「宇宙さん、えっと、その……」
昼食を食べる頃には、俺の中ではすでに、矢島を宇宙と呼ぶことに躊躇いがなくなっていた。
矢島は宇宙に恐ろしいほど成り切っていて、このまま抜け出せなくなるような恐ろしささえ感じるほどだ。
「うん?頬についてますよ」
俺の頬に自然と手を伸ばし、優しく撫でるようにしてついていたケチャップを拭い、自分の口に運んでしまう。
「っ……あ、の……ずっとそうしていて、疲れないんですか?」
「何のことです?」
「だって、その……」
俺が言い淀んだのを、宇宙は目敏く気づいて微笑む。
「心配してくれるなんて、本当に優しいですね。俺は鷺澤さんのそういうところ……」
「ストップ!」
俺は手を突き出し、制止をかけた。
「どうしたんですか?」
宇宙は笑顔だ。でも、どこか俺には。
「こういうの、なしにしませんか?俺は宇宙さん……に成り切っているのが完璧すぎて、最初は感動していました。でも、あまり続けていると、本当の自分を失くしてしまうんじゃないですか?矢島さんも、俺も」
「鷺澤さんが自分を失くすことはないんじゃないですか?」
「いいえ、俺は目の前にいるのが本当は矢島さんなのに、矢島さんではないような気になって、混乱してきているんです」
「でも、鷺澤さんは宇宙を求めているんでしょう?俺ではなく。だったら、俺は宇宙になるしかない。そうですよね」
「違います……」
「違わないです。前に言った言葉を覚えていますか?俺は、宇宙です。鷺澤さんはそれを信じなかった。だからこうするしかないと思ったんです」
「俺はその考えが理解できません。矢島さんは矢島さんです。確かに、俺の中には宇宙さんが大半を占めているかもしれません。でも、矢島さんが矢島さんだから好きになったんです。言葉足らずで、でも相手のことをよく見ていて、本当は優しいのに、それを自覚していない矢島さんが……」
「でも、やっぱり一番は宇宙ですよね」
即答が、できなかった。違うと否定するべきだと頭では分かっている。
矢島が一番で、宇宙はどうでもいいのだと、言うべきなのだ。
そうでなくても、宇宙は二番目だと言わないといけない。
「すみません、酷なことを言わせようとしてますね。分かっているつもりでした。宇宙に俺はなれない。これだけ信じさせようとしても駄目なんだ、と正直、絶望しています」
「矢島さん、俺は」
「俺のやり方が間違っていました。それは認めます。だから、せめて」
矢島が、苦しそうに顔を歪めながら懇願してくる。
「俺を、宇宙の次でいいから好きになってくれませんか」
「それは、もちろん、今でもそうです。でも、次だなんて言わないで下さい。俺は矢島さんのこと、宇宙さんと同じぐらい好きです」
「嘘です。さっき、大半を占めているって言いました」
「ごめんなさい……だって、俺は矢島さんの悲しそうな顔を見たくないので」
「じゃあ、一番にならなくていいから、同じぐらい好きになって下さい」
こんなにも想ってくれている人がいるのに、どうして俺は今でも忘れることができないんだろう。
申し訳なさと、やりきれない気持ちに支配されながら、俺は頷いた。
「はい。でも、矢島さんは」
そんなんで、辛くないのかと聞くのは愚問だった。
初恋は叶わないとはよく聞く。でも、俺は初恋の忘れ方が分からない。どうやって乗り越えていくのか、分からない。
宇宙が目の前にいたら、答えが出るのに、それもできない。
「矢島さんは、初恋はどうやって乗り越えましたか」
会計を終えて車に乗り込みながら、俺は尋ねた。
「俺は、乗り越えていません。だって、鷺澤さんが初恋なので」
「え、でも……、あの時、その初恋の人に俺がよく似ているって……」
「あれは、幻滅させてしまうかもしれませんが、嘘です。俺は鷺澤さんに隠していることがあります。それを気づかせないために、嘘をつきました」
「その嘘は、いつか俺にいいたいと言っていたことですか」
「そうです。鷺澤さんは、宇宙に幻想を抱いている、と思ったことはなさそうですね。本当の宇宙が、あのメッセージ通りの人だと思いますか」
「え……」
「想像してみて下さい。本当の宇宙の姿を」
矢島の言葉の真意を読み取る前に、自宅に辿り着いてしまった。
別れを告げて自室に戻ると、矢島の言葉を反芻しながら、宇宙とのやり取りを見返す。
「本当の、宇宙さん……」
俺は何か思い違いをしていたのかもしれない。
矢島の言う通り、ネット上の人間なんて、性別も、年齢も偽れる。
俺は、本当の宇宙が目の前に現れても、それが宇宙だと気づけるのだろうか。
全くイメージが違う人だとしても、それが宇宙だと思えば、同じぐらい好きになれるだろうか。
答えはすぐには出なかった。
「久しぶりに動画を出してみようかな……」
パソコンを開いてボイスレコーダーをセットしかけた時、通知音が鳴った。
「矢島さん……」
届いたメッセージに、俺は息を飲んだ。
「しばらく、やり取りを辞めます。家庭教師の方も、ご両親には既に話を通しました。少し、鷺澤さんは考えて下さい。俺の今まで言ったことを」
すぐに、嫌です、俺は矢野さんとやり取り辞めたくないですと返そうとしたが、それは虫が良すぎるな、と思い止まった。
「分かりました。しっかり考えます」
それを送った後、返信はなかった。
昼食を食べる頃には、俺の中ではすでに、矢島を宇宙と呼ぶことに躊躇いがなくなっていた。
矢島は宇宙に恐ろしいほど成り切っていて、このまま抜け出せなくなるような恐ろしささえ感じるほどだ。
「うん?頬についてますよ」
俺の頬に自然と手を伸ばし、優しく撫でるようにしてついていたケチャップを拭い、自分の口に運んでしまう。
「っ……あ、の……ずっとそうしていて、疲れないんですか?」
「何のことです?」
「だって、その……」
俺が言い淀んだのを、宇宙は目敏く気づいて微笑む。
「心配してくれるなんて、本当に優しいですね。俺は鷺澤さんのそういうところ……」
「ストップ!」
俺は手を突き出し、制止をかけた。
「どうしたんですか?」
宇宙は笑顔だ。でも、どこか俺には。
「こういうの、なしにしませんか?俺は宇宙さん……に成り切っているのが完璧すぎて、最初は感動していました。でも、あまり続けていると、本当の自分を失くしてしまうんじゃないですか?矢島さんも、俺も」
「鷺澤さんが自分を失くすことはないんじゃないですか?」
「いいえ、俺は目の前にいるのが本当は矢島さんなのに、矢島さんではないような気になって、混乱してきているんです」
「でも、鷺澤さんは宇宙を求めているんでしょう?俺ではなく。だったら、俺は宇宙になるしかない。そうですよね」
「違います……」
「違わないです。前に言った言葉を覚えていますか?俺は、宇宙です。鷺澤さんはそれを信じなかった。だからこうするしかないと思ったんです」
「俺はその考えが理解できません。矢島さんは矢島さんです。確かに、俺の中には宇宙さんが大半を占めているかもしれません。でも、矢島さんが矢島さんだから好きになったんです。言葉足らずで、でも相手のことをよく見ていて、本当は優しいのに、それを自覚していない矢島さんが……」
「でも、やっぱり一番は宇宙ですよね」
即答が、できなかった。違うと否定するべきだと頭では分かっている。
矢島が一番で、宇宙はどうでもいいのだと、言うべきなのだ。
そうでなくても、宇宙は二番目だと言わないといけない。
「すみません、酷なことを言わせようとしてますね。分かっているつもりでした。宇宙に俺はなれない。これだけ信じさせようとしても駄目なんだ、と正直、絶望しています」
「矢島さん、俺は」
「俺のやり方が間違っていました。それは認めます。だから、せめて」
矢島が、苦しそうに顔を歪めながら懇願してくる。
「俺を、宇宙の次でいいから好きになってくれませんか」
「それは、もちろん、今でもそうです。でも、次だなんて言わないで下さい。俺は矢島さんのこと、宇宙さんと同じぐらい好きです」
「嘘です。さっき、大半を占めているって言いました」
「ごめんなさい……だって、俺は矢島さんの悲しそうな顔を見たくないので」
「じゃあ、一番にならなくていいから、同じぐらい好きになって下さい」
こんなにも想ってくれている人がいるのに、どうして俺は今でも忘れることができないんだろう。
申し訳なさと、やりきれない気持ちに支配されながら、俺は頷いた。
「はい。でも、矢島さんは」
そんなんで、辛くないのかと聞くのは愚問だった。
初恋は叶わないとはよく聞く。でも、俺は初恋の忘れ方が分からない。どうやって乗り越えていくのか、分からない。
宇宙が目の前にいたら、答えが出るのに、それもできない。
「矢島さんは、初恋はどうやって乗り越えましたか」
会計を終えて車に乗り込みながら、俺は尋ねた。
「俺は、乗り越えていません。だって、鷺澤さんが初恋なので」
「え、でも……、あの時、その初恋の人に俺がよく似ているって……」
「あれは、幻滅させてしまうかもしれませんが、嘘です。俺は鷺澤さんに隠していることがあります。それを気づかせないために、嘘をつきました」
「その嘘は、いつか俺にいいたいと言っていたことですか」
「そうです。鷺澤さんは、宇宙に幻想を抱いている、と思ったことはなさそうですね。本当の宇宙が、あのメッセージ通りの人だと思いますか」
「え……」
「想像してみて下さい。本当の宇宙の姿を」
矢島の言葉の真意を読み取る前に、自宅に辿り着いてしまった。
別れを告げて自室に戻ると、矢島の言葉を反芻しながら、宇宙とのやり取りを見返す。
「本当の、宇宙さん……」
俺は何か思い違いをしていたのかもしれない。
矢島の言う通り、ネット上の人間なんて、性別も、年齢も偽れる。
俺は、本当の宇宙が目の前に現れても、それが宇宙だと気づけるのだろうか。
全くイメージが違う人だとしても、それが宇宙だと思えば、同じぐらい好きになれるだろうか。
答えはすぐには出なかった。
「久しぶりに動画を出してみようかな……」
パソコンを開いてボイスレコーダーをセットしかけた時、通知音が鳴った。
「矢島さん……」
届いたメッセージに、俺は息を飲んだ。
「しばらく、やり取りを辞めます。家庭教師の方も、ご両親には既に話を通しました。少し、鷺澤さんは考えて下さい。俺の今まで言ったことを」
すぐに、嫌です、俺は矢野さんとやり取り辞めたくないですと返そうとしたが、それは虫が良すぎるな、と思い止まった。
「分かりました。しっかり考えます」
それを送った後、返信はなかった。

