修学旅行が終わると、またいつもの日常だった。
俺の弁当を食べてくれて、俺が深見くんの弁当を食べるのは変わらない。相変わらず人の来ない穴場も同じだ。
ただ、深見くんとの関係性は変わった。
「もうちょっとしたら文化祭なの早いよなぁ」
弁当を食べ終わって、ぼんやりと呟く。
2人で深見くんのブランケットに包まれる。誰にも見られることがない安心感が味方して昼休みは自由だ。
ブランケットの下では、深見くんが片方の手をしっかり指を絡めて握っている。
深見くんの手はこの時期冷えていることが多くて、俺の熱を分けてあげるようになった。弁当のメニューも根菜や生姜を使った冷え対策のおかずを取り入れている。
「準備ももうすぐだもんね。メイド服着せられそうになったら、宮下くんが助けてよ」
「えー、いつの間にそんな話になったの? 女子たちが着たいって話じゃなかったっけ?」
「ランダムで色んな衣装着る人がいることになった」
深見くんのメイド服姿を想像して、似合いそうだなぁと思った。スカートは長くても短くても、深見くんは着こなすだろう。
俺はドリンクを作る係なので、そうした衣装とは無関係で完全に他人事だ。写真を撮る余裕だけはなさそうだし、山田くんに頼もうかな。
深見くんは乗り気じゃないらしく、唇を尖らせる。
「深見くんが何着るか楽しみにしてるね」
「オレが宮下くんに衣装着せてもいいなら、考えるよ」
「それは無理。俺は似合わないし」
「オレだって似合わねーよ」
何言ってんの、と深見くんが眉を下げて笑った。
「似合うから自信持ってよ」
「宮下くんのその自信が意味わかんねーわ」
「スラッとしてるから、メイド服着たとき様になりそうだよ。深見くんかっこいいしトータルで完璧だよ」
全然理解できなさそうな顔だ。まあ、俺も深見くんから同じことを言われたらその顔になるとは思う。
だけど、せっかく普段と違うところを見れるなら、見ておきたい。ちょっと好奇心もある。
「宮下くんが何かしてくれるなら考える」
「何かによるけど、いいよ」
唐突にバタバタと廊下を走る音が響いて、ぎょっとして立ち上がった。学校内で油断するのは危ない。
バクバクする心臓を押さえつつ音の方向を見ると、クラスメイトが「宮下くん!」と俺を呼んでいた。クラスメイトに呼ばれることもめったにないため、何事かと目を瞬かせる。
「さっき提出してくれたノート、違う科目のだった」
てか、レオやっほー、と深見くんには気軽な感じで挨拶をする彼女。深見くんはニコッと微笑んで手を挙げる。
俺に全然馴染みのないやり取りだ。ノートに目を落として、表紙に書かれた自分の字に「あっ」と声をあげた。
「ごめん、全然違ったね。わざわざ探してくれたの? ありがとう」
「いーえ。先生ができれば昼休み中に持ってきてくれって言ってたから」
走って探してくれたらしい彼女は、俺の手元をじっと見つめた。
「宮下くんて下の名前、将生なの?」
「あ、うん。そうだよ」
この学校で呼ばれたことは一度もないから、知られていなくても無理はない。
「えーっ、ウケる。かわいいね」
「そうかな、あはは」
どう繋がればかわいいに至るか理解できないまま、とりあえず合わせておく。相手も適当に言ってくれてるだろうから、真剣に捉えずにいた。
「じゃあ、ノートよろしくね! レオもまたねー」
俺も小さく手を振り返す。ちらっと振り向くと、腰を上げた深見くんが「教室戻ろっか」とランチトートを差し出してくれた。
「将生はノート出しに行くでしょ? 先行っててもいいよ」
呼ばれた瞬間、トートバッグを受け取る手が止まってしまった。
下唇を噛んでも、口角が上がってしまうのを隠しきれない。何か思ってることありそうだったけど、まさか名前呼びされるとは。
ノートにある名前をなぞられただけでも、クラスメイトが名前を呼んだのが気になったのかな。
ふふっと声に出して笑ってしまうと「ずっと呼ぶタイミング狙ってたんだよ」と拗ねた表情の深見くん。俺もいつこの呼び方を変えるべきかは考えたことがある。
もうちょっとしたら呼んでみようかなぁと呑気だった。こういうのは深見くんが思う部分もあるだろうし、言ってもよかったかな。まだ付き合うっていまいち何をしたらいいかわかってない。
「じゃあ、俺も怜央って呼ぶね」
「うん。たくさん呼んで」
もう一度、と言われなくても求められているとわかる顔だった。
「深見く――じゃなかった怜央。急がないとだから、先行くね」
「いってらっしゃい」
ぐいっと腕を引かれて、唇を食むような音を立てられた。
「生姜焼きの味する気がする」
そんなわけない、とツッコミたかったが、今日の昼が生姜焼きだったので否定はできない。自分の唇を押さえて、深見くんを見上げる。
「深見くん? ここ学校だけど」
「知ってるよ。だから1回だけでしょ。あと、怜央だよ」
毎日のように一緒にいても、まだまだつかめない。満足そうに細くなっていく深見くんの瞳。
「怜央……はわかってるよ」
「そうかなー。罰にするのは微妙だけど、深見くんって呼ばれる度にキスしようか」
「深見くんがしたいだけでしょ……や、今のはなし! とにかく行くからね」
2回目はどうにかかわして教室へ駆け出した。
心の中で、怜央を繰り返す。階段を折りながら、頭まで熱が上っていくのを感じた。
名前で呼ぶくらい、早く慣れたい。呼ばれるのも。
ノートを提出しに行って、何とかぎりぎり昼休みのうちに滑り込めた。チャイムが鳴り終えるまでに教室に戻ると、深見くんと目が合う。微笑みかけられて、照れるばかりで何も返せない自分が歯がゆかった。
◇◇◇
怜央と呼ぶように意識すること数日。教室で呼ぶと、なぜか中村くんと山田くんが反応するのでやめてほしい。
「ふ……怜央、今日帰り雨降るっぽい」
ああ、だめだ。見られてると思うとやりづらくて間違えてしまう。
放課後、にやにやする2人が俺と怜央の会話に入ることはせず眺めている。
「傘持ってきたよ。スーパー寄る?」と、怜央はまったく動じない。俺も見習いたいのに。
「宮下くん、またレオの名前呼べてないの? がんばれー」
クラスメイトにまでからかわれる始末だ。ぼっちの頃は誰かを名前で呼ぶなんてなかったんだから、仕方ない。単純に慣れないだけだ。
校舎を出て、降り始めた雨に傘を差してくれる。と、建物と反対側に傘を倒して頬にぷにっと一瞬だけ触れた。
「さっきのは、ちゃんと呼んだのに」
「ふ、って言ってたの聞いたよ。なかなか慣れないねー」
深見くん――怜央の判定はかなり厳しくて、一音目にふ”が出かかってたのがわかるとキスをされる。それが嫌じゃないから余計に困る。
とはいえ、そこかしこでされるのは良くないし、俺だって呼ぶ努力もしている。
「深見くん呼びが強いんだよね。それを楽しまれるのはちょっとなぁ」
「じゃあ、やめとく? オレも別に無理に呼んでほしいわけじゃねーから、慣れたらでいいよ」
傘をしっかり持って、俺の歩幅に合わせてくれる怜央。ううん、と首を横に振る。
「やめないでいいよ」と、口では言ったものの、やめないでほしいのが本心だった。
俺に名前を呼ばれると、怜央の雰囲気が和らぐのが好きだ。言ったら意識されるかもしれないから、これは教えたくない。
スーパーに入って、怜央がカートを押してくれる。今日はこの後に怜央の家へ向かって、2人で明日の弁当の準備をする予定だ。
「これ好き?」と舞茸を手に取った。
「好き。胡椒かかってたのうまかった」
だよね。食べてるときの反応がいいなって思ってた。カゴに追加して、進んでいく。
途中で、怜央が「これも」と言ったものも入れる。安くなっていたカップラーメンを入れてくるので、ちょっとだけ負けた気持ちになった。
この味は俺が作るのは難しいし、買ったほうが確実でおいしい。
「将生はウインナーはこっちのが好き?」
「違うの気づいてなかった。どのときだろ」
「確かコンソメ炒めのときがそっちで、ケチャップはこれにした」
「じゃあ、これが好きかな。パキッとしてた」
怜央がうんうんとうなずきながら、ウインナーをカゴに入れた。
「ちょっと、今日は将生にお願いがあるんだけど」
「うん、何?」
怜央の思いつきに、急いでお互いの好きなものや冷凍食品も買う。できる限りダッシュで怜央の家へと向かった。
「おじゃまします。ちょっと遅くなってすいません、時間大丈夫ですか?」
スニーカーを脱いで、角に揃える。
「まだ大丈夫。いつもバタバタしててごめんなさいね」
「お母さんは、卵にコーンいる?」
横から割って入った怜央に思わず吹き出した。怜央のお母さんも釣られたように笑う。
「じゃあ、お願いします」
「うん。任せて」
家の中に入って、俺と怜央でさっそく準備を始める。俺用にと怜央のお母さんが貸してくれたエプロンをつけて冷蔵庫を開けた。
家を出るまで時間がある怜央のお母さんにお弁当作り。怜央がさっき思いついたばかりのことだけど、限られた時間で精一杯やろう。
「将生、さっき買った梅干しどこやったっけ!?」
「あー、袋入れたままだ。ね、ポン酢ってある?」
「開けてないのがそっちの下に入ってる。開けていいよ」
おにぎりと卵焼きは怜央に任せて、俺はメインの肉料理を作る。あっちとこっちを行ったりきたり、慌ただしくしながらプラスチックケースに冷めたおかずを入れていく。
スーツ姿の怜央のお母さんが「楽しみだなー」と言っているのが聞こえた。振り向けば、怜央と目元が似た微笑みがこちらを見ている。
家を出るぎりぎりにどうにか完成して、ランチクロスで包んだ弁当を怜央がお母さんに手渡した。いってらっしゃい、と2人で見送ると怜央のお母さんはエレベーターに乗る直前まで手を振ってくれていた。
「喜んでくれてよかったね」
「うん。けど、将生が入れてた舞茸あれ明日のでしょ」
「ちゃんと残したよ。夕飯にしてもいいけど」
それは、悩むわ。と怜央がドアノブに手をかける。家の中に戻って、今度は明日の弁当の準備に取りかかった。
俺はほぼすることがないけど、怜央のためにキッチンにいることにした。怜央の準備も野菜やウインナーを切っておくくらいだ。
「タコさんにしたいんだけど、どうやんの?」
「半分に切る前に言ってよ。あ、でも斜めならいけるか。ここに切れ目入れればオッケー」
「あ、このあたりね」
いけそう、と頑張る怜央を応援しながら見守った。
何度か泊まった深見家での過ごし方は前と変わらず、寝る場所だけは揉めた。結局、俺は寝れる気がしないので前と同じように布団を借りた。
おかげで朝までぐっすりだ。怜央は知らない。
あまりに起きないので、ぺちぺち頬を叩いて起こす。俺が先に弁当を作り始めた。
「朝起きて将生いてくれんの何かいいな」
「前もいたことあるよ」
「一緒に暮らしたら楽しそう」
「将来的にはいいかもね。顔洗ったら食パン焼いといて」
はーいとあくび混じりの返事を聞いて微笑む。今のは確かに同棲してるみたいだったなぁと思った。
2人の好きなものだけを弁当箱に詰め込んで、そのまま学校へ向かう電車に揺られる。ため息が出そうな満員電車を乗り越えて、午前の授業もやり過ごして迎えた昼休み。
今日はいつもよりちょっとだけ特別だった。持ってきた弁当箱を交換して、フタを開ける。ぜんぶ好きなものだけだ。
先にスマホを構えて写真も撮った。怜央の作ったタコさんウインナーは無事に足がくるんとしている。
「いただきます」の声が揃って響いた。
「うま! だし巻きやっぱうまい」
「でも、怜央甘いの好きでしょ?」
「そうなんだよ。好きな卵焼き塗り替えられたと思ったけど、作ってもらったのどっちもうまいから同率になった」
そわそわしつつ、怜央も反応を待つ。俺は怜央が頑張ったウインナーをもったいないと思いながら口に運んだ。
「目ついてんのかわいいね」
「調べたらついてたからやってみた……ん、てか卵焼きこれ2種類じゃね?」
もう1つの卵焼きを食べて、電球がついたように反応する怜央。これだから作りがいがある。
「そうだよ。朝食べてるとき気づいてないなーって思ったけど」
「ごめん、そこは気づいてなかった!」
自分のための弁当に満たされて、ふぅと息を吐く。
明日は卵サンドを作ろうかなぁ。
「深見くんが作ってくれた弁当、最高だった。ごちそうさま」
「何で嬉しいこと言ってくれたのに深見くん!?」
「あ、今卵サンド作ろうと思ったら心が過去に戻ってた」
「言い訳してもだめだからね」
言いつつ、ちゃっかり目を閉じて待ってしまった。今のは言ってから気づいたけどわざと言い切ったところがあるかもしれない。
近づく気配に目を開いて、自分からいった。怜央の大きな目がより大きくなって、俺はしてやったりとばかりに笑った。
俺の弁当を食べてくれて、俺が深見くんの弁当を食べるのは変わらない。相変わらず人の来ない穴場も同じだ。
ただ、深見くんとの関係性は変わった。
「もうちょっとしたら文化祭なの早いよなぁ」
弁当を食べ終わって、ぼんやりと呟く。
2人で深見くんのブランケットに包まれる。誰にも見られることがない安心感が味方して昼休みは自由だ。
ブランケットの下では、深見くんが片方の手をしっかり指を絡めて握っている。
深見くんの手はこの時期冷えていることが多くて、俺の熱を分けてあげるようになった。弁当のメニューも根菜や生姜を使った冷え対策のおかずを取り入れている。
「準備ももうすぐだもんね。メイド服着せられそうになったら、宮下くんが助けてよ」
「えー、いつの間にそんな話になったの? 女子たちが着たいって話じゃなかったっけ?」
「ランダムで色んな衣装着る人がいることになった」
深見くんのメイド服姿を想像して、似合いそうだなぁと思った。スカートは長くても短くても、深見くんは着こなすだろう。
俺はドリンクを作る係なので、そうした衣装とは無関係で完全に他人事だ。写真を撮る余裕だけはなさそうだし、山田くんに頼もうかな。
深見くんは乗り気じゃないらしく、唇を尖らせる。
「深見くんが何着るか楽しみにしてるね」
「オレが宮下くんに衣装着せてもいいなら、考えるよ」
「それは無理。俺は似合わないし」
「オレだって似合わねーよ」
何言ってんの、と深見くんが眉を下げて笑った。
「似合うから自信持ってよ」
「宮下くんのその自信が意味わかんねーわ」
「スラッとしてるから、メイド服着たとき様になりそうだよ。深見くんかっこいいしトータルで完璧だよ」
全然理解できなさそうな顔だ。まあ、俺も深見くんから同じことを言われたらその顔になるとは思う。
だけど、せっかく普段と違うところを見れるなら、見ておきたい。ちょっと好奇心もある。
「宮下くんが何かしてくれるなら考える」
「何かによるけど、いいよ」
唐突にバタバタと廊下を走る音が響いて、ぎょっとして立ち上がった。学校内で油断するのは危ない。
バクバクする心臓を押さえつつ音の方向を見ると、クラスメイトが「宮下くん!」と俺を呼んでいた。クラスメイトに呼ばれることもめったにないため、何事かと目を瞬かせる。
「さっき提出してくれたノート、違う科目のだった」
てか、レオやっほー、と深見くんには気軽な感じで挨拶をする彼女。深見くんはニコッと微笑んで手を挙げる。
俺に全然馴染みのないやり取りだ。ノートに目を落として、表紙に書かれた自分の字に「あっ」と声をあげた。
「ごめん、全然違ったね。わざわざ探してくれたの? ありがとう」
「いーえ。先生ができれば昼休み中に持ってきてくれって言ってたから」
走って探してくれたらしい彼女は、俺の手元をじっと見つめた。
「宮下くんて下の名前、将生なの?」
「あ、うん。そうだよ」
この学校で呼ばれたことは一度もないから、知られていなくても無理はない。
「えーっ、ウケる。かわいいね」
「そうかな、あはは」
どう繋がればかわいいに至るか理解できないまま、とりあえず合わせておく。相手も適当に言ってくれてるだろうから、真剣に捉えずにいた。
「じゃあ、ノートよろしくね! レオもまたねー」
俺も小さく手を振り返す。ちらっと振り向くと、腰を上げた深見くんが「教室戻ろっか」とランチトートを差し出してくれた。
「将生はノート出しに行くでしょ? 先行っててもいいよ」
呼ばれた瞬間、トートバッグを受け取る手が止まってしまった。
下唇を噛んでも、口角が上がってしまうのを隠しきれない。何か思ってることありそうだったけど、まさか名前呼びされるとは。
ノートにある名前をなぞられただけでも、クラスメイトが名前を呼んだのが気になったのかな。
ふふっと声に出して笑ってしまうと「ずっと呼ぶタイミング狙ってたんだよ」と拗ねた表情の深見くん。俺もいつこの呼び方を変えるべきかは考えたことがある。
もうちょっとしたら呼んでみようかなぁと呑気だった。こういうのは深見くんが思う部分もあるだろうし、言ってもよかったかな。まだ付き合うっていまいち何をしたらいいかわかってない。
「じゃあ、俺も怜央って呼ぶね」
「うん。たくさん呼んで」
もう一度、と言われなくても求められているとわかる顔だった。
「深見く――じゃなかった怜央。急がないとだから、先行くね」
「いってらっしゃい」
ぐいっと腕を引かれて、唇を食むような音を立てられた。
「生姜焼きの味する気がする」
そんなわけない、とツッコミたかったが、今日の昼が生姜焼きだったので否定はできない。自分の唇を押さえて、深見くんを見上げる。
「深見くん? ここ学校だけど」
「知ってるよ。だから1回だけでしょ。あと、怜央だよ」
毎日のように一緒にいても、まだまだつかめない。満足そうに細くなっていく深見くんの瞳。
「怜央……はわかってるよ」
「そうかなー。罰にするのは微妙だけど、深見くんって呼ばれる度にキスしようか」
「深見くんがしたいだけでしょ……や、今のはなし! とにかく行くからね」
2回目はどうにかかわして教室へ駆け出した。
心の中で、怜央を繰り返す。階段を折りながら、頭まで熱が上っていくのを感じた。
名前で呼ぶくらい、早く慣れたい。呼ばれるのも。
ノートを提出しに行って、何とかぎりぎり昼休みのうちに滑り込めた。チャイムが鳴り終えるまでに教室に戻ると、深見くんと目が合う。微笑みかけられて、照れるばかりで何も返せない自分が歯がゆかった。
◇◇◇
怜央と呼ぶように意識すること数日。教室で呼ぶと、なぜか中村くんと山田くんが反応するのでやめてほしい。
「ふ……怜央、今日帰り雨降るっぽい」
ああ、だめだ。見られてると思うとやりづらくて間違えてしまう。
放課後、にやにやする2人が俺と怜央の会話に入ることはせず眺めている。
「傘持ってきたよ。スーパー寄る?」と、怜央はまったく動じない。俺も見習いたいのに。
「宮下くん、またレオの名前呼べてないの? がんばれー」
クラスメイトにまでからかわれる始末だ。ぼっちの頃は誰かを名前で呼ぶなんてなかったんだから、仕方ない。単純に慣れないだけだ。
校舎を出て、降り始めた雨に傘を差してくれる。と、建物と反対側に傘を倒して頬にぷにっと一瞬だけ触れた。
「さっきのは、ちゃんと呼んだのに」
「ふ、って言ってたの聞いたよ。なかなか慣れないねー」
深見くん――怜央の判定はかなり厳しくて、一音目にふ”が出かかってたのがわかるとキスをされる。それが嫌じゃないから余計に困る。
とはいえ、そこかしこでされるのは良くないし、俺だって呼ぶ努力もしている。
「深見くん呼びが強いんだよね。それを楽しまれるのはちょっとなぁ」
「じゃあ、やめとく? オレも別に無理に呼んでほしいわけじゃねーから、慣れたらでいいよ」
傘をしっかり持って、俺の歩幅に合わせてくれる怜央。ううん、と首を横に振る。
「やめないでいいよ」と、口では言ったものの、やめないでほしいのが本心だった。
俺に名前を呼ばれると、怜央の雰囲気が和らぐのが好きだ。言ったら意識されるかもしれないから、これは教えたくない。
スーパーに入って、怜央がカートを押してくれる。今日はこの後に怜央の家へ向かって、2人で明日の弁当の準備をする予定だ。
「これ好き?」と舞茸を手に取った。
「好き。胡椒かかってたのうまかった」
だよね。食べてるときの反応がいいなって思ってた。カゴに追加して、進んでいく。
途中で、怜央が「これも」と言ったものも入れる。安くなっていたカップラーメンを入れてくるので、ちょっとだけ負けた気持ちになった。
この味は俺が作るのは難しいし、買ったほうが確実でおいしい。
「将生はウインナーはこっちのが好き?」
「違うの気づいてなかった。どのときだろ」
「確かコンソメ炒めのときがそっちで、ケチャップはこれにした」
「じゃあ、これが好きかな。パキッとしてた」
怜央がうんうんとうなずきながら、ウインナーをカゴに入れた。
「ちょっと、今日は将生にお願いがあるんだけど」
「うん、何?」
怜央の思いつきに、急いでお互いの好きなものや冷凍食品も買う。できる限りダッシュで怜央の家へと向かった。
「おじゃまします。ちょっと遅くなってすいません、時間大丈夫ですか?」
スニーカーを脱いで、角に揃える。
「まだ大丈夫。いつもバタバタしててごめんなさいね」
「お母さんは、卵にコーンいる?」
横から割って入った怜央に思わず吹き出した。怜央のお母さんも釣られたように笑う。
「じゃあ、お願いします」
「うん。任せて」
家の中に入って、俺と怜央でさっそく準備を始める。俺用にと怜央のお母さんが貸してくれたエプロンをつけて冷蔵庫を開けた。
家を出るまで時間がある怜央のお母さんにお弁当作り。怜央がさっき思いついたばかりのことだけど、限られた時間で精一杯やろう。
「将生、さっき買った梅干しどこやったっけ!?」
「あー、袋入れたままだ。ね、ポン酢ってある?」
「開けてないのがそっちの下に入ってる。開けていいよ」
おにぎりと卵焼きは怜央に任せて、俺はメインの肉料理を作る。あっちとこっちを行ったりきたり、慌ただしくしながらプラスチックケースに冷めたおかずを入れていく。
スーツ姿の怜央のお母さんが「楽しみだなー」と言っているのが聞こえた。振り向けば、怜央と目元が似た微笑みがこちらを見ている。
家を出るぎりぎりにどうにか完成して、ランチクロスで包んだ弁当を怜央がお母さんに手渡した。いってらっしゃい、と2人で見送ると怜央のお母さんはエレベーターに乗る直前まで手を振ってくれていた。
「喜んでくれてよかったね」
「うん。けど、将生が入れてた舞茸あれ明日のでしょ」
「ちゃんと残したよ。夕飯にしてもいいけど」
それは、悩むわ。と怜央がドアノブに手をかける。家の中に戻って、今度は明日の弁当の準備に取りかかった。
俺はほぼすることがないけど、怜央のためにキッチンにいることにした。怜央の準備も野菜やウインナーを切っておくくらいだ。
「タコさんにしたいんだけど、どうやんの?」
「半分に切る前に言ってよ。あ、でも斜めならいけるか。ここに切れ目入れればオッケー」
「あ、このあたりね」
いけそう、と頑張る怜央を応援しながら見守った。
何度か泊まった深見家での過ごし方は前と変わらず、寝る場所だけは揉めた。結局、俺は寝れる気がしないので前と同じように布団を借りた。
おかげで朝までぐっすりだ。怜央は知らない。
あまりに起きないので、ぺちぺち頬を叩いて起こす。俺が先に弁当を作り始めた。
「朝起きて将生いてくれんの何かいいな」
「前もいたことあるよ」
「一緒に暮らしたら楽しそう」
「将来的にはいいかもね。顔洗ったら食パン焼いといて」
はーいとあくび混じりの返事を聞いて微笑む。今のは確かに同棲してるみたいだったなぁと思った。
2人の好きなものだけを弁当箱に詰め込んで、そのまま学校へ向かう電車に揺られる。ため息が出そうな満員電車を乗り越えて、午前の授業もやり過ごして迎えた昼休み。
今日はいつもよりちょっとだけ特別だった。持ってきた弁当箱を交換して、フタを開ける。ぜんぶ好きなものだけだ。
先にスマホを構えて写真も撮った。怜央の作ったタコさんウインナーは無事に足がくるんとしている。
「いただきます」の声が揃って響いた。
「うま! だし巻きやっぱうまい」
「でも、怜央甘いの好きでしょ?」
「そうなんだよ。好きな卵焼き塗り替えられたと思ったけど、作ってもらったのどっちもうまいから同率になった」
そわそわしつつ、怜央も反応を待つ。俺は怜央が頑張ったウインナーをもったいないと思いながら口に運んだ。
「目ついてんのかわいいね」
「調べたらついてたからやってみた……ん、てか卵焼きこれ2種類じゃね?」
もう1つの卵焼きを食べて、電球がついたように反応する怜央。これだから作りがいがある。
「そうだよ。朝食べてるとき気づいてないなーって思ったけど」
「ごめん、そこは気づいてなかった!」
自分のための弁当に満たされて、ふぅと息を吐く。
明日は卵サンドを作ろうかなぁ。
「深見くんが作ってくれた弁当、最高だった。ごちそうさま」
「何で嬉しいこと言ってくれたのに深見くん!?」
「あ、今卵サンド作ろうと思ったら心が過去に戻ってた」
「言い訳してもだめだからね」
言いつつ、ちゃっかり目を閉じて待ってしまった。今のは言ってから気づいたけどわざと言い切ったところがあるかもしれない。
近づく気配に目を開いて、自分からいった。怜央の大きな目がより大きくなって、俺はしてやったりとばかりに笑った。



