満たされて、ひとりじめ

 深見くんと弁当交換を始めてから、昼休み以外の俺を取り巻く環境も変わってきていた。

山田(やまだ)くん、あんな話す人だったんだなぁ」

 床に座ってストレッチをしながら、遠くで談笑する山田くんを見つめる。長めの前髪からのぞく瞳が光っている。

 体育のとき相手を見つけ損ねた者同士よくペアになっていたが、ここ最近は深見くんが俺のところに来るようになった。

「宮下くんとのときはそんな話してなかった?」

 深見くんの問いに小さくあごを引く。

「話さなくても平気で、俺はそれが楽だった。ほんとは話したかったのかな」
「どうだろ。誰彼構わず突撃する(あさひ)が例外なのもあるよ」

 深見くんが中村(なかむら)くんを見て苦笑する。突撃されたことあるのかな。

 山田くんのペアは、深見くんの友達の中村くんだ。確かに突っ込んできそうな勢いで山田くんにペアを申し込んでいた。あの人懐っこそうな顔で来られたら悪い気はしないだろう。

 視線を向けたままいると、中村くんと何か話した山田くんがこっちを見てこくこくうなずく。あれは絶対に何かを勘違いしてる顔だと思う。

 中村くんとペアになった山田くんは楽しそうだ。彼にとっては、中村くんとのほうが良かったのかもしれない。

 俺は、どうなんだろう。深見くんは運動もできるらしい。全然な俺は足を引っ張るしかないのに、気にする様子もなかった。

 バスケでただ走り回る役目を果たしてから、教室へ戻る。

「着替え手伝う?」

 教室で着替えている途中、俺の手が止まっていた。顔をのぞき込む深見くんにハッとして「手伝わなくていい」と答える。

 シャツに着替えてから、俺は深見くんに訊ねた。

「何で俺に構うの?」
「うっとうしくなった?」
「別に、そういうわけじゃないけど……ってか、その訊き方はずるい」

 俺の自意識過剰でやり過ごすのは無理があるほど、日常に深見くんがいる。

「うっとうしくねーなら安心。けど、何でって言われると、何だろ」

 ぱちぱちと長いまつげが上下したかと思えば、あごに手を当てる深見くん。答えを考えているらしい。

 まさか、自覚なかったのかな。

「深見くんも、距離の詰め方が中村くんに負けてない。勢いあるよね」
「おいおい、俺はこんなデリカシー無し男じゃないだろ!」

 いつの間にか隣に来ていた中村くんにがっしり肩を組まれた。

「デリカシーないとは思ってなかったよ」
「優しいねー。怜央(れお)は厄介だから何かあったら俺に言いなよ?」

 隣の深見くんは「厄介は余計だろ」と苦笑する。

 俺はネクタイをしながら、首を傾げた。厄介かどうかはわからない。甘え上手な人だ。気づけば、こちらが何かをしたくなるような。

「宮下くんが近くにいると落ち着くんだよ」

 ざわつきの中、深見くんの声はまっすぐ届いた。

「ああ、あんまりしゃべんないから?」
「や、話すだろ。楽しいよ。宮下くんと話すの好きだし」

 ふわっと微笑む深見くん。シャツのボタンがひとつずれていて、そのことを教えてあげると恥ずかしそうに頬を掻いた。

 俺と話して楽しいのは、深見くんが話すのが上手いからだろう。どうにか会話の格好が成り立つのも、彼のリアクションあってこそ。

「あーあー、宮下くん知らないからね」

 中村くんはなぜだかつまらなさそうに唇を尖らせて、今度は向かいの山田くんの肩に寄りかかった。何の準備もしていなかったであろう山田くんがぐらついて、2人して教室の床に沈む。

「ちょっ、あさひ何!?」と、山田くんが戸惑いの声をあげる。もう旭って呼ぶくらい仲良いんだ、すごいな。

「倒れると思ってなかった。だいじょーぶ?」

 笑いながら先に立ち上がって、手を伸ばす中村くん。

 俺も深見くんを名前で呼んだほうが良いのか一瞬考えて、すぐに却下した。弁当交換してるだけでそれは調子に乗り過ぎだろう。

「何やってんだよ、2人とも」

 ほんと、何やってんだか。深見くんのクスクス笑う姿を横目に、唇を結んだ。

 ◇◇◇

 延々と暇な夏休みは変わらない。連日、アレンジそうめんをお昼に作っていたら家族からそうめんに飽きたと言われた。俺のそうめん日記は、4人からは好評なのに。

 あまりにも家にいすぎるので追い出された。仕方なくじいちゃん家までやって来て、誰もいない2階でだらだらテレビとスマホを交互に見ている。

 スマホ画面には、今日の昼ごはんに対する返事。今日はじいちゃんところの海苔弁を撮って送った。

 中村くんから誘われて入ったグループで誰かしらが何かを送ってきている。暇は暇だけど、こうしたやり取りが続くのは存外苦じゃなかった。むしろ、俺が送り過ぎなんじゃないかと思うくらい。

 返事が来るとホッとする。

 山田くんから、昨日俺が送ったアレンジそうめんのレシピをさっそく試したと送られてきた。小さな妹さんがおいしそうに食べる写真が送られてきて、ふっと口元が緩む。

「……飽きたのかなぁ」

 続いて、深見くん。今日はコンビニで買ったうどんらしい。深見くんもそうめんを茹でて真似してくれていたけど、面倒で夜もそうめんだと言っていた。さすがに俺でもそれは飽きる。

 俺は畳の上でごろんと寝返りを打って、深見くんとの個人トーク欄を開いた。

 やり取りは昨日のおやすみに俺が既読をつけたきりだった。

 入力した文字を眺めて、言われてもないのに微妙かなとため息をつく。《よかったら、俺が何か作ろうか?》は、図々しいかな。

 俺が作ったものを何でもうまそうに食べてくれるあの表情のおかげで、毎日弁当を作るのが楽しかった。夏休みはそれがない。

将生(まさき)、スイカ切ったから下りておいでー!」

 はーい、と返事をして、のそのそ体を起こす。うん、断られてもいいか。とりあえず送っておこう、と送信ボタンをタップしてスイカを食べに向かった。

 冷たいスイカを堪能してから戻ってくると、やったーと喜んで跳ねるパンダのスタンプが返ってきていた。

 このスタンプみたいな喜び方の深見くん、想像できる。にやける口元をそのままに、俺はスマホ画面をタップする。

 やり取りを続けて、すぐに予定が決まった。

 カレンダーアプリを開いて、空白だらけだったところに1つ予定を追加した。

「……えっ、あっ!? もっ、」

 指は何とか動かせたのに、声が追いついてこない。げほげほ、とむせていると『大丈夫かよ』と笑う声が聞こえた。

 深く息を吐いてから「電話来ると思わなかったから」と弁明する。スマホを握る手に力が入った。電話をするのは正直なところ、あまり得意じゃない。

 じわりと背中を流れていく汗を感じながら、深見くんの言葉を待った。

『宮下くんて夏休み暇なときある?』
「暇なときしかないよ」
『そんなことないでしょ。この前買い物行ってたし、昼作ってるじゃん』

 それを暇と言うんじゃないのか。大真面目に言ってくれているようだったので、俺は「アウトドアなことはしてないよ」と答えた。

「深見くんは忙しそうなイメージある」
『オレはバイトしてるだけで、あとは……中学んときの友達と集まったり旭と遊んだくらい』

 そっか、とうなずく。テーブルに寄りかかって、向こうの深見くんを想像する。風が窓を叩いて軋んだ。

 これを俺に話してくれたのは、また何かあったんだろうか。

「中学の同級生……何ていうか、会って大丈夫だった?」
『ごめん、今の言い方だと完全に聞いてほしいやつだったよな。気ぃ遣ってくれてありがと、大丈夫だったよ』

 と、少し間を置いて『嘘だわ』と小さく笑った深見くん。

『会いたくなかったんだけど、流れで集まることになっちゃってさ。オレのことまだ最低の浮気男だと思ってる人もいて、だるかった』

 長いため息に「大変だったね」と当たり障りのないことしか言えなかった。

「……そのときは早く帰れた?」
『うん、結構早く帰った』
「よかった。次もし集まることになったら、俺に電話してよ。いつでも暇だから、出られるし、俺に呼ばれたってことにしたら早く抜けられるでしょ」

 せめて何かできること、と頭をさらった結果。言ってから、じわじわと体温が上がってきた。俺、今のはかなりカッコつけたこと言ってない!?

 あの、とかそのー、とか繋いでみようとするものの、ごまかせずにテーブルに突っ伏した。ぼっちが急に友達ができて張り切ってしまっただけで、キモかったらどうしよう。

 何も聞こえてこなくて、手のひらが湿ってきた。

「深見くん、俺の発言でドン引きさせてたら――」
『や、ドン引きはねーけど。本気で電話しちゃうけどいいの?』
「いいよ、それは。俺はほんとに大体暇だから、使えるなら使って」
『使ってって。宮下くんは物じゃねーんだから』

 クスクス笑い声が届く。ホッと胸を撫で下ろして、スマホを持ち替えた。

「いつでもご利用どうぞ」

 自分の声が弾んでいることに気づいて、咳払いをした。

 数日後、さっそくそれは使われることになった。ヘルプの連絡が来て、俺はすぐに深見くんに電話をかけた。

 無事抜け出せた後に会ったら、そのまま深見くんの家に泊まることになった。何で?

 ◇◇◇

 どこかのカフェに入るのでも良かったけど、俺は「もしよかったら、今日何か作ろうか」と提案をした。

「いいの!?」
「もともとその話あったし、もちろんいいよ」
「買ったものもワンパターンで飽きてたんだよ、助かる」

 深見くんの大きな瞳が細くなる。

 早速スーパーへ行って一緒に買い物をすると「オレもできることある?」と訊ねてきたので「一緒に包もうよ」と、俺は餃子の皮を手に取った。ハンバーグから予定変更しよう。

 カートを押しながら、気づけば隣で電話を始めた深見くん。さっきの友達からなのかな、と思って聞いていると、友達を泊めてもいいかの確認をしていた。

 あれ、もしかして俺が泊まるってことか。わかっていないうちに、あれよあれよという間に話が進んで「今日泊まってくよね?」と当然のように言われた。

「はいかイエス……だっけ、イエスって言っておくよ」
 
 俺も親に連絡を入れる。友達の家ってこうやって泊まりに行くものなんだなぁと学んだ。

 何の準備もしていなかったから、スーパーの中で見つけたちょっと良さそうな茶菓子を買った。2階の衣類コーナーで最低限の必要なものも買って、深見くんの家へ向かう。

「あ、えー、突然お邪魔してすみません。これ、本当に急いで買ったもので申し訳ないんすが」

 噛んだ! がちがちに強張った肩を踏ん張って茶菓子を差し出す。扉を開けて逃げ出したかった。

「いらっしゃい。夕飯の用意がなくて申し訳ないんだけど、ピザでも頼んでね」

 言いつつ、深見くんのお母さんは視線を下げていく。深見くんが持ってくれているパンパンのエコバッグだ。ネギがはみ出している。

「夕飯の材料買ってきた。明日食べれるようにお母さんにも作っとくよ」
「怜央が料理するの?」
「ちょっと、そんな不安そうにしなくてもここに先生いるから。てか、時間はいいの?」

 かわいらしい置き時計に目をやって、深見くんのお母さんはハッとしたように「もう行かなきゃ」と呟いた。

「何のお構いもできなくてごめんね。冷蔵庫のものも好きに使って良いから。あと、足りないものあったら配達頼んで。あと――」
「お母さん、もう大丈夫だから。気にしないでいってらっしゃい」
「気にするでしょ。宮下くん、ゆっくりしていってね」

 優しい声だった。自己紹介もないのに俺の名前まで知ってくれていた。深見くんが事前に伝えておいてくれたのかな。

「ありがとうございます」

 深見くんのお母さんを2人で見送って、さっそく料理に取りかかる。

 他人に料理を教えたことがなく、俺の言葉に深見くんが何度かきょとんとしていた。知らなかったけど、俺は教えるのが下手だった。

「宮下くん、混ぜるのこんなもんでいいの?」

 深見くんが持つボウルの中身のタネを確認して、俺は「ばっちり」とうなずく。パッと電球がついたように明るい表情に変わる深見くん。

「じゃー、包んでこっか」

 俺にとっては慣れた作業なのに。深見くんが張り付くように見つめてきて、やりづらい。

 周囲をうろちょろしては色んな角度から俺の手元を見て「すげー」とか「店開けるじゃん」とか。口から溢れる言葉が俺を褒めたものになっていて、担がれている。

 まんざらでもなく、頬が緩んでしまう。我ながらチョロすぎる。

「深見くんもやってみなよ」

 お返しに俺もじっと見つめると、深見くんは「見られると恥ずい」と笑った。俺だってそうだった。

 餃子の皮を閉じるとき、まだ慣れていない深見くんの指先が迷うように大きく動く。耳たぶまで染まる深見くんにクスクスと笑ってしまった。

「米は自信あるから! 楽しみに待ってて」
「あ、そうだ。俺、深見くん家の米好き」

 炊飯器を振り返る。上がっていく湯気からはいい香りが立ち込めていた。

 出来上がった皿をテーブルに並べると、深見くんが「すげー豪華!」と拍手をしてくれた。

 一緒に作った餃子が今日のメイン。深見くんが包んだものと俺が包んだものはわかりやすかった。

 カニ玉炒めは深見くんのリクエストに応えて俺が作ったもの。ついでにきゅうりともやしのサラダとわかめスープも。

「餃子うますぎる。オレが作ったのもちゃんと餃子の味する!」
「そりゃ餃子なんだから、そうだろ」

 ふっと笑みが溢れる。普段と違う食事風景は新鮮で、2人で使うには広々としたダイニングテーブルだった。

「人と食べる夕飯久しぶりだなー」と、深見くんがカニ玉炒めをとり分ける。
 
「俺は……高校入ってから家族以外と夕飯食べるの初めてだ」

 え、と思わず漏れてしまったように深見くんが口元を箸を持ったままの手の甲で押さえた。

 人から囲まれることが日常の彼からすれば、俺の日常は想像もつかないんだろう。話す人はいるけど仲良い人がいない1人は、平穏で退屈でさみしかった。

「宮下くんてさ、話すの苦手かなとか思ったけどそういうのでもなさそうじゃん。何で今まで1人でいたの? 1人のが好きだった?」

 遠慮が混ざった訊き方をする深見くん。あんだけぐいぐい来てたのに今さら気にしてんのかな。

「別に1人が好きってわけじゃないよ。高校入ってから誰かといるために、何の努力もしなかった。だから、棚ぼたでこうやって仲良くなれたのは正直ちょっと後ろめたい」

 自分から何か動いたわけじゃない。中学の頃の失敗を言い訳にして、ぼっちでもどうにか過ごせていただけだ。本当は憧れの日常に足を踏み入れられて、夢心地でいる。たぶん、深見くんが俺に興味がある間だけの期間限定の夢。

 深見くんはきょとんとして「後ろめたい?」と訊ねた。うわー、求められてないとこまでぺらぺら答えてしまった。餃子を口に詰め込んでも2人きりのリビングに逃げ場はない。スープで流し込んで、息を吐く。

「深見くんのおかげで楽しいって意味。でも、深見くんがいなかったら俺は今も1人だったろうし、何もしてないなぁって思う」
「卵サンドのことなかったら、オレも声かけてねーかな。卵サンドくれたの誰だっけ?」

 にやりと口の端を上げた深見くん。どうぞというように手をこちらへ向けた。

「え……俺」
「でしょ。あれって何もしてねーに入るの? だったら、宮下くんの何もしてねーの範囲が間違ってるよ」

 今日だってカニ玉うまいし、と深見くんはカニ玉炒めを頬張る。

 染み入るような温かさを感じながら、俺は「ありがとう」と言った。当の本人は「どういたしまして」と答えつつ、何に対しての感謝かわかっていなさそうだ。こういうところも、深見くんが色んな人と仲良い理由の1つなんだろう。

 夕飯を終えて、テレビを見るために移動する。ソファーに腰を下ろしたら、なかなか離れられなかった。

 ゲームでサイコロを振って全国を巡ったり、クイズ番組を見て2人で答えを言い合ったりと時間が溶けるのはあっという間だ。

「アイス食べたくなったな。買ってくればよかった」

 せっかくスーパー行ったのに。俺の残念がる声に深見くんが「口がアイス欲してるね」と笑った。

 ドラマのラストで、アイスを食べるシーンがあったせい。

 料理ドラマだとおすすめされて見たら、中年男性カップルの話だった。だけど、確かに料理ドラマでもあった。俺も白だしをもっと頼ってみよう。
 
「とりあえず、風呂行ってきなよ」と深見くんに肩を叩かれた。

「うん、借ります」

 アイスに後ろ髪を引かれるが、買ってないものは仕方がない。深見くんから借りた服や下着をつかんで、洗面所へ向かう。

「風呂ありがとう」

 手短にシャワーを済ませて戻ると、深見くんが「アイスの代わりに」とプリンをテーブルに置いてくれた。

「えっ、いいの? 深見くんは?」
「オレは宮下くんがシャワーの間に食べた」
「じゃあ、遠慮なく」

 いただきます、と手を合わせてスプーンでプリンを掬い上げる。頬杖をついてニコニコするその口元にスプーンを近づけた。

「あまりにも嘘が下手すぎる」

 俺を呼ぶのは突然だっただろうし、普段1人が多いなら深見くんの分しかなかったはずだ。

「や、ほんとに」
「いいから、とりあえず一口」

 開いた深見くんの口にすかさずプリンを放り込む。深見くんは口をもごもごさせてから、あははと声を出して笑った。

「オレがいいと思って譲ったんだから、いいのに」
「俺も深見くんと分けたいって思ったからいいんだよ。はい、もう一口」
「……分けてくれんのは嬉しいけど、さすがに自分で食べれるよ。スプーンとってくる」

 はにかむ深見くんにハッとして、俺はスプーンを引っ込める。カラメルの苦さが口の中に残った。

 半分のプリンを分け合ってから、歯磨きを済ませて寝室に入る。

 友達と同じ部屋で眠るなんて修学旅行くらいしかないイベントだと思っていたのに。何だか鎖骨のあたりがざわざわする、妙な緊張感があった。

 真っ暗な部屋ですぐそばのベッドには、深見くんがいる。

 寝返りも呼吸の音もすべてが大きく聞こえて、寝れるかー! と思った数秒後にはすとんと眠っていた。気づいたら朝。

「おはよー、宮下くん。眠れた?」
「すっごい寝た!」
「よかった」

 俺は同じ部屋に人がいても気にならず眠れるという新たな発見だった。

 帰りに深見家が食べているお米をお土産におすそ分けしてもらって、俺はほくほくした気持ちで家路についた。

 ◇◇◇

 夏休み最終日。明日からのお弁当に備えて、キャラ弁の練習をしてみた。形を整えたおにぎりにチーズと海苔で目をつける。

 レンジで作ったハムエッグを半分にカットして詰めて、ピックに刺したミートボールも入れていく。

「えー、かわいいじゃん!」
「これは姉貴食べてもいいよ。練習だから」
「やった、あたしも写真撮る」

 出来上がりを姉貴に褒められつつ俺はスマホを構える。うん、初めてにしては上出来だ。

 これなら明日、深見くんも喜んでくれるかな。

 何度かシャッターを押して、表示された通知に手が止まる。中村くんからの《こりゃ風邪かな》を見て、トーク画面を開く。《怜央の既読がないのはたぶんそう》と続いた。

 あー、それは納得だ。一昨日くらいから深見くんからの返事と恐らく既読もついてなかった。

 中村くんの夏休み終わるのに課題が終わってない叫びのメッセージにも1人だけ無反応で、慣れてるからそうなのかなぁなんて呑気に考えていた。風邪引いてるのか。

 スマホで時間を確認すればお昼前。深見くん、お昼は食べれたのかな。お母さんとはこの前会ったけど、忙しそうだった。

「姉貴、ちょっと出かけてくる。片付けはあとでやるから弁当は好きに食べて」
「はーい、いってらー」

 エプロンを外して、家を出る。

 エレベーターで下りる間にはた、と気づく。風邪引いた人の家にいきなり訪問は正解なんだろうか。いてもたってもいられなかった。

 答えが出せないまま、体は駅へと向かった。

 さすがに何の連絡もないのは良くないだろう。電車に揺られながら、スマホ画面をタップする。先に中村くんにありがとうとスタンプを送った。

 それから、深見くんへ何かほしいものはないか確認も兼ねてメッセージを送る。しまった。グループで既読もつかないのに、俺から送ってもすぐ既読になるわけないか。

 中村くんから《ありがとうってなぜ(笑)》と返ってきて、俺は小さく首を傾げる。ほんとだ、何で感謝してんだろう。よくわからなくて、とりあえずハテナを浮かべるスタンプを返しておいた。

「え、何で来たの?」

 たどり着いたマンションのエントランスで、スピーカーから聞こえた深見くんの声。ちょっと掠れている。

 うわー、これって失敗したのかな。俺の距離感間違ってる?

 駅から深見くんの家に来るまでに返事の通知があったものの、見なかったことにしてここまで来てしまった。風邪のときの大丈夫は、大丈夫じゃないと思った。

 じわりと背中を流れていく汗。動くと、張り付くシャツの気持ち悪さを感じた。

「ごめん。ちょうどお昼くらいだし、ご飯食べたかなと思って」

 我ながら弱々しい声が出て、深見くんに「うん?」と訊き返されてしまった。

「アイスとかプリン買ってきたから、それだけ差し入れさせて」
「わざわざいいのに」
「アイスだけでも冷凍庫入れてよ」

 しつこいかな。アイスだけは持って帰れないので、考えが足りなかった。当然のように入れると思ってしまった。

 少し間が空いて、ビニール袋の中に目を落とす。アイスのパッケージがうっすら汗をかいている。

 深見くんの返事がないまま、扉が開いた。俺は「すぐ持ってくね」と言って、中へ入っていく。

「来てくれてありがとう。こんな格好でごめん」

 玄関で顔色の悪い深見くんが出迎えてくれた。着ているだぼだぼのTシャツは、この前貸してくれたものと同じだ。

 微妙にずれた額の熱冷ましシートが気になってしまった。

「これ、甘いものばっかだけど食べて」

 ビニール袋を差し出して、深見くんの手に引っかける。これで俺の役目は終了だ。本当は何か食べたいものを聞いて作りたかったけど、そこまでは調子に乗りすぎた。

 弱みを知った気になって距離を間違えたから、反省しよう。仲良くなれたことに浮かれすぎている。

 ぼんやりした瞳の深見くんに見つめられて、俺は額からも滲む汗を拭った。そんなに見られると溶けそう、俺が。

「歩かせちゃったけど大丈夫? 戻るのしんどかったら支えようか」

 自分の発言のキモさが刺さった。何で来たのって言われただろうが。早よ帰れよ。ツッコミを入れて「俺がさっさと帰るね」と早口に告げた。

 ドアに手をかけると、シャツの裾をくっと引かれた。

「……やっぱ、まだ帰んないで」

 一度振り向いてから、俺はまたドアに向き直る。ぐらりと視界が揺れた。ドアノブが冷たい。

 何だろう、とてつもなくかわいい生き物に直面している。弱ってる深見くんにかわいいは不謹慎かもしれない。

 けど、ぐっと心臓を鷲掴みにされてしまった。ごめん深見くん。上がった熱を冷ますように息を吐いて「何食べたい?」と訊ねる。

 力を込めて振り向けば、深見くんの目尻が下がって「おじや食べたい」と答えてくれた。

「米はあるよね。卵ってあるかわかる?」
「たぶんあった。オレ何か手伝おうか」
「いやいやいや! 病人は寝てて。できたら起こすから、鍋とかは借りるよ」

 深見くんの背中をぐいぐい押すと、Tシャツ越しでも熱を感じた。いつもより素直で背中を丸めた深見くんが部屋に入っていくのを見届ける。

 鎖骨の辺りを擦りながら、俺はキッチンへ入った。まずは米を洗っていく。あっ、卵以外について確認し忘れた。

 一瞬だけ迷って、冷蔵庫のものを使うのは事後承諾をもらうことに決めた。余ってそうな野菜をいくつか取り出して、食べやすいサイズにカットする。

 てきぱきと準備を進めて、最後に溶き卵を回し入れた。

 出来上がって、買ってきたプリンと一緒に深見くんの部屋まで持っていく。ノックをすると、最初の“コン”で「起きてる!」と返事があった。寝ててくれ。

「使いかけの野菜、勝手に使っちゃった」
「全然いいよ。ありがとう、お腹空いてた」

 ゆっくり起き上がった深見くんがへにゃりと力なく笑う。食べれてなかったんだろうか。

「熱は?」

 ベッドサイドにあるテーブルに持ってきたものを置きながら訊ねる。

「ちょっとは下がったかな。宮下くん、手冷たいね」

 深見くんは丼を差し出す俺の手をつかんだ。思わず、びくっと反応してしまって、慌てて丼を支えた。深見くんから移ったように自分の手も熱を帯びる。 

「深見くんが熱いんだよ。ほら、これ持って。あとスプーンも」

 矢継ぎ早に言って、俺はそっと距離を取った。今の深見くんにとっては、俺の体温は心地良いのかもしれない。それほど冷たさはないから、熱冷ましシートを取り替えたほうがいいだろう。

 もぐもぐと食べ始めた深見くんは、ペースを落とさない。食欲はありそうでホッとした。

 腰を上げて部屋を出ていこうとすると「今日も泊まってってよ」と低い声がした。

「いや明日学校だけど」
「だよね。言ってみただけ」

 しょんぼり肩を落とす深見くん。制服や荷物もないし、絶対大変だってわかるんだけど。

「……ちゃんと治すなら考える」

 とりあえず熱冷ましシートを取ってくるね、と食べ終えた丼を持って部屋を出る。

 また部屋に戻ってくるまでに、俺は姉貴に《お姉様、俺の制服とリュックを持ってきてください》とお願いをした。今度ケーキも買うからと手を打ってもらう。

 姉貴からの《朝帰り?》は反応に迷ったものの《体調不良の友達に付き添ってるだけ》と返す。すぐに《友達できてよかったね。お母さんにも伝えとく。将生も体調気をつけなよ》と送られてきた。姉貴様々だ。

「持ってきたよ。明日まで俺いるけど、深見くんのお母さん帰ってきたとき俺いて驚かない?」
「今日は出張だから大丈夫。宮下くん泊まるのは伝えるし」

 じゃあいいのかな。まだ2度目の深見くんの家なのに、すっかり慣れた調子で行ったり来たりしている。友達として、気を許されてるって思ってもいいのかな。

 ベッド横にひざをついて、横になっている深見くんの熱冷ましシートを交換する。

「こんな冷たかったんだ」と、深見くんが自分のおでこをぺちぺち叩いた。

「そうだよ。ゆっくり寝て、ちゃんと休んで」
「ありがとう……わがまま聞いてもらって、ごめん」
「たまにならいいんじゃない? 風邪のときくらい」

 俺はわがままを言われたとも思ってない。むしろ勝手に突っ走って家まで来てしまったのは俺だ。

 それを頼られたんだから、きちんと責任を取るべきだろう。

「宮下くんがいてくれると安心する」
「それならよかった。俺皿とか洗ってるから、何かあったら呼んで」

 まあ、俺は存在感があんまりないからな。誰かにいてほしいときに、俺が役立つならよかった。

 小さく顎を引いた深見くんが目を閉じるのを見て、俺は静かに部屋を後にする。

 なるべく水を無駄にしないよう気をつけながら、丼をスポンジで擦っていく。シンクにあったマグカップもついでに洗う。

 宮下くんがいてくれると安心する。さっき深見くんから言われたことを反芻する。

 俺がいてもいい場所なんだなぁ、としみじみ深く染み込んだ。