蓮梨先輩のお見舞いに行ったあの日の夜。帰宅してしばらくは顔の火照りが収まらず、自室で寝転がってぼーっと天井を見つめていた。
蓮梨先輩に抱きしめられたこと。そのまま一緒にお昼寝したこと。あれは妄想や夢じゃなくて、現実で起こった出来事。先輩の体温、声、匂い……あんなに近くで感じられるのは、後にも先にも俺だけであってほしいと思った。
夕食を終えてお風呂に入る頃、先輩からメッセージが届いた。お見舞いのお礼と共に、俺が残したメモとはつこいいちごぷりんの写真を送ってくれて……。幸福感で心が満たされて、ぽかぽかと温かくなった。
そんなこんなで、予定はガラリと変わったけれど、この週末で先輩との距離はさらに縮まった気がする。それは先輩に恋する俺にとって、とても喜ばしいことだ。
ただ……お昼寝とはいえ抱き合って眠ってしまったあとだと……学校で顔を合わせるのが緊張する……!
すっかり冬休み気分で過ごしていたけれど、二学期の終業式まで実はまだ数日あるのだ。年内の調理部の活動はもうないから、何も約束しなければ先輩と話すタイミングもないと思うけど……それはそれで寂しくて死んでしまいそうだ。
◇
「さて、苺さん。お見舞いでどこまで進みましたか?」
月曜日、バスに乗ってくるや否や、歩がにんまりと口角を上げ期待に満ちた眼差しを向けてくる。
「ど、どこまでって……お粥、食べて、一緒に、寝て、」
「ねっ!? い、苺、それは早すぎるんじゃ……」
「っ、ち、違うよ! ただの、お昼寝だよ、普通に……」
歩が変な勘違いをするから、ぶわっと顔が熱くなった。さっきまではマフラーのふわふわが心地良かったのに、途端に暑く感じて外してしまった。
「えーと、つまり、付き合えたってこと?」
「ぃ、いえ、それはまだ……」
「付き合ってないんかい」
「せ、先輩の具合が悪いときに、告白はできないよ……」
歩は不機嫌そうな顔をしながらも「まあそれもそうか」と納得してくれた。
「じゃああれは? 先輩の『話したいことある』ってやつ」
「ぁ、あれも、結局、分からなくて……」
そう答えると歩は分かりやすく落胆し、じとーっとした目で俺に圧をかけてくる。
「早く次の予定立てなよ」
「つ、次……」
「デートは学校行事じゃないからね。待ってても自動的にやってくるものじゃないからね!」
「ぅ……は、はい……」
歩にしっかりと釘を刺されたところで、バスは学校の最寄駅に到着した。蓮梨先輩にもらったヘアピンをそっと撫でて、今日も一日頑張ろうと気合を入れてからバスを降りる。
「苺ちゃん!」
「へ!?」
不意に好きな人の声で呼ばれた。心臓が止まるかと思った。
「な、なんで先輩、バス停に……?」
蓮梨先輩のおうちから学校までの最短ルートでは、このバス停を通らないはずだ。一緒に帰るときは俺に合わせてバス停までついてきてくれるけど……。
「一昨日、俺めっちゃ寝ちゃってて、帰りにお礼言えなかったから。改めて、本当にありがとう」
「蓮梨先輩……」
「でも良かったぁ、苺ちゃんに移ってなくて」
先輩は胸に手を当てて安心したようにため息を吐いた。ただの風邪だし、移ったとしても全く気にしないのに。
「んじゃ、学校行こっか」
「っ、あ、でも、歩が……って、いなくなってる……!」
先ほどまで俺の後ろにいたはずの歩が、いつのまにか姿を消していた。これは……気を遣わせてしまったのかもしれない。
「歩くんなら、朔翔と先に行ったよ」
「朔翔……あ、水上先輩か……」
蓮梨先輩に言われて横断歩道の向こうに目をやると、水上先輩と腕を組む歩がいた。そういうことなら、申し訳ないと思う必要はなさそうだ。むしろラッキーだと喜んでいるだろう。
「水上先輩は、どうしてここに?」
「俺も玄関で偶然会ったんだけど、たまにこうやって歩くんの通学ルートをパトロールしてるらしいよ」
「ぱと……なるほど」
やっぱり水上先輩は確実に歩のことが好きだと思う。思い返せば、入学してすぐは歩を狙っていそうな生徒をしばしば見かけたけれど、一週間もすれば全くいなくなった……あれも、水上先輩によるパトロールの効果だったのだろう。
「水上先輩すごい……」
「……なんで?」
「っ、ぁ、いや、歩は可愛くて、モテるから、守るの、大変だろうなって……」
「……俺も、苺ちゃんのこと守ってるつもりなんだけど」
「へ……」
あれ、先輩、怒ってる……?
なんかいつもより歩くの速いし、手も繋ぐどころかポケットに入れちゃってて……。
空気が、ちょっと重い。
「……れ、蓮梨先輩、待って……」
「っ、苺ちゃん?」
思わず先輩の背中に抱きついていた。こうでもしないと、先輩がどんどん遠くへいってしまいそうで。これまで積み上げてきたものが、一気に崩れてしまいそうで。
「今日、なんで、手、繋がないんですか……」
「え」
「寂しい、です……」
ぎゅう……と腕に力を込めると、蓮梨先輩は慌てた様子で「分かった、分かったから!」と繰り返した。渋々ハグをやめると、先輩はへなへなとしゃがんで「死ぬかと思った……」と呟いている。俺は意外と腕力が強いのだろうか……。
「えっと……俺、一応病み上がりだからさ。あんまり近くにいたり手繋いだりするの、良くないかな〜って……」
「っ、い、今更です! 俺たち、一緒に、お昼寝、したのに」
「た、確かに、そうだね、うん……夢じゃなかった、よね」
「ゆ、夢にしないでくださいっ……!」
あんなにドキドキさせておいて、夢だと思ってた、なんて言わせない。そんな思いを込めて先輩の瞳をじっと見つめたら、
「……夢になんかしないよ、絶対」
と、優しく艶やかな声で言われ、頭をふんわり撫でられた。
それだけで不安はすうっと消えて、胸いっぱいに甘酸っぱいときめきが広がる。
「あと、今ね、いつもより緊張してるんだ」
「緊張……?」
「そう。苺ちゃんにお願いをしようとしてるから」
蓮梨先輩は言葉通り少し緊張した様子で、改まって俺と向き合い口を開く。
「苺ちゃんのお誕生日のお祝いに、今回できなかったことをさせてもらえませんか?」
「えっ」
「イルミネーション、調べたら二月まではやってるみたいなんだ。お泊まりも、家族に許可もらえたから……どう、かな?」
蓮梨先輩の頬が赤く染まっている。こちらの顔色を窺おうとするその視線は、じりじりと肌を灼くように熱い。
「せ、先輩さえ良ければ、俺は……行きたいです」
「……! はぁ〜良かった……あ、この前言った『話したいこと』もさ……そのときに、話すから」
「っ、わ、分かりました」
今度こそ、蓮梨先輩に告白されるかもしれない。もしされなくても、俺から……でも、振られてしまった場合、お泊まりするのが気まずくなっちゃうから……告白するなら別れ際がいいのかな。でも逆に上手くいくとしたら、恋人としてお泊まりしてみたいし……でもでも、それで一気に関係が進んじゃうのは心の準備が……ああ、もう、頭が変になりそうだ。
今回、告白やお泊まりといった超重大イベントが延期になって……正直、心のどこかで安心していた自分もいたと思う。「覚悟を決めることができた」と錯覚するのは簡単なのだと思い知った感じがする。
いざ本当の本当にそのときが来たら、俺は……どうなってしまうのだろう。どんな気持ちになるのだろう。
◇
年末、帰省した桃ちゃんこと姉の桃果は、開口一番にこう言った。
「んで、彼氏はいつ挨拶に来るの?」
「え?」
「え? あんた……まさか、まだ付き合ってないの?」
「っ……うん」
桃ちゃんは信じられないという顔で数秒固まっていた。歩といい桃ちゃんといい、どうして当然のように付き合っていると予想したのか……。
でも、周りから見たら、意外とお似合いなのかな……?
蓮梨先輩の隣を歩いても違和感がないと思ってもらえてるってことかな……?
そう思うと……竦みそうになる足にも、幾らか力が入った。
初詣で引いたおみくじは吉だった。桃ちゃんは大吉を引いていたからちょっと羨ましいなぁと思ったけれど、調べてみたら吉は大吉の次に運勢が良いらしい。
それに、“恋愛”の項目には――。
「今の人を信じて進め……」
「おぉ! 苺、良かったじゃん」
「っ、桃ちゃん、勝手に見ないで……」
今の人――蓮梨先輩を信じて前に進む、っていう風に捉えていい、のかな。先輩が俺にくれた笑顔も、言葉も、アクセサリーも……触れたときの体温の高さも、抱きしめてくれたときの腕の力も……俺だからだって思いたい。先輩の特別になれてるって信じたい。その特別が……恋愛感情だって、信じたい。
おみくじはお守りとしてお財布に入れて持って帰った。蓮梨先輩に想いを伝えることができたらそのときは、結果がどうであれ、神社に返納しに行こうと思う。神様に見守ってくださったことへのお礼を伝えなければならないし。
蓮梨先輩も初詣行ったかな、なんて考えながらスマホを見ると、ちょうど先輩から新しくメッセージが届いていた。
“おみくじ引いたら大吉だった!”
「すごい……!」
メッセージに続けて写真も送られてきてた。最初に見てしまうのはやっぱり……。
“恋愛:積極的になりなさい”
なんということだ。今年の蓮梨先輩は、昨年より積極的になってしまうかもしれない。ただでさえ先輩にはドキドキさせられてばかりなのに、これ以上……? って、いやいや、先輩の好きな人が俺かどうかは分からない。浮かれた悩みに溺れるところだった。
“俺は吉でした”
引いた直後に撮っておいたおみくじの写真を俺も送った。
すると、すぐに先輩から返信が来る。
“苺ちゃんも運勢いいね!
一緒にいたらいいこといっぱいありそうだね”
ズキュン。一緒にいたら、というフレーズを都合よく解釈してときめいてしまった。後輩としてなのか、恋人としてなのか、そこは明記されていないというのに。
「苺さぁ、不安になりすぎでしょ。両想いかもって感じるなら大丈夫だって。ていうか、思わせぶりな態度取っておいて苺を振ったら、私が殴りに行くし」
桃ちゃんには「うんざり」という顔をされた。俺がうじうじ不安そうにしているのが気に食わないのだと思う。
でも、お泊まりデート当日まで、俺はやっぱり期待と不安を行ったり来たりしていた。だって、告白してしまったら、その一秒前には絶対に戻れないのだから。
どんなに楽しくお話してたとしても、どんなに俺のお菓子を美味しいと言ってくれたとしても、告白した瞬間、赤の他人よりずっと遠い存在になってしまうかもしれない。
もしも本当にそうなってしまったとき、ほんの少しでも心へのダメージが小さくなるように……今は、浮かれないように気をつけなきゃって思うんだ。
◇
一月五日。日付が変わった直後、蓮梨先輩は「お誕生日おめでとう」とメッセージをくれた。少し時間を置いてから既読マークをつけるつもりだったけど、結局は全然我慢できなくて、すぐに「ありがとうございます」と返信してしまった。
先輩のお誕生日のときは、ちょっとだけ電話したよなぁと思い返す。でも、今日は寝て起きたら待ちに待ったデートだし、今から電話したいだなんて言ったらきっと迷惑だから……おやすみなさいスタンプを一つ送って、俺は無理やり目を閉じた。
一回目のアラームが鳴る前に目は覚めた。緊張している割には眠れたと思う。最悪の場合、一睡もできない可能性も考えていたから……ひとまず、蓮梨先輩に寝不足フェイスを見せずに済んだことを喜んで支度を始めた。
今日の昼に東京へ戻る桃ちゃんからのアドバイスを聞いて、髪を下ろしてみることにした。特別感というやつが重要らしい。慣れないアイロンも頑張って使ってみた。もちろんヘアピンとイヤリングも忘れずに。
服は、昨年買ったのに一度も着る機会のなかった白いニットに、無難なジャケットを羽織った。バッグはお泊まりセットが入る大きめのものを選んだ。
ちなみにお泊まりセットは五回以上その中身を確認したと思う。下着や部屋着、スキンケア用品などなど……先輩に見られても恥ずかしくない自分でいられるように必要なものだから。
待ち合わせはおやつの時間に駅の改札……で良かったのに、先輩は夏休みのときのように家まで迎えに来てくれた。先輩は俺を見るなり「可愛いねぇ」と頭を撫で、瞳を煌めかせた。
「せ、先輩もかっこいいです。服も、ちょっと似てて、嬉しいです……」
「ふふ、ありがとっ。服は偶然だね! シミラールックだ」
先輩も俺のとよく似た白いニットを着ていたけれど、羽織っているのは大人っぽいコートだし、そもそもスタイルの良さが段違いだから、並んでしっくりくるのか分からないけど……。
「じゃ、行こっか」
「はいっ」
蓮梨先輩が笑顔で手を差し伸べてくれるなら、その手を取らない選択肢はない。
電車に乗っている間も、先輩とずっと手を繋いでた。初夢で何を見たかという話になって、正直に「先輩とパフェを食べる夢です」と話すと……先輩は顔を赤らめて、夏休みに行ったお店にもまた行きたいねって、さらりと言ってくれた。
先輩の初夢に俺はいなかったらしい。ちょっと悔しかったけど、聞いてみれば、陸上部の友達と富士山に登る夢だったとか……。なんだか縁起が良さそうだし、そこに文化部の俺がいるのはあまりにも似つかわしくないから諦めがついた。
A駅に着いたら、まず予約しておいた和カフェに向かった。日が沈むまでゆっくりここの抹茶スイーツを食べるんだ。
「苺ちゃん、決まった?」
「えっと……抹茶ラテと抹茶プリンにします」
「ふふ、いいね、俺はほうじ茶ラテにしようかな」
蓮梨先輩はドリンクしか頼まなかった。俺だけスイーツもしっかり注文してしまって少し恥ずかしい……。
予約してくれたのは先輩だが、カフェに行きたいと言ったのも、このお店を選んだのも俺だ。先輩は優しいから何も言わずに合わせてくれただけで、本当はあまり好みじゃなかったのかもしれない。
「苺ちゃん? なんかあった?」
「っ、い、いえ!」
勝手な想像で落ち込んで、先輩に心配をかけるなんて良くない。気を取り直してスイーツを楽しもう、と思ったそのときだった。
突然、店内の照明が落ちた。
「っ! て、停電……?」
今日はよく晴れているのに、どうして。
〜♪
動揺する俺の耳に聞こえてきたのは、誰もがよく知るあのメロディー。蓮梨先輩と店員さんたちが歌い出し、他のお客さんも一緒に手を叩いて盛り上げてくれている。
「……蓮梨先輩……」
「ハッピーバースデー ディア 苺ちゃん♪」
ハッピーバースデートゥーユー、と机に置かれたのは、ドラマでしか見たことのないようなオシャレな誕生日プレートだった。抹茶のガトーショコラをメインとして、アイスやマカロン、フルーツも乗っており、ホワイトチョコレートのソースでお祝いメッセージを書いてくれてある。
「……俺、苺ちゃんみたいに素敵なスイーツは作れないけど、いつものお礼も兼ねてお祝いしたかったんだ。ビックリさせちゃってごめんね」
「っ、嬉しい、です、すごく、今、感動してて……」
「え、っ、な、泣いてるの?」
気づいたときには涙が溢れていた。まさか自分がサプライズで泣く日が来るなんて、想像すらしたことなかった。
「……嬉しいときに出る涙って、こんなにあったかいんですね」
「苺ちゃん……もう、俺まで泣きそうになるじゃん」
先輩まで瞳をうるうるさせるから、周りのお客さんにも微笑まれてしまい、二人して照れながらぺこりとお辞儀をした。
まもなく普通に注文したものも運ばれてきたので、何枚か写真を撮って、さあ食べようかというところでやっと気づいた。
「先輩……もしかして、このプレートがあるから、ドリンクしか頼まなかったんですか?」
「一応ね。あっ、もちろん苺ちゃんが全部食べられるなら食べていいからね! もし多かったら俺が食べるよってこと」
蓮梨先輩は細やかな配慮をする人だ。それは先輩がモテモテで経験豊富だから、というわけではなく、生まれ持った性質だと感じる。俺は先輩の過去を知らないから、明確な根拠はないのだけど……先輩の瞳はいつだって澄んでいて、純粋な輝きを持っている。その輝きを前にすれば、説明などいらない。
「蓮梨先輩、お祝いしてくれて、ありがとうございます」
「いえいえ。生まれてきてくれてありがとう、苺ちゃん」
誕生日プレートもプリンもラテも、先輩と半分こした。
全部、幸せの味がした。
一番甘かったのは先輩の視線だった。
◇
カフェを出る頃には日も沈み、辺りは薄暗くなっていた。先輩と手を繋いで少し歩くと、お目当てのイルミネーションスポットに到着した。冬休み期間だからか家族連れのお客さんも多く、全体的にほっこりした雰囲気に包まれている。
「綺麗ですね……」
「……苺ちゃん、こっち向いて」
言われた通り先輩の方へ顔を向けると、こちらへカメラを向けているではないか。
ぎこちなくピースをしてみたが、いつまで経っても先輩はシャッターボタンを押してくれない。
「せ、先輩、早くして……」
「んー?」
「っ、せんぱ……ぁ、え、ま、まさか動画ですか!?」
「正解!」
すぐに背を向けて顔を隠した。蓮梨先輩はたまにいたずらっ子みたいなことをする。俺の動画なんか撮ってどうするの。
「苺ちゃーん、こっち向いてよ」
「も、もう、撮ってませんか?」
「撮ってないよ」
若干疑いつつ、恐る恐る振り向くと――。
「ほんとだ……」
「ね?」
と言いながら、先輩は空いた両手で俺のほっぺをむぎゅっと寄せた。今の俺、絶対に変な顔をしているのに抵抗できない。
「撮るのもいいけど、やっぱりこの目で苺ちゃんのこと見てたいの」
「っ……」
俺だって同じだ。この目で見た先輩の笑顔は写真のように削除できず、生きている限りずっと記憶に残るから。
蓮梨先輩が俺にしたように、俺も先輩のほっぺをむぎゅっとした。先輩はそれでも変な顔になることはなく、見惚れるくらいかっこよかった。
◇
蓮梨先輩のおうちに着くまで、俺はすごく緊張していた。だって、今日は先輩のご両親と妹さんもいらっしゃるとばかり思っていたから。
しかし、扉を開けてお部屋にお邪魔しても、誰もいない。
つまり……二人きりだ。
先輩によると、お正月休みの延長で、ご両親と妹さんはお母様の実家に泊まっているとか。昨日まで先輩も一緒に泊まっていたけど、俺との予定のためだけに一日早く帰ってきてくれたらしい。
というわけで、ご挨拶をする機会はなく少し緊張は解けたが、二人きりとなるとまた別の緊張感がある。今日は短時間のお見舞いではなく、本当にお泊まりするのだ。一つ屋根の下で一夜を……って付き合ってるわけじゃないし、別にそういうことはないと分かってるけれど。
夕飯は帰り道でテイクアウトした出来立てのピザを食べた。先輩はカフェに引き続きこのピザも奢ってくれようとしたけど、さすがに泊まらせてもらうのだからこれくらいは、と払わせてもらった。これまで店でバイトして貯めたお金を先輩との食事代に使えるのは、俺にとって最上級の幸福だった。
「苺ちゃん、あったかい紅茶でいい?」
「ぁ、はいっ、ありがとうございます」
夕飯の片付けを終えると、先輩は温かい紅茶を淹れてくれた。そういえば先輩のご家族に用意したクッキーの詰め合わせを渡し損ねていたので、食後のデザートにもなるかなと思い先輩に差し出した。
「あ、これ、もしよかったら、ご家族と食べてください」
「えっ、これ苺ちゃんのお店のクッキーじゃん! 俺も家族もみんな大好きなんだよね、ありがとう」
「っ、こ、こちらこそ、ありがとうございます」
「ふふ、嬉しいなぁ……ぁ、あのさ、苺ちゃんは食後のデザートとか、食べたい?」
先輩が俺の顔色を窺うようにして聞いてくる。もしかしてクッキーをこのタイミングで渡したことで、今食べろと押し付けたみたいになってしまった……!?
「ぇ、えっと、俺はどっちでも……先輩が食べたいなら、食べたいけど……」
「っ、ほんと? じゃあ……ちょっと待ってて!」
何を思ったのか、先輩はキッチンの方へ行ってしまった。
不思議に思い待っていると、何かを抱えた先輩が戻ってくる……。
「ホイップクリーム、スポンジケーキ、苺……え、これって……!」
「そう、ショートケーキの材料。クリスマスに作る予定だったけど、できなかったでしょ? だから、どうしようかなって迷って……なんか、買っちゃった」
「すごい……」
「スポンジケーキは焼いた方が美味しいだろうけど、帰ってからだと遅くなっちゃうし、大変かなって思って買ってみたけど……どう、かな」
「っ、ケーキ、作りたいです、先輩と!」
そこからの時間は夢みたいに楽しかった。クリームを塗って苺を乗せるだけなのに、抱きしめたくなるほど一秒一秒が愛おしい。ケーキが完成に近づくにつれ、蓮梨先輩への好きって気持ちもどんどん熱くなって甘くなって……今にも溢れ出しそうだ。
「よし、じゃあ最後の一個、苺ちゃんが乗せて」
先輩に言われて、最後に空いていたところに苺を乗せる。
「……完成ですっ」
「やったね!」
先輩の両手に自分の両手を重ねた。
出来上がった小さめのショートケーキは、苺がウェディングドレスを身に纏っているみたいで可愛らしい。
先輩はオシャレなお皿とフォークを持ってきてくれた。食べちゃうのが少しもったいない気もするけれど、先輩と一緒に「今」食べるのがきっと一番美味しい。
「苺ちゃん、あーん」
「えっ、ぁ、」
一口目から先輩に食べさせてもらってしまった……ドキドキしてあんまり味が分からない。
「美味しい?」
「っ、おいしい、です、たぶん……」
「ふふ、なんで多分なの」
「それは先輩がっ……先輩、が……」
二人きりの家で、好きな人にいきなり「あーん」なんてされて、頭撫でられながら「美味しい?」って聞かれて……味覚にバグが起きたって仕方ない状況だと思う。
「俺が……どうしたの?」
「っ……」
蓮梨先輩はフォークをカチャリと置いて、じりりと詰め寄ってくる。思わず後退しても、壁に背中がぶつかるだけで、逃げ場はもうどこにもない。
「……ぁ、あの、せんぱ――」
「苺ちゃん」
こつんと額が合わさった。
先輩の瞳も鼻も唇も、すぐそこにある。
“キスしたい”
その気持ちが、明瞭な輪郭を持って頭を支配するのは生まれて初めてだった。先輩の視線が自分の唇を甘やかになぞるように感じて、そっと目を閉じた。
一秒、二秒、三秒……。
数えても、数えても、唇が重ならない。
「せんぱい……?」
ゆっくりと目を開くと、先輩もゆっくりと距離を取って深呼吸した。
「……苺ちゃん、ごめん、順番間違えるとこだった……ちゃんと言わせてください」
青く澄んだまっすぐな瞳に捕らえられて、思わず息を呑んだ。今にも咲きそうな春から目を逸らせない。逸らしたくない。
「苺ちゃん。俺、苺ちゃんのことが好きだよ」
「っ……!」
「最初は苺ちゃんの作ったいちごぷりんの味に惚れて、今度は可愛い顔に一目惚れして……四月から今日までの間に、苺ちゃんの性格も、話し方も、声も、仕草も、全部どんどん好きになっちゃって」
蓮梨先輩から零れる宝石のような言葉が、一つ一つ、キラキラと優しく輝きながら、胸の中の宝箱へ入っていく。
「初恋だから大切にしたくて、でも、っ……もう『先輩』ってだけじゃ、足りない……苺ちゃんの『彼氏』になりたい」
「蓮梨先輩……っ、お、俺も――」
「待って! へ、返事、急がなくてもいいからね。混乱、させちゃったかもしれないし……」
ああ、もう、先輩は何も分かってない。俺だって、とっくに自覚しているのに。これは間違いなく“恋”なのだと……答えは出てしまっているんだ。
「……蓮梨先輩。俺、ちゃんと、考えてます」
「っ、苺ちゃん……」
「俺も……蓮梨先輩のことが、好きです。これは、尊敬とか、憧れとか、そういうのも全部、混ざってるけど……他の誰にも、抱かない感情で……蓮梨先輩、だけなんです」
「……苺ちゃん、分かってる? 恋人になるってことはさ……キスや、その先のことも、しちゃうかもしれないの。俺、苺ちゃんのこと傷つけたくないよ」
そんな、壊れ物に触れるみたいな手つきで、頬を撫でないでほしい。心からの心配ゆえの行動も、今の俺は焦らされているように感じてしまうから。
「蓮梨先輩……俺、さっき、キスしたいって、思いました」
「……!」
「……もう、順番、守ったから、し、しませんか?」
ものすごいスピードの拍動を感じながら、先輩の小指を握った。この熱も、心臓の騒がしさも、全部伝わってしまえばいい……なんて、顔を見ながら言う勇気はないくせに。
「……苺ちゃん」
先輩の手が、今度はしっかりと頬を包んで、
「ん、っ――」
目が合ったと思った刹那、唇が重なっていた。
柔らかい。温かい。そして、甘い。
最初は触れるだけ。
でもすぐに先輩は俺の唇をはむ、と何度も食べるみたいに奪ってきた。目を閉じるタイミングもなく、先輩の艶っぽい瞳と視線が交わるたびに、身体は熱くなる。
「っ、ん、せんぱい……」
頭がふわふわしてきて、思わず先輩の胸のあたりをぎゅっと掴んだ。溢れた声は自分のものじゃないみたいに甘ったるい。
「っ、苺ちゃん、ごめん……止めらんなかった……」
「だい、じょぶ、です……なん、か、ふわふわ、して、ます」
「あーもう大丈夫じゃないじゃん!」
先輩は大きな声で何度もごめんごめんと言いながら、ぎゅうう、と息ができないくらい強く抱きしめてきた。
「く、くるしい、です……」
「わーっ! ごめん!!」
先輩がこんなに慌てているなんて珍しくて、ちょっと面白い。
「ふふ、ほんとに、大丈夫です」
「苺ちゃん……! 可愛いぃ〜……」
大丈夫と言ったものの、このまま先輩からの「可愛い」を浴び続けていたら大丈夫じゃなくなりそうだ。
「っ、け、ケーキ、続き、食べましょう」
「あ、そ、そうだね!」
二人で作ったショートケーキは、散々待たされたにも関わらず、綺麗な形を保っていた。蓮梨先輩が苺を齧ったときドキンと心臓が跳ねたのは、秘密にしておこうと思った。
◇
「じゃあ、俺は床で寝るから。苺ちゃんはベッド使って」
お風呂に入っているときも、先輩に髪を乾かしてもらっているときも、このあとどうなるんだろうって色々考えてしまったのに……先輩はあっさりそう言って、電気を消してしまった。
ベッドに横になると、先輩の香りが胸いっぱいに広がって苦しくなる。クラクラするような濃い香りを知ってしまって、しかも本人の背中はすぐそこに見えていて……なのに、我慢して一人で眠れっていうの?
「……せんぱい、あの……そっち、行っちゃ、だめですか」
「……」
「れんりせんぱい……?」
まだ横になってから五分くらいしか経っていないと思う。もう寝てしまったのか、それとも、あえて無視しているのか……。
「……俺、苺ちゃんに嘘ついた」
「っ……!」
口を開いたと思ったら、嘘って、何……?
まさか、さっきの告白……?
いやいや、先輩がそんな酷いことするわけない。
「初夢、本当は全然違う夢見たんだ」
「え……?」
カフェに向かう電車での何気ない会話だった。
なぜ嘘をつく必要があったのだろう。
「……」
「……っ、ほ、ほんとは、どんな夢だったのか、気になります」
先輩はしばらく何も言わなかったけれど、やがてゆっくりと身体を起こして、立ち上がって――。
「……本当はさ」
「っ、え、」
ギシ、とベットが軋む音がして、見上げれば先輩の艶めいた顔がある。肩を優しく押さえられて、身動きも取れない。
「本当は……苺ちゃんにこういうことする夢、見ちゃったから」
「ぁ……」
「……そんなに動揺しちゃううちは、誘っちゃダメだよ」
大きな手で視界を覆われて、目の前が真っ暗になった。
「おやすみ、苺ちゃん」
ちゅ、と甘い夢に招くようなキスが落ちて、初めてのお泊まりの夜は更けた。
蓮梨先輩に抱きしめられたこと。そのまま一緒にお昼寝したこと。あれは妄想や夢じゃなくて、現実で起こった出来事。先輩の体温、声、匂い……あんなに近くで感じられるのは、後にも先にも俺だけであってほしいと思った。
夕食を終えてお風呂に入る頃、先輩からメッセージが届いた。お見舞いのお礼と共に、俺が残したメモとはつこいいちごぷりんの写真を送ってくれて……。幸福感で心が満たされて、ぽかぽかと温かくなった。
そんなこんなで、予定はガラリと変わったけれど、この週末で先輩との距離はさらに縮まった気がする。それは先輩に恋する俺にとって、とても喜ばしいことだ。
ただ……お昼寝とはいえ抱き合って眠ってしまったあとだと……学校で顔を合わせるのが緊張する……!
すっかり冬休み気分で過ごしていたけれど、二学期の終業式まで実はまだ数日あるのだ。年内の調理部の活動はもうないから、何も約束しなければ先輩と話すタイミングもないと思うけど……それはそれで寂しくて死んでしまいそうだ。
◇
「さて、苺さん。お見舞いでどこまで進みましたか?」
月曜日、バスに乗ってくるや否や、歩がにんまりと口角を上げ期待に満ちた眼差しを向けてくる。
「ど、どこまでって……お粥、食べて、一緒に、寝て、」
「ねっ!? い、苺、それは早すぎるんじゃ……」
「っ、ち、違うよ! ただの、お昼寝だよ、普通に……」
歩が変な勘違いをするから、ぶわっと顔が熱くなった。さっきまではマフラーのふわふわが心地良かったのに、途端に暑く感じて外してしまった。
「えーと、つまり、付き合えたってこと?」
「ぃ、いえ、それはまだ……」
「付き合ってないんかい」
「せ、先輩の具合が悪いときに、告白はできないよ……」
歩は不機嫌そうな顔をしながらも「まあそれもそうか」と納得してくれた。
「じゃああれは? 先輩の『話したいことある』ってやつ」
「ぁ、あれも、結局、分からなくて……」
そう答えると歩は分かりやすく落胆し、じとーっとした目で俺に圧をかけてくる。
「早く次の予定立てなよ」
「つ、次……」
「デートは学校行事じゃないからね。待ってても自動的にやってくるものじゃないからね!」
「ぅ……は、はい……」
歩にしっかりと釘を刺されたところで、バスは学校の最寄駅に到着した。蓮梨先輩にもらったヘアピンをそっと撫でて、今日も一日頑張ろうと気合を入れてからバスを降りる。
「苺ちゃん!」
「へ!?」
不意に好きな人の声で呼ばれた。心臓が止まるかと思った。
「な、なんで先輩、バス停に……?」
蓮梨先輩のおうちから学校までの最短ルートでは、このバス停を通らないはずだ。一緒に帰るときは俺に合わせてバス停までついてきてくれるけど……。
「一昨日、俺めっちゃ寝ちゃってて、帰りにお礼言えなかったから。改めて、本当にありがとう」
「蓮梨先輩……」
「でも良かったぁ、苺ちゃんに移ってなくて」
先輩は胸に手を当てて安心したようにため息を吐いた。ただの風邪だし、移ったとしても全く気にしないのに。
「んじゃ、学校行こっか」
「っ、あ、でも、歩が……って、いなくなってる……!」
先ほどまで俺の後ろにいたはずの歩が、いつのまにか姿を消していた。これは……気を遣わせてしまったのかもしれない。
「歩くんなら、朔翔と先に行ったよ」
「朔翔……あ、水上先輩か……」
蓮梨先輩に言われて横断歩道の向こうに目をやると、水上先輩と腕を組む歩がいた。そういうことなら、申し訳ないと思う必要はなさそうだ。むしろラッキーだと喜んでいるだろう。
「水上先輩は、どうしてここに?」
「俺も玄関で偶然会ったんだけど、たまにこうやって歩くんの通学ルートをパトロールしてるらしいよ」
「ぱと……なるほど」
やっぱり水上先輩は確実に歩のことが好きだと思う。思い返せば、入学してすぐは歩を狙っていそうな生徒をしばしば見かけたけれど、一週間もすれば全くいなくなった……あれも、水上先輩によるパトロールの効果だったのだろう。
「水上先輩すごい……」
「……なんで?」
「っ、ぁ、いや、歩は可愛くて、モテるから、守るの、大変だろうなって……」
「……俺も、苺ちゃんのこと守ってるつもりなんだけど」
「へ……」
あれ、先輩、怒ってる……?
なんかいつもより歩くの速いし、手も繋ぐどころかポケットに入れちゃってて……。
空気が、ちょっと重い。
「……れ、蓮梨先輩、待って……」
「っ、苺ちゃん?」
思わず先輩の背中に抱きついていた。こうでもしないと、先輩がどんどん遠くへいってしまいそうで。これまで積み上げてきたものが、一気に崩れてしまいそうで。
「今日、なんで、手、繋がないんですか……」
「え」
「寂しい、です……」
ぎゅう……と腕に力を込めると、蓮梨先輩は慌てた様子で「分かった、分かったから!」と繰り返した。渋々ハグをやめると、先輩はへなへなとしゃがんで「死ぬかと思った……」と呟いている。俺は意外と腕力が強いのだろうか……。
「えっと……俺、一応病み上がりだからさ。あんまり近くにいたり手繋いだりするの、良くないかな〜って……」
「っ、い、今更です! 俺たち、一緒に、お昼寝、したのに」
「た、確かに、そうだね、うん……夢じゃなかった、よね」
「ゆ、夢にしないでくださいっ……!」
あんなにドキドキさせておいて、夢だと思ってた、なんて言わせない。そんな思いを込めて先輩の瞳をじっと見つめたら、
「……夢になんかしないよ、絶対」
と、優しく艶やかな声で言われ、頭をふんわり撫でられた。
それだけで不安はすうっと消えて、胸いっぱいに甘酸っぱいときめきが広がる。
「あと、今ね、いつもより緊張してるんだ」
「緊張……?」
「そう。苺ちゃんにお願いをしようとしてるから」
蓮梨先輩は言葉通り少し緊張した様子で、改まって俺と向き合い口を開く。
「苺ちゃんのお誕生日のお祝いに、今回できなかったことをさせてもらえませんか?」
「えっ」
「イルミネーション、調べたら二月まではやってるみたいなんだ。お泊まりも、家族に許可もらえたから……どう、かな?」
蓮梨先輩の頬が赤く染まっている。こちらの顔色を窺おうとするその視線は、じりじりと肌を灼くように熱い。
「せ、先輩さえ良ければ、俺は……行きたいです」
「……! はぁ〜良かった……あ、この前言った『話したいこと』もさ……そのときに、話すから」
「っ、わ、分かりました」
今度こそ、蓮梨先輩に告白されるかもしれない。もしされなくても、俺から……でも、振られてしまった場合、お泊まりするのが気まずくなっちゃうから……告白するなら別れ際がいいのかな。でも逆に上手くいくとしたら、恋人としてお泊まりしてみたいし……でもでも、それで一気に関係が進んじゃうのは心の準備が……ああ、もう、頭が変になりそうだ。
今回、告白やお泊まりといった超重大イベントが延期になって……正直、心のどこかで安心していた自分もいたと思う。「覚悟を決めることができた」と錯覚するのは簡単なのだと思い知った感じがする。
いざ本当の本当にそのときが来たら、俺は……どうなってしまうのだろう。どんな気持ちになるのだろう。
◇
年末、帰省した桃ちゃんこと姉の桃果は、開口一番にこう言った。
「んで、彼氏はいつ挨拶に来るの?」
「え?」
「え? あんた……まさか、まだ付き合ってないの?」
「っ……うん」
桃ちゃんは信じられないという顔で数秒固まっていた。歩といい桃ちゃんといい、どうして当然のように付き合っていると予想したのか……。
でも、周りから見たら、意外とお似合いなのかな……?
蓮梨先輩の隣を歩いても違和感がないと思ってもらえてるってことかな……?
そう思うと……竦みそうになる足にも、幾らか力が入った。
初詣で引いたおみくじは吉だった。桃ちゃんは大吉を引いていたからちょっと羨ましいなぁと思ったけれど、調べてみたら吉は大吉の次に運勢が良いらしい。
それに、“恋愛”の項目には――。
「今の人を信じて進め……」
「おぉ! 苺、良かったじゃん」
「っ、桃ちゃん、勝手に見ないで……」
今の人――蓮梨先輩を信じて前に進む、っていう風に捉えていい、のかな。先輩が俺にくれた笑顔も、言葉も、アクセサリーも……触れたときの体温の高さも、抱きしめてくれたときの腕の力も……俺だからだって思いたい。先輩の特別になれてるって信じたい。その特別が……恋愛感情だって、信じたい。
おみくじはお守りとしてお財布に入れて持って帰った。蓮梨先輩に想いを伝えることができたらそのときは、結果がどうであれ、神社に返納しに行こうと思う。神様に見守ってくださったことへのお礼を伝えなければならないし。
蓮梨先輩も初詣行ったかな、なんて考えながらスマホを見ると、ちょうど先輩から新しくメッセージが届いていた。
“おみくじ引いたら大吉だった!”
「すごい……!」
メッセージに続けて写真も送られてきてた。最初に見てしまうのはやっぱり……。
“恋愛:積極的になりなさい”
なんということだ。今年の蓮梨先輩は、昨年より積極的になってしまうかもしれない。ただでさえ先輩にはドキドキさせられてばかりなのに、これ以上……? って、いやいや、先輩の好きな人が俺かどうかは分からない。浮かれた悩みに溺れるところだった。
“俺は吉でした”
引いた直後に撮っておいたおみくじの写真を俺も送った。
すると、すぐに先輩から返信が来る。
“苺ちゃんも運勢いいね!
一緒にいたらいいこといっぱいありそうだね”
ズキュン。一緒にいたら、というフレーズを都合よく解釈してときめいてしまった。後輩としてなのか、恋人としてなのか、そこは明記されていないというのに。
「苺さぁ、不安になりすぎでしょ。両想いかもって感じるなら大丈夫だって。ていうか、思わせぶりな態度取っておいて苺を振ったら、私が殴りに行くし」
桃ちゃんには「うんざり」という顔をされた。俺がうじうじ不安そうにしているのが気に食わないのだと思う。
でも、お泊まりデート当日まで、俺はやっぱり期待と不安を行ったり来たりしていた。だって、告白してしまったら、その一秒前には絶対に戻れないのだから。
どんなに楽しくお話してたとしても、どんなに俺のお菓子を美味しいと言ってくれたとしても、告白した瞬間、赤の他人よりずっと遠い存在になってしまうかもしれない。
もしも本当にそうなってしまったとき、ほんの少しでも心へのダメージが小さくなるように……今は、浮かれないように気をつけなきゃって思うんだ。
◇
一月五日。日付が変わった直後、蓮梨先輩は「お誕生日おめでとう」とメッセージをくれた。少し時間を置いてから既読マークをつけるつもりだったけど、結局は全然我慢できなくて、すぐに「ありがとうございます」と返信してしまった。
先輩のお誕生日のときは、ちょっとだけ電話したよなぁと思い返す。でも、今日は寝て起きたら待ちに待ったデートだし、今から電話したいだなんて言ったらきっと迷惑だから……おやすみなさいスタンプを一つ送って、俺は無理やり目を閉じた。
一回目のアラームが鳴る前に目は覚めた。緊張している割には眠れたと思う。最悪の場合、一睡もできない可能性も考えていたから……ひとまず、蓮梨先輩に寝不足フェイスを見せずに済んだことを喜んで支度を始めた。
今日の昼に東京へ戻る桃ちゃんからのアドバイスを聞いて、髪を下ろしてみることにした。特別感というやつが重要らしい。慣れないアイロンも頑張って使ってみた。もちろんヘアピンとイヤリングも忘れずに。
服は、昨年買ったのに一度も着る機会のなかった白いニットに、無難なジャケットを羽織った。バッグはお泊まりセットが入る大きめのものを選んだ。
ちなみにお泊まりセットは五回以上その中身を確認したと思う。下着や部屋着、スキンケア用品などなど……先輩に見られても恥ずかしくない自分でいられるように必要なものだから。
待ち合わせはおやつの時間に駅の改札……で良かったのに、先輩は夏休みのときのように家まで迎えに来てくれた。先輩は俺を見るなり「可愛いねぇ」と頭を撫で、瞳を煌めかせた。
「せ、先輩もかっこいいです。服も、ちょっと似てて、嬉しいです……」
「ふふ、ありがとっ。服は偶然だね! シミラールックだ」
先輩も俺のとよく似た白いニットを着ていたけれど、羽織っているのは大人っぽいコートだし、そもそもスタイルの良さが段違いだから、並んでしっくりくるのか分からないけど……。
「じゃ、行こっか」
「はいっ」
蓮梨先輩が笑顔で手を差し伸べてくれるなら、その手を取らない選択肢はない。
電車に乗っている間も、先輩とずっと手を繋いでた。初夢で何を見たかという話になって、正直に「先輩とパフェを食べる夢です」と話すと……先輩は顔を赤らめて、夏休みに行ったお店にもまた行きたいねって、さらりと言ってくれた。
先輩の初夢に俺はいなかったらしい。ちょっと悔しかったけど、聞いてみれば、陸上部の友達と富士山に登る夢だったとか……。なんだか縁起が良さそうだし、そこに文化部の俺がいるのはあまりにも似つかわしくないから諦めがついた。
A駅に着いたら、まず予約しておいた和カフェに向かった。日が沈むまでゆっくりここの抹茶スイーツを食べるんだ。
「苺ちゃん、決まった?」
「えっと……抹茶ラテと抹茶プリンにします」
「ふふ、いいね、俺はほうじ茶ラテにしようかな」
蓮梨先輩はドリンクしか頼まなかった。俺だけスイーツもしっかり注文してしまって少し恥ずかしい……。
予約してくれたのは先輩だが、カフェに行きたいと言ったのも、このお店を選んだのも俺だ。先輩は優しいから何も言わずに合わせてくれただけで、本当はあまり好みじゃなかったのかもしれない。
「苺ちゃん? なんかあった?」
「っ、い、いえ!」
勝手な想像で落ち込んで、先輩に心配をかけるなんて良くない。気を取り直してスイーツを楽しもう、と思ったそのときだった。
突然、店内の照明が落ちた。
「っ! て、停電……?」
今日はよく晴れているのに、どうして。
〜♪
動揺する俺の耳に聞こえてきたのは、誰もがよく知るあのメロディー。蓮梨先輩と店員さんたちが歌い出し、他のお客さんも一緒に手を叩いて盛り上げてくれている。
「……蓮梨先輩……」
「ハッピーバースデー ディア 苺ちゃん♪」
ハッピーバースデートゥーユー、と机に置かれたのは、ドラマでしか見たことのないようなオシャレな誕生日プレートだった。抹茶のガトーショコラをメインとして、アイスやマカロン、フルーツも乗っており、ホワイトチョコレートのソースでお祝いメッセージを書いてくれてある。
「……俺、苺ちゃんみたいに素敵なスイーツは作れないけど、いつものお礼も兼ねてお祝いしたかったんだ。ビックリさせちゃってごめんね」
「っ、嬉しい、です、すごく、今、感動してて……」
「え、っ、な、泣いてるの?」
気づいたときには涙が溢れていた。まさか自分がサプライズで泣く日が来るなんて、想像すらしたことなかった。
「……嬉しいときに出る涙って、こんなにあったかいんですね」
「苺ちゃん……もう、俺まで泣きそうになるじゃん」
先輩まで瞳をうるうるさせるから、周りのお客さんにも微笑まれてしまい、二人して照れながらぺこりとお辞儀をした。
まもなく普通に注文したものも運ばれてきたので、何枚か写真を撮って、さあ食べようかというところでやっと気づいた。
「先輩……もしかして、このプレートがあるから、ドリンクしか頼まなかったんですか?」
「一応ね。あっ、もちろん苺ちゃんが全部食べられるなら食べていいからね! もし多かったら俺が食べるよってこと」
蓮梨先輩は細やかな配慮をする人だ。それは先輩がモテモテで経験豊富だから、というわけではなく、生まれ持った性質だと感じる。俺は先輩の過去を知らないから、明確な根拠はないのだけど……先輩の瞳はいつだって澄んでいて、純粋な輝きを持っている。その輝きを前にすれば、説明などいらない。
「蓮梨先輩、お祝いしてくれて、ありがとうございます」
「いえいえ。生まれてきてくれてありがとう、苺ちゃん」
誕生日プレートもプリンもラテも、先輩と半分こした。
全部、幸せの味がした。
一番甘かったのは先輩の視線だった。
◇
カフェを出る頃には日も沈み、辺りは薄暗くなっていた。先輩と手を繋いで少し歩くと、お目当てのイルミネーションスポットに到着した。冬休み期間だからか家族連れのお客さんも多く、全体的にほっこりした雰囲気に包まれている。
「綺麗ですね……」
「……苺ちゃん、こっち向いて」
言われた通り先輩の方へ顔を向けると、こちらへカメラを向けているではないか。
ぎこちなくピースをしてみたが、いつまで経っても先輩はシャッターボタンを押してくれない。
「せ、先輩、早くして……」
「んー?」
「っ、せんぱ……ぁ、え、ま、まさか動画ですか!?」
「正解!」
すぐに背を向けて顔を隠した。蓮梨先輩はたまにいたずらっ子みたいなことをする。俺の動画なんか撮ってどうするの。
「苺ちゃーん、こっち向いてよ」
「も、もう、撮ってませんか?」
「撮ってないよ」
若干疑いつつ、恐る恐る振り向くと――。
「ほんとだ……」
「ね?」
と言いながら、先輩は空いた両手で俺のほっぺをむぎゅっと寄せた。今の俺、絶対に変な顔をしているのに抵抗できない。
「撮るのもいいけど、やっぱりこの目で苺ちゃんのこと見てたいの」
「っ……」
俺だって同じだ。この目で見た先輩の笑顔は写真のように削除できず、生きている限りずっと記憶に残るから。
蓮梨先輩が俺にしたように、俺も先輩のほっぺをむぎゅっとした。先輩はそれでも変な顔になることはなく、見惚れるくらいかっこよかった。
◇
蓮梨先輩のおうちに着くまで、俺はすごく緊張していた。だって、今日は先輩のご両親と妹さんもいらっしゃるとばかり思っていたから。
しかし、扉を開けてお部屋にお邪魔しても、誰もいない。
つまり……二人きりだ。
先輩によると、お正月休みの延長で、ご両親と妹さんはお母様の実家に泊まっているとか。昨日まで先輩も一緒に泊まっていたけど、俺との予定のためだけに一日早く帰ってきてくれたらしい。
というわけで、ご挨拶をする機会はなく少し緊張は解けたが、二人きりとなるとまた別の緊張感がある。今日は短時間のお見舞いではなく、本当にお泊まりするのだ。一つ屋根の下で一夜を……って付き合ってるわけじゃないし、別にそういうことはないと分かってるけれど。
夕飯は帰り道でテイクアウトした出来立てのピザを食べた。先輩はカフェに引き続きこのピザも奢ってくれようとしたけど、さすがに泊まらせてもらうのだからこれくらいは、と払わせてもらった。これまで店でバイトして貯めたお金を先輩との食事代に使えるのは、俺にとって最上級の幸福だった。
「苺ちゃん、あったかい紅茶でいい?」
「ぁ、はいっ、ありがとうございます」
夕飯の片付けを終えると、先輩は温かい紅茶を淹れてくれた。そういえば先輩のご家族に用意したクッキーの詰め合わせを渡し損ねていたので、食後のデザートにもなるかなと思い先輩に差し出した。
「あ、これ、もしよかったら、ご家族と食べてください」
「えっ、これ苺ちゃんのお店のクッキーじゃん! 俺も家族もみんな大好きなんだよね、ありがとう」
「っ、こ、こちらこそ、ありがとうございます」
「ふふ、嬉しいなぁ……ぁ、あのさ、苺ちゃんは食後のデザートとか、食べたい?」
先輩が俺の顔色を窺うようにして聞いてくる。もしかしてクッキーをこのタイミングで渡したことで、今食べろと押し付けたみたいになってしまった……!?
「ぇ、えっと、俺はどっちでも……先輩が食べたいなら、食べたいけど……」
「っ、ほんと? じゃあ……ちょっと待ってて!」
何を思ったのか、先輩はキッチンの方へ行ってしまった。
不思議に思い待っていると、何かを抱えた先輩が戻ってくる……。
「ホイップクリーム、スポンジケーキ、苺……え、これって……!」
「そう、ショートケーキの材料。クリスマスに作る予定だったけど、できなかったでしょ? だから、どうしようかなって迷って……なんか、買っちゃった」
「すごい……」
「スポンジケーキは焼いた方が美味しいだろうけど、帰ってからだと遅くなっちゃうし、大変かなって思って買ってみたけど……どう、かな」
「っ、ケーキ、作りたいです、先輩と!」
そこからの時間は夢みたいに楽しかった。クリームを塗って苺を乗せるだけなのに、抱きしめたくなるほど一秒一秒が愛おしい。ケーキが完成に近づくにつれ、蓮梨先輩への好きって気持ちもどんどん熱くなって甘くなって……今にも溢れ出しそうだ。
「よし、じゃあ最後の一個、苺ちゃんが乗せて」
先輩に言われて、最後に空いていたところに苺を乗せる。
「……完成ですっ」
「やったね!」
先輩の両手に自分の両手を重ねた。
出来上がった小さめのショートケーキは、苺がウェディングドレスを身に纏っているみたいで可愛らしい。
先輩はオシャレなお皿とフォークを持ってきてくれた。食べちゃうのが少しもったいない気もするけれど、先輩と一緒に「今」食べるのがきっと一番美味しい。
「苺ちゃん、あーん」
「えっ、ぁ、」
一口目から先輩に食べさせてもらってしまった……ドキドキしてあんまり味が分からない。
「美味しい?」
「っ、おいしい、です、たぶん……」
「ふふ、なんで多分なの」
「それは先輩がっ……先輩、が……」
二人きりの家で、好きな人にいきなり「あーん」なんてされて、頭撫でられながら「美味しい?」って聞かれて……味覚にバグが起きたって仕方ない状況だと思う。
「俺が……どうしたの?」
「っ……」
蓮梨先輩はフォークをカチャリと置いて、じりりと詰め寄ってくる。思わず後退しても、壁に背中がぶつかるだけで、逃げ場はもうどこにもない。
「……ぁ、あの、せんぱ――」
「苺ちゃん」
こつんと額が合わさった。
先輩の瞳も鼻も唇も、すぐそこにある。
“キスしたい”
その気持ちが、明瞭な輪郭を持って頭を支配するのは生まれて初めてだった。先輩の視線が自分の唇を甘やかになぞるように感じて、そっと目を閉じた。
一秒、二秒、三秒……。
数えても、数えても、唇が重ならない。
「せんぱい……?」
ゆっくりと目を開くと、先輩もゆっくりと距離を取って深呼吸した。
「……苺ちゃん、ごめん、順番間違えるとこだった……ちゃんと言わせてください」
青く澄んだまっすぐな瞳に捕らえられて、思わず息を呑んだ。今にも咲きそうな春から目を逸らせない。逸らしたくない。
「苺ちゃん。俺、苺ちゃんのことが好きだよ」
「っ……!」
「最初は苺ちゃんの作ったいちごぷりんの味に惚れて、今度は可愛い顔に一目惚れして……四月から今日までの間に、苺ちゃんの性格も、話し方も、声も、仕草も、全部どんどん好きになっちゃって」
蓮梨先輩から零れる宝石のような言葉が、一つ一つ、キラキラと優しく輝きながら、胸の中の宝箱へ入っていく。
「初恋だから大切にしたくて、でも、っ……もう『先輩』ってだけじゃ、足りない……苺ちゃんの『彼氏』になりたい」
「蓮梨先輩……っ、お、俺も――」
「待って! へ、返事、急がなくてもいいからね。混乱、させちゃったかもしれないし……」
ああ、もう、先輩は何も分かってない。俺だって、とっくに自覚しているのに。これは間違いなく“恋”なのだと……答えは出てしまっているんだ。
「……蓮梨先輩。俺、ちゃんと、考えてます」
「っ、苺ちゃん……」
「俺も……蓮梨先輩のことが、好きです。これは、尊敬とか、憧れとか、そういうのも全部、混ざってるけど……他の誰にも、抱かない感情で……蓮梨先輩、だけなんです」
「……苺ちゃん、分かってる? 恋人になるってことはさ……キスや、その先のことも、しちゃうかもしれないの。俺、苺ちゃんのこと傷つけたくないよ」
そんな、壊れ物に触れるみたいな手つきで、頬を撫でないでほしい。心からの心配ゆえの行動も、今の俺は焦らされているように感じてしまうから。
「蓮梨先輩……俺、さっき、キスしたいって、思いました」
「……!」
「……もう、順番、守ったから、し、しませんか?」
ものすごいスピードの拍動を感じながら、先輩の小指を握った。この熱も、心臓の騒がしさも、全部伝わってしまえばいい……なんて、顔を見ながら言う勇気はないくせに。
「……苺ちゃん」
先輩の手が、今度はしっかりと頬を包んで、
「ん、っ――」
目が合ったと思った刹那、唇が重なっていた。
柔らかい。温かい。そして、甘い。
最初は触れるだけ。
でもすぐに先輩は俺の唇をはむ、と何度も食べるみたいに奪ってきた。目を閉じるタイミングもなく、先輩の艶っぽい瞳と視線が交わるたびに、身体は熱くなる。
「っ、ん、せんぱい……」
頭がふわふわしてきて、思わず先輩の胸のあたりをぎゅっと掴んだ。溢れた声は自分のものじゃないみたいに甘ったるい。
「っ、苺ちゃん、ごめん……止めらんなかった……」
「だい、じょぶ、です……なん、か、ふわふわ、して、ます」
「あーもう大丈夫じゃないじゃん!」
先輩は大きな声で何度もごめんごめんと言いながら、ぎゅうう、と息ができないくらい強く抱きしめてきた。
「く、くるしい、です……」
「わーっ! ごめん!!」
先輩がこんなに慌てているなんて珍しくて、ちょっと面白い。
「ふふ、ほんとに、大丈夫です」
「苺ちゃん……! 可愛いぃ〜……」
大丈夫と言ったものの、このまま先輩からの「可愛い」を浴び続けていたら大丈夫じゃなくなりそうだ。
「っ、け、ケーキ、続き、食べましょう」
「あ、そ、そうだね!」
二人で作ったショートケーキは、散々待たされたにも関わらず、綺麗な形を保っていた。蓮梨先輩が苺を齧ったときドキンと心臓が跳ねたのは、秘密にしておこうと思った。
◇
「じゃあ、俺は床で寝るから。苺ちゃんはベッド使って」
お風呂に入っているときも、先輩に髪を乾かしてもらっているときも、このあとどうなるんだろうって色々考えてしまったのに……先輩はあっさりそう言って、電気を消してしまった。
ベッドに横になると、先輩の香りが胸いっぱいに広がって苦しくなる。クラクラするような濃い香りを知ってしまって、しかも本人の背中はすぐそこに見えていて……なのに、我慢して一人で眠れっていうの?
「……せんぱい、あの……そっち、行っちゃ、だめですか」
「……」
「れんりせんぱい……?」
まだ横になってから五分くらいしか経っていないと思う。もう寝てしまったのか、それとも、あえて無視しているのか……。
「……俺、苺ちゃんに嘘ついた」
「っ……!」
口を開いたと思ったら、嘘って、何……?
まさか、さっきの告白……?
いやいや、先輩がそんな酷いことするわけない。
「初夢、本当は全然違う夢見たんだ」
「え……?」
カフェに向かう電車での何気ない会話だった。
なぜ嘘をつく必要があったのだろう。
「……」
「……っ、ほ、ほんとは、どんな夢だったのか、気になります」
先輩はしばらく何も言わなかったけれど、やがてゆっくりと身体を起こして、立ち上がって――。
「……本当はさ」
「っ、え、」
ギシ、とベットが軋む音がして、見上げれば先輩の艶めいた顔がある。肩を優しく押さえられて、身動きも取れない。
「本当は……苺ちゃんにこういうことする夢、見ちゃったから」
「ぁ……」
「……そんなに動揺しちゃううちは、誘っちゃダメだよ」
大きな手で視界を覆われて、目の前が真っ暗になった。
「おやすみ、苺ちゃん」
ちゅ、と甘い夢に招くようなキスが落ちて、初めてのお泊まりの夜は更けた。



