「俺の部屋でよかったんですか」
「……父が、いるので」
あの後、矢島に頼み込んで、家まで連れてきてもらった。
初めて訪れた矢島の部屋は、黒を基調としたシックな部屋で、ますます矢島のかっこよさが際立っていた。
「矢島さんが、まさかあそこまでしてくれているとは思いませんでした」
俺が何とも言えない表情をしていたせいか、矢島は弁解するように言う。
「すみません。ちょっとお節介過ぎましたよね」
「いえ。ありがとう、ございます」
正座をして深々と頭を下げる。大げさかもしれないが、本当に父の言うように頭が上がらなかった。
「頭を上げて下さい。まだ、お母様が残っていますから」
「母は無理じゃないですか?」
俺は諦めているが、矢島の反応は意外なものだった。
「いいえ、あれはたぶん、表面的には厳しい方ですが、あと一押しでしょうね」
「ええっ、本当ですか?」
何かを思い出したのか、矢島がくすりと笑みを浮かべる。
「聞かせて下さい」
「鷺澤さん、自分で確かめてみて下さい」
「それはちょっと……」
鬼の形相で怒る母の姿が易々と思い浮かんで、冷や汗が浮かぶ。
そんな俺を横目に、矢島が自分のパソコンを操作し始めた。
「それはそうと、鷺澤さん、今から撮るんですよね?会話の内容をいくつか考えてきたんですけど、見てくれませんか」
「矢島さん……こんなに考えていたんですか」
ずらりと並んだ内容に驚いた。矢島は思ったよりもこの提案に乗り気だったのだと分かって嬉しくなる。
「はい。でも、ちょっと逆に考えすぎたんで、動画の縮尺的に絞り込まないとですね」
「そうですね。矢島さん、俺は今から楽しみです」
俺が矢島の方を見てにやりと笑うと、矢島はきょとんとした顔をする。
「何がです?」
「矢島さんが、光の中に行くことです」
「ずいぶん、抽象的ですね」
意味を掴みかねている矢島を見て、俺ははっきり言おうか迷った後に、言わないことにした。
先にしてやられたのはこちらの方なのだ。同じやり方で返したって、文句は言わせない。
内心ほくそ笑み、俺はボイスレコーダーを起動した。
「矢島さん、俺は今回の動画では、この上の三つを話そうと思います。受け答えはいつも通りで構いません」
「緊張しますね。キャラ作りしてしまいそうです」
「もう矢島さんは、宇宙さんそのものですよ?また新しくキャラを作るんですか」
「それは……」
「さ、始めましょう」
矢島の返事を待たず、ボイスレコーダーの録音ボタンを押した。
「皆さんこんばんは。今回で5回目の動画になります。実は今回はゲストに来てもらっていまして、一緒に話していこうと思います。宇宙さんです。宇宙さん、よろしくお願いします」
「よろしく……お願いします」
緊張気味の矢島の手を取ると、少し湿った手で握り返してきた。
それで少し落ち着いたのか、矢島は続きを話し始めた。
「実は俺は、以前から紫悠さんの動画に登場していた紫悠さんの家庭教師でもあり、紫悠さんが悩んでいた時、学校に行くようにアドバイスをしたSNS上の人間、張本人です」
「俺は驚きました。まさかあの取っつきにくい先生が、あんなに親切で、憧れの宇宙さん本人だなんて」
「長い間信じてもらえず、ずっと宇宙さんが一番で俺は二番目だと言われ続けていて、正直絶望したりしました」
二人で笑い合う。
今となっては、あれはあれで面白かった。
「でも、紫悠さんがそう誤解しても仕方がなかったんです。俺は紫悠さんから、今は宇宙と同じだと言われるようになりましたが、家庭教師として会ったばかりの俺はまるで別人でしたから。それに、実を言うと、今でも大学のクラスメイトからは距離を取られています。俺はまだまだ、紫悠さんの前以外では、理想の宇宙にはなりきれていません。最初の登場なんで、軽く俺の身の上話を聞いて下さい」
予定にはない内容だったが、それを話してもらった方が、より矢島のためになるはずだ。
俺は背中を押すように、言葉を区切った矢島の肩を叩く。
矢島は俺を見た。
どこか覚悟を決めた、今まで以上に男らしい目つきだった。
「俺は、子どものころから言葉足らずで、言葉選びが下手な人間でした。それで母から、口を開こうとすれば、あなたは黙っていればいい、黙っていた方が綺麗だからと言われました。自分で言うとお聞きの皆さんに反感を買うとは思いますが、本当に、無駄に容姿だけに偏っていたんですよね。俺の長所って。でもそんな時に……」
「周りと、無駄な争いを生まないようにしたんですよね、と俺が言ったんです」
「そうです。俺はその言葉で、目が覚めました。俺と紫悠さんは、こんなふうに、お互いに手を差し伸べ合って、明るい未来へ導いて来ました」
「ご想像していらっしゃる方もいるとは思いますが、俺と宇宙さんは、そういう関係です。今後は互いにしたようなことを、視聴者の皆さんにもしていきたいと考えていますので、これからはどんどん、日ごろの悩みや不安などをコメントにお願いします。それでは、今日はこの辺で」
ボイスレコーダーを切ると、俺は矢島に引き寄せられ、抱き締められた。
「矢島さん、やりきりましたね」
返事はない。深く感じ入っているのだろう。
「矢島さん、苦しいです」
笑いながら背中を叩けば、矢島は肩口に顔を埋めたまま、恥ずかしげに言った。
「鷺澤……楓さん、お願いがあります」
「何ですか?」
「……していい、ですか」
「えっ」
言われた言葉を理解した直後、矢島は返事を待たずに俺の唇を奪った。
訊いてきた意味がないとは思うものの、それも矢島らしいことだから、簡単に許せてしまう。
「やじまさ……長い、です」
「璃日人」
「え?」
「俺の名前です。呼んで下さい」
「いき、なりは……」
「璃日人」
矢島の勢いに根負けし、俺は口を動かす。
「璃日人、さん」
それに満足した矢島が、笑みを浮かべながら再び顔を近づけてきた、その時だった。
スマートフォンが着信音を鳴らし始めた。
矢島から離れ、その相手を確認した俺は、思わずげっと声を上げる。
「誰ですか?」
「……母です」
まだ時間的に仕事中のはずだが、もしかして母も父と同じく、残業時間が超えたのだろうか。
「もしもし……」
緊張で震える声を誤魔化せずにいると、先ほどとは逆に、矢島が俺の背中を叩いてきた。
「何?お母さん」
一瞬、通話が切れているのかと思った。
それほど長い沈黙が流れる。
「お母さん?」
「……楓」
深く息を吸い込む音がした。母も緊張しているのだと分かった。
「お父さんから、話は聞いたわ。矢島さん、からもね。私はまだ、完全には賛成できない」
「そう……だよね」
「でもね、少しだけ、ほんの少しだけ、あなたが眩しく感じられた。今は、それだけを言いたかった」
「お母さん……」
知らず、俺の目に涙が浮かぶ。
母はいつも、自分のことばかりだった。
俺のことはどうでもいいのだと、思っていた。
その、母が。俺のことを振り返って見ようとしてくれている。
今はそれだけで十分だった。
「それから、矢島さんに代わってちょうだい」
「え?」
「そこにいるんでしょう?」
「うん、そうだけど……」
矢島を見ると、すぐに分かったようで、俺のスマートフォンを受け取った。
「はい……。はい、分かっています。必ず、その時は連絡します。え?いや、まだそれは……。分かりました、失礼します」
通話を終えた矢島が、俺にスマートフォンを返してくる。
「母は、何て言ってましたか?」
「楓との未来をどう考えているのか、と言われました」
「えっ、お母さんが?」
「はい。楓さんはちゃんと、ご両親に思われているんですよ。今までは間違っていたかもしれませんが、これからはきっと……」
俺は矢島の言葉に頷き返しながら、涙を溢した。
「……父が、いるので」
あの後、矢島に頼み込んで、家まで連れてきてもらった。
初めて訪れた矢島の部屋は、黒を基調としたシックな部屋で、ますます矢島のかっこよさが際立っていた。
「矢島さんが、まさかあそこまでしてくれているとは思いませんでした」
俺が何とも言えない表情をしていたせいか、矢島は弁解するように言う。
「すみません。ちょっとお節介過ぎましたよね」
「いえ。ありがとう、ございます」
正座をして深々と頭を下げる。大げさかもしれないが、本当に父の言うように頭が上がらなかった。
「頭を上げて下さい。まだ、お母様が残っていますから」
「母は無理じゃないですか?」
俺は諦めているが、矢島の反応は意外なものだった。
「いいえ、あれはたぶん、表面的には厳しい方ですが、あと一押しでしょうね」
「ええっ、本当ですか?」
何かを思い出したのか、矢島がくすりと笑みを浮かべる。
「聞かせて下さい」
「鷺澤さん、自分で確かめてみて下さい」
「それはちょっと……」
鬼の形相で怒る母の姿が易々と思い浮かんで、冷や汗が浮かぶ。
そんな俺を横目に、矢島が自分のパソコンを操作し始めた。
「それはそうと、鷺澤さん、今から撮るんですよね?会話の内容をいくつか考えてきたんですけど、見てくれませんか」
「矢島さん……こんなに考えていたんですか」
ずらりと並んだ内容に驚いた。矢島は思ったよりもこの提案に乗り気だったのだと分かって嬉しくなる。
「はい。でも、ちょっと逆に考えすぎたんで、動画の縮尺的に絞り込まないとですね」
「そうですね。矢島さん、俺は今から楽しみです」
俺が矢島の方を見てにやりと笑うと、矢島はきょとんとした顔をする。
「何がです?」
「矢島さんが、光の中に行くことです」
「ずいぶん、抽象的ですね」
意味を掴みかねている矢島を見て、俺ははっきり言おうか迷った後に、言わないことにした。
先にしてやられたのはこちらの方なのだ。同じやり方で返したって、文句は言わせない。
内心ほくそ笑み、俺はボイスレコーダーを起動した。
「矢島さん、俺は今回の動画では、この上の三つを話そうと思います。受け答えはいつも通りで構いません」
「緊張しますね。キャラ作りしてしまいそうです」
「もう矢島さんは、宇宙さんそのものですよ?また新しくキャラを作るんですか」
「それは……」
「さ、始めましょう」
矢島の返事を待たず、ボイスレコーダーの録音ボタンを押した。
「皆さんこんばんは。今回で5回目の動画になります。実は今回はゲストに来てもらっていまして、一緒に話していこうと思います。宇宙さんです。宇宙さん、よろしくお願いします」
「よろしく……お願いします」
緊張気味の矢島の手を取ると、少し湿った手で握り返してきた。
それで少し落ち着いたのか、矢島は続きを話し始めた。
「実は俺は、以前から紫悠さんの動画に登場していた紫悠さんの家庭教師でもあり、紫悠さんが悩んでいた時、学校に行くようにアドバイスをしたSNS上の人間、張本人です」
「俺は驚きました。まさかあの取っつきにくい先生が、あんなに親切で、憧れの宇宙さん本人だなんて」
「長い間信じてもらえず、ずっと宇宙さんが一番で俺は二番目だと言われ続けていて、正直絶望したりしました」
二人で笑い合う。
今となっては、あれはあれで面白かった。
「でも、紫悠さんがそう誤解しても仕方がなかったんです。俺は紫悠さんから、今は宇宙と同じだと言われるようになりましたが、家庭教師として会ったばかりの俺はまるで別人でしたから。それに、実を言うと、今でも大学のクラスメイトからは距離を取られています。俺はまだまだ、紫悠さんの前以外では、理想の宇宙にはなりきれていません。最初の登場なんで、軽く俺の身の上話を聞いて下さい」
予定にはない内容だったが、それを話してもらった方が、より矢島のためになるはずだ。
俺は背中を押すように、言葉を区切った矢島の肩を叩く。
矢島は俺を見た。
どこか覚悟を決めた、今まで以上に男らしい目つきだった。
「俺は、子どものころから言葉足らずで、言葉選びが下手な人間でした。それで母から、口を開こうとすれば、あなたは黙っていればいい、黙っていた方が綺麗だからと言われました。自分で言うとお聞きの皆さんに反感を買うとは思いますが、本当に、無駄に容姿だけに偏っていたんですよね。俺の長所って。でもそんな時に……」
「周りと、無駄な争いを生まないようにしたんですよね、と俺が言ったんです」
「そうです。俺はその言葉で、目が覚めました。俺と紫悠さんは、こんなふうに、お互いに手を差し伸べ合って、明るい未来へ導いて来ました」
「ご想像していらっしゃる方もいるとは思いますが、俺と宇宙さんは、そういう関係です。今後は互いにしたようなことを、視聴者の皆さんにもしていきたいと考えていますので、これからはどんどん、日ごろの悩みや不安などをコメントにお願いします。それでは、今日はこの辺で」
ボイスレコーダーを切ると、俺は矢島に引き寄せられ、抱き締められた。
「矢島さん、やりきりましたね」
返事はない。深く感じ入っているのだろう。
「矢島さん、苦しいです」
笑いながら背中を叩けば、矢島は肩口に顔を埋めたまま、恥ずかしげに言った。
「鷺澤……楓さん、お願いがあります」
「何ですか?」
「……していい、ですか」
「えっ」
言われた言葉を理解した直後、矢島は返事を待たずに俺の唇を奪った。
訊いてきた意味がないとは思うものの、それも矢島らしいことだから、簡単に許せてしまう。
「やじまさ……長い、です」
「璃日人」
「え?」
「俺の名前です。呼んで下さい」
「いき、なりは……」
「璃日人」
矢島の勢いに根負けし、俺は口を動かす。
「璃日人、さん」
それに満足した矢島が、笑みを浮かべながら再び顔を近づけてきた、その時だった。
スマートフォンが着信音を鳴らし始めた。
矢島から離れ、その相手を確認した俺は、思わずげっと声を上げる。
「誰ですか?」
「……母です」
まだ時間的に仕事中のはずだが、もしかして母も父と同じく、残業時間が超えたのだろうか。
「もしもし……」
緊張で震える声を誤魔化せずにいると、先ほどとは逆に、矢島が俺の背中を叩いてきた。
「何?お母さん」
一瞬、通話が切れているのかと思った。
それほど長い沈黙が流れる。
「お母さん?」
「……楓」
深く息を吸い込む音がした。母も緊張しているのだと分かった。
「お父さんから、話は聞いたわ。矢島さん、からもね。私はまだ、完全には賛成できない」
「そう……だよね」
「でもね、少しだけ、ほんの少しだけ、あなたが眩しく感じられた。今は、それだけを言いたかった」
「お母さん……」
知らず、俺の目に涙が浮かぶ。
母はいつも、自分のことばかりだった。
俺のことはどうでもいいのだと、思っていた。
その、母が。俺のことを振り返って見ようとしてくれている。
今はそれだけで十分だった。
「それから、矢島さんに代わってちょうだい」
「え?」
「そこにいるんでしょう?」
「うん、そうだけど……」
矢島を見ると、すぐに分かったようで、俺のスマートフォンを受け取った。
「はい……。はい、分かっています。必ず、その時は連絡します。え?いや、まだそれは……。分かりました、失礼します」
通話を終えた矢島が、俺にスマートフォンを返してくる。
「母は、何て言ってましたか?」
「楓との未来をどう考えているのか、と言われました」
「えっ、お母さんが?」
「はい。楓さんはちゃんと、ご両親に思われているんですよ。今までは間違っていたかもしれませんが、これからはきっと……」
俺は矢島の言葉に頷き返しながら、涙を溢した。

