僕だけのピュルテ

 十二月に入り、日を追うごとに寒さが深まる中、俺たちは重い重い期末テストを乗り越えた……が、しかし。

「二年生は土曜日に模試、ですよね」

「そうなんだよ〜、ひどいよね! せめて来週だよね」

「ですね……俺も、来年の今頃は……」

「って、それ言ったら俺は受験本番だ」

「あ……そう、ですね」

 先輩との学校生活は、明日も明後日もその先も、いつまでも続くような気がする。実際には、それは自分の願望でしかなくて、現実は目を逸らしていても容赦なく迫ってくる。
 学年が違う先輩と一緒にいられるのは、あと一年と三ヶ月程度だ。季節が一周巡ってしまったら、もう――。

「……蓮梨(れんり)先輩、土曜日って、何時に終わりますか?」

「えっと、確か三時くらいだったかな」

「そ、そのあと、用事とか、ありますか?」

「ないけど、どうしたの?」

「……き、気になってるカフェ、あって……先輩と一緒に、行けたらなって」

 恋には、人を変える力があるのだと思う。先輩の卒業までの残り日数を考えたら、なりふり構っていられないと思った。一日でも数時間でも、先輩との時間を増やせるように……そして、いずれは好きになってもらえるように。誘いたいと思ったなら誘わなきゃ、一年後の俺が、きっと後悔する。

「いいね、行こうよ!」

「っ、ほんとですか」

「うん。一緒にクリスマスの計画も立てよう」

「は、はいっ」

 二十日のお泊まりのこと……蓮梨先輩もクリスマスデートみたいな感じで考えてくれてるのかな。まあ、デートっていうのは誇張表現だけど……もっと仲良くなりたいという気持ちは、互いに共通するはずだ。





 土曜日のティータイム。天気は晴れ。十二月上旬にしては暖かく、ひんやりとした風が心地良い。模試を終えた二年生たちは、疲れと解放感の混ざった表情でぞろぞろと校舎から出てきた。一年の俺が校門でキョロキョロしている姿を不思議に思う人も当然いるのだろう、たまにじっと見られることもあって、少し気まずい……。

 最初の生徒が出てきてから五分程度経った頃だろうか、ようやく蓮梨先輩も校舎から出てきた。俺も部活でお世話になっている高橋(たかはし)先輩を含む数人のお友達と、楽しそうに話しながらこちらへ歩いてくる。

 次の瞬間、

「っ!」

 パチッと目が合った。ときめきが弾けてきらりと世界が輝く。蓮梨先輩は俺を見たままニコッと笑ってくれるから……どうしていいか分からずに小さく手を振ってみた。
 すると突然、先輩の表情が曇る。そして高橋先輩に何かを耳打ちしたあと、友達と別れて駆け足で俺の方へ――。

「っ、蓮梨先輩?」

(いちご)ちゃん、待たせてごめんね。行こっか」

 先輩は何の躊躇いもなく肩をグッと抱いてきた。急接近に心臓が跳ねる。周りに同級生がたくさんいるのに、全然気にしてないみたいで……正直、嬉しくて堪らない。
 でも、先輩の様子が気がかりだ。先ほどの表情の理由も、高橋先輩への耳打ちの内容も、聞きたいけれど聞けない。なんとなく先輩の雰囲気がピリッとしているような気がして……。


 結局、お目当てのカフェに到着するまで、先輩とは何も話せなかった。やっぱり何かおかしい。こんなに口数の少ない先輩は初めてだ。

「……苺ちゃん」

「っ、は、はい」

 席に着いてすぐ、蓮梨先輩が口を開いた。

「……はぁ〜、ごめんねぇ、俺ちょっと怖かったよね」

「えっ」

 大きなため息を合図に、先輩は急にいつもの柔らかい雰囲気に戻った。こわばっていた筋肉から徐々に力が抜ける。

「ぁ、あの、蓮梨先輩、一体どういう……」

「……苺ちゃんさ、周りの視線気づいてた?」

「視線……あ、多分、俺一年だし、先輩のこと探してて挙動不審だったから、」

「違うよ」

「っ!」

 声色こそ優しいが、ピシッと否定されてしまった。
 でも視線と言われて思い当たることはそれしかない……。

「苺ちゃんはね、すごく可愛いの。だからたくさんの人が見てたんだよ」

「っ、そ、そんな」

「俺、前にも言ったよね」

「……あ……」

 “苺ちゃんの可愛い顔を、他の人には見られたくない”

 帰り道で三年の芦屋(あしや)先輩と八城(やしろ)先輩に遭遇した日、蓮梨先輩が言ってくれたことを思い出す。じゃあ、さっきのも、俺の顔を周りの人に見られたくなくて……?

「俺のこと待ってる間、あんな可愛い顔して一人で立ってたなんてさぁ……危なすぎるよ」

「でも、何もなかったですし……」

「何かあってからじゃ遅いでしょ」

「っ、はい……」

 なんだか過保護な保護者みたいだ。蓮梨先輩の“これ”は、恋愛における嫉妬や独占欲というより、弟や子どもを心配する気持ちに近いのだろうか。でも、「他の人に見られたくない」という感情はやっぱり恋を連想させるし……っていうのも俺の願望なのかな……。

「でも、ごめんね。俺、余裕なくて、強引にここまで連れてきちゃったから」

「いえ、大丈夫です……ぁ、高橋先輩には、何を伝えたんですか?」

「それは……苺ちゃんが危ないからもう行くねって。俺と苺ちゃんの共通の友達だから話しやすくてさ」

「な、なるほど……」

 普段から俺のこと結構話してくれてるのかな。話すとしたらどんなことかな。高橋先輩なら、蓮梨先輩の本心を知っているのかな。俺のことをどう思っているか、とか。好きな人はいるのか、とか。全部、今この場で聞こうと思えば聞けることだけど……そんなことが簡単にできたら、恋の悩みを綴る歌なんて存在しないだろう。

「よし、注文しよっか!」

「っ、そ、そうですね!」

 明るい声で話題を切り替えた先輩に合わせて、俺も頭ぐるぐるモードをストップさせた。分からないことに頭を悩ませるより、今目の前にいる先輩との時間を大切にしなきゃ。


 メニューを開いて真っ先に目に飛び込んできたのは、このお店で一番人気のスフレパンケーキ。SNSでこのふわとろなパンケーキの動画と出会い、蓮梨先輩と一緒に食べたいなぁと思って誘ったんだ。

「スフレパンケーキにも、チョコとか抹茶とかキャラメルとか、いろんな種類があるね。苺ちゃんはどれにする?」

「そうですね……普通のメープルですかね。抹茶も少し気になるけど……」

「じゃ、メープルと抹茶、半分こしようか」

「い、いいんですか?」

「うんっ」

 蓮梨先輩はあっさりと注文内容を決めてしまった。そういえば夏休みにパフェを食べたときも、先輩は俺の希望に合わせてくれた。俺って、無意識のうちに先輩に甘えすぎているのかも……。

「さてさて苺ちゃん。クリスマスどこ行きたい?」

 注文を終えた先輩は、俺の手に触れながら優しい視線を向けてくる。今からパンケーキを食べるというのに、胸が甘ったるくて仕方がない。

「せ、先輩は、どこ行きたいですか」

「俺は苺ちゃんが楽しいならどこでも嬉しいけど……」

「それは、俺も、同じです」

「……! ふふ、そっか、ありがとう」

 今度こそ蓮梨先輩の希望を聞きたい俺は、じっと先輩の瞳を見つめてみた。でも、数秒で自分が照れに耐えられなくなったため目を逸らしお水を飲むと、先輩は声を抑えながら笑った。

「せ、先輩! 行きたいとこ、教えてください……」

「ふふ、ごめんごめん……そうだな、俺はね、苺ちゃんが行ったことないところに行きたいかな」

「行ったことないところ……?」

「うん。どこかあるかな」

 俺は生まれも育ちもずっと今の街だったから、遊べそうな場所にはそれなりに行ったことがあるような気がするけど……電車に乗ってもう少し都会に出れば話は別だ。

「……い、イルミネーション……とか……」

「お、いいね! クリスマスっぽい」

「この間、A駅の近くのイルミネーションが、テレビで特集されてて。ちょっとだけ遠いし、人も多そうなんですけど……」

「遠いってほどじゃないよ。せっかくだし行こう! 確かに人は多いだろうから、絶対俺のそばから離れないでね」

「っ、は、はい……」

 離れないでと言われなくても、俺はもう、あなたと手を繋がずにはいられないと思う。二人揃えば手を繋ぐという習慣を、先輩がこの身体に刻み込んでしまったから。
 それにしても、なんだか結局は俺の行きたいところを言う流れになってしまったような……流れが自然すぎて気づかないところだった。

「ぁ、あの、先輩、他に行きたいところは……もっとあれば、遠慮なく……」

「……苺ちゃん、俺、全然遠慮なんかしてないよ」

「え、でも……」

 そのとき、この会話の間ずっと触れ合っていた手を離された。かと思えばすぐに、改めてその体温を感じろという風に、しっかりと重ねられる。
 向かい合う先輩の瞳が熱っぽくなる。たまに見せるこの瞳。こういうときの先輩は、途端にいつもの数倍の色気を放つから、本当にクラクラしてくる。

「苺ちゃんが行ったことないところに行きたいっていうのはさ、苺ちゃんの“初めて”になりたいってことなんだよ」

「は、はじめて……」

「そう。初めてって記憶に残るじゃん? 二回目、三回目って似たような経験をするたびに、俺のことを思い出してほしい……これより欲張りなリクエストないでしょ」

 蓮梨先輩、何言ってるの。そんなリクエストしなくても、俺の初めてはもう先輩で溢れてるのに。これからどんな人生を送ったとしても、先輩と過ごした時間に詰まった“初めて”を忘れられる気がしない。

「……俺だって、蓮梨先輩の初めてに、なりたいです」

「……苺ちゃん……もう、とっくになってるよ」

 先輩は伏し目がちに微笑んで頬を染めた。
 ……俺は、例えばどんな初めてになれているの……? 
 そう聞こうとしたところで、頼んでいたスフレパンケーキが届いた。先輩はパンケーキ単体の写真を撮ったあと、俺にもカメラを向けてくる。

「っ、先輩も、一緒に……」

「ふふ、じゃあ一緒に撮ろうか」

 ああ、また思い出が形として残ってしまった。なんでもない冬の日の午後、たった数時間のデートでさえ、俺にとっては宝箱にしまっておきたいくらい大切になってしまうというのに。

「俺、実はスフレパンケーキって初めて食べるんだよね」

「えっ、そうなんですか……?」

 蓮梨先輩はモテるし、こういうオシャレなカフェにも行き慣れているイメージだったから、スフレパンケーキだって当然食べたことがあると思っていたけど……。

「っ、じゃ、じゃあ、今日は、スフレパンケーキ記念日、ですね!」

「ふふ、そうだねぇ」

 先輩が甘やかに目を細めるから、トクンと恋が深まって、あと一歩で好きだと言ってしまいそうだった。
 もう時間の問題かもしれない。いつ溢れ出してもおかしくない。でも、不完全燃焼になるのは避けたい。
 ……ちゃんと、言葉を考えよう。蓮梨先輩への好きを、全部余すことなく伝えられる言葉を。





 冬休み前、最後の部活の日。
 調理部では三年生とのお別れ会を開いた。
 三年生は、書類上は文化祭の日で引退ということになっている。しかし、なんやかんやで先輩たちは毎週部活に顔を出していた。これは調理部がブラックな部活であるからではなく、むしろその逆で、週一という低い活動頻度と特有のゆるい雰囲気が先輩たちにとって心地良く、つい調理室に足を運んでしまっていたそうだ。

 だが、いよいよ受験が始まるため、顧問の先生からさすがにストップがかかったらしい。先生も基本的にゆるりんとした人だから、なるべく自由にさせたいと思っていたようだけど、区切りというものはやはり必要だろう。

 お別れ会と呼ぶと寂しくなるけれど、時期的にはクリスマス会のようなものだ。俺たち一・二年生が今朝早くに登校して作ったロールケーキをみんなで食べて、そのあとはビンゴ大会をしたりトランプゲームをしたり……。
 最後には、各調理グループごとに三年生にプレゼントを渡してこれまでの感謝を伝えた。俺のグループのリーダーであり部長でもあった如月(きさらぎ)先輩は、俺と高橋先輩をまとめてぎゅっとして喜んでくれた。

「二人と一緒にスイーツ作れて嬉しかったよ。プレゼントもありがとね」

「こちらこそです。プレゼントは苺のセンスが良くて」

 高橋先輩は爽やかに嘘をつく。
 みんなでたくさん相談して決めたのにっ……!

「っ、いえ、高橋先輩と、他のみんなとも相談しましたっ」

「ふふ、苺は可愛いね。って、こんなこと言ってたら誰かさんに怒られちゃうか」

「えっ」

「そうですよ、如月先輩。だって、苺、クリスマスデートするんでしょ?」

「わぁ、苺、そうなの?」

 二人の先輩にニヤニヤと見つめられて、顔がじりじりと熱くなる。蓮梨先輩、いつのまにお泊まりのこと高橋先輩に話したんだ……!?

「ぁ、っ、はい……」

 正直に頷くと、二人はあからさまにニヤニヤ度をアップさせて俺の頭を撫でてくる。たった八ヶ月の付き合いなのに、まるで本当のお兄ちゃんみたいな視線を送ってくれるものだから……。

「……ぁ、あの、先輩たちに、相談したいこと、あって」

 つい、口を開いていた。

「なになに? なんでも言って」

「気になる気になる」

「っ、その、俺……蓮梨先輩に、告白、したくて」

 そう言うと、先輩たちは声を揃えて「えっ!?」と目をまんまるにして驚いていた。まさか俺が誰かに告白するような人だとは思わなかったのだろう。俺自身も以前までは思わなかった。抱えきれずに伝えたくなってしまうほど、誰かを好きになるなんて。

「蓮梨先輩はモテるから……きっと、今まで色んな人に、色んな告白をされてきたと思います。そんな先輩の心に残るような告白、俺なんかにできるのかなって。どんな言葉で伝えたらいいのか、ずっと、悩んでて……」

 俺が女優さんみたいに可愛い女の子だったなら、ドラマの最終話みたいにロマンチックなセリフを考えることができたなら、先輩の人生に少しは色を残せたかもしれない。もしこの恋が終わってしまったとしても、将来、「そういえば苺って子いたなぁ」って思い出してもらえるかもしれない。
 でも現実を見れば、俺は……遠くない未来、少し風が吹けば、先輩の記憶から簡単に消えてしまうであろう平凡な人間で……。

「苺はそのままでいいんだよ」

「っ! 如月先輩……」

「そうだよ、苺。上手く言えなくても大丈夫。苺の心からの言葉なら、蓮梨は絶対喜んでくれるよ」

「高橋先輩……お二人とも、俺に優しすぎます」

 思わず瞳が潤んでしまったので俯いた。先輩たちはそんな俺の頭をまた優しく撫でてくれた。俺より一つか二つしか歳が変わらないのに、先輩たちの手はとっても大きくて頼もしく感じる。

「お、噂をすれば……お迎えが来たみたいだよ」

「えっ」

 如月先輩の言葉を聞き顔を上げると――。

「苺ちゃん、一緒に帰ろ」

 調理室の入り口で、蓮梨先輩が手を振っていた。





 部活の先輩たちに感謝を伝え、(あゆむ)にも「また明日ね」と帰りの挨拶をしたあと、蓮梨先輩のもとへ駆け足で向かった。
 先輩は今日も手を繋いでくれる。もし俺が想いを伝えたら、この手を二度と握ることができなくなるかもしれない。そう思うと、まるで壊れそうな吊り橋を身一つで渡るかのような恐怖に襲われるのに、チラリとその横顔を見上げたら、そんな恐怖さえ丸ごと飲み込んでしまうくらいの好きが込み上げてくる。

「ほんとにロールケーキ一切れもらって良かったの? 今日はお別れ会だったみたいだけど……」

「っ、はい、張り切って多めに作ったら、意外と余ってしまって。三年生から優先で好きな数だけ取ってもらったので、そこはご心配なく」

「そっか、それなら良かった。苺ちゃんも自分の分ちゃんと食べたんだよね?」

「た、食べました! 味見してないもの渡せません……」

「ふふ、そんな心配しなくていいのに……苺ちゃんがくれるものなら、甘くても苦くても、どんな味だって俺は欲しいよ」

 蓮梨先輩の声は穏やかで、少し切ない響きを持っていた。どんな味でも欲しいというのなら、甘い甘い愛の告白も受け入れてくれるのだろうか。

「あ〜でも妬けちゃうなぁ〜」

「えっ」

「俺も苺ちゃんとケーキ作りたかったもん」

「っ、ど、土曜日に作るって予定じゃ……」

 今週末はいよいよお泊まりデート。夜は一緒にショートケーキを作ろうって、数日前にチャットで話したはずだ。

「作るよ。ただ、調理部に先越されちゃった感じ? それにさっき、苺ちゃん頭撫でられてたしさぁ」

 先輩はジトっとした視線を向けてくる。

「ぁ、あれは、そういうのじゃなくて、」

 焦って誤解を解こうとすると、先輩の表情はすぐに和らいだ。

「分かってるよ」

 先輩は足を止め、繋いでいた手を離すと、改まって俺と向き合った。そしてその両手は俺の頭を優しく撫で、耳をむにむにと触って、最後に頬をふんわりと包んだ。

「……可愛いね、苺ちゃん」

「っ……」

 いきなりどうしたんだろう。
 蓮梨先輩の手がいつもより熱く感じる。
 青空色の瞳がほんの少し潤んでいるように見える。

「蓮梨先輩……?」

「……週末、話したいことがあるんだ」

「っ……!」

「先にそれだけ伝えておこうと思った。急にごめんね」

 蓮梨先輩は「さ、帰ろう」と再び手を絡ませて歩き出す。俺は放心状態で、手を引かれるままに歩いたのだろう、気づけばバス停に到着していた。また明日ね、と手を振ってくれた先輩に、手を振り返すことすらままならなかった。





「それは絶対に告白だよ!」

 翌日の昼休み、歩は前のめりになってそう主張してきた。

「や、やっぱり、そう、かな」

「そうに決まってんじゃん。良かったじゃん!」

 この土日に蓮梨先輩とお泊まりデートをすることは、少し前に歩には話していた。そして先ほど、昨日の放課後のこと――話したいことがあると予告された、と打ち明けると、歩は「それは絶対に告白だ」とものすごい熱量で断言したのだ。

「あ〜いいないいな〜俺も水上(みずかみ)先輩に告白されたいなぁ」

「ぁ、歩も、クリスマスにお泊まりするんでしょ?」

「するけどさ、毎年な〜んにもないもん。去年の肩出しふわもこパジャマも効果なかったし、一昨年は先輩の布団に潜り込んだのに寝かしつけられて終わりだよ。ひどい!」

「で、でも、毎年クリスマスを一緒に過ごしてくれるって……やっぱり、歩のことが特別なんだと思う」

 ぷんぷんしていた歩もこれに関しては同意なのか、「まあ確かに? 特別かも?」とちょっと嬉しそうだ。

 その後も歩と話しながらご飯を食べていると、突然、教室の扉が開いた。

「あれ、高橋先輩だ」

「ほんとだ……」

 訪問者は高橋先輩だった。彼が一年の教室に来るということは、おそらく同じ部活の俺たちに用事があるのだろう。
 その予想は当たったようで、俺たちを見つけるとすぐにこちらへ向かってきた。

「苺も歩もおつかれ。ちょっと苺に聞きたいことあって」

「っ、はい、なんでしょうか?」

「蓮梨が今日お休みなんだけど、理由とか知ってる?」

「えっ」

 蓮梨先輩が欠席だなんて珍しい。昼まで会えないのはよくあることだから気づかなかった。それに朝は「おはよう」ってチャットで送ってくれたし……。

「先生は体調不良って言ってたけど、詳しくは分かんないからさ。もしよかったら苺からも連絡してあげてよ」

「で、でも、迷惑じゃないですかね……」

「ふふ、優しいね。でも蓮梨はね、苺から連絡来た方が早く治ると思うよ」



 高橋先輩の言葉に背中を押され、俺はすぐにメッセージを送った。シンプルに「体調は大丈夫ですか」と。熱はあるのか、喉の痛みや咳はあるのか、夜はちゃんと眠れたのか……色々心配なことはあるけれど、スマホを見るのが辛い可能性もあるから、メッセージは最小限の方が良いと思ったのだ。

 このたった一行のメッセージに返信が来たのは、その夜、俺が眠ってしまったあとのことだった。

 “大丈夫だよ。微熱だし、少し頭が痛いだけだから”
 “昨日、病院に行って薬もらったよ”
 “インフルやコロナの検査も陰性で、ただの風邪だって”
 “だから心配しないで!”

 でも――。

「『念のため、週末会うのはやめよう。必ず埋め合わせはする。本当にごめんね』……って送られてきて」

 俺の話を聞いていた歩は、腕を組み難しい顔で唸っている。

「なるほどね〜。まあ、甘伊(あまい)先輩も苺に風邪移したくないだけで、めちゃくちゃ会いたいだろうけど」

「っ、でも、仕方ないね……」

 症状が軽いとはいえ心配だし、寂しくて堪らないし……本当は看病しに行きたい気持ちもあるけれど、それは独りよがりでしかない。俺にできることは、素直に予定のキャンセルを受け入れて、先輩の体調が良くなるのを待つことだけ……。

 ……だけ、なの?

「苺、早く返信しなよ」

「ぇ、な、なんて」

「お見舞いに行ってもいいかって」

「っ! そ、そんな、鬱陶しいかもしれないし……」

「とりあえず聞くだけならいいでしょ」

 ……という会話を経て、俺は結局、蓮梨先輩にメッセージを送ってしまった。お見舞いに行ってもいいですか、と。
 俺は、自分が蓮梨先輩の役に立つ未来を想像してしまったんだ。先輩が俺を必要とする可能性があるのに、何もせず家でじっとしているなんて、無理だと思ってしまったんだ。



 夜、お風呂から上がり、髪を乾かし終えて部屋に戻ると、返信が来たことを知らせる通知が鳴った。

 “ありがとう。嬉しいけど、苺ちゃんに移したくないから”

 予想の範囲内の内容だったのに、俺はしっかり落ち込んだ。
 やっぱり独りよがりだった……と深く反省し、あとは大人しくしておこうと、「了解です」のスタンプだけ送ろうとしたそのとき――。

 “その代わり、電話してもいい?”

「っ!」

 ドキッと心臓が跳ねたせいで送信マークを押してしまい、地味な「了解です」スタンプが送られてしまった。電話のお誘いに対する返事なら、もっともっと可愛いスタンプを選びたかったのに。
 そんな俺の小さな嘆きを吹き飛ばすかのように、明るい着信音が鳴る。この曲は蓮梨先輩が好きだと言っていたもので、聞いたその日に着信音に設定した。

「も、もしもし……」

「あ、苺ちゃん? 今、大丈夫だった……?」

「はいっ、大丈夫、です」

 蓮梨先輩、声に元気がない。まだ身体が辛いのだろう。

「本当にごめんね……直前に風邪引くとか、ほんと……」

「っ、気にしないでください。誰でも風邪は引きますから」

「ごめん……昨日、一緒に帰っちゃったけど、苺ちゃんに移ってない?」

「はい、俺は元気なので……そ、それより、蓮梨先輩は、具合どうですか?」

「だいぶ良くなったよ。もう熱もないし」

 そう聞いてホッとしたが、それにしては先輩の声が辛そうだ。俺に心配をかけないように嘘をついているの……?

「……蓮梨先輩、ほんとに熱下がってますか?」

「うん、下がってるけど……なんで?」

「なんか、すごく元気がないように感じて……ぁ、風邪引いたんだから、元気がないのは、当然だけど……その、俺の前では、無理、しないでほしくて……」

 喋っているうちに、これで本当に自分の伝えたいことが伝わっているのだろうかと不安になって、文章にまとまりがなくなっていく。相変わらず人と話すの苦手なんだなぁって実感するけど、それでも……今は、伝えることを諦めたくないと思う。

「……苺ちゃん、ありがとう。熱が下がったのは本当だよ。頭痛も落ち着いてる。ただ……身体より心がやられちゃって」

「……こころ……」

「苺ちゃんとイルミネーション観に行きたかった。ケーキも一緒に作りたかった。またゲームもしたかった……」

「っ、蓮梨先輩……」

 胸をぎゅっと締めつけるほど切ないその声を聞けば分かる。俺と同じくらいこの週末を楽しみにしてくれていたということ。心の底から悔しいと思っていること。

「早く苺ちゃんに会いたいな……そのためにもしっかり治さないと――」

「行きます!」

 あ……言っちゃった。

「えっ? な、なに?」

「っ、明日、やっぱり先輩のおうちに行きます!」

「え、だ、ダメだよ」

「ぃ、嫌なんですかっ」

「は!? 嫌なわけない! 嬉しいに決まってる!」

「じゃ、じゃあ、いいですよね。俺、めったに風邪引かないので、移らないので、大丈夫ですっ」

 蓮梨先輩は慌てた様子で何やらごにょごにょ言っていたけれど、俺も勢いで喋っていただけなので限界が来てしまい、「それじゃっ」と思わず電話を切ってしまった。

 途端に訪れる静寂。
 自分の鼓動と呼吸の音だけが聞こえる。

 かなり無理やり約束を取り付けてしまった自覚はあったが、俺が後悔することはなかった。
 なぜなら――。

 “苺ちゃん、ありがとう。待ってます”

 と、すぐに先輩が送ってきてくれたから。





 翌日のお昼過ぎ。飲み物やゼリー、レトルトのお粥などを買ってから蓮梨先輩の家を訪れた。先輩はマスクをして迎えてくれたけど、電話で言っていた通り熱はなく、無事回復に向かっているようだった。
 でも、やはりいつもに比べたら眠そうな目をしているし、なんとなく動きもゆったりとしているから、まだ完治とまではいかないのだろう。

 先輩の家は一般的な二階建てのおうちで、大きさは俺の家と同じくらいに見えた。だが、いざ部屋に入ってみるとなんだか広く感じるから不思議だ……。多分、家具の配置や収納が上手なのだと思う。

「苺ちゃん、お粥美味しかったよ。本当にありがとうね」

「い、いえ、レトルトですし……」

 先輩は俺が買ってきた鮭のお粥をペロリと完食した。今朝までは食欲がなかったらしいけど、その様子を見る限り、無理して食べてくれたわけではなさそうだ。

「苺ちゃんと一緒に食べるから美味しいんだよ」

「っ……そ、それは、何より、です」

 とろんとした瞳で微笑まれ、胸がキュンと苦しくなる。
 その甘い苦しさは一人で処理できそうにないから、ソファに座る先輩との距離を縮め、身体をピタッとくっつけた。

「っ、苺ちゃん、あんまり近くに来ると、風邪が……」

「大丈夫、です。移っても、いいです」

「苺ちゃん……も〜、俺、頑張って我慢してたのに〜……」

「わっ」

 突然ぎゅーっと抱きしめられ、そのまま二人でソファに倒れこむ。先輩のおうちのソファは大きくてふかふかだから、全然身体は痛くないけど……。

「れ、れんりせんぱ……」

「んー?」

 ち、近い……! とにかく、近すぎる。
 先輩が強く抱きしめたまま離してくれないから、全身が密着して……こんなの、心臓の音、本当に聞こえちゃいそう……。

「はぁ〜苺ちゃん可愛いねぇ……苺ちゃんとのハグはどんな薬より効くよ」

 脳が溶けそうだ。先輩の声と香りが甘すぎて。
 
「せ、先輩、眠くなってきました……?」

「んー、そうかも……苺ちゃん、一緒にお昼寝しようよ」

 俺はバカみたいにドキドキしてるから、眠れるわけがないのだけど……抱き枕になることで安眠をサポートできるなら本望だし、俺ももう少し、この夢みたいな状況に溺れてみたいと思ってしまう。

「……お昼寝、しましょう」

「ふふ、ありがと……今日は、苺ちゃんに色々してもらってばかりだね」

「そ、そんなこと……」

「イルミネーションも、ケーキ作りも……リベンジ、させてくれる?」

 先輩は目を閉じたまま、静かにそんな問いを零した。

「……先輩さえ、良ければ、俺は……来年も、再来年も……」

 先輩と一緒に、クリスマスを過ごしたい。
 できることなら、恋人として……。

「……あ、先輩、そういえば、話したいことって……」

「……」

「先輩……?」

 耳を澄ましてみると、穏やかな呼吸音が聞こえた。
 眠そうだとは思っていたけど、まさかこんなにすぐ……。

 蓮梨先輩が心地良く眠りにつけたのだと思うと、俺も安心して、緊張が少しずつ解けてきた。
 先輩の寝顔を見る機会なんて滅多にないから、マスクをそっと外させてもらった。先輩もこっちの方が呼吸しやすくていいよね、と心の中で言い訳しながら。

「……綺麗……」

 至近距離で眺める、好きな人の無防備な表情。
 瞼を閉じているから、まつ毛の長さがよく分かる。
 鼻の形は美しく、唇は麗しく……全てに心を奪われる。

 ……そういえば、告白できなかったな。
 先輩の「話したいこと」も何なのか分からなかったな。
 
 ウトウト、ウトウト……。
 瞼がゆっくり重くなってゆくのを感じながら、蓮梨先輩の胸に顔を埋めた。

「……蓮梨先輩……好き……」

「……俺も……」

「っ!」

 まさか起きていたのかと思ったが、先輩はすやすやと眠ったまま。どうやらタイミングの良い寝言だったようだ。

 蓮梨先輩、どんな夢を見ているの。
 何に対して「俺も」って呟いたの。
 このまま先輩の胸で眠ったら、同じ夢を見させてくれますか?

 



 目が覚めたのは夕方だった。
 もうすぐ日が沈んでしまうというのに、蓮梨先輩はまだ気持ち良さそうに眠っていた。

 先輩を起こさないよう慎重にソファから離れたあと、俺は筆箱から付箋とペンを取り出して、メモを残すことにした。

 “はつこいいちごぷりん、冷蔵庫に入ってます。
        もしよかったら食べてください。
                    苺より”

 付箋を机の上に貼ったあと、先輩の家をあとにした。
 頬を撫でる冬の風を、冷たくて気持ちいいと感じた。
 それは、先輩との時間が現実だったことの証明だった。