満たされて、ひとりじめ

 昼休み、まだノートを写していると山田くんから「今日の昼、4人で食べない?」と誘ってくれた。俺は顔を上げていいね、とうなずく。

 静かなほうが好きだけど、誰かと過ごす昼休みも楽しいと知った。昼休みの教室はにぎやかすぎて、がやがやしている。

 隣の席から深見くんが「どこにするか」と言うのが聞こえた。いつもの場所を4人で使うのもありなのかなぁと思っていると「いつもの場所は2人のときがいいよね」と、深見くんは唇に人差し指を当てた。

 2人だけの秘密にしようと言われているみたいで、くすぐったい。

「うん、そうだね。じゃあ教室とか?」
「教室ちょっとうるさいけどな。あれ、宮氏寝坊したって言ってたけどお昼はあんの? ないなら学食行こうか」

 山田くんの変換ミスから生まれた俺のあだ名。宮下が宮氏になった。山田くんは宮氏で中村くんはみやしーと呼ぶようになった。

 あだ名で呼ばれるのは人生初だ。もうすっかり受け入れられている。

「ある。何とかそこだけは頑張ったよ」

 夏休み明けも深見くんとの弁当交換は相変わらず続いていて、今日もその予定だ。場所はどこでもできる。

「スープも持ってこれたんだよ」
「やったー。オレこれすげー好き!」

 スープジャーと弁当セットを出して深見くんに渡す。深見くんが大事そうに抱えて、口元を緩ませる。

 深見くんが病み上がりだからと作り始めてからは弁当にスープを追加するのも、意外とありだった。飽きられる前に別のものは考えたい。

「どこで昼食べることになった?」

 山田くんの後ろから登場した中村くんがひょこっと顔を覗かせる。

「まだ決まってない。宮氏が弁当持ってなかったら学食かなと思ったんだけど持ってたし。ラウンジ行くか」

 さんせーい、と中村くんの元気な意見に俺と深見くんも賛同してラウンジへ向かうことになった。廊下を歩きながら「ラウンジもうるさいだろうけど平気?」と隣の深見くんが気遣いの目線をくれる。

「うん。深見くんいるし、4人も楽しいよ」
「……オレは宮下くんと2人がよかった。宮下くんの弁当横取りされたくねーし」
「えー、今日ばあちゃんのきんぴらあるんだよ。量結構あるからあげよう」
「それは分けるけど、宮下くんの作ったのはオレのだから」

 渡さねーわ、とランチトートを胸のあたりに掲げる深見くん。俺の弁当をそんなに気に入ってくれてるとは。へへ、と顔がにやけてしまって、伸びてきた髪の毛を触る。

 深見くんのことを考えて料理すると、色んなものを作りたくなる。どれを作っても喜ぶ顔が浮かんで、弁当を渡す前から満たされる。

「またいつでも作るよ。いっつも何でも食べてくれるけど、好きな食べ物とかあるの?」
「……色々あるけど、ナポリタン好きかな」
「そうなんだ。てっきりハンバーグ好きかなと思ってた」

 この前作ったチーズインハンバーグは他のものよりおいしそうに食べてくれた気がしたけど、俺の勘は外れたらしい。毎日一緒にいるのにあてにならない。下唇を噛むと「何で悔しそうなんだよ」とクスクス笑われた。

「結構当てられる自信あったんだよ。ナポリタン、今度作ってくる。今度はメインで持ってくるよ」

 好きなものはどんどん教えてくれればいいのに。深見くんはお昼だと遠慮してうまいばっかり言ってくれる。こうやって食べてないときに訊くのが手っ取り早いのか。

「宮下くんの作るの何でも好きだからなー。当たりっちゃ当たり。ナポリタンにあのハンバーグあったら最強」
「じゃあ作る。楽しみにしてて」

 楽しみすぎ! と深見くんが俺の背中をバンバン叩いて、その力強さに思わず苦笑した。

「2人、席確保しなきゃなんだから早く」と山田くんに手招きされて足を急がせる。

 中村くんが「怜央はみやしーに迷惑かけんなよ」と呆れたように笑った。確かに背中はちょっと痛い。

 既に色んな学年で入り混じったラウンジは席を探すのに一苦労したものの、どうにか確保することができた。

「宮氏が送ってくれたレシピ、キャラ弁なのにそんなムズくないし妹から好評だった。ありがとう、つーわけで何飲む?」

 買ってくるよ、と山田くんが席を立つ。

「じゃあ、カフェオレで!」
「はーい。いってきます」

 いってらっしゃい。山田くんに手を振ると「自販機すぐそこじゃん」と中村くんがケラケラ笑った。

 深見くんは俺の隣に座って、弁当の写真を撮っていた。最初は撮る意味がわからなかったけど、今では記録としてありがたい。

 俺も見れる共有アルバムのおかげで、俺の成長も見て取れる。あと、振り返ったときに深見くんの好みを探しやすい。ナポリタンは絶対大盛りで作ってこよう。

「すごいよなー、弁当自分で作ってんの。ね、今度俺の分も作ってよ」

 中村くんが弁当を覗き込む。今日は別でばあちゃんのきんぴら。これはみんなで食べる用。もとは深見くんと分け合う分だけど、4人で食べられるくらいはある。

「絶対だめ」

 俺が答える前にはっきりと深見くんの声が鼓膜を響かせた。え、何でそこは深見くんが答えるの?

「俺が作るってことだよ? 深見くんの弁当あげるわけじゃないよ」
「宮下くんの弁当はオレのだからだめ。宮下くんもオレ以外に作んないで」

 中村くんからの視線を遮るように腕で弁当箱の周りを囲う深見くん。拗ねたように唇を尖らせる。

「ばーか、みやしーをドン引きさせることを言うなよ」
「あ、え、ドン引きしてないよ」

 慌てて首を横に振る。他の誰かに作るのを嫌だとも思わないけど、深見くん以外にあんなに一生懸命になれるんだろうか。うまいって食べてくれるあの顔見たさにやってるもんなぁ。

 あれ、これって俺も深見くんだけに作りたいと思ってる?

 頬が緩みそうになって唇を噛むと「みやしーも満更でもないかー」とニヤニヤされてしまった。中村くんに隠しきれなかった。

「怜央に作りがいある?」
「すごくあるよ」
「じゃあ、しゃーない。俺はみやしーのじいちゃんばあちゃんがやってる弁当気になるなー」

 きんぴらも美味しそうだし、とタッパーに視線を落とす中村くん。すっと流れを変えてくれた。それでも、深見くんはまだむくれている。

 俺はポンポンと隣の肩を叩いてから「それなら持ってこようか?」と言った。

「うん。朝行くのはちょい遠いから、代わりに買ってほしい。好き嫌いはないから、みやしーのおすすめで!」
「わかった。絶対うまいから、楽しみにしてて」
「サンキュー」

 で、と中村くんの視線が俺の横へ向かう。頬杖をついてやれやれというように笑った。

「機嫌は直ったかよ」
「直ったっつーか、ガキっぽいことした」

 最悪、と今度は頬に赤みが差している。恥ずかしそうに大きな手が深見くんの顔を隠す。

「ごめん。オレだけ特別がいいって思った」
「思ったも何も、深見くんは特別だよ」

 それは当然だ。毎日弁当を交換するのも、家に泊まりに行った人も深見くんくらいしかいない。

「うわー、みやしーは怜央の火をつけんのがうまいな」
「え、火?」
「言葉の意味はちゃんとしてやりなよ」

 深見くんが「旭はいいから」と低めの声を出した。

 特別ってあんま良くなかったかな。でも俺にとって深見くんが特別なのはほんとだし。きゅっとわずかに胸の奥が詰まったようで、俺は息を吐いた。

「怜央はモテるからさー、大変だよなって話だよ」
「今ぜってー違ったろ」

 中村くんはひょうひょうとしていて「どうかな」と、答えを明白にすることなく受け流す。しかも俺に「ねー?」と同意を求めてきて、何がなんだかわからず、うなずけなかった。

「ただいまー、これ宮氏の分ね」
「ありがとう」

 助かった。山田くんから受け取ったカフェオレはひんやりしていた。俺の熱を冷ますように少しの間握りしめていた。

 ◇◇◇

 深見くんの弁当に卵焼きやはんぺんといったものが加わるようになった。前よりもおかずの種類も増えて、無理しないでいいよと言ったものの「宮下くんと交換だからちょっとは頑張らせて」と言ってくれた。

「家にある弁当箱だとやっぱり小さいかなーと思ってさ」

 帰り道、金木犀が香る中を一緒に歩きながら深見くんが言った。俺のための弁当箱に悩んでくれている。今でも前に深見くんが使っていたものとは違って、サイズが大きめのものにしてくれたのに。

「俺のもう1個のあるけど、持ってこようか」

 予備として保管がある。たまに深見くん用にも使ってるけど、渡してしまっても問題ないだろう。

「ううん。一緒に見に行かね? 宮下くんが選んでよ」
「俺用のを?」
「そう、オレが買うし」

 いいよ、とうなずく。深見くんが今後使う弁当箱にもなるだろうし、ちゃんと選ぼう。

「じゃあ、いつにしよっか」

 今日でもいいけど、と言おうとしたところで風が髪を揺らして、目の前を覆った。横からクスクス笑う声がして「何で宮下くん風に狙われてんの」と、俺の前髪を整えてくれる。

 深見くんの優しい指先に少しだけおでこのあたりがむず痒い。

 そうだ、と別のことを考えて口を開いた。

「ちょっと暑さましになってきたし、明日公園で弁当食べるとかどう?」

 若干の肌寒さなら、暑さより断然いい。せっかくならナポリタンとハンバーグを両方作りたいし、それなら休みの日のほうが思いきれる。
 
「それすげーいい! オレも何か作りたい。卵焼きとか、そのくらいだけど」
「じゃあ、休日版の弁当交換ってことで」

 俺の提案に深見くんの眉毛が下がる。自信のなさが見て取れて、俺はふっと笑ってしまった。

「宮下くんの食べたいものは?」
「そうだなぁ……おにぎり。昆布がいい」
「それならできるけど、ほかは?」
「ちくわ焼いたやつ。ほら、前作ってくれた」

 スマホを出して素早くタップする深見くん。ぶつぶつ「昆布は帰りに買うか」とか「冷蔵庫何あったかな」と呟いている。

「楽しみにしてるね、深見くんの弁当」
「ハードル上げんのやめて。デートだし浮かれてるから」
「え、デートなの?」

 ちょうど信号が赤になって足を止める。友達と遊ぶと思ってたけど、デート!?

 確かに2人きりではあるか。でも、俺とって何で? 頭に浮かんだはてなを消しきれずにいると、深見くんはくっと喉を鳴らして笑った。

「オレはそのくらいのつもりで楽しみにしてるってことだよ」
「ああ、俺も気合い入れてくね」

 デート経験が過去に一度のみなので、あのときの気合いが正しいかは微妙だ。隣の深見くんと出かけることに集中しよう。

 あ、まずはどんな服にすればいいのかわからない。動きやすければ何でもいいんだろうか。姉貴が帰ったら家にいてくれることを願った。

 こんなことなら、普段から着れれば何でもいいとか適当に選んでる場合じゃなかった。せめてダサいと思われたくない。夏休みにも会ってるくせに今更だ。

 家に帰った俺は姉貴の呆れたような視線を浴びながら、これまで服にまったく無頓着でいたことを思い知った。

 次の日。朝から家族からのつまみ食いに振り回されながら、弁当箱に卵焼きを詰めていく。チーズインハンバーグは昼休みじゃないから思い切って大きめにした。

 姉貴が卵焼きをもごもごさせながら「将生さぁ、最近卵焼き甘めばっかじゃない? 前だし巻きだったのに。あれまた作ってよ」と言った。

「友達が甘めが好きなんだって。だし巻きがそれ塗り替えたかもって言ってくれたけど、やっぱ好きなの作ってあげたいじゃん」
「へぇ、友達ねぇ」

 含みのある言い方をする姉貴に小声で何だよと返すも無視された。

 「いってきまーす」とリビングを出てってしまい、俺も「いってらっしゃい」以外の言葉が出てこなかった。

 友達、だよな。特別な友達ではある。少なくとも、俺にとっては。深見くんにとっても、ちょっとはそうなのかな。デートのつもりくらい楽しみにしてくれてるんだもんなぁ。

 じわじわせりあがってくるような熱を感じつつ、首を小さく振る。やばい、考え始めたら手が止まりそう。

 俺は、冷ましたナポリタンをそっと弁当箱に納める。弁当用にメインのパスタをくっつかず、おいしいまま昼になるように色んなレシピを検索して見つけたもの。

 切れ目を入れたロールパンはそのままが飽きたら挟んで食べられるようにした。余ったウインナーをタコさんにして添えたり、ブロッコリーを追加したり。

 だんだんこれでいいんだろうか、と悩みそうになったのでフタを閉じた。深見くん、喜んでくれるといいなぁ。

「わー! 意外とぎりぎりだ」

 リビングの時計を確認して、バタバタと移動しながらエプロンを脱いだ。母さんから貸してもらった大き目の保冷バッグにすべてを入れて、保冷剤を放り込む。

 家を出て電車に揺られているうちに、頭の中でデートが繰り返されて大声で叫びたくなった。そのくらい楽しみってことだ。わかってるんだけど。

「宮下くん! よかった。会えた」

 人混みの中でおーいと大きく手を振る深見くんを見つけて、肩の力が抜けるのを感じた。

「ごめん、詳しく送ってもらってたのにうまくたどり着けなかった」

 めったに来ない駅で出口を探して彷徨ってしまった。案内を見ながらたどり着けると思いきや、途中からその案内も見失ってどうなるかと思った。

「この辺、出口探すのも一苦労だよね。オレもちょっと迷ったよ」
「とりあえず駅の外出れば何とかなると思ったのは甘かった。深見くんから電話もらえなかったら、もっと詰んでたかも」

 ありがとう、と地面に視線を落とす。人の多い場所はただでさえ苦手で、普段の俺なら来る場所じゃない。

 顔を上げて「楽しみだね」と微笑む深見くんがきらきらと眩しくて、俺は小さくうなずいた。うわー、おしゃれだし、かっこいい。

 見たことある私服姿なのに。通りすがりの女の子たちが「今の人かっこよかったよね!」と話しているのが耳に入って、わかると思った。

 襟足を触りながら「かっこいいね」と思ったことを口にしてみる。深見くんにも聞こえていたであろう、あの子たちと同じ気持ちなのを言いたかった。

「えっ!? あ、ありがとう……やば、何か照れんね」
「何でよ。言われ慣れてるんじゃないの」
「慣れて……るけど、そういうのあんま言わなさそうな宮下くんから言われると嬉しい」

 口元を覆ってふっとはにかむ深見くん。そんなことないと思うけどな、と返せば深見くんがフリーズした。

「オレ以外にも言うの?」
「えー、あ、まあ思ったら。あっちの看板の人もかっこいいし」

 目についた近くの看板には、今をときめく人気アイドル。姉貴がよく騒いでるので俺も知っている。

 何で俺はこんな言い訳じみたことをしてるんだ。

「……だよね。わかる」

 深見くんは首の後ろを擦ってバツが悪そうな顔をした。調子に乗ったなって思ってそうだ。その顔に俺も調子に乗りそう。

「普段思うのは深見くんくらいだよ」
「とりあえず褒めとこうとしてるでしょ」
「うん、ちょっとそうかも」

 あははと声を出してごまかす。人の合間を歩きだして「早く行こう」と深見くんの裾を引いた。

 大型雑貨店はフロアごとにジャンル分けされていて、かなり広い空間だった。エスカレーターで3階まで上がっていく。

 弁当箱が売っているエリアは特集をやっているらしく、種類豊富に取り揃えられていた。下は混雑していたが、ここはそれほどでもなさそうだ。

「すげー色んなのあんね」
「だね。俺もついでに深見くん専用の買おうかな」
「や、あるやつで十分だから。作ってもらってるだけですげーありがたいし」
「うん。だから、俺のこだわりに付き合って好きなの選んでよ」

 これとか、きっちりご飯と分かれていいよね、と持ってみると意外と軽かった。値段も手頃で良さそうだ。

 遠慮がちに深見くんも近くの弁当箱を見回して、淡いブルーの弁当箱を手に取った。

「……じゃあ、これとかいいな」
「お、2段弁当。細く見えて、意外と詰められるのいいよね」
「用意するの大変になんねーの?」

 何でこういうときは大人しくなるんだ。

 またポメラニアンになってる。しょげた顔がわかりやすくて、自分より身長のある深見くんを撫でたくなってしまった。手を伸ばしかけたのに、目が合うとひるんでしまって、代わりに背中をパシパシ叩く。

「深見くんとの弁当交換は楽しいよ。俺のもこれによろしくね」
「うん、任せて」

 深見くんの優しい瞳が細くなって、なぜだか俺が撫でられた。ちょうどいい位置だったかな。撫でられた位置に自分の手を置いて、静かにため息を吐く。

 お互いに弁当箱と今日使うためのレジャーシートを買って公園へ向かった。

 木々はほんのり秋の装いを見せていたが、まだまだ緑の葉が生い茂っていた。太陽の日差しは心地いい温かさで風もさほど感じない。絶好のピクニック日和だった。

 が、思ってることはみんな同じだった。そりゃそうだよなぁ、と俺は苦笑する。

 芝生を歩いている途中で「この辺にしよっか」と深見くんがガサガサとレジャーシートを広げてくれた。俺はうまく答えられずにそっと公園内を見回す。

 家族で来ている人やカップル、ボール遊びをしている小さい子どもなど様々だった。友達同士で来ていそうな人たちもいたが、男2人はあまりいなさそうだ。

 もしかして、俺ってすごい場違いなんじゃないか。中村くんと山田くんを誘うべきだったのでは。っていうか、これってやっぱデートっぽくない!?

「宮下くん?」

 パニックになっていく頭の中に割り込んできた声。そちらに顔を動かすと、心配そうに見つめる深見くんがいた。

「ここも人多かった? いつもより耳が音拾う感じするよね」

 深見くん以外のすべてが遠く聞こえる。息を吐いて吸えば、すぐに落ち着きを取り戻せた。緑と土の匂いがする。

 いつもより多い人に当てられてしまった。どっと速まるこの心臓もそのせいに決まってる。

 場違いでも何でも、深見くんが楽しそうならそれでいいか。ストンとパズルがハマるように落ちてきたその考えが収まった。

「ちょっと多いけど、大丈夫。深見くんの声聞くと安心する」
「そう? よかった」

 こっち座ろう、と先に腰を下ろした深見くんが俺の手を引く。

 俺も靴を脱いで隣に座れば、深見くんは正座をして真剣な顔つきになった。え、何だ。思わず身構えると「しょぼいから期待はしないで」と言われた。

 そっと目の前に置かれたのはさっき買ったものとは違う、弁当箱とタッパーが並べられた。深見くんは目を伏せて唇を開く。

「こっちがおにぎりで、こっちはおかずとか。ちくわはちゃんとできたけど、卵焼きは、ちょっと失敗した……一応入れたけど、残してくれていいから」
「2個もにぎってくれたの? 中身は昆布?」

 まずはタッパーのフタを開けて、ラップに包まれたおにぎりを見つめる。大きめのおにぎりは艶のいいお米だった。

「昆布と、鮭入れてみた」
「ありがとう。鮭もあるんだ」

 続いて開いた弁当箱には、いつもより多めにおかずが詰められていた。

 リクエスト通りのちくわをマヨネーズで焼いたものと、卵焼き。食べ慣れた春巻きの横には和惣菜、それから肉もあった。彩りも気にしてくれたのか、プチトマトも添えられている。

「あ、その肉は売ってる焼肉のタレつけただけだから味は大丈夫のはず」
「味の心配してないよ。どれから食べるか悩むなぁと思ってる」

 料理をあまりしない深見くんが俺のために準備してくれたのかと思うと、胸がいっぱいになる。

 俺も深見くんを真似して写真を撮っておこう。手を拭ってから、俺の作った弁当も手渡す。どうしてもロールパンはつけたくて、大きめの弁当箱だけでは足りなかった。

「何これすげー!? パンもあんの? あ、宮下くんの卵焼き好き」

 早速開けた深見くんの反応が想像よりもニコニコしていて、俺は心底満たされた気分だった。とっさに弁当を撮る前に深見くんを写真に収める。

 笑顔の深見くんは「うまそう」とか「ハンバーグまである」とか、俺に聞こえなくても良さそうな声量で呟いている。そのぜんぶを取りこぼしたくなくて、少し前かがみで顔をのぞき込む。

 宝物でも見つめるような瞳がきれいだった。さすがに目の前にスマホを構えると、誰を撮っているのかバレてしまった。

「ちょっ、宮下くんオレはいいよ。作ってくれた弁当撮りなよ」
「それこそいいよ。俺はこっちがいい」

 角度を整えて、きれいに映る位置を探す。太陽の光がいい具合に照らしていても、自分の影が入らないようにするのは至難の業だった。

 文明の利器に頼ってどうにか撮影を終えても、深見くんは連写を続けていた。こればっかりは全然意味わかんない。

 俺の弁当に何をそんなに?

 もう一度手を拭いてからカトラリーセットを深見くんのそばに置いて、俺は先に「いただきます」と手を合わせた。

 深見くんが自信なさげだった卵焼きにかじりつく。わずかにジャリッとしたものを感じて、そのまま咀嚼する。たぶん、卵の殻だろう。

「あっ、卵焼きどう? 殻入ったかもってやり直したのに、またやっちゃって取ったんだけど」

 取り切れたかな、と不安げに瞳が揺れていた。

「ちょっと入ってた。今ちょうど食べたとこ」

 嘘をついても仕方がないので、正直に打ち明ける。肩を落とす深見くんを励ますように「でも」と付け加える。

「味付けが最高。これマヨネーズ入ってる?」

 ふんわり香るバターとマヨネーズらしきコクを感じられて、素直においしかった。

「当たり! 入れるといいって見たから入れてみた」
「チーズ入れても合いそう。ひき肉とか野菜入れたらオムレツもできるね」
「そんな難易度高いことはしないけど」

 ぴしゃりと断られて、そっかとうなずく。褒めるつもりが上からのアドバイスになってしまった。これは良くないよな。

 今度俺が作って深見くんの弁当に入れることにしよう。

「ちくわ、くるくる巻いたのかわいいね」
「それ意外と簡単で。楽しかった!」

 深見くんもようやく俺の弁当を食べ始めて、ナポリタンをフォークに巻き付けてぱくり。瞬間で目が大きく見開かれた。

「うっま! 喫茶店ぽいナポリタンだ。今日からオレの一番好きなナポリタンこれ」
「前弁当に入れたときは隙間埋めるくらいの簡単なのだったから、ちょっと頑張った」

 リスみたいにたくさん頬張る深見くんに笑みがこぼれる。ロールパンの役割を説明せずともナポリタンを挟んで、これまた大きな口で食べてくれた。

「食べるのあんま興味なかったのに、宮下くんのおかげで好きな食べ物すげー増えてく」
「増えた分作るから、どんどんリクエストしてね」

 2人して張り切ったからか、だいぶ膨れていっぱいになった。

 食べ終えてからは公園内を歩き回ってバラ園を見たり、深見くんが通りかかった犬から懐かれてポメラニアンとポメラニアンの戯れを見たり。

 夕方になると風も出てきて、かなり肌寒さを感じた。

 楽しい1日はあっという間だった。まだ帰りたくないなぁ、と思ってしまうほど。

 帰りは行きと違う駅だったが、人の多さはなかなかだ。深見くんが俺と一緒の帰り方はできないかとスマホで検索するのを待っていると「ごめん、ちょっと電話出るね」と眉を下げた。

 その顔は、もしかしてまたかかってきたんだろうか。中学の同級生はことある毎に深見くんに連絡してきているのは俺も知っている。

 深見くんのことをよく知りもしないくせに――って、知らないのは俺のほうか。

 今度は何の話なのかな。好きだったのにどうして苦しめるようなことができるんだろう。

 俺なら、そんなことは絶対しないのに。広がるもやもやを消化できずに少し離れた場所で待つ。

「オレ、今デート中だから切るよ。ヨリを戻すとかそもそも付き合った覚えもねーから、いい加減にしてって伝えといて」

 終わらせるつもりで戻ってきたであろう深見くんが、うんざりした様子で吐き捨てる。俺と目が合って、深見くんはしまったという顔をした。

 友達が呼んでるよりもはるかに効果のありそうな断り文句だ。

 耳からスマホを離した深見くんの頬が赤く染まって、俺は悲しそうな顔でなかったことに心底安心してしまった。

「デートなのは嘘じゃねーし、いいよね」
「うん、バッチリだったと思うよ。次会うときはわかってもらえてるといいね」
「まあ、もうわかってもらえなくてもいいかな」

 俺の隣に並んで、深く息を吐く。

「ここにもっとわかってくれてる人いるし」
「え、俺?」
「うん。オレのこと、宮下くんのほうがわかってくれてるでしょ」
「えー、あ、自信はそんなないけど、少なくとも深見くんにひどいことされたって誰かに言われて信じることはないよ。まず深見くんに真偽確かめればわかるし」

 その人のぜんぶを知るなんて無理でも、俺は深見くんの言葉を一番信じると思う。きょとんとした深見くんは、やがて「真偽は確かめられるんだ」と吹き出した。

 地下鉄に乗るためのエスカレーターに乗ろうと歩きだして、くるりと深見くんがこちらを向く。その目が潤んでいることに気づいたが、俺が声をかける前に「3秒肩貸して」と言われた。

 仲が良かった友達とこんなことで終わるのはきっとしんどいだろう。俺には想像しかできない。

 俺は静かにうなずいて、端に移動する。人目が多いことは避けられそうにない。せめて、少しでも顔を隠せればと壁際に寄った。

「ちょっと寒くなってきたね」と独り言のように言って、俺は深見くんに微笑んだ。

 そっと寄りかかる深見くんの後頭部を優しく撫でて、心の中で3秒をカウントする。心臓の辺りがちりちりと痛かった。

「3秒、すげー過ぎちゃった」

 顔を上げた深見くんは、もう笑顔だった。俺は何も訊かずに首を横に振る。

「ゆっくり数えたから、ちょうどだったよ。帰ろっか」
「……ありがとう」

 一緒にエスカレーターに乗って、俺はぎゅっと手のひらを握りしめる。

 胸の痛みも、さっきのもやもやも、消えてはくれないままだった。