満たされて、ひとりじめ

 うわ、マジか。心の声が口に出なくてよかった。

 人気者が隣の席になってしまった。遠くからたまに見つめるだけの存在だったのに。

 リュック1つを持って、俺は移動した席に腰を下ろす。

 さっそく深見(ふかみ)くんの周りには、人が行ったり来たりしている。楽しげな笑い声は悪いことじゃないのに、少し居心地が悪かった。さよなら平穏な場所。

「宮下くん、だよね? 隣よろしく」
「……あ、どうも、よろしく」

 俺みたいな影の薄い人間にも声をかけてくれるのか。

「教科書忘れたときとか助けてね」
「うん」

 素っ気ない返答をする俺に向けられる笑顔が、優しかった。

 チャイムが鳴り響いて、席替え後の自由時間も終わり、昼休みが始まる。机の横にかけていたトートバッグを手に持つと「ねぇ、宮下くん」と横から声をかけられた。

 首をひねれば、深見くんがこちらに――トートバッグに目を向けていた。ばあちゃんが買ってくれた北欧のキャラものトート。前に買ってくれたのを感謝したら、俺が好きだと勘違いしたらしく最近同じようなのを見つけたとわざわざ買ってきてくれた。

 深見くんも好きなのかな。口に出すほどの疑問でもなく、黙ったまま立っている深見くんを見つめる。

「それ、前に似たやつ持ってなかった!?」

 食い気味の深見くんにビビりつつ「持ってたよ」と答える。

「だよね、ありがとう」

 え、何なんだ。このキャラが好きってわけでもなさそう。

「どこでお昼食べんの?」と、深見くんに続けて訊ねられ、口ごもってしまった。

「まあ、適当に場所探すよ」

 決まった場所があるとは言わなかった。もう勘弁してほしい。俺は、深見くんの近くにいる友達からの注目に耐えられる日常を送ってきてない。

 ぱっちりした深見くんのきらきらした瞳の意味も、よくわからない。

「じゃあ、俺は行くんで」
「あ、待って」

 逃げの姿勢を取った。待つわけない。教室を出て、そそくさと階段を上がっていく。

 ――あの日見た深見くんの涙は、俺しか知らないんだろうか。

 2年になったばかりの頃、相変わらず友達がいない俺は1人での昼ごはん。騒がしい教室から逃げるように静けさを求めて、いつもの階段を上がっていくと珍しく先客がいた。

 同じクラスの深見くんだ。俺でも名前を覚えていた。クラスで笑い声がする中心には大抵深見くんがいるし、綺麗な表情が目を引く。

『わっ!?』

 人が来ると思っていなかったのか、驚きの声と共に盛大に飛んでいったサンドイッチ。

 トマト、レタス、ハム。それからパンも。すべてが階段に散らばった。

『……ほんと最悪』

 掠れた声で呟いた深見くんの瞳が潤んで見えた。

 俺のせいだ。見つからないうちに戻ろうとはしたんだけど。言い訳を口にはできないまま、背筋を冷や汗が伝っていく。

 深見くんの昼ごはんを台無しにしてしまった。俺は近くに落ちているハムを拾おうと手を伸ばす。

『いいよ、後でやるから。何もしないで』

 諦めの声色だ。うずくまって、顔を隠すように体を折る深見くん。明るめの茶髪からつむじが覗いている。

 泣いているのを見られたくないのかな、と思った。

『あ、うん。ごめん』

 手を引っ込めて後ろに回す。深見くんは、こちらを見ようとはしなかった。

 片付けはしなくていいとしても、俺が昼ごはんを奪ってしまったのに何もしないわけにはいかない。

 トートバッグで自分の顔を隠しながら、深見くんを見ないように注意して近づく。見てないアピールのつもりだった。

『これ、よかったら食べて……手作りが、嫌じゃなければ』

 そっと近づいて、深見くんの横に置いた。そこから逃げるように、俺はダッシュで階段を降りていった。

 きっと、あの日を鮮明に覚えているのは俺だけだろう。

 しんどそうな顔をしていた。普段、教室では見たこともないような顔だ。ニコニコする彼にだって泣きたくなる日もあるんだろう。それを見せないように努力しているのかと勝手に想像して、胸が痛かった。

 屋上手前が使えなくなって彷徨った結果、見つけたのは4階の廊下を奥へ進んで突き当り。非常階段出口の横にパイプ椅子があったのをそのまま使わせてもらっている。

 ここだけ取り残されたように静かで、それが俺には心地よかった。

 パイプ椅子に腰を下ろすとギシギシと鳴った。膝の上に今日の弁当を広げる。

 昨日の炊き込みご飯の残りをおにぎりにしたもの、だし巻き卵、ほうれん草の胡麻和え。だし巻きのだしは白だしが切れてから自分で作るようになったけど、もうだいぶ慣れた。

 それから、今朝じいちゃんの店からもらった白身フライと別添えのタルタルソースをもらってきた。これもまた最高にうまい。けど、量が多いのがちょっと困りものだ。

 友達と分けろということらしいが、俺には友達がいない。じいちゃん、俺は遠慮してないんだよ。

 サクサク音を立てる白身フライの他に、足音が響いた。げ、移動教室の授業に来た人か。いつもより早い。

 慌てて弁当を片付けようとするも、全然間に合いそうになかった。食べかけの白身フライすら、うまく飲み込めない。聞こえてくる足音が早くなって、俺の鼓動も速まった。

「――あ、宮下くん。いた!」

 ごくん。ようやく飲み込めて安堵したのとほぼ同時に、さっき見かけたばかりの顔がそこにあった。

 なぜかとびきりの笑顔を俺に向けている。びっくりした、宮下くんいたって言われたのかと思った。そんなわけない。

 深見くんならすぐ戻るだろうしまだ食べてても大丈夫か、と気を取り直してだし巻きを箸でつかんだ。

「宮下くん、何で屋上の階段来なくなったの?」
「えっ、ほんとに俺!?」

 思わず声が漏れた。何で俺?

「うん、そうだよ。春頃、昼休みに屋上んとこに来てたよねって訊きたかったのに、いなくなっちゃうからさー」

 深見くんが指差す先にあるトートバッグ。俺は、ああ、とうなずく。それでさっきの質問か。

「そう、だね」

 ツカツカとまっすぐ近づいてくる勢いに気圧され、俺はパイプ椅子の上できゅっと身を縮めた。春の話なんて今更なのに。

 深見くんは少し肩が上下していて呼吸も荒い。走り回ったんだろうか。俺を探すために? 謎だ。

「卵サンド、くれたのって宮下くんであってる?」
「……あ、うん。合って、ます」
「オレ、誰がくれたんだろうってすげー探してたんだよ! あんとき顔見てねーし、何となくの雰囲気しか覚えてなかったから全然わかんなかった。あの後何回行っても会えなかったし」

 ずるずるしゃがみ込む深見くん。その頬には赤みが差している。

「さっき話して声聞いたとき、もしかしてって思った。オレの勘当たってた」

 よかったー、と深見くんは小さく呟いた。

 確かに普段は話しかけられることがほぼ無いから、学校だと声を出す機会が少ない。まして前は席も遠かったから深見くんとの関わりはなかった。

 まさか、あの日のことで探されてるとは思わなかった。

「ごめん、あのとき怪しかったよな。サンドイッチ落としたの、俺が驚かせたせいだったから。せめてものお詫びにと思ったんだけど」
「うん。正直、色々あったときだったから、ちょっとどうしようか迷った。けど、食べたらすげーうまかった! ずっとお礼が言いたかった」

 ありがとう、と深見くんのきれいな唇が弧を描く。爽やかな風が吹き抜けるようだった。笑顔がまぶしい。

 おいしく食べてもらえたなら、俺の作った卵サンドも報われたことだろう。

「どういたしまして」とぺこりと頭を下げて、弁当を再開する。わざわざ昼休みに来てくれるなんて、律儀な人だ。俺が教室戻ってからでもよかったのに。隣なんだし。

「ねぇ、宮下くんていっつもここで食べてるの?」
「……まあ、大体は」
「屋上前に来なくなったのって、オレがあの日いたせい?」
「いや、とくには」

 一向に立ち上がる気配のない深見くん。たれ目がちな優しい瞳が細くなる。まだ戻らないのかな。

「オレもここで食べてもいい?」
「え? でも、教室に友達がいるんじゃないの?」

 てか、弁当を持っている様子もない。持ってきてないのか、購買にこれから行くつもりなのか。

「いるけど、オレもここがいいなーって」
「あ、それなら俺は消えるのでお好きにどうぞ」

 気に入ってた場所だったけど、俺の場所でもない。俺は箸をしまって、弁当のフタを閉じる。

 今日はどこへ移動しよう。蒸し暑い中庭は人が少なさそうだ。

「えっ」と、声が聞こえて顔を上げる。わたわたと焦った様子の深見くんが俺の前で制止するように手を掲げた。

「宮下くんと一緒にって意味なんだけど、伝わってないよね?」
「……え、俺と? 何で?」

 トートバッグに弁当を入れようとした手が止まる。深見くんとは、これまで一度も昼休みを過ごしたことがないのに。話したのだって今日が初めてに近い。

「何でって……卵サンドのお礼が言いたかったから」
「うん、それはもう言ってもらった」
「そうじゃなくて、あー……とにかく、オレは宮下くんと話したいことがある。宮下くんは、はいかイエスで答えて」

 選択肢があるようでないことに気づいて、ふっと笑ってしまった。

「どっちも同じ意味じゃん。俺に拒否権ない」
「断られたくねーもん。卵サンドって、親とかじゃなくて宮下くんの手作り?」

 今の俺はノーだと察したらしい深見くんが話題を変えてしまった。やりづらい。

「そう、俺の手作り。やっぱ俺はどっか行くから、じゃあね」

 トートバッグに弁当を押し込んで、パイプ椅子から立ち上がる。ギシッと軋む音がした。

「ごめん、オレが教室戻るよ」

 深見くんは、見るからにしゅんとして肩を落とした。えー、これって俺が悪いのか?

 静かに弁当食べる権利くらいあってもいいだろ、ぼっちにも。うーん、と唸りつつ腕を組む。今日はいきなりすぎて心の準備ができてないから困る。

「明日、おかずを消費してくれるって約束してくれるならいいよ」

 じいちゃんに嘘じゃなく友達にも食べてもらえたよって言えそうだ。オッケーならおかず消費要員になってもらおう。

 それなら俺もありがたいし、深見くんにはまだ罪悪感も残っている。

 俺なんかと昼休みに話してみたいと言うなら、それで帳消しまではいかなくても足しにしてほしい。

「え、作ってくれんの?」
「おかずはじいちゃんとばあちゃんの手作りだけど。朝たまに顔出すと、おかずくれる」

 あ、弁当屋やってるから、と付け加えると「やった」と口の端を上げるわりにはテンションが下がったように見えた。俺の気のせいだろうか。

 また卵サンド食べたかったとか? けど、俺が卵サンドを作りたい気分ではない。

「明日はハムカツサンドの予定だから、俺が作ったので良ければ分けるよ」

 返ってきた笑顔を見る限り、俺の勘はあながち間違いじゃないらしかった。卵サンドじゃなくても、喜んでくれているのはわかる。

「ありがとう! 楽しみにしてるね」

 深見くんはぶんぶんと大きく手を振って、俺も手を振り返した。深見くんて、たまに近所で見かけるポメラニアンを思い出す。うっかりすると撫でそう。

 気を取り直して、弁当を再開する。うん、うまい。

 遠ざかる足音を聞きながら、やっといつも通りだなぁと思った。

 ◇◇◇

 朝、学校に来てからは誰かにおはようを言うことがない。必要性のない毎日を送っていた。

「おはよう、宮下くん」
「あ、おは……おはよう」

 予想できていなかった喉が掠れて、言い直す。近くにいる深見くんの友達らしき人が「いつの間に仲良くなったの?」「つか、誰だっけ」と話しているのが聞こえた。

 ほんと、誰だっけって感じなんだよな。その程度の存在だと自負がある。

 今朝、弁当を準備するのに気合が入ってしまった。ハムカツのコツをじいちゃんに電話で聞いたから、俺が作ったものも悪くないはず。

 相性バッチリだと言われて、マカロニサラダをもらってきた。深見くんにはおかずと言ってしまった手前、違ったものがほしかったけど仕方ない。味は間違いないし。

 深見くんが気に入ってくれるかは、わかんないけど。

 ちらっと深見くんの方を見ると、目が合って微笑みかけられた。どう返していいかわからずに授業の準備を始める。

 昼休みになるまでそわそわして落ち着かなかった。昼休み開始と同時に深見くんの周りには人がやって来てしまい、話しかけられないまま俺は教室を出てきてしまった。

 普段より重たく、ぎゅうぎゅうのトートバッグを持って階段を上がっていく。

 そもそも、何で俺なんかと話したいんだろうか。

 ハッとして息を飲む。まさか、見られたくない部分を見た俺に本当は怒ってるとか!?

「何で先行っちゃうの」
「わーっ!?」

 いきなり肩にポンと手を置かれて、俺は思わず叫んでしまった。振り向けば真ん丸な瞳の深見くんが瞬きを繰り返している。

「ごめん、驚かそうとしたつもりなかったんだけど」
「や、俺のほうこそごめん。声かけられるの慣れてなくて」

 頬が熱くなるのを感じながら肩を擦った。

「持つよ」

 いいよ、と断る前に深見くんはさっとトートバッグを俺の手から取って、階段を上がっていく。元気だな。

 あっという間に姿が見えなくなってしまい、俺も慌てて階段を上がった。その先で待ってくれていた深見くんがニコニコしている。俺はどうしたらいいかわからず、下唇を噛んだ。

 うわー、無理。俺の忙しない脳内を何一つ表に出すことができないまま、深見くんの「昨日はありがとう」に「いえ」とだけ答えた。

「深見くんはそこ座って」

 いつも通りパイプ椅子に座るには足りなくて、俺が床に腰を下ろす。冷房で床はひんやりとしていた。

「オレはお邪魔する立場なんだから床に座るよ」
「それは困るから座って」
「見下ろすのヤダよ。せめてオレもここ座らして」

 隣に座るのかと思いきや、俺の向かいだった。

 深見くんに気を遣わせるのも気を遣うのも何だか疲れてきた。もう何でもいいかな。

 どのみち今日だけだ。乗り切れたら後はどうとでもなるはず。

「え、深見くん弁当あるの?」
「うん。分けてもらえるって話だったから、いつもよりは少なめにしたんだけど」

 きょとんとしながら、深見くんは自分の弁当を開けた。確かに小さめな弁当箱で、俺が幼稚園のときに使っていたようなサイズ感だった。

 おかずは確かにスカスカで、ご飯も半分にも満たない。

「その弁当箱は深見くんのなの?」
「うん、いつもはこれに米いっぱいとおかずだよ。今日が特殊なだけ」

 あぐらの上に置かれた弁当を見つめて、俺はしばらく何を言っていいかわからなかった。

「これにいっぱいだけで足りるの?」

 ようやく出てきたのはそれだけだった。

「足りねーんだけど、準備するのがめんどくて。料理するより寝てたい」
「深見くんも自分で弁当作ってるんだね」
「オレのは詰めるだけだよ」

 弁当を詰め終えた後に多かったかな、と後悔したけどよかった。持ってきたトートバッグを開けて、ランチクロスを広げる。

 並べたタッパーのフタを開けていく。いつものだし巻き卵にきゅうりの浅漬け。はんぺんは冷蔵庫にあったのをついでに焼いた。メインのハムカツサンドとじいちゃんお手製マカロニサラダ。

「よかったら、好きなだけ食べて」

 わぁ、と声を出した深見くんの表情がパッと明るくなった。

「うまそう!」
「味は大丈夫だと思う」

 はい、と持ってきた使い捨てのカトラリーセットを渡す。深見くんが持つと、プラスチックのフォークが小ぶりに見えた。

「すっげー豪華。ありがとう!」

 いただきます、と深見くんは両手を合わせる。俺は一挙手一投足を見逃さないよう、じーっと見つめてしまった。

 まずはだし巻き卵がぱくりと深見くんの口の中へ消えていく。もぐもぐと咀嚼して、すぐに空いている手の親指を突き立てた。

「うまー! すげーうまい。オレ卵焼きは甘めのが好きだと思ってたけど、このだし巻きぷるぷるで最高。卵焼き派閥塗り替えられたかも」

 間を置かず次のだし巻きに口をつける。喉仏が大きく動くところまでしっかり確認してから、俺はその表情を伺った。

 家族はいつも褒めてくれるけど、家族以外には食べてもらったことがない。

 こんなに良い反応をもらえるとは思わなかった。深見くんと昼ご飯ってのも、きっともうないだろうなぁ。

「ハムカツ、薄くてもこんなしっかりうまいんだな」

 俺のこだわりハムカツサンドもじいちゃんのマカロニサラダも、うまいうまいと次々に食べてくれる。大口を開けて食べる深見くんを見ていたら、口元が緩んでしまった。

 写真を撮ってじいちゃんとばあちゃんに見せたいけど、撮らせてほしいと言う勇気はなかった。

「こっちも全部食べちゃっていいよ」

 あっという間に減っていくのに感動して、俺の分もあげようとタッパーを差し出す。

「さすがにそれは。自分のもあるし」と遠慮したようにうつむく深見くんにタッパーを押しつけて、俺は彼の弁当箱を手に取る。

「その代わり、俺がこっち食べてもいい?」
「うん、いいけど……米と冷凍食品詰めただけで、特に手作りとかねーよ?」
「手作りが正義とかでもないだろ。俺このハンバーグ好き」

 ひょいと箸でつかんで、ハンバーグを食べる。続けて米を口に放り込んだ。米がうまくて、目を瞬かせる。

 俺の家もこだわってると思ってたけど、これはまた別格だ。冷えても甘みがあってしっかりうまかった。

「……宮下くんさー、オレが何で誘ったとか気にならないの?」
「そりゃ、何かあるんだろうとは思ったよ」

 けど、せっかく今うまそうに食べてくれてるし。俺から訊くことでもない。水筒のお茶を啜る。

「前会ったときのことってさ、その、覚えてるんだよね?」

 口元までハムカツサンドを持っていった深見くんの手が止まった。俺は手を止めずにもごもごと口を動かしながらうなずく。

「うん。覚えてる」
「オレが泣いてたって誰かに言った? あれ、できれば言わないでね」

 できれば、のわりに表情は絶対に言わないでほしそうだった。やっぱり俺と話したいのは理由があったか。

「言ってないし、俺が言うって誰に? 基本話す人いないよ」

 俺としては本気で言ったつもりが気遣いだと思われたのか「ありがとう」と言われてしまった。深見くんは話す人いないなんて、なさそうだもんな。俺がどんな日常を送ってるか想像もしないだろう。

 ブロッコリーをかじると、残った水気と塩味を感じた。マカロニサラダと一緒に食べる。

 深見くんは、ほっと息を吐いてハムカツサンドにかじりついて「うますぎる」と笑顔になった。

 今の今まで気にさせていたなら申し訳ない。もっと早くあの日声をかけたのは俺だと打ち明けておけばよかったかな。

 俺も安堵して、弁当を食べ進める。あっという間に深見くんの弁当箱が空になった。2人とも両手を合わせる。お互いのごちそうさまが響いて、空の弁当箱を深見くんと交換した。

 お腹が満たされて、ぼんやりとした空気が流れていく。

 俺から訊いてもいいんだろうか。あの日のことはずっと気になっていた。ただ、これは興味本位だ。そんな軽はずみに踏み込むことでもないと思う、けど。

「あのとき、何があったか訊いてもいい?」

 最後の勢い任せだった。この場で訊かなきゃ、もう訊くこともない。俺は弁当箱をトートバッグに突っ込んでから深見くんの方へ向き直って、目を合わせた。

「大したことじゃねーよ。中学のときに告白されて振ったとき、傷つけないように断ったつもりだったんだけど……キープしてたとか、思わせぶりだったって同級生に言いふらされてた」
「え、ひどいな」
「それを同級生が信じてたのも何だよって思ったし、誰かに話したいなって話したらモテ自慢かーって言われたのも結構刺さって……しんどくなってた」

 うわー、と声に出そうになって唇を押さえる。励ましのつもりだったのかもしれないけど、悪手なのは俺でもわかる。気の利いた言葉を思いつけるほど交友関係を築いたこともない。

「……俺の卵サンド、あのときちょっとは役に立てた?」

 言ってから、これじゃなかったなと思った。さすがにもっと他にあっただろ、俺。大体、しんどい深見くんをさらに最悪に追い込んだ一番の原因だ。

「1人になろうとして失敗した挙句、昼ぶちまけてほんと最悪だった」
「だよな、ほんとにごめん」

 しおらしくなると、深見くんはクスクスと笑った。

「全然。普段は宮下くんがいた場所をオレが取っちゃってたわけだし」

 深見くんが遠い目をして、膝を抱える。

「あんとき食べた卵サンドが一番うまかった。オレに気ぃ遣ってこっち見ないようにしてくれてたのも、自分の昼ご飯くれたのも全部……ほんっとに嬉しかった」

 今こうやって、笑わないで聞いてくれるのも。付け加えられた深見くんの言葉は消えてしまいそうで、よっぽど嫌だったのだろうと思った。

「や、俺は大したことしてないけど」
「そんなことねーよ。宮下くんが来てくれてよかった」

 孤独なときに誰かの優しさが沁みる気持ちは、俺にもちょっとわかる。

 水筒を閉めるキュッという音が耳に残った。

 ◇◇◇

 次の日の昼休み。

「えっ、何で?」

 パイプ椅子から見上げる俺に彼はニッと歯を見せて笑った。

「今日から一緒にお昼食べよう!」

 もうないと思っていた深見くん。

「……その予定なかったから、何も作ってきてないよ。あ、じいちゃんのおかずはある」
「おかずはありがたいけど、そうじゃなくて一緒に食べてもいい? 宮下くんは、はいかイエスで答えて」

 だから、それだと俺に拒否権がない。嫌というほどでもないけど、何を話したらいいのかもわからない。

 どうしたものか。断っていいの、これ。自分の弁当に視線を落として、静かに息を吐く。頭をフル回転させる。

「お金払うから、もし、できれば……明日からオレにも弁当作ってきてくれない?」

 なかなか答えない俺に痺れを切らしたらしい深見くんから次の一撃。すごい、買収? お金を払ってもいいほど気に入ってくれたのか。

「それは悪いからいいよ。別に2人分になっても作るのはそんな大変じゃないし」
「オレがよくねーの。払わせて」
「えー、払わないで」

 お金をもらってしまったら、張り切らなきゃいけなくなる。それは俺が疲れてしまう。

 そよそよと冷房の風が深見くんの前髪を揺らした。

「けど、作ってもらうからには何もしないのはなしだろ。何かねーの?」
「いきなり言われても――あ、ある!」

 閃いて、俺は深見くんが持つ巾着を指差す。昨日食べさせてもらって米がうまかったやつ。

「深見くんの弁当と交換にすればいいよ」
「よくねーだろ! 俺のは米と冷凍食品なんだって。おかずの種類もそんな入れてねーし」
「じゃあ、俺のためにもう少し増やしてくるってどう? 冷凍食品のが高かったりもするから値段の釣り合いはわかんないけど」

 それでもよければ、と自分の弁当箱のフタを閉めた。

 深見くんが腕を組んで、うーんと目を伏せる。あとは彼の中でどう折り合いをつけるかだろう。
 
「今日、オレの弁当は春巻きが大きめでおかず少ないけど大丈夫? 購買で買う?」
「そこまで心配しなくても大丈夫だよ。俺も昨日食べた余りのハムでハム海苔チーズにしてるし」
「それは余りもの有効活用しただけだろ。オレと一緒になんねーよ」
「似たようなおかず続くこともあるってことだよ」

 深見くんに気にしないでほしかった。俺は俺で、家族以外に作る楽しみに気づいたから。心がホクホクしている。じいちゃんにも友達が喜んでたよって言えたし。

「似たようなのでも何でもうまそう。誰かの手作り食べるって普段あんまねーから、楽しみ」
「今日はとりあえずこれ、イカのチリソース炒め。相変わらず多いから、深見くんがもらってくれたら助かるよ」

 タッパーに詰められたじいちゃん特製。俺の胃が限界に挑まなくて済みそうだ。

 大きくうなずいて、深見くんはパイプ椅子の隣に座った。俺も慌てて椅子から降りて、深見くんに向き合う。

「オレ、もっと宮下くんのこと知りたい」
「俺が何作るかってこと? 明日のおかずのリクエストなら受け付けようか」
「いや、知りたいって献立当てたいとかじゃねーから」

 ふっと吹き出す深見くん。俺が差し出した弁当をあぐらをかいた上に置いて、丁寧に両手を合わせる。

「まあ、いいや。いただきます」

 よくわからないまま、終わってしまった。俺も両手を合わせてから、深見くんの弁当をもらう。

 深見くんを一瞥すると、うまいものを噛みしめるように幸せそうな表情をしていた。

 明日は何を作ろう。好きな食べ物を訊いてみるのもありだなぁ。

 イカを箸でつまみながら、明日の献立に頭を巡らせた。