もかつてはこういう初歩的な技術から学んでいったんだったな。彼女よりももう少し幼い頃に弟子入りし、長い時を経てようやく独立できたのが三十歳を超えてからだった。

 まさかこんな場所で昔を思い出すなんてね。

 旅の出会いにおける醍醐味のひとつだな。

「アダムさん?」

「うん? ――あぁ、すまない」

 本来なら師匠に頼むべきなのだろうが、彼女がここまで頭を悩ませているとなると、やはり課題の可能性が高いか。

 とはいえ、さすがにこのまま放ってはおけないか。

「君、師匠は?」

「師匠……」

 私が尋ねると、彼女は途端に黙ってしまった。

 ……しまったな。

 もしかすると、師匠との折り合いが悪い?

 だとしたら、無理に帰せないか。

 そう考えていたのだが――どうやらもっと複雑な事情が絡んでいたらしい。

 彼女がそれを教えてくれた。

「私の師匠は……もうこの世にいないんです。一年前に亡くなりましたから」

「えっ?」

 まさかの答えに驚いていると、彼女はさらに続けた。

「実は祖父が鍛冶職人で、私が十六歳になったら工房を継ぐために弟子入りする予定だったんです」

「工房……後ろにある建物か」

「はい。住居兼仕事場として使っていました」

 言われてみれば、確かに工房のすぐ隣に家が建っている。恐らく中でつながっているのだろうな。

「ドアン王国の職人が使う工房か……同じ鍛冶職人として興味があるな」

「えっ!? アダムさんって鍛冶職人なんですか!?」

「まあね。ただ、今はもう一線から身を引いているが」

 エディス王国では総勢で二百人を超える職人を抱える工房代表――というのは伏せておく。

 あくまでも今の私は普通のおじさんなのだ。

「引退されてしまったのですか?」

「あぁ。とはいえ、まだ一年も経っていないから腕は鈍っていないと思うがね」

「な、なるほど」

 メイジーの表情がみるみる変わっていく。

 明るくなり、声にも弾みが出てきた。

 よし。

 ここでひとつ提案をしてみるか。

「この農具だが、もしよければ直し方を教えようか?」

「い、いいんですか!?」

「ここで知り合えたのも何かの縁だ。それに私は困っている人を放っておけないタチでね。力になるよ」

「ありがとうございます! では工房へ案内しますね!」

 もう少し疑われるかもって覚悟はしていたが、すんなりと通してくれた。

 この穏やかな村で暮らしていれば、変に勘繰ったりするようなことはないのかな。

 メイジーの素直さに感心と心配を寄せつつ、工房へと移動。

「入り口はこっちで――きゃっ!?」

 だがその途中、彼女は何もないところでいきなり転んだ。

「メイジー!? 大丈夫か!?」

「は、はい。これくらい……それより、すみません。私ったらドジで」

「怪我がないのならよかったよ」

 苦笑いを浮かべながら語るメイジーに手を差し出して起こし、移動再開。

 工房内へ入ると、私はまず驚きの声をあげた。

「ほぉ、なかなか年季が入っているな」

 同じ職人だからわかる。

 この工房は……かなりこだわりを持って作られている、と。

 祖父との思い出を大切にしていると語るメイジーは、ここを当時のままの姿で残しているらしい。

 となると、使われている道具などもすべて彼女の祖父が現役の頃の状態……その道具ひとつ見るだけで職人の腕がわかる。

 ……どうやら、かなりの凄腕らしい。

「お世辞抜きにいい工房だ」

「もともとは鍛冶職人をしていた祖父の工房だったんです。私もここで鍛冶職人となるべく修行する予定でした。……ですが祖父は病に倒れ、そのまま亡くなってしまいました」

「ご両親は?」

「どちらも祖父より先に事故で亡くなっています。別大陸に工房で使う素材を調達しに行こうとしたらしいんですけど、船が嵐に遭って……」

 しまった、と猛省する。

 彼女が先ほどから祖父の話しかしなかったのは、単に自分が職人を目指していたからだけではない。

 物心つく前に両親を亡くし、祖父が父親代わりをしていたのだ。

「そうだったのか。……すまない。不躾な質問だったな」

「いえ、気にしないでください。今はこうして元気にひとりで切り盛りしています。――とはいっても、半人前以下の腕しかない私では、農具ひとつまともに直せないのが現状で……」

 徐々に涙ぐんでくるメイジー。

 己の不甲斐なさからくる悲しさと悔しさで落ち込んでしまったようだ。

 話を振った私としては、なんとかして勇気づけたいところだが――と、その時、工房内に飾られた一枚の絵に目が留まる。

 描かれているのは家族四人が並んでいる場面。

 真ん中にいる幼い女の子は恐らくメイジーだろう。

 となると、両サイドにいるのは両親か?

「――うん?」

 大人三人の中の男性のひとりには見覚えがあった。

「……メイジー、ひとつ質問をしていいかい?」

「えっ? あっ、は、はい」

「君のお爺さんの名前だが……ライソンというのではないか?」

「そ、そうです。ライソン・ティペッツです」

「やはりか……」

 こんな偶然があるとはな。

 本当に人生とは何があるかわからないな。

「祖父を知っているんですか?」

「知っているも何も……彼は私の師匠でもあるんだよ」

「えぇっ!? ア、アダムさんが祖父の弟子!?」

「そうだよ。君の祖父――ライソン師匠は私の故郷であるエディスに職人の育成を依頼されてしばらく専用工房を構えて住んでいたんだ」

 故郷には奥さんと子どもがいるって話をしていたけど、まさかそれがドアンだったとは。世間とは広く見えて狭いものだ。

「アダムさんはどうして祖父に弟子入りを?」

「私が十歳の時、両親を戦火で失ってしまい、頼るあてもなく途方に暮れていたところを『飯と寝床をやるから俺の弟子になれ』と言って助けてくれたんだ」

 当時のことは、今も鮮明に覚えている。

 思えば、今の私が身寄りのない子たちを弟子として育てていたのは師匠の影響が大きいな。

 あの時のライソン師匠は私を見ていると自分の息子を思い出すとよく口にしていたが、その息子さんがメイジーのお父さんなのだろう。

「彼のもとで二十年ほど修業を積み、その偉業を目の当たりにしてきたんだ」

「い、偉業?」

 おや?

 もしやメイジーは自分の祖父が何をした人物なのか知らないのか?

「君は……祖父のことを知りたいかい?」

「はい!」

 食い気味に返事が来た。

 それならば、と私はメイジーにライソン・ティペッツがいかに優れ、そして偉大な鍛冶職人であったのか、その全貌を語って聞かせた。

 師匠を語る上で欠かせないのは、やはりあの理論だろう。

 ――鍛冶職人は長い歴史の中で進化を続けてきた。

 特に大きな変革となったのは、鍛冶の技術に魔力を融合させたこと。

 ライソン師匠も理論の確立にひと役買っていた。

 彼はとにかく研究熱心だった。

 寝る間も惜しんでさまざまな可能性を追求していく姿勢と妥協を許さない厳しさ。時に恐怖心すら芽生えるほどの迫力があったのを今も鮮明に覚えている。

 その件について話すと、メイジーは驚きに目を丸くしていた。

「祖父がそんな凄いことにかかわっていたなんてビックリしました……」

「知らなかったのか?」

「はい。あまり自分のことを語る人ではありませんでしたから」

 わかる。

 私も弟子をしていた頃、何度も同じように考えていた。実の孫であるメイジーならば私以上にそう思うだろうな。

 しかし、自分の祖父が鍛冶職人業界で名の知られた存在だとわかり、少し明るくなったようだ。

 流れもよくなってきたし、そろそろ本題に入るとしようか。

「じゃあ、その鍬を貸してくれるか?」

「あっ、どうぞ」

 メイジーから鍬を受け取ると、そいつを作業台の上に置く。

「さて、これから修繕に入るんだが、やり方についてはどこまで知っているかな?」

「お恥ずかしながら、祖父の横に張りついてお手伝いをしていたくらいの状態でして……ハッキリ言って見様見真似ですね」

 まあ、仕方ないか。

 彼女の年齢を考慮したら、下積みを経てこれから本格的に技術指導へ取りかかる手筈(てはず)だったのだろう。

 というか、改めて考えると、師匠に孫がいたとは驚きだ。

 妻子がいたのは知っていたので孫がいてもおかしくはないのだが、おじいちゃんをしている師匠の姿が想像できない。

 ともかく、彼女に職人としての心得を伝授するつもりで大切に育てていたのは理解できた。

 私も師匠のもとで修行を積んでいた時は、まず身の回りの簡単な作業からやっていった――これは師匠が弟子にやらせる王道のパターンで、仲間内では定着していた。

 となれば、ここから先は私が彼女に鍛冶職人としてのノウハウを伝えていこう。

「近年の鍛冶職人には魔力を操作する力が求められるようになったんだ」

「そういえば、祖父の書斎にも魔法関連の書物が何冊か置いてありました。それに魔力を練る鍛錬もしておくようにとも」

「魔力の錬成は基礎中の基礎だからな。本職の魔法使いほどでなくても、ある程度はコントロールできるようにしないと。――こんな風にね」

 私が両手に魔力を集中させると、ぼんやりとした光を灯し始める。これがひとつのポイント。

 光は徐々に強さを増していき、頃合いを見計らってその両手を鍬の上にかざす。

 すると、今度は光だけでなく掌に熱を感じるようになってくる。

 ここまでくると、最終工程まであとちょっとだ。

「メイジー、素材はあるかい?」

「え、えっと――こちらに」

「ありがとう」

 メイジーが用意していた素材は大きく欠けてしまった包丁であった。

 まずは刃の部分に触れ、それから鍬の損傷した箇所にもタッチ。これはこういった、いわゆる補修系の作業を行う準備段階。

「この調子なら、そう時間はかからないだろうな」

「そうなんですか?」

「損傷も軽微だし、素材もある。まあ、見ていてくれ」

 そう言うと、私は仕上げとして素材を掴み、作業台の上に器具を使って固定する。そして反対側の手で金槌(かなづち)を握り、そのまま振り下ろして素材へと打ちつけた。

 ガン!

 ――という、金属同士をぶつけた時に生じる特有の鈍い音が工房内に響き渡った。

 魔力によって生まれた光の粒子が飛び散り、素材はその姿を変えていく。

「凄い……」

 傍らで様子を眺めていたメイジーの口からそんな感想がこぼれ落ちる。

「君のお爺さんの方が断然凄かったよ」

「そ、そうなんですか?」

「もちろん。私の師匠なのだからな。私を含め、多くの職人が弟子入りを志願する名人だった」

「祖父が……ちょっと信じられないですね。ずっとこの村で暮らしてきたと思っていたので」

 照れ笑いを浮かべながら嬉しそうにはにかむメイジー。

 祖父の知られざる過去を知ることができてヤル気が上がったようだな。

 そんな彼女に対し、私は見て学んでもらおうと作業を続ける。

 光に包まれた素材は次第に形を変化させていき、ついには真っ平らになった。あとはそいつで壊れた鍬を挟み、さらに数回に分けて叩く。

 やがて素材が元の鍬の欠けている部分へと広がって破損を補修。

 これが魔力を使用した場合での技だ。

 むろん、すべての職人がこういった最新のやり方を実践しているわけではなく、伝統的な手法を守ろうという動きもある。

「なるほど……勉強になります!」

 多くを語らずとも、私の手際をよく見ながら学んでいくメイジー。そのふたつの大きな瞳はキラキラに輝いていた。

 そんな彼女の姿を見ると、トレッドたちを指導し始めた頃を思い出す。

 あの子たち――いや、今はもう立派に成長して立場のある人間になったのだ。この呼び方はよくないな。

 彼らも初めて鍛冶職人の技を見せた時、今のメイジーのような反応だった。当時の記憶が蘇ってきて、ほほ笑ましさから思わず笑ってしまう。

「あっ、す、すみません……はしゃいでしまって」

「いや、こちらこそすまない。ちょっと懐かしくなってね」

「懐かしい?」

 キョトンとした顔で尋ねてくるメイジーに、私は弟子たちのことを語った。

「ここから遠く離れた国に、私の弟子がいてね。彼らも最初は今の君みたいにこちらを凝視していたなぁと思い出したんだ」

「もしかしてアダムさんって……凄い人だったりします?」

「とんでもない。鍛冶職人をしていた、どこにでもいるごく普通のおじさんだよ」

 エディスにいた頃は普通と程遠い生活であったが、こちらではそれを隠して普通に生きたいと考えている。

 だからこそ、魔人族討伐につながりそうな話題は避けたい。私の弟子から過去へつながるヒントが出るかもしれないし。

「それより、こいつを依頼主のところへ届けなくちゃいけないだろ?」

「そうです! 今ならまだ明るいから行ってきます!」

「私も行こう。修繕について聞かれたらフォローを入れるから」

「あ、ありがとうございます!」

 こうして久しぶりに鍛冶職人として腕を振るったわけだが……しかし、まさかこんな場所で師匠の孫に出会うとは思ってもみなかったな。



  ◇◇◇



 メイジーに鍬の修繕を依頼した夫婦はすぐ近くに住んでいた。

 私がメイジーの祖父の弟子だったと話すと、ふたりはとても驚いていた。普段の振る舞いからは想像できないという。

 孫であるメイジーですらビックリしていたくらいだから当然か。

 こちらからすれば、あの師匠がよく一般人に紛れ込めたものだと別の驚きが生まれる。

 引き渡しが終わると、メイジーと別れてとりあえず王都を目指す――つもりであったが、帰路の途中でそう話すとすぐさまメイジーから止められる。

「あ、危ないですよ!? もう外はこんなに真っ暗ですし!?」

「大丈夫だ。野宿には慣れているんだ」

「で、でも……」

 何か言いたげにしているメイジー。

 しばらく待っていると、意を決した彼女は深呼吸を挟んでから告げる。

「今日はうちに泊まっていってください!」

「き、君のうち?」

 もしかしたらと予想はしていたが……さすがに女の子がひとりで住んでいるところに大人の男である私が泊まるというのはまずいだろう。

「すまないが、それは――」

「ダ、ダメですか? もっと祖父の話を聞きたいんです」

「ぐっ……」

 涙目になって訴えかけるのはズルい。

 まあ、この子も祖父である師匠の話はもっと聞きたいだろうし……寂しさもあるようだ。

 ならば……こうするか。

「まいったな。私としたことが、とんだミスを犯してしまった」

「えっ? ミス?」

「うむ。いや、実は昼間に村の人から王都までの正しい道順を教えてもらったんだが、すっかり忘れてしまった。慣れない土地の夜道を歩くと余計に迷いそうだし……さっきのお言葉に甘えようかな」

「っ! は、はい! 私、部屋の準備をしてきますね!」

 パッと花が咲いたように笑うメイジー。

 喜んでもらえたようで何よりだ。

 工房へ戻ると、併設してある住居の方から中へと入り、早速夕食づくりへ取りかかる。

「アダムさんは座っていてください。食事は私が作りますから」

「ありがたい提案だが、ジッとしているのはどうにも性に合わなくてね。手伝わせてくれないか?」

「じゃ、じゃあ、お野菜を切ってもらってもいいですか?」

「お安い御用だ」

 どこか緊張しているようにも映るメイジーの様子。今になって男を泊めることへ抵抗が出てきたか?

 ぎこちない言動を解そうと、彼女が聞きたがっていた師匠の話を始める。

「こうしていると、師匠のもとで修行していた日々を思い出すよ」

「お料理がですか?」

「工房で働く人たちのご飯を作るのは、新入りの仕事だったんだ」

 懐かしいな。

 私が実際に料理をしていたのは数年だけで、包丁を握るのさえその頃以来だ。それでも、意外と扱い方は覚えており、自分でも驚くくらいすんなりと野菜を切り終えた。

「わっ! 上手ですね!」

「師匠に叩き込まれたからね。体に染みついているってことなのかな」

「あ、あの、実は先ほどの話を聞いてからずっと質問したいことがあったんですけど、いいですか?」

 おずおずと尋ねるメイジー。

 緊張しているようにも見えるな。

「祖父って厳しかったですか?」

 ようやく絞り出した質問があまりにも普通だったので、思わず「ふふっ」と小さく笑ってしまった。

「えっ? えっ? 何か変だったですか?」

「あぁ、いや、すまない。凄く神妙な面持ちだったから、何かとんでもないことを聞かれるんじゃないかと思ってね」

「そ、そんな顔していましたか?」

 途端に顔が真っ赤になるメイジー。

 なんとも愛らしい子だ。

 師匠が可愛がっていた理由がよくわかるよ。

「さて、では質問に答えるとしよう」

「は、はい」

 固唾を呑んでこちらの言葉を持つメイジーに、私は師匠との思い出を脳裏によみがえらせながら語る。

「私は何度も怒られたよ。それはもうめちゃくちゃに」

「こ、怖かったですか?」

「もちろん。ただ、師匠の言葉ひとつひとつにはきちんと意味があったんだ。私がそれに気づいたのは弟子入りしてから数年を経てからだったが」

 師匠は絵に描いたような職人気質で、一切の妥協を許さない。そのため生産スピードが遅く、納期を守れないという事態はザラにあった。

 ただ、顧客からは「遅くなってもいいから納得のいった品が欲しい」との要望が大半で、工房長も認めていたんだよな。

 技術指導という名目で招かれていた立場であったが、いつしか工房の中心人物となり、多忙な日々を送るようになる。それでも、故郷に残してきた家族のことは大切に思っていて、よく私たちに話を聞かせてくれた。

 今振り返ってみれば、村の名前も言っていたな。もっとも、記憶が古すぎてメイジーとの交流がなければ思い出せなかっただろう。

 ライソン師匠はエディスでの職人生活を満喫しているようだったが、先代の息子である二代目工房長が就任してから一変する。

 彼は大量生産重視の方針を打ち出し、とにかくなんでもかんでも作りに作りまくったのだ。

 当然ながら、師匠をはじめ多くの職人たちがこれに反発した。

 特に師匠は怒りのあまり二代目を殴り倒してしまい、そのままクビを通告される。

 これがきっかけとなり、私も含め、職人たちは次々と退職。

 工房には作り手がひとりもいなくなり、あっという間に潰れてしまったという。

 自業自得といえばそうなのだが、私としても初めて職人としての道を歩んだ工房だっただけに、故郷のような感覚を抱いていたから離れるのは寂しさがあったな。

 その後、私はエディス王国内に自分の工房を構えた。

 しばらくは細々と生活をしていたのだが、やがて私の武器や防具は冒険者たちの間で評判となり、やがて騎士団や魔法兵団が常連客となった。

 自分の作った物がしっかり機能するかどうか確認をするため、剣術や魔法も極めようと修行を始めたのもこの頃だったな。完全に師匠の受け売りだが、今になって思うとよかったって思うよ。

「へぇ……あのお爺ちゃんが……」

 幼い頃から祖父に憧れていたというメイジー。

 彼女の話を聞く限り、孫には甘い好々爺(こうこうや)という印象を受ける。年齢を重ねたことで性格が丸くなったのかな。

 知らなかった祖父の顔を知り、嬉しそうにしているメイジーだが……私にはひとつ気がかりがあった。

 ――彼女の今後だ。

 今回は偶然通りかかった私が職人として代わりを務めたが……私がいなくなったあと、メイジーはどうなってしまうのか。理想としては一度村から出て、ちゃんとした腕を持つ職人に弟子入りし、数年間の修業を経て独立するというもの。

 王道といえば王道なのだが……果たして彼女にそれができるのか。

 できることなら、穏やかで温かい村の人たちに見守られながら成長していく――これが理想形だな。

「あ、あの、アダムさん!」

 どうしたものかと頭を悩ませていたら、とても真剣な表情でメイジーがこちらをジッと見つめ、私の名前を呼ぶ。

「どうかしたのか?」

「そ、その……」

 踏ん切りがつかないのか、ひとつ深呼吸を挟んでから大きな声で告げた。

「私に鍛冶職人のことを教えてください!」

「メイジー……」

 なんとなく、そういうお願いかもしれないという予感はあった。彼女自身、この村から離れたくないという思いがあったのだろう。

 無理もない。

 まだ十代半ばの少女だ。

 ひとりで誰も知らない土地へ出向き、一から技術を伝授してもらうというのは口で言うほど簡単ではない。中には職人を奴隷のごとく扱う悪徳工房もあると聞く。

 私の場合、弟子入りしたのがライソン師匠という素晴らしい人物だったため、自分の力を伸ばして今日までやってこられた。

 あれはひとえに運がよかったともいえる。

 工房を渡り歩いて腕を磨くという職人も少なくはないが……彼女にそれができるかどうか。

「ア、アダムさん……?」

 不安そうにメイジーは目を伏せた。

 祈っているようにも映るが……私の答えは決まっている。

「私でよければ引き受けよう」

「そうですか。やっぱり――って、えっ!?」

 おや?

 どうやらメイジーは私が断りを入れると予想していたらしい。

「これも何かの縁だ。旅の途中で少し腰を休めようと考えていたし、私が師匠から教えてもらったことを君に伝えるよ」

「あ、ありがとうございます!」

 パッと花が咲いたように満面の笑みを浮かべるメイジー。

 そんな彼女を見ていると、昔のトレッドたちの顔が浮かんでくる。彼らも私への弟子入りが正式に決まった時は、あんな表情をしていたな。

「さて、それじゃあ明日からビシバシと鍛えて――いくつもりだが、まずは村長さんにご挨拶をしないとな」

「村長に?」

「しばらくここでお世話になるからね」

「あっ! そうですね! なら、今日はこの喜びをすべて料理にぶつけて最高の夕食にします!」

「ほぉ、それは楽しみだ」

 張り切るメイジーを微笑ましく見つめながら、私はこれからの生活に想いを馳せていた。

 素晴らしい成長を遂げたトレッドたちは、もう私の手を離れて自分たちの足でしっかりと歩き出した。

 もう私の助けは必要ないだろう。

 ――だが、エディスとはまったく違う場所で、私に助けてもらいたいという少女と出会った。

 おまけにその子が師匠の孫だったとは。

 もうしばらく……この運命の余韻に浸っていたい。

 心からそう思うのだった。